えんぎり

 巨大な怪鳥に気付いた人々が悲鳴を上げ、嘆く声がユハに届く。

 遥か下での出来事だと言うのに、風切り音すら飛び越えて聞こえてくるのはどうしたことか。ユハはわざと音を立てて羽ばたき、人々の声を雑音へと切り替えようとした。

 がくり、とユハの体が急下降する。

「落ちてる! 勇隼いさはや 、上だ! 上がれ上がれ!」

 ギャア――お、おう。わざとだ。

「この下手くそ! 飛ぶほうが苦手なくせに」

 ギャア――いけると思ったんだ!

 目の前に急に現れた建物の屋根を蹴り、再び上方へと跳ぶ。カシーがぎゅっと背に掴まるのがわかった。

 ユハは飛ぶのを早々に諦め、屋根の上を跳躍していくことにした。人間時よりも翼がある分滞空時間が長くなり、屋根から屋根へと飛び移るのが容易である気がする。

 危なげなくひょいひょいと屋根の上を渡り歩いていたところで、急に横から飛び出してきた何かにぶつかった。その拍子にカシーがユハの背から転げ落ちる。あわや頭から真っ逆さまというところで慌てて出したユハの足にカシーが掴まり、ほっと息を吐く。

「先輩!」

 ユハとぶつかり、屋根の上にひっくり返っていたのは玖那くな だった。飛び起き、ユハに寄ってくる。ユハはカシーを屋根の上に引き上げると、人の姿に戻った。

「先輩、無事でしたね」

「玖那、ローラムが!」

 玖那がこくんと頷く。激しく火の手が上がっている建物を指差す。大分近くなってはいるが、まだ通り一つ分は距離がある。

「わかってます、あそこにいます、目がうじゃうじゃ生えたやつと。あれってアララギ様ですか? 今臥朋がほう先輩が足止めしてるんで、俺は近くの魔物を取り除いているところです。ついでに先輩のことも探してました」

「ついで……」

 玖那が頭上を見上げ、瓦を投げる。当たりはしなかったが、忍び寄ってきていた魔物は驚き、逃げていった。

「臥朋にはどこまで話した?」

「ええと、とにかく親分を助けるべしってだけ」

「それだけ?」

 ローラムの素性や理由を伝えなかったのかと問えば、玖那はもちろんと頷いた。

「あの臥朋先輩ですよ? それ以上聞いていられるわけないじゃないですか。聞いた途端に飛び出して行きましたよ。究極の要点のみを簡潔に伝えること、それ即ち臥朋先輩とストレスなく付き合うコツです」

「それにしたって、それだけで動くか?」

「可愛い後輩の頼みですからね」

「なんて?」

「可愛がってくれない先輩は嫌いです」

 つん、と玖那が顔を背けた。臥朋は普段から仕事熱心なので言い渡されていた任務を完遂するまで動きはしないだろうと思っていたが、玖那はちゃんとそのことにも手を打っていたらしい。

 玖那が周辺の魔物を排除していたのは、ただ町民のためではなかった。

「目のバケモノが、近くにいた魔物を食べちゃうんですよ。取り込んで養分にするらしくて、どんどんアララギ様だったって言っても信じられなくなっていってます。まあ、だから臥朋先輩も簡単に動いてくれたというのもあるんですけど。うかうかしているとそのうち俺たちも食べられちゃいそうですよ」

 草の目が増殖し肥大化する前に、アララギ自身がぶくぶくと膨れ上がっているらしい。

 急いで向かおうと言うと、カシーは屋根から飛び降りてしまった。

「俺はこっちから行く。またあとで!」

 言い置き、さっさと走って行ってしまう。なぜ二手に分かれるのかと不思議そうに自分を見つめてくる玖那に気付いたが、ユハはそれには答えず、玖那と共に屋根の上を行くことにした。

 身軽な玖那がひょいひょいと屋根を伝っていく。それと並行するには人間の姿では難しい。

 ユハは鳥の姿になると憤然と走った。跳躍力も人間の足とは比べ物にならない。鳥になったのに飛ばないのかと玖那に尋ねられたが、ユハは聞こえなかったふりをした。

 一番大きな火の手は建物自体からではなく、庭から上がっていた。

 高く積み上げられた壊れた調度品は周囲の家々から拝借したものだろう。そこに適当に葉や、剪定され落とされた植木の枝などが混ざっている。音を立てて燃え盛る炎は暗い空へ手を伸ばし、煙を立ち昇らせている。

 人の姿に戻り玖那と共に庭に降り立つや、大きな地響きが二人を襲う。思わずよろめいたところを、ユハはノジーたちに助け起こされた。

「お前ら」

 ノジーたちはせっせと燃えそうなものを見つけると焚火に放り込み、手が空になるとまた燃やせそうなものを探しに去って行く。その横で臥朋が松明を手に振り回していた。そうすることで、少しでも相手の手勢を削ぐことができると言わんばかりだ。

 炎の明かりの届かない庭の隅に、アララギがいた。

 火を怖がっているのはアララギの生き物としての本能か、草や取り込んだという幽鬼や魔物の防衛機能の成せるものなのか。庭の隅で縮こまりながらも、だがアララギは抜け目なくこちらの出方を窺っている。

 偽者ではあったが、ほかの者には間違いなく自分たちを束ねる王だった。

 臥朋もアララギが相手と知り、それ以上迂闊に手を出せなくなり、ただ追い詰めるだけにとどまっている。

 アララギの全身から生えている草の目は、それ自体がやはり意思を持っているようだ。互いに潰し合い、どろりとした青紫の汁を流させる。

 草の目から分泌された汁は流れる中でやがて一つの塊りとなり、アララギの傍らに溜まっていく。まるで巨大な青紫のナメクジのようだ。ナメクジは半透明で、透けて見える体の中にはびっしりと目が生えている。

 臥朋がユハたちに気付き、松明を持つ手を上げる。明かりの上下に合わせるように、ユハも軽く手を上げた。

 臥朋はユハの前に飛び出るようにやってくると、がくりと項垂れた。すまない、と謝罪するその声が酷く悲し気で、ユハは臥朋が泣くのではないかとさえ思った。

「なんだ? どうした」

「勇隼、本当にすまない。まだお前の、『目に入れても痛くなくて何より世界で一番大切な愛しき人』を助けられていないんだ! 面目ない!」

「は……はあ? なんだよそれ!」

 まるで恋人みたいな言い方だ。

 馬鹿じゃないのか、と叫ぶユハの隣で、玖那が自分は何も聞こえていないという様子で立っている。その肩が僅かに震えている。こいつのせいかと睨みを利かせれば、同じく臥朋の大声を聞いていたアララギが全身の全ての目をぎょろりと動かし、臥朋とユハを睨み付けた。

「ひっ」

 圧倒的な数の蛇の目に射竦められ、ユハはたじろいだ。一歩、二歩と下がり、背後に現れたカシーに背を押し返される。

「あれはただの草だ。噛みついてはこない」

 ユハは緊張でうまくできていなかった呼吸を何度か繰り返し、アララギに近付いた。

 あれはただの草、牙はない。蛇なんかじゃないと心の中で唱えることも忘れない。

「アララギ。ローラムはどこだ」

 ユハが声をかけると、アララギは首を振った。

 途端にただのわがままな子供に見えた。自分にだけ向けられるはずの愛情が、半分になり、三分の一になり、どんどんと下の子に取られて行ってしまうと感じている長子のようだ。

 実際、自分だけを見つめて貰える時間は短くはなるものの、その愛情の量が減っていくなんてことはないのに。

 愛情に量なんて、ありはしないのに。

 アララギは、思えばいつも何かを欲していた。

 欲することで、物で、愛情を計ろうとしていた。

「アララギ。俺はもう、お前には付き合えない。ローラムはどこにいる」

「……さあ? そんな名前のやつなんて知らない」

 顔を伏せ、背を背け、アララギが答えた。

 ――答えた?

 アララギはユハから逃げようとして背を向けたわけではなかった。

 慌てて駆け寄り、その肩に手をかけ、アララギを引き倒すようにして無理やり退かす。

 生垣の下に埋もれるように、手があった。

 よく見ればそれは、生垣ではなかった。

 生垣の下にいるのではなく、その上に草が密生しているのだ。


 ――ローラムの体の上に。


 アララギが引っくり返ったまま、ケタケタと笑う。

 カシーが駆け寄ってきて、何事かとユハと同じものを見て、絶句する。

「傑作だろう。わたしはこいつの目を食ってしまったから、お返しにこちらも目をやったんだ。そうしたらほら、やっぱり草が生えた。同じだ。同じなんだ、わたしたちは。同じなんだからわたしでもいいだろう、勇隼」

 自分のほうへと伸ばされた手を、ユハは無視した。

 行き場のないアララギの手は彷徨い、項垂れ、真っ直ぐに上方へ、空へと伸びた。

 アララギにとって、今夜が初めての夜空なのかもしれなかったが、その感動などどうでもよかった。

 煙が立ち込め、悲鳴が響き、うじゃうじゃと魔物が飛び交って星を隠している夜空なんて、気味が悪いだけだ。

 少しも良いものではない。

 昨日のものとも、明日のものとも、別物だ。

 ローラムとアララギが、全く同じじゃないように。

 ユハは植物に覆われ、顔も見えないローラムの傍らに膝をついた。

 密生する植物の間に手を差し入れ、そっと左右に押し広げる。

 僅かに開いたローラムの口から束となって太い茎が生えている。

 アララギは同じように目を食わせたと言ったが、それは自分の目ではなく、草の目だ。

 ローラムに密生する植物は、明らかにアララギのものとは異なっていた。ぎょろりとした目が咲くのはこれからなのかもしれないが、幅広の葉がみっしりと生え、その茎はそれぞれ太い茎に繋がり、太い茎はローラムの体に絡みつきながら成長していた。

 体に直接生えていないのならば、まだどうにかなるかもしれない。

 ユハはローラムの胸が僅かに上下しているのを確認し、その口の中に指を突っ込んだ。

 太い茎ごと舌を押し退け、奥へと指を滑り込ませる。

 指を茎に絡め、がっちりと茎を掴むと、左手で口を大きく開けさせたまま、思い切り引っ張る。

 何度か繰り返すうちに、ローラムの喉がげぇと鳴った。

 ぴくりとその手が動き、苦しさから逃れようとユハを叩き、引っ掻き、押し退けてくる。

「ローラム、少し我慢しろ!」

 ユハの声が聞こえたのか、ローラムの動きが鈍くなる。

 今だとばかりに引き抜こうとして、ふと気配を感じて顔を上げた。

「健気という言葉が似合うんだろうね、勇隼。それがわたしに向いていないなんて、凄く残念だ」

 アララギが青紫の巨大なナメクジを両手で抱えるように持っていた。ユハを見下ろすその背には、有象無象の魔物が蠢いている。カシーたちはその波にのまれてしまったのか、姿が見えない。

 慌てて見上げた空は晴れ渡り、僅かに欠けた月さえもはっきりと見て取れた。

 頭上にいたものたちを、全て呼び寄せたのだ。

 ぞくり、と背筋が凍る。

 アララギが一歩近付き、悪いけど、と呟いた。

「お前は朱璽鬼しゅじき 失格だ、勇隼」

 新しいのを作ることにした、と聞き取る間に、アララギの手からナメクジが離れる。

 ユハの真上で放たれた青紫色のナメクジは、ユハとローラムの口腔を塞ぎ、押し潰しながら、着地した。

 


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