かげきじょうへ

 最後の餞別とばかりに、太陽が西の空で粘っている。

 あと数分もすれば完全に姿を隠してしまうだろう。

 ノジーという一種の脅威は取り除いたが、ほかにもサヴィアンに味方する者がいないとは言い切れない。

 本物のシャノンに寄れば、エルトンはすでに領主の屋敷の牢から別の場所へと移されてしまった後だと言う。牢がもぬけの殻であることはユハたちもローラムを探している最中に確認済みだ。

 ローラムの服はあまりにもひどい有様だったので、隠し部屋へと通じる部屋のクローゼットから服とブーツを借用した。小柄なローラムには少し大きかったが着れないことはない。ズボンも裾をブーツの中に押し込みベルトをすることで上手い具合に落ち着いた。

 初夏であるが夜間はまだ冷える。

 全員がジャケットを着込み、シャノンがユハたちと共に隠し部屋へ行っている間に、シャノンの手の者が別室から運んできていた短剣を手に取る。一つだけある拳銃は、扱った経験のあるシャノンが持つことになった。扱った経験と言っても訓練と言えるほどのものではなく、少しの間触らせてもらっただけだというが、それでも全員の中では彼女が一番詳しかった。

 町に出てみると、あちこちから鬨の声が上がっていた。

 ユハが鼻をひくつかせる。

「嫌な臭いですね」

 顔を顰めたシャノンにローラムとカシーも頷いた。ユハは鼻を摘まんだまま、周囲を見回しながらカシーとの間に挟むようにローラムの横へと移動する。

「あまりいい景観とは言えないな」

 カシーが風に翻る半旗を示す。シャノンが驚愕に目を見開き、ローラムが顔を強張らせる。

 黒い半旗は、弔いの印だ。

 あちこちから聞こえる叫び声は弔い合戦とでもいうのか。歌劇場へ急げと鼓舞するように叫び声の間から聞こえてくる。

「歌劇場に何かあるんですかね」

「行ってみよう」

 歌劇場へと向かって路地を一本入れば、そこには真っ二つにされ内臓が飛び出した遺体が転がっていた。

 シャノンが口を押え、悲鳴を飲み込む。遺体は背格好がエルトンに似ていたが、髪の長さが異なる。こちらを向いて驚愕に見開かれた瞳にどうしても目が行ってしまうが、明らかに別人だ。

「これって」

 鋭利な刃物で切られたのなら、内臓もすっぱりと切られているだろう。ずるりと引き抜かれたように飛び出している内臓は、見た限りどこにも刃物による傷はない。

 遺体は上半身と下半身をそれぞれ握られ、力任せに左右に引っ張られたのだ。

 ローラムが遺体に近づき、見開いたままの目を閉じてやる。その頬を掠め、ビンが飛んだ。背後の家にぶつかって派手に砕け散る。かけらが跳ね返ってローラムの背へと向かうが、間一髪、ノジーが地面から現れ、大きく口を開けるとかけらを飲み込んだ。鉱石や石も糧とするノジーたちにしてみれば、かけらの欠片など菓子のようなものだった。

 ローラムがビンが飛んできたほうを見る。向かいの屋根の上に座り込んでいる小柄な影があった。腰に下げた道具袋は見覚えがある。

玖那くな !」

「あれ、勇隼いさはや 先輩じゃないですか? いつものやる気のなさを発揮して人間に捕まったんですか? こんなときにまでやる気なさ過ぎですよ」

 これ見よがしに手で庇を作り、屋根の上の小柄な影がユハに声をかける。道端の小石を拾うように瓦を数枚まとめてむしり取ると片手で持ち、その内の一枚を弄ぶ。

「自力で逃げられないくらいやる気ないんですか? 手を貸しましょうか」

 玖那がローラムとシャノンに向けて瓦を投げた。カシーがシャノンを、ユハはローラムをそれぞれ庇う。

 自分の前に背を向けて立つユハの肩にローラムは手をかけた。

「きみ、僕に捕まってたの」

「え、捕まえたいですか? 束縛されるのはそこまで嫌じゃないですよ。たぶんそんな生き物です」

「……そうじゃないんだけど」

 再び飛んできた瓦をしゃがんで避ける。カシーはシャノンを連れて玖那から死角になるように家を回り込んだ。気分が悪くなったのか、丸めたシャノンの背を撫でてやっている。

 ユハは両腕を広げた。玖那に捕まっていないことを見せつけようとするが、玖那は笑いながら次々に瓦を屋根からむしり取っては投げてくる。その速度は投げるたびに早くなっていっているような気がして、ユハは焦った。人形相手に射撃訓練でもしているかのような気軽さで瓦を投げ続ける玖那は疲れた様子もない。

 これではいくらノジーでも全ての瓦を平らげる前に仕留められてしまう。

「玖那! 俺は捕まってないぞ!」

「みたいですね。じゃあ退いてください」

「お前がやめろよ!」

「先輩が退けばいいんですよ」

「なんでこんなことしてるんだよ」

「王様が人間をたくさん片付けた順に褒美をくれると言ったからです! みんな結構張り切ってますよ。人間にもランクがあって、黒髪のやつとエルトンってやつを殺したら特賞です。ほかは十人単位で数えて多かったらとか言われましたね。先輩も参加します?」

「……みんな?」

 あちこちから上がる鬨の声。

 その中には悲鳴が混じり、破壊される音が混じり、黒煙と焦げた匂いが風に乗って運ばれてくる。

 それらは人間同士の争いではなく、人と幽鬼の争いだとしたら、いったいどれほどの幽鬼が地下から出てきているというのだろう。

「今の王様は、何をしたがっているわけ。こんなことをしたら僕が戻るとでも思っているの。それとも僕を呼び戻したいと思っているのは、きみだけなの?」

 ローラムの足元で顔だけ出したノジーが近くに落ちた瓦に手を伸ばし、ぱくりと食べる。その頭を撫でて、ローラムが言う。

 ユハは振り返ってローラムを見た。片目だけになったローラムの視線が突き刺さる。

「俺は本気です! 本気であなたを連れ戻したい」

「きみも今の王に従っているの? 僕を連れ戻すのは王に差し出すため?」

「違う! 本心で従ってるわけじゃない。俺はあんたに戻ってもらいんだ! 今の王は王じゃない。俺はあんたの朱璽鬼しゅじき だ! あんただけの!」

「その証明はどうやってする?」

「それは」

 ローラムがトトン、と踵を打ち鳴らした。途端に屋根の上の玖那が短い悲鳴を上げ、屋根の上から転がり落ちてきた。急に現れたノジーに突き落とされたのだ。

 地面にうつ伏せに倒れた玖那の上にはノジーが数人乗り、手足をそれぞれ掴んだノジーが玖那の末端を地中へ引きずり込んでいる。まるで縫い留められているようだ。

「ノジー? いつの間に」

「さっきだよ。証明してくれないと親分やらないよ」

「証明って言ったって」

 よくやってくれた、とノジーたちを労うローラムは、納得しなければ本当にこの場から動かなそうだ。玖那の話では多数の幽鬼がローラムを狙っている。ローラムの髪色は極東にはよくある髪色であるし、幽鬼の中にもその色を持って生まれる者はたくさんいる。

 けれど今この瞬間、この場所にいるのは、ローラムだけだ。

 火蜜かみつの影響で、ローラムは幽鬼と言うよりもまだ人間に近い。薬効が切れかかっているとは言え、人間寄りのローラムを幽鬼たちは迷いなく手にかけるだろう。

 そもそも深王の血筋は、最初から幽鬼ではない。

「玖那、今まで黙っていたけど、俺が朱璽鬼なんだ」

 朱璽鬼が従うことで、深王しんおうは王としてほかの幽鬼を従える。逆に言えば朱璽鬼がいなければ、幽鬼の王には成り得ない。

 ユハは玖那の前に座り、自分の髪を一本抜いた。それを玖那の目の前に差し出す頃には、髪は一枚の羽になっていた。

 根元は赤く、中ほどは白く、先端へ行くほど黄色くなる羽。

 朱璽鬼だけが持つとされる、三彩羽さんさいば

 指先を捻り羽をくるりくるりと回転させる。目に鮮やかな三彩に、玖那が参ったとばかりに目を閉じた。

「わかりましたよ、先輩。実は薄々そうだろうなと思ってましたし」

 やっと白状してもらえた、と玖那が嬉しそうに言う。

「王様が公に出てくるたびになんやかんや理由をつけて先輩店にいなかったですし? でも先輩、俺にも証明してくださいよ。これは誰なんですか? 今の王様はアララギ様のはずですよね。騙されてませんか?」

「だから、俺が一緒にいる」

「アハ。それだと俺も王様ですねえ」

「お前は後輩だろうが。足元にも及ばないわ! ――いてっ」

 頬に硬いものがぶつかり、ユハは眉根を寄せた。ごめんごめん、と軽い調子でローラムが謝ってくる。彼が手にしているものと、たった今自分にぶつかり落ちたものを見て、あ、と思う。

「ちょうどカシーが持ってた。その証明は僕がやるべきだよね」

 ユハは足元に転がる早夏を拾い上げた。

 拾ってきたガラス片でローラムは自分の左手の人差し指の腹を切り付け、ユハの持つ早夏の上で逆さまにする。ぷっくりと丸い雫となって滲んだローラムの血が擦りつけられた途端、焦げ臭い匂いにも負けない強烈な香りが弾けた。酸っぱい独特の香りに気を取られているうちに、早夏はローラムが触れた箇所から血が膜となって全体を覆うように色付いていく。

 ユハの手の中で、白かった早夏は赤い実となった。

「……本当に王様?」

 目を瞬き、玖那が呟く。ユハは手を差し出し、玖那にさらに見せつける。

 驚いたのは、玖那ばかりではない。

 先日ローラムが給水塔に隠された早夏を染めた時よりも遥かに赤い。ここまで見事な深紅の実は、アララギが王として居座って以来見たことがない。

 至極の実。

 朱璽鬼には極上であるが、ほかの者には毒となり死に至らしめる果実。

 朱璽鬼の、ユハのためだけにある、赤。

 その赤い早夏をユハから取り上げ、ローラムは玖那の口元へと持っていく。

「その昔、自分とは違う生き物を従わせるには特別な食べ物が必要だったと言う。これを食べたらきみも僕の味方になってくれるかな」

 玖那が恐ろしいとばかりにぎゅっと口を閉ざす。

 ユハは慌ててローラムの腕を引いた。

「だめです、食べさせちゃ。死にます」

「でもカシーも僕も早夏は好きでよく食べてるけど、生きてるよ」

「それは黄色いやつ! 赤いのはだめです。俺のです」

 そして白いものにも毒はないが、味もない。

 つまりくそ不味いから、誰も食べない。地下にある早夏は実質、ユハ一人のものだ。

 ローラムは玖那の口元から赤い早夏を離した。玖那が警戒しながら口を僅かに開け、その隙をついてローラムが自分の口に早夏を押し込んでこないと悟ると一気にまくしたてた。

「俺は先輩の味方です! 先輩がいいと思っていないほうを敵とします!」

 ローラムと玖那が同時にユハを見る。

 ユハは迷いなく、ローラムに自分の三彩羽を持たせた。

 それが答えだった。

 朱璽鬼はその生涯において、人前で自分の羽を誰かに手渡すことはない。その羽を手渡される唯一の例外は、朱璽鬼が認めた者のみである。

 ノジーたちがローラムの合図で玖那から手を放す。ローラムの近くにいたノジーたちは全員すでにへべれけで、ローラムが合図をする前からほとんど玖那に触っているだけの状態だったらしい。ノジーたちに押し出されて、ようやく地面に食い込んでいた手足が抜けてほっとしている玖那に、ローラムは頭を下げた。

「ご無礼をいたしました。僕を親分としてしばらく、お付き合いください」

 急に礼儀正しくなったローラムに、玖那も慌てて詫びる。

「こちらこそよろしくお願いします。ところで親分って何ですか? 王様でしょう?」

 ローラムはへべれけノジーたちを別の頭がはっきりしているノジーたちに託し、地中の安全な場所へ送るよう指示を出した。

「これから乗っ取りに行くわけだから、まだ名乗れないでしょう。親分くらいがちょうどいいと思うんだ。ねえ、イサハヤさん」

「ユハでいいです」

「ユハ『で』?」

「……『が』いいです!」

 わかった、と言って、ローラムはシャノンとカシーのほうへ走って行ってしまう。彼女の具合はと尋ねているローラムを並んで追う玖那が、ユハの顔をにやにやしながら覗き込んできた。

「なんだよ」

「彼の前ではなんだかいつもと違いますね、ユハ先輩」

「だめだ! お前は嫌だ! 勇隼と呼べ!」

「はい。勇隼」

「先輩をつけろ!」

「注文の多い先輩ですねえ」

 ユハたちが合流すると、シャノンの顔色はあまりよくはなかったが、体調を崩してはいなかった。シャノンとカシーはユハたちが玖那と対峙している間に耳を澄まし、通りかかる者を引き留め情報を集めていた。剣と鍬、ノコギリも手に入れており、カシーが鍬の先端を落とし、代わりに柄に短剣を括り付けて簡易な槍を作っていた。

 半旗はエルトンのためではなく、シャノンの祖父のために掲げられたものであった。

 ほかに聞き出したのは、シャノンの祖父は魔物に憑りつかれたエルトンによって殺害されたこと、エルトンは歌劇場に閉じ籠って魔物を抑え込んでいること、魔物はエルトンごと葬るしかないと町民たちの間で話が広まり、人々が発起したこと。

 歌劇場に押し入った瞬間、町に魔物たちが侵入してきたということ、などだ。

 シャノンたちが聞き出したのは、エルトンを生かす道を絶つものばかりだった。大義名分を与えられている以上、町民たちにはあまり罪の意識は芽生えない。

 町民からも人気のあるエルトンをただ処刑しただけでは処刑した側が不評を買うが、理由とそれを裏付ける行為があれば、それは正義の執行となる。

 正義の理由を振りまき逃げ道を与え、町民を扇動したのは、間違いなくサヴィアンだ。

「とにかく歌劇場へ急ごう」

 玖那と最初に出会えたのはユハたちにとって幸運だった。玖那はユハを介しシャノンとカシーも敵ではないと認識すると、歌劇場の場所を確認した。

 歌劇場は領主の屋敷から見て北西にある。周囲のほかのどの建物よりも高く、大きく張り出したバルコニーから常に色彩豊かな垂れ幕が下がる、半円状の建物だ。

 歌劇場へ向かって駆ける中、飛び出してきた幽鬼も人もまとめて玖那が排除を引き受けた。護ると決めた者に降りかかる厄を取り除くのが玖那の特性だ。先頭を行く玖那の前に姿を見せた者は全て玖那に投げ飛ばされ、押し倒され、行く手から取り除かれる。道の中央を綺麗に開けさせていく玖那の背はローラムよりもさらに小柄だが、頼もしい。ユハなどよりも余程腕の力があるが、彼の難点は不器用なことだった。

「うわ」

 ユハは投げ飛ばされてきた魔物を間一髪で右に逸れてやり過ごした。道の真ん中を開くのはいいが、その投げる先があっちこっちと定まらないので、ついていくほうとしては玖那も要注意であることに変わりない。

 歌劇場の姿を視界に大きく捉えたところで、近くから悲鳴が上がった。悲鳴はすぐに消え、歓声となる。ジャグファ様、と声援まで飛び交っている。

 ユハたちが駆けつけると、そこには剣を振り回す大男がいた。町の者たちに囲まれ、倒れた毛むくじゃらの幽鬼に足をかけている。お付きの者が水瓶の水で絞った布を男に差し出し、男はそれで刀身を拭った。布は絞りが甘かったらしくぽたぽたと盛大に水を滴らせていたが、男は構わずに念入りに刀身を拭き取り、柄のほうまで布を滑らせる。

 布から滴った水が毛むくじゃらの幽鬼の体に落ちる。水が落ちた箇所からはジュッと焼き付けるような音が上がり、焦げた匂いと、煙が上がった。

 ただの水ではなさそうだ。

 男たちは平気な顔で触っているので、人間には無害だが幽鬼には影響のある成分が溶け込んでいるのだろう。そんなことができるのは地上では早夏くらいであるが、赤くなければ毒とはならないはずである。

 ローラムはここにいるのに、赤い早夏ができるわけがない。

 早夏とは別の何かであるとも考えられるが、それが何であるのかまではとんと見当がつかない。

 男は刀身を拭い終えた布を付き人に押し付けると、雄叫びを上げ走って行ってしまった。彼を取り囲んでいた町民たちの半数ほどは残ったが、あとの半数は思い思いの武器を手に男について行った。

 その場に残った町民たちが、残された幽鬼の遺体に石を投げつける。その内口々に罵倒し始め、投げつけられる石の数も多くなった。そこにいるのは女や、老人たちが多く、力ないものがはけ口として行っているようだった。

 見ていられずユハが顔を背けると、ローラムが身を屈めてノジーと話をしている姿が目に入った。

 ノジーの行動は早く、地面にするりと潜り込んだかと思えば、人々から驚きの声が上がった。見れば彼らが囲っていたはずの幽鬼の遺体はどこにもなく、戸惑いや恐怖といった表情で互いに顔を見合わせている。

「不思議そうな顔で見ないでよ、ユハ」

「ノジーにあの幽鬼を助けさせたんですね」

「……そう見えるなら、それでいいかな」

 その一団をぐるりと回り込むようにして辿り着いた歌劇場の前には、巨体が入り口を塞ぐように座り込んでいた。額に二本の角を生やし、腕組みをして胡坐をかいている。周りにいる人間が蹴り付けたり棒で叩いたりしているがどこ吹く風だ。その巨体と入り口の間の僅かな隙を縫って幽鬼が出てくるが、人々の目には巨体のほうしか映らないらしい。そこに集まっている人間には目もくれず、幽鬼は町中へと散って行く。

臥朋がほう まで」

 ユハが驚いていると、玖那が振り向いた。

「臥朋先輩は特別任務ですよ。幽鬼たちの出入り口を死守するっていう。まだ親分がそうだと知りませんからね、邪魔なら教えてあげれば退くんじゃないですか」

 気楽に言ってくれるが、こんな状況でローラムの身分を明かしてしまっては、余計にローラムの身が危うくなる。

 そもそもどうして、エルトンを助けるはめになっている?

 このままローラムを連れてここから逃げたい衝動に駆られ、ユハは自分の手の甲をつねった。そんな弱気でどうするのだ。ローラムがやると決めたのだし、それについて行くと決めたのは自分だ。

 でもどうすればいい。

 妙案が浮かばずにいると、ローラムが玖那を自分の近くへと呼び寄せた。

 シャノンと三人で話をして、何かをシャノンに手渡すと、一人こくりと玖那が頷く。

「じゃあ先輩、俺たちは別ですって」

 それだけ言って、玖那とカシーが群がる人を弾き飛ばすように押し退けながら駆けていく。

 玖那たちに何をさせようとしているのか問うより先に、周囲の雰囲気が変わった。ざわつく人々の視線を追えば、臥朋のすぐ頭の上にあるバルコニーに、男が姿を現したところだった。

「サヴィアン」

 ローラムがポツリと呟く。シャノンも隣で彼を睨み付けている。

 バルコニーに出てきた男は、長い髪を頭の後ろで一つにまとめている。白を基調とした軍服に似たデザインの服を着こみ、宝石などで柄を飾り立てられた細身の剣を手にしている。

 胸の前でその剣を立て、さっと振るう。男の動作に合わせ、人々はぴたりと口を閉じた。

「聞くが良い、皆。我が名はサヴィアン・リダウト。この町の領主モージズ・リダウトの孫にしてシャノン・リダウトの兄である。長らく不在にしていたが、この度戻って来た」

 彼を見上げる町民たちの間から様々な声が漏れる。その中でもなぜ今になって姿を見せたのか、本当にサヴィアンなのかという声が多い。

 その疑問に答えるようにサヴィアンは剣を持たぬほうの手を腕を広げた。

「無論、妹の結婚を祝うためだ! しかしこんな悲劇が待っていようとは夢にも思わなかった」

 サヴィアンがしゃがみ、バルコニーの欄干から下がる垂れ幕の向こうに姿を消す。数秒後再び顔を出した彼は、黒い服に身を包んだ女性を抱えていた。頭からすっぽりと黒い布がかけられており、サヴィアンは彼女を自分に寄りかからせるように立たせて片手でその体を支えると、ぐったりとしている彼女から布を外した。

 露わになった彼女の黒い服は肩口が大きく切り裂かれ、その下に覗く肩は赤黒く濡れている。顔は半分以上が獣に噛み砕かれたように潰れ、胸には一本の短剣が刺さったまま、長い髪が夕方の冷たい風に吹かれて肩から流れ落ちる。

 その髪の色は、サヴィアンとよく似た金色だった。

「ミザリー……?」

 シャノンが呟き、女性に向かって手を伸ばす。だがその呟きは周囲の声にかき消されてしまった。

 サヴィアンが腕に抱えた女性の髪を一筋手に取り、見せつけるようにさらりと手から滑らせる。

「我が妹シャノンは、エルトンを救おうと彼に近付き、無残にも殺されてしまった。私が駆けつけた時には、すでにシャノンは虫の息であり、シャノンは最後の力を振り絞って私に全てを委ねてくれた。この町のこと、皆のこと、案じながら逝ったのだ。私は彼女の意思に全力で報いたく思う! シャノンの気持ちを想うのであれば、私に力を貸してくれ! 私はシャノンの全てを引き継ごう!」

 人々にサヴィアンの言葉が浸透していく。続々と諸手が上がり、サヴィアンが付き上げた手に応じてどんどん指揮が高まって行く。

 サヴィアンが領主の地位を奪い去った瞬間だった。

「嘘だ!」

 鋭い一言だった。しんと静まり返った人々が声の出所を探してきょろきょろと自分の周りを探る。

 出所はシャノンだった。シャノンはすでに変装を解いており、手には指輪のようなものをしていた。その指輪をサヴィアンに見せるように高く上げる。

 サヴィアンが指輪を見て表情を崩す。それを見逃さず、シャノンはサヴィアンが指輪の存在を認めたと確信したところで胸の前で指輪を包むように手を組んだ。

「私こそがシャノン・リダウトです! その遺体は私ではありません。よく似た偽者です! 顔の判別ができないのがその証拠!」

 毅然と言い放つシャノンに、近くにいた者が声をかけようとして、傍らにいるローラムに気が付いた。

「黒髪の――」

 全てを言い切る前に、シャノンがローラムに短剣を突きつける。首筋に切っ先をあてがわれてもローラムは平然とした顔で、身動ぎ一つしない。

「この者が祖父モージズに刃を突き立てた者です。皆さんも噂くらい聞いているでしょう。黒い髪の異民が領主を刺したと。この者はエルトン様の元に潜り込み長い間機会を窺っていたのです。エルトン様は魔物に憑りつかれていたのではなく、この者に騙され、歌劇場に幽閉されているだけです」

 それまで大人しかったローラムがシャノンの突きつける刃から逃れ、サヴィアン様、と叫んだ。

「サヴィアン様! 助けてください! このあとどうすればいいですか!」

 切羽詰まったその言葉は、そうとはっきり明言していないにも関わらず、サヴィアンに指示されて動いていたと周りに打ち明けていた。

 先ほどまでの崇高なサヴィアン像が、一斉に疑心に変わる。

 人々の疑うような目を向けられ、サヴィアンは抱えていた遺体をその場にどさりと落とした。急に扱いが雑になったことで、やはりその遺体はシャノンではなく別人だったのだと人々に伝わって行く。

 サヴィアンは歯を食いしばり、シャノンを睨み付けた。

「鬼子め……!」

「サヴィアン様、どうして何も言ってくれないのですか! ……何もしてくれないなら、契約は破棄だ! この女は貰っていく! あんたのために魔物だって貸したのに!」

 ローラムがシャノンの背後に回り込み、首に腕を回した。同時にユハの手も取る。

 衆人の見ている前で、ローラムはシャノンとユハを連れ、姿を消した。

 目の前の景色が上に引き抜かれるように消える直前、ユハは今までローラムの頭があった場所を轟音と鉄の球がものすごいスピードで通り過ぎるのを、見た。

 

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