それぞれのたから

「お取込み中のところ大変申し訳ありませんが、ローラム様。あなたにお願いがございます」

 今まで黙って成り行きを見守っていたシャノンが唐突に口を開いた。ローラムの前へやってくると膝をつき、その手を両手で包むように取る。

 止める間もなく、彼女はローラムに願いを打ち明けた。

「領主が孫娘、シャノンにございます。エルトン様を助けていただきたくて参りました」

 ローラムがきょとんと目を丸くしてシャノンを見る。

「本人?」

「ええ。シャノンです」

 彼女は片手で眼鏡を外し、かつらを取り去った。赤毛とは程遠い金の髪。ほう、とローラムから羨ましそうな感嘆の息が漏れる。

 ユハは繋いだままのシャノンの手をローラムに代わって振り払うと、彼を守るようにシャノンとの間に割り込んだ。

「孫! お前、諦めたって言ってたくせに!」

 シャノンがユハを見る。邪魔をするなとでも言いたげに目が細められた。

「あなたに頼むのを諦めただけです。あなたに反発してあっさりと殺されてしまうわけにはいかないので。大人しくしていてもそうでしたものね」

 シャノンは自分の鎖骨から鎖骨へと撫でるように指を滑らせた。

「は? ……まさか、替え玉女?」

 こくりとシャノンが頷く。

 そう言えばそんなこともあった。

 あの時とは見た目もまるで違うが、ユハが女の首に手をかけたことは、前にも後にもローラムたちと婚約式から逃げ出したときだけだ。そのことは本人しか知り得ないはずである。

 ユハが過去を思い出していると、ローラムがひょこりと背から顔を出し、シャノンに声をかけた。

「なぜ替え玉なんてことを? 本人でしょう?」

 本人の替え玉の替え玉として本人が出向くなんてややこしいことはせずに、本人としてその場にいれば、領主に暴力を振るわれることもなく、あわや首に手をかけられることもなかったのだ。

「夜な夜な、この町に魔物が出るのはご存知ですか」

 ぽつりぽつりと話だしたシャノンに、カシーとローラムが頷く。

 知らなかったのはユハだけだったが、口を挟むことはせず、黙って続きを待つ。

「幸い、まだ命が失われるような大事件にはなっていませんが、軽い怪我をした者は二桁にも上ります。魔物たちは何かを探すために行動しています。その魔物の正体ははっきりとしていませんが、私は……彼らが疑わしいとは思っています」

 シャノンが壁際にきちんと並んでいるノジーたちを示す。ノジーたちは会話を聞いているはずだが特別反応はしない。ノジーたちの挙動から犯人扱いすることもできなければ、犯人の目星をつけることも難しそうだ。

「ノジーが?」

「ノジーは魔物じゃない」

 ユハはシャノンに言った。魔物と幽鬼は似ているようで性質は全く違う。

「疑わしいと言っているだけです。証拠は一つもありませんし、はっきりと見た者もいません。ですがローラム様が捕まった翌日から、魔物の徘徊は終わりました」

「……僕を探していた?」

「はい。そこは間違いないと思います。そして魔物をこの町に引き入れている人間も目撃されています。今はまだ小さな噂やデマとして扱われていますが、その目撃された人間がもう一人の私なのです。私はもう一人の私を葬るため、エルトン様に近付きました」

 シャノンが変装までして自ら自分の替え玉となったのは、自分の婚約式という晴れの日に、もう一人の自分――双子の兄サヴィアンを誘き寄せるためだったという。

 エルトンと結婚し、彼に婿入りしてもらうことで領主としての権限は祖父からシャノンを通り越してエルトンへと流れる。

 一応は婿なので単純な力関係は二分割されるが、シャノンが旦那を立てる妻であるとすることで実質エルトンに全ての権利がゆだねられることとなる。以前から領主の座を狙っていたもう一人のシャノンことサヴィアンは、それを阻止するために姿を現すと予想された。

 エルトンの手に渡ってしまったら、それ以降マコーレー家が継いでいってしまう可能性も大いにあり、彼はそれこそ略奪でもしない限り奪取することは叶わなくなる。

 町民人気の高いマコーレー家に手を出すことは、容易ではない。だからこそ大々的に、見晴らしの良い広い場所で婚約式を行おうとエルトンと決めた。

 シャノンの身代わりとして他人に危険を侵させるわけにもいかないので、自分が身代わりの身代わりとなり、襲ってきたサヴィアンをエルトンの一行が捕らえる算段だった。だからこそエルトンは大勢を引きつれて参列したわけだが、相手のほうが出方が一歩早く、捕まってしまったのだ。

 魔物を従え通じているサヴィアンが領主としての力を手に入れてしまったら、どんなことになってしまうのか。

「サヴィアンの残酷な性格はよく知っています。とても放っておけるようなことではありません。自分と似ている者が町で度々目撃されていると知ってから、私自身に残された時間はそう長くはないとわかっていました。サヴィアンは必ず私を狙ってきます。祖父に許しを請うよりも、自力で手に入れる。誰かに謝罪し許されるということは、サヴィアンにはありません」

「なぜあなたを狙うんですか? 勘当されているとしても、どうにかして復縁すればいいことでしょう? あなたに危害を加えたらそれこそ領主だなんだのと言えなくなりますよ」

「そうするだけの理由はあるのです。……サヴィアンを先に罠にはめて祖父に勘当させたのは、まぎれもなく私ですから。相当恨まれているでしょうね」

 だがシャノンはサヴィアンを勘当させるに至った経緯の説明はしなかった。不仲だという家族関係が大きく影響しているのだろう。重要なのは不仲や経緯ではなく、勘当されているという事実、サヴィアンがそのことで恨みを抱いているということだ。

「エルトン様は事情を話すと協力者になると申し出て下さいました。私たちが婚約するというのも、ただ協力関係にあるだけのことです。彼に非はありません。あんなに善良な人を巻き込んでしまったのは私の責任ですが、私ではとても助けられそうにないのです。どうか、力をお貸しください」

 額を床に着けてしまうほど深く、長く、シャノンが頭を下げる。

 どうか、と繰り返す声がだんだんと震え、か細くなる。

 それでもシャノンは涙を零すことはなかった。

「……あなたはこの部屋に入ってきてから、僕たちの話を聞いていましたよね。先にエルトン様を助けてくれと泣きつくという方法なんかもあったのに。だからもうご存知でしょうけど、僕は深幽境しんゆうきょう というところの偉そうな役職にあって、その深幽境は魔物の巣窟だという話です」

「ローラム様、幽鬼と魔物は別物です」

 思わずユハは口を挟んだ。魔物とひとくくりにしてほしくはない。

「でも人に見わけはつくの? 理性だ本能だなんて言って、襲われなきゃわからないならそれはきっとずっとわからない。死んでしまってからメモを残すなんてことはできないんだから。はっきりとした見分けかたの特徴がない限り、人は自分たちとは違う存在は違うものと認識する。それが動物なのか、虫か、植物か、魚か、大まかに分類して把握しようとするけれど、そのどこにも振り分けられないものを人は魔物と呼ぶんだ。魔物を分類したところで、その根本は種族不明の得体の知れないものなんだから。ねぇ、シャノンさん。僕は多分、その魔物の親分なんですよ。人々を襲っている魔物の親分。そんなやつに懇願したところで、話を聞いてもらうどころか殺されてしまうとは思わないんですか?」

「ええ、一つも。だってその理屈で言えば、私は人々を襲っている魔物を引き入れている者の血縁です。双子です。魂を半分こにした片割れです。私があなたを殺しに来たように思いますか?」

 床に両手を付け顔を上げたシャノンと、膝を抱えるようにしゃがみ込んでいるローラムが、互いに相手を探るように見合っている。

 やがて、ローラムのほうから手を差し出した。

「僕も一つも思いませんよ。サヴィアンを殺すかどうかはともかく、彼にはいくつか借りがあるし、エルトン様には恩があります。この話に乗らないわけがない。……って、あなたはわかっていたみたいですけど。でもまだ正式に魔物の親分にはなっていないので、あまりそちらのほうの期待はしないでください。お貸しできるのはこの身一つだけです」

「わかりました。それでも私一人よりは、はるかに心強いです」

 シャノンがローラムの手を取る。二人が固く握手を交わしたところで、ユハはローラムに詰め寄った。

「サヴィアンってやつにどんな借りがあるんですか!」

「ああ、これ」

 ローラムが自分の無くなった左目を指す。それからこの部屋に閉じ込めてくれたのもそうだよ、と思い出したように付け加えられる。

「なんでそんなにあっけらかんとしてるんですか!」

「そんなこと言われても……嫌われるのには慣れているし」

 慣れ。

 幼いころから他人と違うという事情を背負って生きてきたからこそ口に出る言葉だ。

 慣れたって、痛みは現実に起こり得るし、それを無視できないわけがない。

 けれど本人がそれ以上追及するなと言っている気がする。それ以上言っても何もどうにもならない。

 起こったことに怒っても現実は変わらない、と。

 それ以上ユハはローラムにかける言葉を見つけられず、じろりとシャノンを睨みつけた。

「サヴィアンってやつがあんたの双子の?」

「はい。今は私になりすましているはずです。声は若干あちらのほうが低いのですが、見た目はそっくりですよ。あちらは男性ですが、私があまり女性らしくはないので」

「まあそうだな」

 思わず彼女の胸元を見て、妙に納得してしまう。その瞬間平手が飛んできて、ユハは涙目になった。

「あら、失礼。とにかく、サヴィアンは私が死んだと思っているはずですので、私はしばらくこの姿でいます。お間違えの無いように」

 かつらを拾い上げ被り直すシャノンに了解の返事をしたローラムの隣で、カシーがユハに哀れっぽい眼差しを向ける。

「……なんだよ」

「いや、別に。女性はデリケートだなと」

「ふん。ローラム様に手を出さなきゃ、女らしさなんてどうだっていいんだ」

 シャノンを先頭に部屋を出て行こうとすると、今まで大人しかったノジーたちが一斉に動いた。入り口を重点的に守るようにずらりと並んで立ち塞がる。出て行かせるわけにはいかないが、危害を加えてまで部屋の中に留めておこうとはしないようだ。

「……彼らは、深幽境の者? ほかにも似た国のようなものはあるの?」

 ローラムがノジーたちを示す。

 ユハは指を四本立ててみせた。

「幽鬼の郷は大きいものは深幽境も含めて四つです。ノジーも一応、深幽境に籍を置く者ですね。なんでこんなところで人間に従っているのかわからないんですけど、今の王の命ではないと思います。……あいつはノジーには構わないから」

「そうか。じゃあ彼らは幽鬼なんだね」

 ローラムはシャノンを押し退けノジーたちの前へ行き、彼らと視線の高さを同じくした。

 膝立ちしたローラムは、一人のノジーの頭に触れた。ちょうどローラムの前の列から四番目、ほかのノジーたちに隠れるように立っていたノジーだ。そのノジーはほかのノジーよりも酷く傷だらけだった。呼ばれて渋っていたが、ローラムの前へやってくると、ぺこりとお辞儀をした。

「ねえ、ちょっと聞いてくれる? 僕はきみたちの『アイレン』じゃないけど、親分らしい。きみたちを酷使してるやつを懲らしめに行くから、見なかったことにして通してくれないかな」

 ノジーが首を左右に振る。

 だがそれよりも、ユハはたった今ローラムが口にした言葉に衝撃を受けていた。

 アイレン。

 蓮に逢うと書いて、逢蓮あいれん

「思い出したんですか?」

「何を?」

 ローラムの記憶が戻ったわけではないらしい。

 逢蓮とは、ユハとローラムを引き合わせ、二人が未来の朱璽鬼と深王となることを想い、ユハと共謀してローラムに火蜜かみつを飲ませた者。

 ローラムの、母。

「そうだ、ノジーの姫だ! アイレン様はノジーに育てられたという噂があります!」

 思い出してユハが言えば、ローラムが不思議そうにこちらを向いた。

「その人が捕まっているからノジーたちが従っているということ?」

「あ、それはないです。もう死んでます」

 自らの命を賭してローラムを地上へ送ったのだ。彼女と一人の勇敢なノジーがローラムのふりをして逃げ回ることで、本物のローラムは逃げ延びることができた。

「……じゃあほかにどんな?」

「いや、そういう噂もあったなあ、って。ああ、思い出したら泣きそうです、さめざめです」

 ノジーたちがそわそわしている。話題的には合っているようだが、少し方向性が違うようだ。

 シャノンが口元に手を当てしばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。

「『鬼の羽おにのは 』、ではないでしょうか。我が家に伝わる宝として話を聞いたことがあります。昔、蓮の花の精を助けたら、お礼を言いに小鬼が現れたので宴を開いたところ、小鬼は自分が酔うほどの酒の美味さに感激し『鬼の羽』と呼ばれる宝を置いて行った、と。もっとも、現在は失われているのですけれど」

「けれど、サヴィアンが持っている可能性はあるということですか?」

「ええ。むしろ確実でしょうね。何しろ無くなったのは、彼が勘当されてこの屋敷から出て行った日のことですから」

 『鬼の羽』は、領主の印である指輪とは違い、領主であることを知らしめるためのものではない。したがって、代々受け継がれるようなものでもなく、シャノンの祖父個人の品だ。それゆえシャノンは今までサヴィアンが嫌がらせのために持ち出したと思っていたと言うが、それこそがノジーたちが従わざるを得ない原因なのだとしたら。

「それさえ奪えれば、ノジーたちはサヴィアンに従う理由がなくなりますね」

 数の多さに加え頑丈さでも圧倒的に有利なノジーたちがいなくなるだけで、サヴィアンの戦力を大いに削ぐことができる。

 ユハにとって権力争いなどどうでもいいが、そうすればローラムの安全確保はぐんと楽になるし、こちらでの用がなくなればローラムの気が少しでも変わって深幽境へ来てくれるかもしれない。

「その宝はどんなものなんだ?」

 目の前に転がっていても、それとわからないようでは困る。

 ユハがシャノンに問うが、シャノンは厳しい表情で首を横に振った。

「わかりません。私が見たことがあるのは、外箱だけですので。桐の小箱に入っていて、箱には蓮が雲に乗っている模様が彫られていました」

 見せて貰ったのはシャノンとサヴィアンがまだ幼い頃のことで、それもごく短時間だった。

「特別な彩色もなされていないのに鮮明に覚えているのは、祖父がそれをとても大切なものだと語ったからです。私たちに見せてはくれましたが、本当はそれすらも嫌だと言わんばかりで。誰かの視線に触れてしまえば宝が穢れてしまうとでも思っているようでした」

 どこかしんみりと思い出に浸っているようなシャノンの話を聞きながら、カシーが考え込んでいる。

 雲に蓮の模様。

 思い当たる節があるのはカシーだけではない。ユハはカシーと目を見合わせ、頷いた。

「逆だ……雲に蓮が乗っているんじゃなく、雲から蓮が降りてくる模様じゃないか?」

 シャノンは置いてある状態で上から見たのだろう。サヴィアンと同時に覗き込んだのであれば、シャノンが覗き込んだ方向は正しい方向ではなかったのだ。

 雲から蓮が降りてくる模様、雲下りくもくだり は、アイレンを表す模様として使用されていたものだ。

 雲下りの彫られた桐の小箱の話はユハも聞いたことがある。

 人間の住まう地上で怪我をしたアイレンが助けられたので、育ての親であるノジーたちがお礼に行ったという話だ。その際に、ノジーたちは今度は自分たちが助けになると誓い、宝を置いてきたという。

「それが『鬼の羽』?」

「俺も話に聞いただけですけど、ノジーたちはその宝をとても気に入っていて、度々酒の席でその腕前を披露していたらしいですよ」

「披露できるもの……単純に宝石みたいなものではなさそうだなあ」

 ローラムの呟きに、カシーも同意する。

「子守にも使っていたそうだ」

「うーん、ますますわからなくなってきた。羽でしょ。空を飛ぶ早さでも競っていたとか?」

「あ、はい俺! 背中に子ども乗せて飛んでいたんですよ、あれは最高の子守法ですよ、うっかり寝られると落っことしそうになりますけど、楽しいんです!」

 頭の上高く手を上げ、ユハがローラムに意見を述べる。

「ちょっとやめて。誰かの実体験を聞いてるんじゃないし、有り得ないことだとわかってるから。ノジーに羽がないことくらい見ればわかる」

 ローラムがユハを手で追い払う真似をする。騒がしい二人の向こうでシャノンが何か閃いて、うつむき気味だった顔を上げた。胸の辺りまで手を上げ、二人にも声をかける。

「はい、私が。一つ思いついたのですけれど、楽器のようなものではないでしょうか。お酒の席で披露できて、子守にも使えるものとなると、それしかないように思います」

「楽器で遊ぶなんてすぐに壊れるだろうが。わかってないな」

 ユハがシャノンに向かって言う。

 シャノンは心底呆れたように、これ見よがしにユハにため息を吐いた。

「子守が遊ぶだけなんて誰が言ったんですか。遊ぶことももちろん大切ですが、ごはんをあげたり色々とお世話をして、寝かせつけることだって大切な子守の一つです。寝かせつける際に音楽を聞かせるという方法だってあるんですよ」

「子守歌で十分だろ」

「楽器での演奏だっていいはずです。私もそうでした」

 ユハとシャノンが睨み合う。その二人が同時にローラムのほうを向き、どちらに賛同するか、と意見を求めた。

「絵本もいいよね」

 よくエルトン様に読んでもらった、とどちらの意見もまとめて聞かなかったことにして、ローラムは言った。さらりと流された二人は今一つ納得できないような顔をしていたが、カシーに矛先が向けられることはなかった。ローラムがのらりくらりと問題をかわすようになったのは、カシーの影響もあるだろう。

 甲高く忙しない鐘の音が、遠くから響いてきた。

 激しく打ち鳴らされるその音にシャノンがハッと顔を強張らせる。ローラムの腕を取り、ノジーたちの隙間を縫うように無理やり扉へと引っ張って行く。カシーとユハも慌ててそれに続いた。

「早くしないと! まだ鐘の音が鳴るには早過ぎると思っていたのですけれど、あの音はいけません! エルトン様が危険です!」

 ノジーたちがわらわらと四人の足元に集まってくる。

 先に抱き着いた者を踏み台にノジーたちはどんどん体の上部へとまとわりついてくる。ノジーたちの重さに耐えきれず、まずシャノンが倒された。腕を取られたままだったローラムも引きずられるように一緒に倒れ込む。カシーとユハも駆けつけようとするが、引き剥がしても次から次へとノジーがやってきては引っ付くのでキリがない。最初に部屋にいた数よりも増えているのではないかと思うほどだ。

「ローラム様! くそ、離せ!」

 ノジーを引っ掴んでは遠くへ放る。何度やってもすぐさま戻ってくるノジーたちはその数だけでも凶悪だ。

 そんな中でただ一人、躊躇っている者がいた。ローラムが先ほど声をかけたノジーだ。ローラムは押し潰されそうになる中で彼に目を止めると、彼に向かって大声で叫んだ。

「こいつらを離させろ! アイレンのための恩返しはもう終わった! 十分やったよ、不当な扱いを受けるのは恩返しじゃない。それでも何かし足りないなら、僕のために働け!」

 雷に打たれたように目を見開き、怪我だらけのノジーがぺこりと頭を下げた。顔を上げると歯の隙間からキーキーと甲高い音を出し、ほかのノジーたちに訴えかける。

 そのノジーは、ここにいるノジーたちのリーダー的な存在だったのだろう。四人にまとわりついていたノジーたちが一人、また一人と戸惑いながら離れていく。恐らく何かサヴィアンに吹き込まれていたのだろう、最後の一人になってまで必死にローラムにしがみついていたノジーは、リーダーのノジーが耳元で一際大きくキーキーと鳴き、ぴしゃりと頬を叩くとようやく観念したように全身から力を抜いた。カシーがそのノジーを引き離し、ほかのノジーたちに託すように床へ下ろす。

 ユハは誰よりも先にローラムに駆け寄った。手を貸し、ついでに近くに倒れていたシャノンも引っ張り起こす。

 ローラムがノジーたちの前に進み出た。

「ア……レ、ン」

「きみたちの思い出を傷つけるつもりはないんだ。でももう終わり。アイレンだってきみたちをこんな酷い目に合わせるために誰かに助けられたわけじゃないんだから」

 善意に感謝したからこそ、ノジーたちは恩を返すと宝を預け、アイレンは自分の代わりにいつかその約束を果たせるようにとノジーたちに託した。

 それが未来の彼らを縛るようにと思ってのことではない。

「みんなの宝を取り戻しに行くよ。きみたちの親分になるのは、今から僕の番だ」

 ノジーのリーダーがキーと一声鳴き、ローラムに向かって首を垂れる。彼の後ろにずらりと並んだほかのノジーたちも一様に。

 ノジーたちに囲まれるローラムを見てユハは誇らしく思った。同時に、胸が痛む。

 口から出かかったアイレンの正体を、寸でのところで飲み下す。

 二度もローラムに悲しい思いをさせるくらいなら、黙っていたほうがいいように思われた。

 記憶と共に悲しみも忘れていられるのだから。


 

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