命断

 一日に数度鳴る鈴の音は、涼やかでも軽やかでもなく、鬱陶しく、厄介なだけだった。

 床に伏している領主が目覚めたときに鳴らされるものであり、シャノンを傍らに呼び寄せるためのものである。

 だが、シャノン本人は屋敷にはいない。サヴィアンが戻る際に邪魔だったから追い出した。あれは万が一にも備えて事故に見せかけたのだったか。エルトンが負傷したと嘘の情報で誘き寄せ、川に突き落とした。

 そして今となっては自分がシャノンとして生きているが、本物ももうしばらく生かしておけばよかった、と思う。こうも何度も呼びつけられては、せっかくほかに犯人がいるのに、それを上書きして自分が真犯人になってしまいそうだ。

 それだけは避けなければ。

 落ち着け、と胸中で言い聞かせ、シャノンそっくりの笑みを顔に貼り付けて祖父の部屋の前に立つ。邪な考えや下心をすっぽりと覆い隠す笑みにも慣れてきた。

 どこからどう見ても、シャノンそのものだ。

 使用人がサヴィアンの代わりに扉をノックし、来訪を告げた。

 豪奢なベッドに横たわる祖父はもう、弱々しいただの爺だ。

 これが領主であったのか、と思う。税を無理やり取り立てることはなかったが犯罪には手厳しい領主。小競り合いを発見しようものなら徹底的に両者を等しく打ちのめし、領民以外には人権すらないかのように見下していた。むろん他の領との取引などもあるので表立って働きかけはしないが、何かあった時に領民以外に手を貸すこともない。

 自分の足元に闇が広がっていても、目に見えなければないのと同じ。蔓延するに任せ、実際、一掃することもない。

 闇市は頻繁に起こり、領主の目の届かないところでは犯罪行為で溢れている。エルトンの一族を始め一部の貴族たちが治安に手を尽くしているが、それも慈善活動のようなものだ。領主へのごますりとして表面的に行っているだけの者がいかに多いか。

 見た目だけ繕った結果が、裏社会の繁栄につながった。

 裏社会はじきにサヴィアンが掌握する。領主の座に収まった後、兵を裏の頭の元へ送り込めばいい。そして持てる力全てを注ぎ込み、やつらに攻め入るのだ。いつまでも、地底火山のようなやつらの上でのんきに過ごすつもりはない。

 来る所までやってきたのだ。今更方向転換し、別の道を歩む必要はない。

 掛け布団から飛び出した手を突きつつき、サヴィアンは自分が来たことを祖父に知らせる。

 目を開けた祖父はサヴィアン扮するシャノンを見て、満足気に目を細めた。

「よく来たな……お前だけだ、ワシの元へ来てくれるのは」

 サヴィアンはにこりとほほ笑み、祖父の手を握りしめた。うっかり心を込めすぎて骨折でもさせないよう、細心の注意を払って力を抜く。

「私のおじい様ですもの、呼ばれればいつだって飛んできます。今日は体調がよろしいようですが、お怪我のほうはまだ完治まではいかないのですよね」

 医者が言うには、そこそこ長い刃渡りのナイフで刺されたらしい。よく切れるナイフだったので傷口自体は綺麗ですぐにも塞がりそうなものだが、刃には特殊な薬が塗られていたため、思うように治癒しないらしい。それも見たことのない新種の薬らしく、医者たちはこぞって手を焼いている。

 毒を塗っておくなんて、上出来だ。

 どこの誰だか知らないが、内心、その周到さに拍手でも送りたいくらいだ。だがサヴィアンは胸中とは裏腹に悲し気な表情を作り、祖父の腹を布団の上からそっと撫でた。

「名医たちが懸命に務めているんですから、じきによくなりますよね。心配性ですみません」

 心とは真逆のことを述べているからか、目じりに涙を浮かべることはできなかったが、祖父は心配してくれる孫の姿に満足したようだ。サヴィアンの手を逆に握り返すと、含みある視線を向けてくる。

 自慢の孫娘にだけ寄せられる祖父の心。ほかの孫は孫ではないと、言外に突きつけられる。息子や娘でさえ今となっては眼中にない。シャノンとなって初めて分かったが、一身に情を向けられるのも辛いものがある。末期へ向けて寝たきりになったせいなのか、過干渉に過ぎる。破談となった婚約式にシャノンがいなかったことも不問としたのは、舞い戻ったシャノンの謝罪を受け入れたわけではなく、シャノンしか己を構ってくれないと悟ったからだろう。それにシャノンは、エルトンと替え玉をしていた女が共謀して邪魔をしたためにあの場に行けなかったということになっている。許されないのはシャノンではなく、祖父の中では、替え玉をしていたあの女である。

 このままシャノンとして世襲してしまえば、一生この格好で、シャノンとして過ごさなければならないのだろうか。上っ面の笑顔を張り付け、心にもない優しい言葉をかけ、醜いものなど何も知らないという顔で。

 吐き気がする。

 サヴィアンは心底申し訳なさそうに俯き、声帯を縮めてか細い声を絞り出した。

「おじいさまがなくされたという印章ですが、未だに見つからないのです。懸命に探しているのですけれど」

「あれは……、もうよい」

「よい? よいと仰られても、それで済むことではないじゃないですか。あれがなければ、領主としての政務が務まらないと教えてくださったのはおじいさまです。とても大切なものであると、宝であると仰られていたのをお忘れですか」

 だからこそ手に入れたい。

 手にしなければならないのだ。

 正式に自他共に認める領主となったシャノンが、その重荷に耐えきれず体を壊し、全てを兄に託し息を引き取る――そのために。

 指輪も何もつけていない自分の手を明かりに透かし見て、祖父はため息を吐いた。一晩寝れば再び戻ってくるとでも思っているのだろうか。なくなったのに自分で戻ってくるような指輪なら、こんなに探し出すのに苦労はしない。

 サヴィアンはしわの目立つようになった祖父の手を両手で包み込んだ。そのまま額を押し付け、祈るような格好になる。

「どうか諦めてしまわないでください。できるかぎり私もお手伝いしますから。領主の証であること以外に、あれには思い出がたくさん詰まっているのではありませんか? このまま失くしてしまうのでは、悔やまれます」

 絶対に見つけます、見つかります、と繰り返す。三度目のあたりで頭の奥では考えずただ口を動かすだけになっていたが、何度目かで祖父はやっともう少し探してみるかと言う気になったらしい。

「徒労に終わっても、嘆くでないぞ」

 もう見つからないことを確信しているような物言いが少し引っかかるが、サヴィアンはシャノンらしく頷いた。必ず見つけるから徒労に終わるのはその心配の方だとおどけてみせる。

「鬼子は……どうした」

 ローラムのことだ。最初は犯人に制裁を与えたくて探すように言っているのかと思ったが、どうやらそれだけではないらしい。

 刺されたというのにほかに何を思って探しているのかしらないが、理由を教えてくれない相手にこちらも教える道理はない。サヴィアンは首を横に振り、未だに捜索中であり、指輪を持っている可能性が一番高いのではないか、と祖父に告げた。

 ここ三日ですでに十回以上は繰り返された同じやり取りに、ただ一言「そうか」と返される。進展がないことをどう思っているのか、それきり祖父は黙り込んでしまった。

 サヴィアンはしばらく祖父の傍らに膝をつき様子を見ていたが、これ以上会話はないと見切りをつけて立ち上がった。

「あれから、また授からなくては……鬼子を、死なせてはならん」

「おじいさま?」

 寝言のような、独り言だった。

 なぜ誰も彼もがあの異民の子を構うのかわからないが、ローラムはエルトンのために罪を犯したのだ。シャノンと結婚させ、エルトンを領主に据えるために。婚約式にシャノンである自分がいなかったから、領主を襲うなんて直接的な行動に出たに過ぎない。短絡的な輩に罪を償わせるということ以上の何があるのか。

 領主は死なせてはならないと言い、裏の頭は殺してその血を持ってこいと言う。

 相反する二人の言い分に挟まれサヴィアンは身動きが取れなくなっていたが、先ごろ、ようやく身の振り方を決めた。

 ローラムは自殺するのだ。主を死地へ追いやった罪の意識により、たまたま近くにあった果物ナイフで首を掻き切って。

 シャノンは、脱走したエルトンによって祖父が殺害される現場に遭遇し、あまりの出来事に発狂してしまう……というのがいいか。ただ責務を放棄するだけでは、シャノンならばあまり有り得そうにない。シャノンらしさはあくまでも失ってはならない。失われるとすれば彼女自身と同時にだ。

 そして妹の結婚を祝おうと駆けつけていた兄サヴィアンが反逆者のエルトンを捕まえ、やむなく絞首台へ送る。シャノンは恋人と祖父のありように何も手につかず、そのことを悔い兄に今後のことを託し、シャノンは祖父と婚約者の両方の魂を鎮めるために、涙ながら人知れず身投げをする――深い川の底へ沈んでしまった彼女の遺体は、永年、水底で嘆き続ける伝説となる。

 このことは美しい恋人たちの悲恋話として、いつまでも語り継がれていくだろう。

「細かいことはどうでもいいですよね。全て私に任せてゆっくりお休みください、おじいさま」

 サヴィアンはとりあえずの別れを告げ、部屋を出ていった。胸元に仕舞い込んだ手紙に何となく触れる。先ほど届いたばかりのものだ。そこには、ローラムが人ではない旨が記されていた。

 まさに彼は、鬼子なのだ。

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