幼なじみが結婚した話

村瀬ナツメ

ひとまず今も幼なじみとの関係は良好である。

 幼馴染が入籍を決めて、それを誰より先に私に話してくれた時点で、本当におめでたいことと祝う気持ちと一緒に、私は言いようのない不快感に襲われていた。入籍前に会おうだなんてその場の勢いで私が言ったせいで、約束の日、記録的な猛暑の夏にお互いに住み慣れた町を二人で並んで歩いてパスタを食べに行くことになった。来月には苗字の変わる彼女は相変わらず細くて、色が白い。そばかすはいまだに気になるのだろうか。アイスコーヒーをストローで吸い上げながら、目の前で式は挙げない予定だと言う彼女と話した。出産は考えているのか?なんて聞きたくもないことを尋ねて見せた。相手は一人っ子長男、彼女自身は第一子で長女。望まれないはずがないのだから、答えは分かりきっていた。


 「今はまだ。でも、親にも孫の顔が見たいなんて言われるし、その内ね。」


 彼女が成人する頃に、彼女のご両親は立派な家を建てた。今彼女はそこに住んでいる。私と家が近くなったと笑ったのはもう、何年前の話なのだろう。一人暮らしがしてみたい、と新しくて広い自分の部屋でぼやいていた彼女にもったいない、と貧乏人丸出しの返事をしたのはいつだっただろうか。夢をあきらめ、高校を卒業してすぐ就職してなお高校時代の部活仲間と会いたがる彼女を少しずつ遠ざけてしまって、何年経っただろうか。きっと彼女はいち早く就職したからこそ会いたがるのだと知っていた私は、ここ数年何をしていただろうか。思い出話くらいしかする話が無くて会ってもすることがないと億劫に感じていた幼馴染が、人生を歩いている。引っ込み思案で、どことなく私の後ろに隠れようとするきらいのあった彼女が、婚活アプリなんていう思いの外現代的な方法で出会った人と結婚する。

 そうかそうか、新婚さんなんだししばらくは二人で生活になじむところからだよね。なんてよく口から出てきたものだ。二人で旦那の社宅に住むのだ、近所づきあいが不安だ、職場は仕事量を減らすだけで退職はしないのだ、と彼女はよどみなく話す。引っ越し作業を一時中断して私と会う時間を作ってくれた彼女が着ている服が、しばらく見ないうちに落ち着いたものになっていることからは目をそらしたかった。頭を抱えたくなるのを必死に堪えて聞いていた。アイスコーヒーのグラスは何度もカラになった。会おうと言ったのは私のくせに、一刻も早く彼女と別れてしまいたかった。なのに旦那さんどんな人なの、なんてまた自分の首を絞めていく。


 「写真があるの。相手の家に挨拶に行ったときの。」


 幼稚園児の頃から知っている幼馴染が知らない男の隣ではにかんでいる。前に見たときよりも落ち着いた色に染められて、地味になりすぎない風にまとめられた髪。落ち着いた紺色のワンピース。小花柄がかわいらしくて、おとなしい彼女によく似合ったいた。――花柄なんて似合わない、スカートも、ましてやワンピースなんて着る勇気が出ない。自分には似合わない。と、言っていたのが懐かしい。立派にこれから結婚する大人の女性の顔を、シルエットをしている彼女にしか目がいかなくて、もとより人の顔を覚えるのが苦手な私には旦那の顔なんてまったく頭に入らない。穏やかそうな人じゃないか、と月並みなことを言ってスマートフォンを返した。


 「でも、車運転してるとたまにちょっと乱暴なの。そこだけ、少し不安。」

 「目を瞑れる程度ならいいんじゃない。なんかあったら旦那殴りに行く。」

 「そうして。すぐに連絡するから。」


 冗談っぽくお互いに笑うが正直冗談では済まない。中学時代には、いわれのないことで彼女を怒鳴りつけた担任の教諭と直談判して謝らせた私である。私にとっては他人、知らない男の横っ面などいくらでも殴ってやるつもりであった。そうならなければいい、とも真剣に思った。自分の両親の険悪な顔を思い出していた。

 彼女の結婚話だけというわけにもいかず、彼女はSNSで高校時代のクラスメイトを見つけてお話したのだと話す。あの子はもう子供が二人いる、あの子はオーストラリア人と結婚してスイスに住むつもりらしい、あの子は一回り以上年上の人とお付き合いしてるらしい、あの子も婚活中だって――頭も耳も痛い話ばかりで、もしかしてこの幼馴染は私のことを相当恨んでいるのではないかと勘ぐってしまう。まさか君と所謂コイバナみたいなことをするなんて思わなかったのだ。まさか君が昔のクラスメイトたちと、何年も会ってないのに普通に連絡を送れる人だと思っていなかったのだ。相槌を打って、笑って、店を出てから地元に一つしかないような複合商業施設で化粧品やアクセサリーを見て、以前は通学路と呼んでいた道で別れて私は半ば逃げるように家路を辿った。よく晴れた空は季節のせいでまだまだ明るい。熱光線は攻撃の手を緩めない。ざわめく緑色の水田の間を、変わり映えのしない私がひどい疲労感を背負って歩いている。何年も前に流行った曲が頭の中でガンガンと響いていた。

 転がるように駆け込んだアパートの一室。その中の、小さな部屋。自室の座椅子に座り込んでやっと私はまともに呼吸ができた。少年漫画とライトノベル、ゲームの攻略本が詰まった本棚と、金もないくせに買ったゲーム機を見て安心した。明るい窓と、光の透けるカーテンの正面で、深呼吸。首を汗が伝っている。猛暑の中を歩いてきたくせに指先が冷たい。――近いうちに件の高校時代の部活メンバーと集まって食事をしようという話になったのを思い出して、この部屋が事故物件になる未来について考えた。

 



 かくして後日、そう期間を空けずに昔なじみの面々はほぼ全員顔を突き合わせることになった。正直に言えば行きたくなかったのだが、幼馴染を祝う気持ちは本物だったし、東京から帰省する一人が「皆に会いたい」と言ったのも無下にできなかった。その日は来れなかった一人が学生時代にアルバイトをしていたという、品の良い食事処で幼馴染の話を聞く。私にとっては大部分がすでに聞いたことのある話であったから、ほとんど黙って食事をしていた。話しは変わって、それぞれの近況について話し始める。私は話したいことなどない。まともに就職して、頑張っている友人たちの中では肩身が狭くなるような生活しかしていないのだから。適当にかいつまんで話して、話し好きな一人が人の話の腰を折っては話題を攫っていくのに今回ばかりは助けられた気がしなくもない。もっとも、彼女の話も私にとっては耳の痛いものだったので、さしてダメージの量に変わりはないのだが。

 なんでも、幼馴染が婚活アプリで出会った人と結婚したのを聞いて、試しに登録したら上手くやっていけそうな人と出会えたそうだ。東京から帰った友人も、きっかけは別だが、やはり同じようなルートで今の恋人と出会ったらしい。そこからはほとんどコイバナだった。笑ってこんな日が来るなんて、ねぇ、なんて話して頷き合うものの、さっさとこの場からいなくなりたい。私に全く結婚願望が無いと知っているからか、誰も私に結婚しないのか、婚活しないのか、と尋ねてこないのが唯一の救いであった。

 場所を移して、チェーンの喫茶店で不必要なくらいに甘いミルクティーを飲みながら今度は思い出話に花を咲かせた後、車でまとまって帰るらしい彼女たちと一人別れて歩いて帰ることにした。一番家が近いのは私であったし、逆方向だったからだ。なによりも、一刻も仲間たち――と、呼んでいいのかも最早少々疑問である――と離れてしまいたかった。服に合わせて履き慣れないパンプスを履いてきたことを後悔しながら、暑すぎて蝉も鳴かないような道を歩いていく。幼馴染と二人で会ったときよりも更に重い疲労感を引き摺っている私の頭は、やはり何年か前に流行った曲を流していた。もう、会わない方がいいのだろうと思っていた。


 ――だから、恒例行事と化していた新年の集まりも適当な理由を付けて断った。私の欠席を寂しがる面々に対して、罪悪感が無いわけではない。流れるグループトークを流し見て、ため息。しかし参加するとなれば確実に胃だの腸だのを壊していたに違いない。私の体は嫌味なくらいに好調であった。特に何の用事もない寝正月。年を越したという実感すら湧かない元旦。ゲーム機にやりたかったゲームをダウンロードして遊ぶだけで、何も変わらない。そんな、罪悪感まみれの平和な日常を壊したのは、当然のように送られてくる年賀状だった。幼馴染は控えめだが計画性のある堅実な人であるから、毎年年賀状は一月一日の朝に欠かさず送られてくる。ようするになにかとマメな人なのだ。


 「私事ですが子供ができました。五月に生まれる予定です。また二人で食事にでも行きましょう。」


 




 限界だった。






 くしくも私の誕生日と同じ月の五月に、幼馴染が子供を産む。今まで幾度となく話した彼女が母親になる。おめでたいと心から祝う気持ちと一緒に、耐えがたい嫌悪感が再びわが身を襲った。否、わが身から沸き起こった。この二つの感情が同居する自身の肉体が、精神が、殊更に不気味だ。真っ二つに分かれてしまいそうと思う一方で、真っ二つに分かれてしまえと自らの首を両手で絞める。新年早々ひどい日だ。数枚のはがきを放り出した自室は小春日和の日差しで明るく照らされていた。明るい窓の外から元旦を祝う子供の声が耳を刺した。おめでとう。おめでとう。明けましておめでとう。今年もいい年になりますように。無垢の声を、きっと彼女の子供もいつか口にする。

 なぜ、嫌悪感なのか。幼馴染が、友人たちが結婚しても出産しても別の生き物に変わるでもなし、自身に結婚願望も出産願望も芽生えることもなし。私もどうこうならなくてはと焦っているわけではないのだ。強いて言うなら、いつまでも子供のままでいるわけにはいくまいという焦りはある。しかし、結婚や、出産に対して嫌悪感とはどういうことか。その夜、別の友人に新年早々申し訳ないことに愚痴をこぼしたあと整理がついた。――私は、結婚と、妊娠と、出産、それらに性的な行為が伴うことを、嫌悪しているのだ。

 キャベツ畑に赤子は生らないし、コウノトリは子宝を運ばない。当たり前のことだが、妊娠するためには性行為が伴う。幼馴染がそれをしたのかと思うと途端に嫌悪感にまみれるのだ。ましてや出産が五月を予定しているということは、私に会ったあの日、あの頃、その行為は既に行われていた。体に染みついた潔癖症がそれを嫌悪するのだ。そして、それだけではない。私は、彼女を処女の象徴として見ていたのだ。周囲の人間の中で最も下品な物言いをしない彼女に、常識と純潔の象徴を押し付けていた。これほど失礼で不潔な話しもあるまい。最も不潔で下衆な想像や逆算をしたのは私だ。堅実な家庭に育った幼馴染。その家庭を体現するかのような人物に育った彼女。私は知らず知らず彼女を妬んでいたのだろう。広くて綺麗な部屋を出て行く彼女を妬んでいた。自分勝手に妬んで遠ざけて、最終的にわずかなりとも嫌悪した。彼女に罪はない。最初から最後まで、余すところなく私のお門違いな妬みであった。それでも私は、最初から最後まで彼女を大切な、代えがたい友人と思っていた。結婚も妊娠も、すべて心から喜ばしいと思っているのだ。彼女が悩むことがあれば、できうる限り助けになりたいと思うのも、昔から変わらない。それほど彼女に親愛の情を抱いている。

 私はまだ、彼女に何の連絡もできていない。「二人で」食事に行きましょうと書いたその一文に、いつだったか部活のメンバーと集合して会うことが難しい心情にあると思わず彼女にこぼしてしまった私へ配慮を感じる。いつだって気を遣わせて、私は自分勝手をするのだ。そんな彼女に、やはり自分勝手に連絡を送れずにいる。あまり出産予定日に近くなるとよくないから、せめて遅くとも三月までに会わなければと思っているのに何もできずにいる。SNSで彼女がなんでもないことを呟くのを見てまた独りよがりの感傷に浸っている。

 彼女はこれからきっと平和な家庭を築く。彼女のことだから、子供の物心がつく頃に怒鳴り合いの喧嘩をしたりはしないだろう。きっと彼女の子供も、何事もなければ大人になっていく。誰もに期待され、誰もの期待をも裏切るような大人にはならないといい。そうやって、きっと平和な環境は引き継がれていく。引き継がれていけばいいと心の底から願っている。これもまた、本心。――こうして私は彼女と彼女のこれから築く家庭に今度は理想の家庭像を押しつけてしまうことに気づく。


 無性に、酒が欲しかった。私は今後、失われた処女像を誰に見るのだろう。本当に嫌悪すべきものが自身の中にあると知った今でなお、空洞のできた心臓を惜しんで、手放せないままであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幼なじみが結婚した話 村瀬ナツメ @natsume001

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ