第十三話 ジェイド・ビオレッタ

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「ダメダメ絶対行かせません!」

 このダメダメ言っているのはジェイドの父、シェーマス・ビオレッタ。その隣には同じく母のヨハンナ・ビオレッタがいる。

 劇場での一件の後、ジェイドと楽舞団を代表してユミエラとイグノーシス、そして【レオ】の面々とで、ジェイドが【レオ】に付いて巡業に出る了承をご両親にもらいにきたのである。

 しかししょぱなからこの調子だ。

 劇場ではジェイドさえその気になれば他にはなんの問題もないような調子であったのに、ここに大問題があったのである。ジェイドの両親は、楽舞団員からも認められる、超のつく過保護なのだ。ジェイドを蝶よ花よと可愛がり、綿で赤ちゃんの頬をなでるように大切に大切に育て。ジェイドがちょっとした怪我をこさえただけで大変な騒動を起こしたという逸話いつわをもっている。

 ふたりは両側からひっしとジェイドを抱え込み、「行かせてなるものか!」の格好である。そして挟まれたジェイドはため息でも吐きたいといった面持ちだ。

 ユミエラが、

「おふたりがジェイドのことを大切にしていることはわかっています。けれど、息子さんの歌をもっと多くのに聴いてもらいたいとは思われませんか?」

「思いません。ジェイドの歌が最高なことには全く同意ですが、家の中で歌うだけでも構わないと思っています」

「そうです! 第一、息子と離れて暮らすなんてありえません。出先で命を落とすようなことがあったらどうするんです!」

「それに関しては【レオ】が同行してくれるので、そのようなことにはならないと……」

「絶対って言いきれます? いえ、言いきれるわけありません。ただでさえこんなに可愛いんですよ?」ヨハンナはジェイドをきゅっと抱き寄せた。「外からどんな徒に狙われるかわかったものじゃありませんし、それに!」ビシッと指差し、「中にもあの動物がいるじゃない!」

「あの動物」と指差されたのはイズイドである。イズイドは決して分別のない獣のような真似はしないが、身内以外からすればただの肉食獣に相違ないというわけだ。

 矛先を向けられたイズイドはむすっと不服そうだが、ハドに頭を撫でられながら耐えている。

 シェーマスとヨハンナの剣幕にユミエラもイグノーシスもたじたじだ。このまま言い合っていても堂々巡りか、最悪、楽舞団で歌うことすら反対されかねない。

 それでもユミエラはなんとか言葉を絞り出し、

「……あ、あの子はおとなしくて徒にも慣れているので大丈夫ですよ。――ハドちゃんっ!」

 ユミエラの指示を受けたハドは、

「イズイド」

 イズイドはちらとハドに目線をやったが、ごろりと仰向けに寝っ転がった。

 そのお腹をハドがわしゃわしゃと撫で、無害ですよーとアピールしてみせる。

 これにはヨハンナも押し黙った。

 ここぞとばかりにユミエラは、

「ねっ。見方だとわかれば心強いでしょう? あの子がいればチンピラや暴漢も寄ってきませんよ。たとえ襲ってくる輩がいたとしても、あそこにいるハドちゃんは〈無敗の女王〉って呼ばれるくらい強いので安心ですし。可愛い子に旅をさせるにはこれ以上ないくらいの好条件で……」

 最後の一文が余計だったらしい。シェーマスとヨハンナは声を揃えて、

「「うちは「可愛い子は温室から出すな」方針ですっ!!」」

 ごうごうと浴びせられた言葉にユミエラはノックダウン寸前。ふらりと倒れそうになったところをイグノーシスが「しっかりユミエラ!」と支えた。

 今度はシェーマスがとどめの一撃とばかりに、

「ジェイドはネクロムなんですよ!? ちょっとしたことがどんな大事に繋がるかわかったもんじゃないんです!」

 シェーマスとヨハンナがこれほどに過保護な理由はここにあった。ネクロムはメシエ中至るところで生まれているが数は多くなくヘケルと同じくらいだ。遺伝で生まれるわけでもなく生まれるところはまちまちで、嫌煙されがちな存在でもあることからネクロムについて正確なことを知っている者が周りにいることはほとんどない。ゆえに確証のない迷信じみた話を頼りにしている者がほとんどで、シェーマスとヨハンナもそのひとりだった。「消滅」の手前の存在ということから熱に浮かされただけでも生命力がり減り死期が早まるのではないか、怪我をしただけでそこから粒子のように崩れ去ってしまうのではないか、そんな風に思っていたのである。

 すると、

「お父さんもお母さんもいいかげんにしてっ」

 ジェイドは両親を押しやった。

 目を丸くしている両親の腕の中から抜け出て、ジェイドは屹然きつぜんと言い放つ。

「ネクロムだからって特別もろいわけじゃない。死後消滅するってだけで生きてるうちはお父さんとお母さんとなにも変わらないただのヒューマンだよ。目に光輪があって、映る世界が少し違うってだけ。なんならそのお蔭で危機回避能力には長けてるし? 幼学処ようがくしょは休んだことなかったし。産まれたての赤ちゃんみたいに守ってもらわなくて大丈夫だから。だいたい死んだあと消滅するからってなに? 今生きている分には関係ないよね? お父さんとお母さんが天寿をまっとうしたあとも僕、生きてるから」

「ジェイド……」

「今回のことは僕が自分の意思で行くって決めたんだよ。子離れしろとは言わないけど、親離れはさせてもらうからね」

 しばし呆然としていたヨハンナとシェーマスだったが、

「……パパ……」

「……ママ……」

 ふたり目と手を合わせた。

 ふたりの気持ちは同じだったらしく、シェーマスが、

「ユミエラさん、イグノーシスさん。おふたりも息子のことを考えてくださっているというのに、頭ごなしに否定して、すみませんでした」

「ビオレッタさん、それじゃあ……」

 ユミエラの言葉にシェーマスは小さくうなずいた。そしてヨハンナと短く目を合わせるとふたり揃ってハドたちの方へ歩み寄り、

「【レオ】のみなさん。息子のこと、どうかよろしくお願いします」

 シェーマスとヨハンナは深く頭を下げた。

「承りました」

「出立はいつになるでしょうか?」

「明日の予定でしたが、数日であれば延ばせると思います。マスター・クラウドに伺いを立てたあと、すぐにご連絡します」

 シェーマス、それにヨハンナも、了承の返事の代わりにもう一度おじぎをした。

 この時点ではまだクラウドにジェイドの同行の可否を訊いていなかったのだが、ここまで話が進んでしまったものを断るほど、クラウドは「真面目」ではなかった。

 こうしてジェイドの【レオ】同行が決定した。

 その場は一度、ジェイドは両親とともに帰ることになった。

「ジェイドくん、今夜は三徒いっしょに寝ようね。お風呂もいっしょに入ろうね」

「一緒に寝てあげるのはいいけど、お風呂はやだよ」

「ママと一緒に入るのは?」

「それもいや」

「じゃあせめて行っちゃう前に「パパ」「ママ」って呼んでよ~っ」

「呼んでくれないとやっぱり行かせないんだから~っ」

 帰っていくビオレッタ家族の背中からそんな会話が聞こえていた。

 ジェイドに強く言われただけでシェーマスとヨハンナの気が変わったことを不思議に思う者もいるかもしれないが、後にジェイドに言わせれば、「ふたりは僕の言うことには弱いんだよね」とのことだ。


 ジェイドの【レオ】同行が正式に決まり、出発は三日後の朝となった。

 出発前夜、劇場ではジェイドの「お別れ公演」が開かれることになり、楽舞団員たちはこの二日間準備に大忙しだった。

 公演は完全招待制で、ジェイドの関係者や常連客のみが招かれた。公演と銘打っているが、これはあくまでジェイドの送別会だからだ。またの名を「旅立ち前に我らがジェイドの歌を聴きまくろうの会」である。

 公演当日。それでも広い客席はほぼ埋まり、地元住民は全員きているのではないかという様相だ。

 その中には【レオ】の面々の姿もある。イズイドもハドの隣に席が用意されていた。

 予定時刻ちょうど、幕が上がった。

 幕が上がり始めてから上がり切るまでの間、観客たちは拍手をしていた。

 公演は歌劇から始まった。

 ジェイド演じる役が最も活躍し、歌唱もふんだんに織り込まれた演目だ。

 劇が終わるとジェイドが歌い歌い歌う、コンサートに切り替わった。

 圧巻だった――。

 先日の公演でもジェイドの歌は聴いていたが、あのときの主役はあくまで踊り子たち。歌は彼女たちを引き立たせる演出の一つであった。

 それが主役になった途端、真価をみせる。

 大波が打ち寄せるが如く、最初の一音で飲み込まれ、歌の海に引きずり込まれる。

 海流に揉まれ、渦に囚われ、逃れることができない。

 そして、引き潮とともに己の中の感情が引き出されていく。

 激しい感情の寄せと引き。しかし、それが喜ばしい……。

 観客たちは本当に波に濡れたかのように顔を濡らした。アチキ、イッサ、ステラなどは、赤ん坊のときでもこんなに泣いたことはないというほど泣いた。一滴の涙も滲ませなかったのはクラウドくらいではなかろうか。

 四曲目を歌い終えたところで、ジェイドから挨拶が入った。

「皆さま、今宵こよいは僕のために時間を割いて下さり、ありがとうございます。開催が決まってから日にちもなく、予定を調整するご苦労をかけたにも関わらず、これだけの方が集まって下さったこと、嬉しく思います。――まあ、この僕の公演より優先する用なんて、そうないと思うけど」

 各所で「ふふふ」と笑いが零れた。

「今日、ここにいるみなさんはこの公演を開くことになった経緯をご存じのことと思いますが、僕の口から改めて説明させていただきます。

 明日から僕は【レオ】に同行して、ひとり巡業に出ることになりました。自慢の僕の歌を、メシエ中の徒に聴かせたいという、楽舞団員の強い要望のためです。

〈花の都〉に帰って来くるのがいつになるかはわかりません。けれど僕の歌がしばらく聴けないことは確かです。もしかしたら、今の声は聴き収めになるかも。

 なにもなく旅立っては僕の歌が大好きでやまない徒たちが可哀想なので、この公演を開いたというわけです。

 ……今日は「お別れ公演」と題していますが、これは僕が『ビルゴ・クワイ・ミ・ファシーナト』で歌う「最後」ではありません。巡業――つまりは世界ツアーの初公演です。ツアーの最終公演はまたここで、〈花の都〉のファシーナトの舞台に帰ってきます。僕はあくまで『ビルゴ・クワイ・ミ・ファシーナト』の団員だから。

 ――それでは、次が本日最後の曲です。きっちり心に刻みつけるように」

 ジェイドは劇と歌、合わせて一時間を歌いきった。

 最後の曲が終わると当然のようにアンコールが掛かり、アンコールが終わってもアンコールが掛かり。結局公演は二時間にもなった。ほぼ身内の会ということもあって、二度目のアンコールからは観客がリクエストした曲をジェイドが歌う、リクエスト大会になっていた。さしものジェイドも明日は喉がガラガラになっているかもしれない。そして楽舞団員、観客のまぶたれていること請け合いだ。

 二時間。満たされた……はずなのに、まだ彼の歌を望んでいる。相反する気持ち。

 劇場を後にしても、まだ音の海に囚われているような余韻よいん

 それらが意味するのは、今夜がいい舞台だったということだ。


     2


 翌朝。

 天気は快晴。海も穏やか。船出に適した日和となった。

 港には既に天秤宮てんびんきゅうへ向かう船が停泊し、出航の準備が進められている。

 この船に乗る【レオ】一行とジェイド。それに見送りの徒たちの姿も既に港にあった。

 一足先に乗船しているアチキの目には氷嚢ひょうのうが当てられていた。

「アチキそれどうしたの」

 同じく乗船しているイッサが尋ねた。

「目の腫れが引かないのよ!」

 アチキはそれが悔しいという調子だ。

 アチキの後ろではステラも目に氷嚢を当てているし、尋ねたイッサ自身、氷嚢こそ当てていないが目元に赤みが残っている。いつも通りなのはハドとクラウドくらいのもので、イズイドすら鼻をスピスピいわせていた。

 見送りの面々を見てみれば氷嚢や布を当てている者の多いこと。美しさの代名詞的存在であるライトエルフでも瞼は腫れるらしい。ユミエラなどは色付きグラスで目元を隠している。

 そんな面々と別れを交わしていたジェイドが、

「それじゃあ僕もそろそろ行くよ」

 トランクを持ち上げ、船の方へ向かおうとしたところ、

「ジェイド」

 例に漏れず目元を赤くしたフラウアが声を掛けてきた。

「……元気でね」

「うん」

 そう返したジェイドの微笑みは、いつもの意地悪さがなかったように思う。

 渡し板が外され、いかりも上がり、船はいよいよ港を離れていく。

 さっさと船室に入っていったクラウドを除いて、イッサやジェイドたちは甲板かんぱんから徐々に小さくなっていく港の皆々を見つめている。

「ねえジェイド。余計なお世話だと思うけど、本当になにも言わずに別れてよかったの?」

「本当に余計なお世話。…………」

 急に黙り込んだジェイドは数瞬後、船尾に向かって駆け出した。

「――フラウアっ」

 港に向かって声を張り上げる。

「今よりもっともっとすごい歌手になって帰って来るから! 同じ舞台に立っても恥ずかしくないくらいになってなよね!」

 きょとんとしていたのか。フラウアの返事が返ってきたのは少し間が開けてからだった。

「うんっ」

 フラウアは一層手を大きく振った。

 それを聞いたジェイドは満足そうな表情を浮かべていた。


 港がすっかり見えなくなり、ハドが船室に入ろうとしたところ、

「ハド」「ハドさん」

 と、アチキとイッサが呼び止めた。

 ふたりは後ろ手になにかを持っている格好だ。視線を交わし、タイミングを示し合わせるとふたり同時に、

「「これ、プレゼント!」」

 と、持っていた物を差し出した。

 ハドは一瞬啞然としていたが、

「ありがとうございます」

 と、ふたりのプレゼントを受け取った。

「これはどういった意図のプレゼントなのでしょうか」

「ほら、ハドにはお世話になってるし、プレゼントも貰ってばっかだからお返しよ、お返し」

「正直釣り合ってはいないと思うんだけど……」

「そうでしたか。気持ちだけで嬉しいですよ」

 ハドの言葉にふたりは少しほっとしたようだ。

「開けてみて!」

 アチキにうながされ、ハドは包装を解き始めた。まずはアチキが贈った方だ。

「それ、実はあたしもお揃いで買ったんだけど……どう……?」

「……可愛い手鏡ですね。大切に使います」

 アチキもハドも嬉しそうだ。

「イッサの方も開けていいですか?」

「う、うん」

 ハドは結ばれたリボンに手を掛けた。なんとなく、店で買ったにしては不格好なリボンだった。

 開けられた箱の中身を見たアチキが、

「なあにそれ。花の瓶詰め……?」

「ハーバリウム――植物標本ですね」

「なににしようか悩んだんだけど、ハドさんっていつも手作りの物をくれるから、俺も手作りがいいかなって……」

「えっ!? イッサこれ自分で作ったの!?」

「う、うん……」

 リボンが少し不格好だったのは自分でラッピングしたからだった。

「あ、あのアチキが思ってるほど作るのが難しいものじゃないし、花も自分で選んだからセンスはないかもしれないんだけど……」

「……気に入りました。ありがとうございます」

 こうして、アチキとイッサのプレゼント作戦は大成功に終わった。

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M(メシエ)ユニット 呉於 尋 @kureo_jin

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