三 祭礼週間《アルマク・ベス・エッタ・イェリッギャヴァシキ》ⰡⰎⰏⰀⰍ ⰁⰅⰔ ⰅⰪ ⰘⰅⰎⰦⰦⰆⰙⰀⰔⰍⰅ

舌に乗せて、手で語って(前)

 前述のように、貴族は忙しいものだ。先日の茶話さわかいは、わざわざカズスムクが時間を取ってくれたもので、僕はしばらくほったらかしにされた。

 彼はまだ若いので、仕事の何割かはレディ・フリソッカなどが代行を務めている。祭礼週間が近づいているのもあって、マルソイン家はどこもかしこも忙しいらしい。


 その間にもタミーラクは何度か遊びに来ており、茶話会の気まずい別れのことは、もう引きずっていないようだった。その点はありがたい。

 ソムスキッラは一度、カズスムクの髪を切りに来ていた。角持つ魔族にとって、頭髪を他人にいじられることは耐えがたい不快だと言う。

 だから貴族と言えども、髪を切る役目は親族や婚約者に限られ、特にザドゥヤ女性は理髪技術を磨くのがたしなみだとか。


「伯爵の髪を整えておられたのは、お嬢さまユーダフラトルだったんですね。素晴らしい腕です」

「どうもありがとう。未来の旦那さまですもの、当然のことよ」


 そう言うソムスキッラは、自信深げに目を閉じていた。が。


「伯爵もお嬢さまの髪を整えているんですか?」

「それは結婚してからの話よ!? このハレンチ猿!!」


 伯爵令嬢は顔を真っ赤にしてその場を走り去り、僕は怖い眼をしたアジガロと数名の使用人たちに別室へ連行された後、こってり絞られた。

 どうやら、男性から女性の髪を触る場合と、女性から男性の髪を触る場合とでは天と地ほどの差があるらしい。当然、彼女には丁重に謝罪した。

「社交界なら悲鳴を上げられていましたよ」とカズスムクに釘を刺され、タミーラクからも「そりゃお前が悪い」と睨まれ、さんざんだ。


 僕は屋敷の中で、それとなくアジガロの姿を追うようになった。

 彼はこちらに気づくと、にっこりと控えめに微笑んで会釈してくれるので、なんだか申し訳なくなる。それでも、死を目前に控えた人間とは思えないほど、落ち着いている彼が不思議で仕方がなかった。猶予が長いとはいえ、タミーラクもそうだ。


 聞きたいことは山ほどあるが、茶話会で無知と無理解を晒した恥ずかしさで、僕はいつものようにずけずけと質問することが出来ない。

 だから、図書室の蔵書をあさったり、屋敷で働く使用人のみなさんと話したりして、僕はザデュイラルについてあれこれ調べることにした。

 ここの蔵書はかなり面白かったのだが、それについての詳しい話はまた別項で。



 さて、茶話会から二週間ほど経ち、暦も5号月に変わったころ。

 僕は図書室の蔵書を読みあさる休憩に、帝都新聞にも目を通していた。ガラテヤでもそうだが、貧富の格差は広がり続け、ちまたには浮浪児があふれ返っている。

 保護者のいない未成年は大抵が狩り立てられて、翌日には偽〝猿肉〟としてヤミ市場で売り飛ばされるのだ。


 こういう違法な人肉市場の摘発だとか、どこぞの貴族が救貧院に寄付した・または新しく建てたとかいう記事が毎日のように載っている。

 まあ救貧院に保護されても、そこの院長にいつ合法的に【肉】にされてもおかしくない生活が待っているだけなのだが。


 ザデュイラルの社会問題に僕が暗澹たる気分でいると、カズスムクとタミーラクが連れ立って図書室にやって来た。いつものように。

 タミーラクの堂々たる体躯を見かけると、その場に家具が一つ増えたような錯覚を覚える。僕がそんなことを考えていると、眼帯の伯爵は「大事なことをお伝えしていませんでした」と切り出した。


「何でしょう」

「〝古シター典礼語てんれいご手話しゅわ〟をご存知ですか?」


 カズスムクは冴え冴えとした月にも似た顔を、いかめしく曇らせて問う。


「初耳ですね」僕は素直に首を振ってみせた。

「おっ、この学者バカの長話が始まらなかった。やったな、カズー」


 先日、僕はタミーラクから「ガラテヤにはどんな鳥肉料理があるのか」と聞かれて、ニワトリを家畜化した歴史から調理法の発展、祭りに食べる七面鳥の丸焼きまで、ひと通り網羅した話を語った。

 それを聞き終えた彼に「お前の脳みそと舌は食ったら旨そうだが、バカみたいな長話はうんざりだ」と心底閉口したという顔で怒られたが、まだ怒っていたらしい。

 僕としては分かりやすく、そこそこ学術的で充実の内容をお送りできたと思っていたので、非常に残念である。需要と供給の不一致だ。


 なお「旨そうヨーツ・ユジール」〔 Joz ljusir〕「美味しそうワ・デル・カムシーイ」〔 Va der kamsgi〕はザデュイラルでは一般的な賛辞の表現で、脳に対しては頭の良さや博識さ、舌については話の面白さを褒めてくれているらしい。


「典礼語手話ができないんなら、お前、あれだ、祭宴パクサに出れねえぞ」

「なんですと!?」


 青天の霹靂とはこのことだ。

 カズスムクを見ると、彼は神妙な面持ちで説明してくれた。


「〝なんじ食事中に話すべからず〟という大原則はご存知でしたね? この手話は、食事中に会話するため考案された専用のもので、礼儀作法の根幹をなしています」

「そんなものがあったなんて……!」


 いよいよ異境独特の、よく分からない文化とルールに踏み込む段になったようだ。僕は未知の落とし穴を踏まないよう、慎重に言葉を選ぼうとした。


「それは……一切会話せずに参加する、ということは無理があるので?」

「どうしても仕方のない理由、つまり眼や手が不自由で典礼語手話ができない・読めない者たちのための補助具があります」

「でも、お前はちょいとガリガリだが、五体満足だよな」とタミーラク。

「つまり、自分で立てるのに車椅子を使うような、みっともない感じになりますか」


 するとカズスムクは芝居っ気たっぷりに節をつけ、朗々と歌い上げた。


「〝おお、あのマルソイン家も落ちたものだ、あんな無礼な異邦の猿をこんな大きな祭宴パクサに参加させるとは!〟」


 このカズスムクの発言はかなり持って回った表現を使っていたが、解説を書き出したら短編小説ができそうだったので、諦めて直接的な意味を書くに留める。

 なぜかタミーラクには大ウケしていた。


「つまり我々はたいした笑いものになる、と……」

「そういうことですよ、イオ」

おお……神よハー・ビー・ガムル!〔Xa be Gaml!〕」


 だが、これは完全に僕の失態だ。茶話会での様子から、ガラテヤもザデュイラルも、食事の作法は大差無いように見えたのだ。

 後は実地で体験できれば良かったのだが、僕の食事は客室に運ばれ続けており、ザデュイラルの生きた食事作法というものを眼にすることがなかった。


……〝食事中に使う専用の手話〟なんてものが開発されていることを予想するのは、さすがに不可能であろう、とは思う。


 だが、こんな異国まで来ておいて、その程度の考察しかできない僕はバカだ。彼らが『食事』に懸ける意識の高さを、あれほど思い知ったと言うのに!

 茶話会の学びが何も活かせず、何が好奇心か! 僕が夕食の席に招かれないのも、この浅はかさが露見していたからではないか?


「あと、供されるアジガロの身にもなってやれ。食うなら相応の礼儀がある」

「贄になる側にとっても、気持ちの良いことではないのですね」


 贄候補のタミーラクにまでそう言われると、重みがある。殺されて食われる当人たちが不愉快ならば、尊重すべきだろう。僕は改めて覚悟を決めた。


「分かりました、残り一ヶ月半でできる限りその手話を勉強してみます」

「そう言っていただけると思っていました、イオ」


 カズスムクは少し首をかしげて品良く笑った。宝石が輝くのが当たり前のように、ことさら笑顔を浮かべなくとも、自然ときらきらした光の波を発する。そうした自分の造作を心底理解した、計算づくの――だが抗えぬ魅力的な微笑だ。


「あなたがザデュイラルに滞在する間、その行動には私の責任が問われます。ですので古シター典礼語手話について、私が全力でご教授いたしましょう」

「伯爵はお忙しいのでは?」


 特に僕を放置していたこの二週間は、忙殺と言っても良いほどだったはずだ。


「あなたに手話を一通り覚えていただくのも、仕事のうちです」

「ではお言葉に甘えて、」

「いやちょっと待て」


 犬歯が目立つ強面を切羽詰まらせて、タミーラクが口をはさんだ。


「家庭教師呼んでやれよ。お前は教えるのに向かない」

「なぜ?」カズスムクは首をかしげた。「君が紋章学で落第しそうになった時、ぼくと特訓してめきめき成績が上がったじゃないか」

「そいつは感謝してるよ! お前、人に教えるのは得意だって思ってんだろうけどな、それ、拷問人が犠牲者から確実に自白を捏造できます、みたいなやつだからな」

「その血生臭くて不安になる喩えなんですか?」


 嫌な予感がしてきた。カズスムクはわずかに眉根を寄せて、不満を表明する。


「しかし、祭宴パクサまでもう一ヶ月半。今からひと通りの典礼語手話を習得させられる教師を探すのも、生易しいことじゃないよ、ミル」

「そりゃ……そう、なんだが」


 幽霊のように首をめぐらせ、タミーラクは気の毒そうに顔を歪めて僕を見た。いったいこれから何をされると言うのだろう。


「教師を探すよりは、ぼくがでやった方がずっと確実だ。イオも構いませんね? かなり厳しく行きますが、これも祭宴パクサに参加するためなればこそ」


 カズスムクは父親亡き後、後見人となった祖母イドラギガ〔Ydraghjgha星見の塔〕とレディ・フリソッカに厳しく育てられたと言う。祖母は所領の本邸におり、レディはどうも僕を歓迎していないらしく、あまり顔を合わせてはいない。

 叔母上仕込みという言葉が、どうにも不安をかき立てられた。

 しかし僕の旅の目的は夏至祭礼に参加し、その後の祭宴パクサに出ることで達成される。自分の不安を吹き飛ばすべく、僕はわざと強がりを言った。


「いやあ、記憶力には自信があるのですよ。肩を刺したことに比べれば、手話の一つや二つ……それに時間もありませんし、ビシバシお願いします!」


 ああ、僕はその時、悪魔の契約書に署名してしまったのだ。


「分かりました」


 応じたカズスムクの微笑みは、冥府で輝く凍てついた湖のようだった。後々、このえげつないほど眩しい微笑みに、夢の中でも悩まされるはめになる。

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