斯くして、カナリアは飛び立つ(前)
1270年春、アンデルバリ子爵カズスムクは二十歳になり、正式にアンデルバリ伯爵位を継ぐと同時に、婚約者のイェキオリシ伯爵令嬢ソムスキッラとの結婚式を挙げた。カズスムクが式の介添えに指名したのはタミーラクだ。
帝都ギレウシェの大聖堂に、祝福の鐘が鳴り響く。黄金に光り輝くカズスムクの
結婚式の介添えは、贄であってもクロークを被らなくて良いらしい。その代わり、彼の首には輪廻十字の首環がつけられていた。
「
「
天も祝福するようによく晴れ渡った温かな日、美しい大聖堂にふさわしい荘厳で豪奢な式。その中心に心の通じあった新婚夫婦とその友人がいる。
永遠にとどめておきたいような、かけらも欠かさず幸福な情景。
この結婚式では、イェキオリシ寄贈の贄が一人奉納され、披露宴で供される。
僕はといえば、ハーシュサクの貿易会社に就職し、学費と生活費を稼ぎながら帝都のオプサロ大学に通っていた。長年働いていた事務員が贄に出るので、と雇ってくれたのだが、彼には本当に良くしてもらっている。
タミーラクはあの旅行の直後に角を赤く塗られ、正式な贄として皇帝に謁見した。この挙式までは、トルバシド侯爵邸に閉じこめられて過ごしていたのだ。
この数年で彼が外に出されたのは、夏と冬に碧血城で行われる贄のお披露目だけ。そこでは、誰もが宮廷料理長自慢の食材を褒めそやす。
カズスムクとはずっと手紙をかわしていたが、顔を見るのも数ヵ月ぶりだろう。結婚式と爵位継承の準備で、この半年は侯爵邸を訪ねる余裕もなかったのだ。
この式と披露宴は、彼らが交流を持つ最後の機会になる。
明日には、タミーラクの元へ碧血城の馬車が来ることになっていた。祭礼まですでに三ヶ月を切っているが、式のためにギリギリまで引き伸ばしていたから。
◆
そして
〝聖なる婚礼の儀が始まる〟と、有無を言わさず頭蓋を叩く。
ついにその時が来たのだ。
◆
タミーラクは介添えに、カズスムクを指名した。そのことを告げるためだけにマルソイン別邸を訪れたザミアラガンは、なんとも苦々しい顔つきをしていたものだ。
「碧血城に発つ前、弟に『幸せだったか』と訊いた」
――『充分すぎるほどに。ワタシは素晴らしい友を持ちました。それに、父上と兄上の家族で良かったと思っておりますよ。だから、後のことはお願いします』
ザミアラガンの伝言に、僕はタミーラクの快活な笑顔を脳裏に思い描いた。カズスムクもそうだったのでないだろうか。
僕が知る限り、兄弟の中ではザミアラガンが一番末弟を可愛がっていた。
当のタミーラクにはありがた迷惑だったのか、彼からもらったプレゼントを「趣味じゃない」とたまに愚痴っていたが。
「アンデルバリ伯爵。弟は最後まで、あなたを気持ちの支えにしていた」
「光栄の至りです」
少しの間、彼らは二人だけで話した。その内容は、僕には半分までは想像がついたが、もう半分は謎のまま。
「
そう告げたカズスムクは、穏やかな顔をしていた。
――夏至祭礼のムーカル役として着飾られたタミーラクは、コーオテー役の令嬢と共に、赤碧玉の伽藍を歩いていく。その衣装は服ではなく、贈り物の「包装」だ。
何十種類もの金色を見せる
それは盛りを迎えて、後は散るだけの花と同じ輝きだ。
「なんじユワの子ら。新郎、タミーラクよ」
「はい」
大司祭に呼ばれ、重たげな飾り角のこうべが軽く下げられる。カズスムクはイチシを手に近寄り、そっとリボンを赤い角にかけた。
聖婚式のイチシは、その都度作り直される一度限りのものだ。細い帯を交差させ、くぐらせ、引っ張って、やがて固く締められる。
長く垂らされたイチシの先端をカズスムクから受け取って、タミーラクはゆっくりと頭を上げた。それは、飾り角の重さのせいではないだろう。
二人はわずかな間、見つめ合っていた――少なくとも、僕はそう確信している――無言のうちに何かを交わしながら、カズスムクはその場を離れる。
式は、太陽誕生の神話劇へ。
『これにふさわしきは命の火
誰かがその身を捧げて燃やす真なる炎のみ』
僕が知っているタミーラクは、ごく普通の、強面だが気の良い男だった。体格に恵まれた見た目通り少しがさつで、声も大きくて、明朗快活な。
心臓の上に手をあてて、彼は朗々とお芝居の台詞を叫ぶ。
「では私が捧げよう!」
今、碧血城に降り立ったタミーラクは、二十年の歳月を凝縮した一個の命そのものだ。すでに肉体はどこかに脱ぎ捨てて、魂の輝きだけになったような澄んだ存在感。
「この先千年に光を灯せるなら、我が命惜しくはない」
まるで赤い宇宙に灯った一つの星だ。カズスムクには、どう見えていただろう?
聖婚式はよどみ一つなく進み、僕はまたも
「いよいよご子息が召し上げられますな!」
「大トルバシド卿の最高傑作が待ち遠しいこと」
「あなたは歴代
ハジッシピユイも、ザミアラガンも、よってたかって祝福の言葉をかけられていた。カズスムクはそれを遠くから見るだけで近づこうともせず、僕も挨拶を促そうという気になれない。ただ、本当にあの人たちは嬉しそうだなと思った。
旧市街へと続く橋と、夏の碧血城を隔てる鉄柵が開けられ、パレードが始まる。
用意された屋根のない馬車は四頭立ての四輪、ガラテヤの王室馬車もかくやという豪奢さで、やはり金と赤――
内装の素材は、ザデュイラル中の名産地から集めた木材などが利用され、歴史の重みと乗り心地の良さ、目を引く美しさを兼ね備えている。
先頭を行くのは国旗と帝室の
威風堂々たる隊列の歩みは、
その後に皇族と長銃を捧げ持つ護衛官、帝国議会の議員たち、書記官、大使、その他の貴族が従い、ようやく贄の馬車が動き出す。
色とりどりの衣装と、きらびやかな旗幟が、沿道に飾られた長三角旗や国旗、紙吹雪と共に風に舞い、身悶えするようにひるがえっていた。
このパレードを見に来た帝国臣民の熱狂と歓声、音楽と足音が、谷間のような建物と建物の間、玉石敷きの道に鳴り響く。
タミーラクは、自分とそう歳の変わらないコーオテー役の女性とともに、馬車の上から笑って手を振っていた。それはいつか僕が見た、ただまっすぐに生きようとするのびやかな微笑みとはまるで違っている。これからはもう、永遠に若いままでいるという、大理石に刻まれた固く清らかな笑顔なのだ。
それが僕の知る、彼の最期の姿だった。
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