第17話・これが、ヘタレ男の決断(中)

 「……僕は、サキ姉のことが大好きだ」


 たとえば、時代が時代。


 面と向かって言うのが怖い、もしくは恥ずかしいといってSNSのメッセージやメールで愛の告白を済ませてしまうケースも珍しくないご時世だろう。


 告白される側としても、もしもその相手がこちらも好感を持っている人物であり、晴れて二人が恋人関係になったとしたら、大切な思い出として履歴として残るから、かえってそちらの方が嬉しいのだくらいに思うのかもしれない。


「すっかり気づくのが遅くなった小さい頃からの恋心より、気持ちを見つけてあげられたあの夏より、もっとずっと、僕はサキ姉のことが好きになってる」


 ただ、やはり。


 こういった大事なことは、電子的で無機質な文字列や、電波を通した音声などではなく、直接、顔をみながら言いたいし言われたいというのが大半なのではないだろうか。


 相手の緊張感が伝わってきて騒めく肌。

 オロオロと忙しなく彷徨うのが何だか可愛らしい視線。

 近すぎず遠すぎずの微妙な距離感。


 甘酸っぱい空気。

 他の誰のことも見えなくなる二人だけの世界。


 シチュエーションはよりドラマティックに。

 しかし、伝える想いはよりシンプルに。


 まだ返事をする前のそんな場面ですら、二人が紡ぐ恋物語の一部としていずれは昇華されていく大事な大事な告白シーン。


 これで二度目ではあったが、塚原啓次もまた、その王道から外れることなく直接、彼女に向かって溢れんばかりの愛を紡ぐ。


 しかし、少しばかり変則的になってしまった感は否めない。


 なにせ二人は、おんぶの真っ最中。


 顔を突き合わせているわけでも、目と目を合わせているわけでもない。


 それどころか、そもそも泥酔状態にあった沙希から、ロクに返事は返ってこない。


 ならば、失敗か?

 というか、どうして今なのだ?


 想いはずっとそこにあったハズだ。


 だから告白するにしても、イルミネーションが美しい海浜公園で抱き合った時や、沙希がアルコールに溺れてしまう前の間接照明が灯るレストランのテーブルでもよかった。


 シチュエーション的に考えれば、よほどそちらの方がムードはあったのではないか?


 これがヘタレ男特有の間の悪さというやつか?


 その常人とズレた感性がここでも発揮され、啓次の決死の告白は、このまま空回りして終わってしまうのか?


 ……いや、違う。


 啓次には確信があった。


 今このタイミングそが、ココこそが自分の愛を告げるに相応しいのだと、迷いは一切なかった。


 「たぶん、僕はこれからもっとサキ姉のことを好きなる。何年も何十年も一緒にいて、サキ姉が前に言ってた孫だかひ孫だかに囲まれながら二人仲良く天国へと向かうその幸せな最期の寸前まで、僕はサキ姉を好きになり続ける自信があるよ」


 「……っ……」


 啓次は思う。


 何も大事な話は、面と面、目と目を合わせてだけしか告げちゃダメなんて決まりはない。


 むしろ、本当に本当に大事な話がある時に人は、こんな風に背中越しになった方が、よっほど自分の想いの本気さを相手に伝えられるんじゃないか、と。


 だって、ほら……。


 「……(ギュッ)……」


 からめられた腕の力の強まりが。

 寝息に化けて吐かれる激しい息遣いが。

 密着する背中を熱くする体温の高まりが。


 顔よりも視線よりも言葉よりも何よりも饒舌に、愛する人の心を震わせたのだとこちらに知らせてくれているのだから。


 「……もう、酔いは覚めたの、サキ姉?」


 「……っ……」


 「てゆーか、さっきからあのワザと臭い寝息、止まってるけど?」


 「っつ!!ぐ、ぐぅぐぅぐぅ……」


 「……そう、ならもう少し寝てていいよ。……僕は独り言を喋ってるから」


 「ぐぅん……」


 どことなく肯定的な響きに聞こえた沙希の寝息に啓次はクスリと微笑み、言葉を続ける。


 「……本当にサキ姉の目のこと、良かったよ。治った……とは、とても言えないくらいの視力だとはいえさ、一時は失明待ったなしっていう絶望的な状況だったんでしょ?それがちょっとでも見えるようになった、おまけに眼球の型は言われてもわからないくらい完璧に修復された……医学や医療の進歩ってやつには驚かされるよ。……その道に踏み出し始めた者としては」


 「……ぐぅぅ??」


 「うん、サキ姉はすっかり僕が文学部とか当たり障りのない……って言ったら失礼か。ともかく趣味の読書の延長線で進路を考えているんだと思い込んでたみたいだけど、違うんだ。僕はれっきとしたK大の医学部……そして専攻は眼科の医学生なんだ」


 「……っ!!……」

 

 「言うまでもないね。うん、もちろんキッカケはサキ姉だよ。自分で言うのもなんだけど、あの頃の僕は地元の進学校の中でも学力はそれなりにあった。色々とドンくさくても成績だけで言えばなんだって好きな進路が選べるくらいにはね」


 「…………」


 「だけど、僕には明確な目標も叶えたい夢もなかった。毎日をダラダラと、他にやることも無いから仕方なく学校に通って、惰性で勉強して、テストで良い点をとって……それだけだ。どこを目指すでも何に向かうでもなく、甘い実をつけるでも美しい花を咲かせるでもなく、ただただ無為に枝葉を伸ばすしょぼくれた木みたいなものだった。……ずっと近くで僕を見てきたサキ姉なら、こんな例えもよくわかってくれるだろ?あの頃の……ううん、生まれてこの方、何にも努力をしてこなかった弟分の情けない姿を?」


 「……(フルフル)……」


 変わらず無言ではあったが、沙希が啓次の背中に額を擦り付けて否定してくれる。


 そんなことはない、啓次には、自分が恋した男の子には、たくさん、たくさん魅力的な部分があるんだと言いたげに。


 「……その僕にね?サキ姉はくれたんだよ……僕の生きる意味ってやつをさ」


 沙希が与え続けてくれた優しさに、励ましに、


 何よりも盲目的な信頼に甘えてばかりであったことに遅ればせながら気が付いた啓次は、ある日、決断した。


 「僕は眼科医になる。それも街の目医者さんじゃなく、大学や医療センターに勤める研究員。……そこで僕はいっぱい頑張って……これまでの人生でサボっていた分以上にいっぱいいっぱい努力して、いつか必ず、サキ姉の目を元通りにする。少しだけとか、見た目がどうとかじゃなく、完璧に。……そして元通りになったサキ姉の両目で、僕のこれからの人生を隣でずっと見続けて欲しいんだ」


 「……(ギュッ)……」


 「だけどやっぱりサキ姉はすごい。たとえ会えなくても、声が聞けなくても、サキ姉はそうやって僕の行く道を相変わらず示してくれた。……あの時から、サキ姉が自分のことをどう思っていたのかわからないけれど……サキ姉はずっと変わらず、『お姉ちゃん』、してくれていたんだよ?」


 「……啓次……啓次ぃ……(ギュゥゥゥ)」


 もはや、どちらも取り繕うことはない。


 啓次は沙希に己の人生をすべて捧げると堂々と宣言し、


 沙希は照れ隠しの狸寝入りなど忘れて啓次の名前を呼んだ。


 「……こっち向いて、啓次?」


 「ん?」


 「いいから」


 「わかっ、んんっ!!」


 「ちゅ……ちゅぶ……ん……」


 大事な話は背中越しで……その考えは変わらない。


 けれど、まぁ、顔を合わせなくちゃキスはできないよな、とも思う啓次。


 二年と数か月前、一生分貪りつくしたのではないかというくらいに何度も交わしあった愛しい人との口づけがもたらす甘美な時間に、二人はしばし浸る。


 「ごめんね、啓次……」


 しかし、それも長くは続かない。

 

 まだ、恋人たちの時間に浸り、溺れるわけにはいかないのだと沙希は唇を離し、代わりにそこから言葉を紡ぐ。


 「アンタに重荷を背負わせちゃったんだね、私?」


 「いや、違うよ、サキ姉」


 「研究医……そんな将来、控えめに言っても険しい道だよ?」


 「もちろん、覚悟してる。口にするほど簡単じゃないのは重々わかってる。……でも、やるよ、僕は。もうこれは、サキ姉だけの問題ではなくて、ずっと横にいる僕の問題でもあるんだから」


 「……ねぇ、それってもう告白とか通り越してるのわもわかってる?……なに?プロポーズ?」


 「そのつもり。……嫌だった?」


 「嫌よ」


 「……嫌なんだ……」


 「嫌よ。そーゆーのはもっとこう……ねぇ?誰もいない海が見える公園の噴水をバックにとか、お店側とグルになってコース料理の最後に給仕さんが持ってきた指輪のケースを『え?なに?』、『これが本当のデザートだぜ』とか言いながらするもんでしょ?」


 「……誰?その頭とか気持ちとかセンスとかいろいろ悪い男?そんなのがいいの、サキ姉?」


 「っつ!!っさいわね!!たとえばよ!!た・と・え・ばぁ!!(ギリギリギリ)」


 「いたいいたいいたい!!時間差でやってきた『姉スイーパー』いたいっ!!ってかぐるじいぃ!!」


 「いい歳こいて処女こじらせた乙女脳で悪かったわね!!」


 「乙女というより戦乙女な攻撃力だけれども!!」


 「このままヴァルハラまで導いてやりましょうかぁぁ!?」

 

 「ヴァルキリーはあくまで導き手であって、暗殺業は管轄外です!!」


 「人員不足による業務拡大よっ!!」


 「新約・北欧神話っ!?」


 ……結局のところ。


 シチュエーションのドラマ性も、台詞の言い回しも、


 正面も背中越しも、遠回りも近道も、


 混ざり合った過去も、空白の時間も、


 決意も、決断も、覚悟もまるで関係はなく。


 この二人の幼馴染がこうして紛れもない恋仲になるのは、当然の運命として世界が定めていたに違いない。


 ……そう、これから満を持して語られる、


 啓次の『初恋』の行く先が、どこに辿り着いたのだとしても。


 ただの、有り触れたハッピーエンドでは終わらせてくれないのだ。

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