月下の裏側。見習い淑女の社交界デビュー(仮)


 ヴィクトーリア・フォン・ベルンバッハ、それが私の名前である。

 ベルンバッハ家の九女、いいおうちに嫁ぐことだけが私の価値。そう教え込まれてきた。お姉さまたちも、妹たちも、みんな同じ。女の子だからそう生きるのが当たり前、貞淑に、しとやかに、殿方に愛されるように振舞う。その息苦しさが苦手だった。

 男の人もあまり得意じゃない。家柄がどうとか、あの家と繋がりがあるとか、ご先祖様がああしたこうしたとか、聞いていてもよくわかんないし、私はお菓子の話とかしたいんだけどたぶん興味がないんだろうなあって思う。

 そんな私が本日、社交の場にデビュー、と言っても踊っちゃダメだしお話も極力しないって条件付きだから見学みたいな形なのかな。お父さまも私がダメダメなのは知ってるし警戒してるんだよね。それならデビューなんてさせなくてもいいのに。

 結婚なんて想像も出来ないからこのままみんなと一緒に居たい。それはダメなことなのかな。好きが分からないのに結婚するって変じゃないのかな。

 私は馬鹿だから全然分からないの。みんなの当り前が、分からない。

 それも少しだけ息苦しいんだ。

「マリアンネはお土産何が欲しいー?」

「おかし!」

 まだまだ小っちゃな十二女、末っ子のマリアンネ。赤ちゃんの頃から私がお世話をした結果、何と初めてしゃべった言葉が「おかし」だったの。びっくり。

「ヴィクトーリア! まさか貴女、会食で出てくる食べ物を持ち帰ろうと思っているんじゃないでしょうね?」

「え、駄目なの?」

「当たり前でしょ! 馬鹿なの貴女は!」

 ため息をつく四女、厳しい厳しいヴィルヘルミーナお姉さま。他のお姉さまにも十一女である妹のガブリエーレにすら飽きれられるのはいつものこと。

「武官畑とはいえ妙に来賓の質が高いわ。何かあるのかもしれないわね」

 みんな大好き長女のテレージアお姉さまはさっきから難しい顔をしてる。

「だ、か、ら、くれぐれも粗相がないように気を付けなさいって言ってるの!」

「げふっ!?」

 思いっきりコルセットを絞められ、お腹から空気がぽんって飛び出してくる。

「淑女がゲップしない!」

「ヴィルヘルミーナお姉さまが絞め過ぎただけ――」

「口答えする気かしら? あらあらどの口が悪いことを言っちゃったの?」

「もがががが」

「この口? それともこっちかしら?」

「もがががが」

「……ふつうにしていたら美人ですのに。本当にもったいないですわ。そう思うでしょ、エルネスタおねえさま」

 小さなガブリエーレはため息を重ねている。十女のエルネスタも苦笑い。

「貴女もヴィクトーリアで遊び過ぎですよ、ヴィルヘルミーナ」

「うぐ、も、申し訳ございませんお姉さま」

 皆から呆れられているんだけど、苦笑いかもしれないけど、私は、皆が笑っている今が好き。もう上のお姉さまたちは皆いなくなっちゃったけど、お稽古は厳しいし何故か上手くいかないので怒られてばかりだけど、それでも、笑ってくれるならそれでいい。

 嘘でも、上っ面だけでも、泣いてばかりより絶対、こっちの方がいい。

 私はお姉さまたちが、家族が大好きだから。


     ○


 お腹がキリキリと痛むのはきっとこの空気がよくないせい。

 次々と名前が呼ばれる中、皆顔をきゅっとしてお腹が痛そうな顔をしているもの。王子様が現れてからきゅっとした感じは強くなっちゃった。かく言う私もきゅっとしてる。踊る必要もないし、しゃべる必要もないけど。緊張しているの。

 ただお父さまの後ろでニコニコ笑っているだけでいい。それだけが私のやること。さすがの私もそれくらいできる。笑うのは好きだし。でも、たぶん、今は笑ってちゃいけない気がする。と言うよりも笑ってたらさっきお父さまに目配せされたから。

 きっと、きゅっとした顔をしなさいってことだと思う。

 すると体が硬くなって、本当に緊張してきちゃった。全身カチコチ、お腹も痛い。

 こういう場所はあんまり好きじゃないなあ。

「ヒルダ・フォン・ガードナー。前へ」

「はい!」

 おお、あの人はあまりきゅっとしていない。凄く余裕があるしこんな状況でも笑ってる。凄いなあって思ってたら別の人に目がいってしまった。私よりもきゅっとして石みたいになっちゃってる人。うわあって思わず零しそうになっちゃった。

 それぐらいカチカチだもの。

 でも、一人の変な男の人が近づいたら、少しずつカチカチが消えていった。

 仮面をした変な人。髪の毛の色も真っ白だし。でもでも、たぶん、優しい人。カチカチだった人が堂々と歩いて行けたのは、あの変な人が何かを言ったからみたいに見えた。

 何よりもその背を見守る目が、仮面の奥でよく見えないけれど――

「――ウィリアム・リウィウス、前へ」

 カチカチだった人が騎士になってみんなびっくりしてたけど、変な人の名前が呼ばれたらみんなすっごく、もっとびっくりしたみたい。お父さまも驚いた様子だし。さっき平然としてた女の人も口をあんぐり開けてるし。

 階段を登っていく姿を見てメラメラって感じがした。あんまり好きじゃない、お父さまたちが政治を語る時みたいな、ドロドロした何か。さっきの視線は何か、すっごく柔らかかったのに、びっくりするほど変わっちゃった。

 色々あってにきゅう市民? というのになったらしいけど、よくわからないからエルネスタに今度聞こうと思いました。覚えられていたらだけど。あれ、何だっけ、何を聞こうとしたのかもう忘れちゃった。えへへ。


     ○


「随分可愛らしいお嬢様ですな」

「いやはや、まだまだ作法もなっておらぬので出すべきか迷ったものです」

「ははぁ、伯爵殿も奥ゆかしいですなあ」

 他の人と話している時のお父さまの眼が怖い。じっとりとして、それと見えないのに相手だけじゃなくて周囲も窺ってる気がする。こういう時もお腹がきゅっとなるの。

 嫌だなあ、帰りたいなあってもう思い始めてる。

 みんな大人しく踊ってるなあ。もっと元気いっぱいに踊ればいいのに、なんてお父さまに言ったらあとでヘルガに折檻されるから言わない。それくらいの分別はあるのです。

「あっ」

 あの変な人も踊っていない。カチコチだった人がカッコいいお姉さんに引き摺られていって一人になっちゃった。でも、何でだろう。何であの人は誰も見ていない時の方が優しそうな目をするんだろう。だって、普通は逆だもん。みんな、優しく見られたいから誰かの眼があると朗らかになるし、それがなくなるとどこか冷たくなる。

 あの人は逆。そんな気がした。

「もぐもぐ」

 変わっているなあ。変な人だなあ。でも、嫌いじゃないなあって思う。

 あっ、目が合った? ハッ、私今無意識にお菓子食べてた。

「ヴィクトーリア?」

「は、はいお父さま」

 即座に口元を拭いて完全なリカバリー。こういうのは場数ですよ場数。

「服に食べかすがついている。淑女たる者、用意されたものを口にしないのも失礼にあたるが、何事にも節度がある。はしたない真似はしないよう引き締めなさい」

「は、はい、申し訳ございません」

 ケアレスミス、うっかりさんだね。

 もうあの人はこっちを見ていない。もし私がもう少し大きくなって、踊ってもいいってお父さまから許可をもらえていたら誘ってもらえたのかな。あんまり暇そうな人はいないしきっといける気がする。何となくだけど踊りの練習でもしてみよう。

 おうちに帰って覚えていたらだけど。

「酒は南のほうに限りますな。しかしガリアスのは旨くない。何故なのか?」

「国民性でしょうな。あそこは実利を求める国柄ですから。どうしても嗜好品の質は上がらない。そういうものは輸入で済ませられますし」

 退屈だなあとしみじみ思う。

 あの人はどんな顔をしているのかなって気になってちらりと見ると――

(あっ、真面目そうな顔をしているけど退屈で死にそうな顔してる。ふふん、私の眼は誤魔化せないもんね。鏡にいっつも映ってるもん。私の顔だけど)

 親近感が湧いてニヤニヤしてきてしまう。ちょっとだけお話したいと思うほど――


「さすがヴラド伯爵は博識ですなあ」


 その瞬間、あの人の全部が変わった。お父さまの影から見ていたけれど、歪んで、歪んで、どうしようもなく歪んでしまった顔が其処にあった。昔の、私が物心つく前、ついたばかりの頃の、お父さまに似ている。それよりももっと、怖い。

 一体何が、あの人を変えてしまったのだろう。

「貴様、いったいどういうつもりだ」

 お父さまは気づいていない。でも、あの強そうな人が詰め寄ったことでみんな気づいた。異変、それとも本性、私にはよくわからないけれど、さっきまで抱いていた親近感がどこかに消えちゃった。みんな怖い顔をしている。

 どうしよう、どうなるんだろう。とりあえず誰も見ていないからお菓子をひとつまみ。

 もぐもぐ、あ、これ美味しい。ポッケにエルネスタとマリアンネの分も入れておこう。あれ、ヴィルヘルミーナお姉さまが何か言っていた気がするけど、忘れちゃった。それにこれは異常事態だもん。仕方ないの。

 なんてことを考えていたら、あれよあれよという間に何故か足元から靄が――

「み、見えない」

 これは大層困った。一面真っ白で何も見えない。

 とりあえずお菓子をもうひとつまみ。んん! 美味しい。

 何か金属音が聞こえる。何も見えないから何が起きているのか何にもわからないけど、それでも一つだけわかることがある。お菓子を食べるなら今がチャンスってこと。

「あれ?」

 たまたま、私がお菓子をつまんでいる位置、その角度から靄の切れ間が見えた。二人とも仮面が切れて、立ち尽くしていた。あとから考えたらもう一人、あんな可愛い子が暗殺者だったんだってびっくりしたけど、でも、私はこの時一つしか見えなかったし、一つしか考えられなかった。

 格好いい男の人は沢山見たことある。だけど、この人ほど哀しそうに、ちょっぴり嬉しそうに、優しげに、怒っている人は初めて見た。怒るって、もっと辛くて悲しくて何よりも怖いものだと思っていたから。

 それに思っていたよりもイケメンでもある。想像の二倍くらいイケメンだった。ちょっと冷たい目をしているけど、優しい顔の方が好きだけど、でも、さっきまでの目は今まで見た男の人の誰よりも温かかった。それが一番好き。

 靄が消えて、みんなが彼に見とれている。確かに格好いいけど、でも、ちょっと前の方が好き。優しそうな目でカチカチの人を見送っていた目、どこか寂しげな佇まい、その二つが混ざり合った、あの女の子を見る目。

 凄く綺麗で冷たく見えるのに温かい。凄く好き。

 だからこそ、あの顔は怖かった。あんなに優しそうな人がどうして怒っていたのかな。仮面越しでも、何か怖いのが伝わってきた。肌がびりびりって、なった。

 色んな顔をする人。今は笑顔、皆に見せるための作り笑い。私が、得意なやつ。だからなのかな、あの人のことが知りたい。あの人の本当の顔が見たい。冷たい中にある温かさに触れてみたい。そして、出来るなら、本当の私をあの人に知って欲しい。

 嫌われたくないから、好きになって欲しいから、作って剥がれなくなったヴィクトーリア・フォン・ベルンバッハの仮面。脱ぎ捨てて、本当の私をぶつけたら、あの人はどんな反応をするのかな。困るかな、怒るかな、それとも、受け入れてくれる、かな。

 あの温かな目で、私を見てくれるかな。

「ええ、ヴラド伯爵。私が白仮面、ウィリアム・リウィウスでございます。以後お見知りおきを、伯爵」

 ウィリアム・リウィウス。心の中で口ずさむと胸がきゅってなる。でも、全然嫌な感じじゃない。本当に、とっても、凄く、胸が、心が、ポカポカする。

 あれ、これは恋なのでは?

 もう愛なのでは?

「――後のことはお任せします」

 私の中で盛り上がっている内に、あの人はいつの間にかいなくなってしまった。

「ウィリアム様、かあ」

 もう一度会いたい。どんどん気持ちは膨れ上がる。それと同時に颯爽と王子様のように助けられたと、記憶にもちょっぴり脚色が入るのは乙女心なのです。もぐもぐお菓子を食べていた気がするけど、真実はぶるぶる恐怖に震えていた気がする。

「ヴィクトーリア、はしたない真似はやめなさいと伝えたはずだが?」

「……?」

「口元」

「むぐっ!?」

 食べカス、かあ。ケアレスミスだね。

 また会いたいなあ、会えるといいなあ、ちょっと踊りでも頑張ってみよう。そうしよう。

 固い決意と共におうちに帰るのだ。

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