最終話 赤い頭巾をかぶった狼ちゃん

 その日は朝から若菜ちゃんは張り切っていた。


 俺の家で、今日の『お帰りパーティ』を開かれる。だから、朝から我が家のリビングは、盛りだくさんに飾られていた。


 貴志も当然それを手伝う。俺がそれに加わるのは言うまでもない。


 調理担当の若菜ちゃん。

 飾りや若菜ちゃんの手伝いをする貴志。


 そんな二人の共同作業を、俺は微笑ましく見つめていた。


 夕方に、アイツを向かえに行くのが俺の仕事。そして、空港から帰る道すがら、俺は俺が知らなかったことを耳にする。


 若菜ちゃんが『俺の事を好きだ』とアイツに話していたという事を。


「当然、親としては反対したよ。まあ、これでも娘の気持ちは尊重したい。幸せになれると思った娘の判断だ。だから、一応考えてみた。――けど、無理だった。お前に『お義父さん』と呼ばれるのを想像したら、無理だった」


 あっけらかんと笑うアイツを、俺は心底尊敬した。


「すごいね、お前は。俺だったら問答無用で却下だな」

「まっ、お前だってそう言っても一応考えるさ。でも、結果は同じだろうけどな」

「まあな、却下は既に決まってる」

「でも、若菜の幸せを考えたらどう思う?」


 そう言われると、困ってしまう。幸せに出来るかどうかわからないけど、若い時と違って俺には余裕がある。だから色々見えてくるものがあるはずだ。


 ただ、それはあくまで俺の言い分に過ぎない。


「――卑怯な言い方だな」

「そう言う事だ。俺はオマエを信頼している。もし、本気でそれを望むなら、俺も覚悟を決めるしかない」

「そうか……、それが娘を持つ父親の心境か……」

「まあ、本音を言うとずっと俺の傍に置きたいさ。父親はだな、たぶんみんな似た感情を持っていると思う。『俺以上に、娘を幸せにできる人間なんているものか!』って思うもんだ。でも、それは結局、若菜の幸せにはならない。俺は確実に若菜を一人にしてしまう。寂しい思いをさせてしまうかもしれない。もっとも、いつまで生きるかどうかなんて、誰にもわからないけどな。若い奴でも、ぽっくり先に死ぬこともある。だから、年齢の事は考えないようにしている。まあ、なんだ。だから、結局振り出しに戻るんだ。たとえほんの一瞬でも、幸せと感じることが出来る相手といる方がいいと思うわけだな。だから、若菜が連れてきたのであれば、それは俺以上に幸せにできると若菜が選んだという事だ。やっぱり認めるよ、その時がきたらな」


 ハンドルを握る俺の隣で、アイツは外を眺めてそう呟く。


「なんだか、それって俺がそうなった場合、まるで俺がすぐ死ぬみたいじゃないか?」

「当たり前だろ? 俺が納得したとしても、うちの奥さんが許すと思うか? 確実にお前、この世から存在そのものを消されるからな?」


 ニヤリと笑うアイツの顔。その顔は笑っているものの、その目は全く笑っていない。


 ――全く冗談じゃない。


 仮定の話だとしても、背中がひんやりとしてしまう。


「まっ、それを若菜が黙って見過ごすわけないけどな。ウチの奥さんの血を引いている若菜だ。俺に、『お前のこと好きだ』と堂々と俺に言ったりするんだぜ? 下手すら、母娘で殺し合うかもしれないな」


 ――いや、それ笑い事じゃないからな? もしかして、奥さんの方にも言ってるのか?


 でも、そう言われると妙に納得してしまう。若菜ちゃんがその年の割に度胸があるのも、決断も行動も早いのも、ひょっとするとコイツの奥さんの血を引いているからかもしれない。


「怖いぜ、うちの奥さん。その娘の若菜だ。お前、貴志君がいてよかったよな。あと、心配してるだろうから一応言っておくが、若菜はまだ、うちの奥さんには話してないって言ってた」


 笑い飛ばすアイツの言葉を、俺は黙って頷いていた。



***



 家に帰ってきた瞬間、『お帰りなさい』パーティは始まっていた。


 玄関を開けてすぐのクラッカーによるお出迎え。あっけにとられている俺達をよそに、すぐにアイツの腕を取って家にあげる若菜ちゃん。荷物を持ってリビングに向かう貴志。見事に連携して、あっという間にアイツを会場に引き込んでいる。


 その若菜ちゃんの笑顔を、つい微笑ましく見てしまう。


 ほんの少し、胸をよぎるもの寂しさ。


 本来そんな事を考えるべきものじゃないはずなのに、そう考えてしまった俺を嫌悪する。だが、いったん意識してしまったものはどうにもならない。

 ただ、それを紛らわす事は出来るだろう。


 だから、預かった荷物をアイツの家に届けようと、俺は玄関を後にする――。


 ――はずだった。


 だが、後ろを向いた瞬間、俺の腕に若菜ちゃんの手が伸びる。


「おじ様、それは後で私がします。どうか、先に――」


 久しぶりに感じる若菜ちゃんの温もり。下を向いてそう願う若菜ちゃんを、このまま無下にすることはできない。


「そうだね。まずは乾杯だろうね」


 そう言って、玄関に上がろうとしても、若菜ちゃんはまだ俺の腕を掴んでいた。おかげで、俺はまだ玄関の扉に顔を向けてたままになっていた。


「――若菜ちゃん?」


 訝しむ俺の声に、若菜ちゃんがパッとその手を離していた。再び上げたその顔は、少し泣いていたようにも感じられる。


 ――まあ、うれしいんだよな。ずっと会えなかったんだ。それも当然か……。多少照れくさいのもあるだろう。


「大丈夫かい?」

 そう言わずにはいられない。それは若菜ちゃんを包む空気がそう俺に告げている。


「何でもありません。さっ、おじ様、入りましょう」


 ただ、そう言って先に家に上がり、そこで若菜ちゃんはくるりと俺に向き直る。


「お帰りなさい」


 そうやって、丁寧に挨拶をする若菜ちゃん。それは、少し前まで繰り返された日常の一つ。


「ただいま」


 ただ、迎えに行っただけだけど、そう言われるとそう答えてしまう。たったそれだけの事だけど、妙にうれしくなっていた。ほんの少し前だけど、妙な懐かしさも覚えていた。


 その後すぐ、飛び去るような若菜ちゃんの背中を見て――。


 そして、パーティは和やかに始まって、楽しい笑い声がこの家のリビングを包んでいた。



***



 楽しい時間はあっという間に過ぎていく。


 海外出張の土産話と、アイツは貴志にいろんなことを教えていた。それに触発されたのだろう。貴志は俺には言わなかった密かな夢を語りだす。


「若菜ちゃんに言われたわけじゃないけど、俺も海外で活躍できる男になる」


 いきなり演説のように息巻いて、貴志はそう宣言していた。俺もその意気は買う。何より、男が夢を語る姿は清々しい。


「いいぞ、貴志君。男はそうあるべきだ!」


 まあ、酒が入っていれば、『どの口がそう言うんだ!?』と俺はアイツにツッコミを入れていただろう。今回の海外出張も散々嫌がっていたくせに――。


「まあ、そのためには、まず高校だな。野球もいいけど、貴志はそろそろ勉強に本腰を入れないとな」

「わかってるって!」


 その言葉に、楽しげな笑い声が加わっていく。いつまでも、こんな日が続けばいい。そんな事を思いながら、俺はこの瞬間をこの目に焼き付けていた。



***



 楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。若菜ちゃんが用意してくれていた、しめの乾杯のグラスを飲み干したあと、急に眠気が襲ってきた。


 ――まあ、そろそろ時間もいいころだ。


「すまんな、阿亀あがめ。時差ボケなのか、眠気がひどい。片付けは明日手伝うから、今日は帰らせてもらう」

「そうしろ。おい、貴志。お前もそんなところで寝るなよ? ここはいいから、自分の部屋に帰って寝てろ」

「――うん……」


 よほど眠気があるのだろう。貴志はいつも見せない子供っぽい返事をして自分の部屋に戻っていく。それを見送った時には、アイツもソファーに崩れ落ちていた。


「おいおい――」

「おじ様。肩を貸してもらえないでしょうか? 私だけでは無理なので」

「いや、俺がおぶって行く。酔っ払いは、結構重いんだよ」


 体の力が抜けてしがみつかない分、その体重はもろにかかる。俺よりも小柄だとは言っても、大人の男を若菜ちゃんと両脇で抱えていけるわけがない。


 ――もっとも、コイツはもう完全に寝ているしな……。


 そして、俺は若菜ちゃんと協力して、コイツを寝室に放り込む。たったそれだけの事だったが、さっきよりも眠気は少し抜けていた。


「若菜ちゃんも、戻って休むといいよ」


ソファーに腰を下ろして、そう告げる。そうした途端、急にまた眠気が襲ってきた。


「おじ様……」


 微睡の中、俺を呼ぶ声がして目を開ける。少し寝てしまっていたのだろう。部屋はかなり片付いていた。


「若菜ちゃん……。一人で片づけることなかったのに。君も朝からずっと用意していたんだから、そろそろ休めばいいよ。俺はこのままここで寝るから。悪いけど、鍵をかけておいてくれないかな……」


 どうも眠気が取れない。何か顔にひんやりとしたものが当てられている気もするけど、はっきりとしたことは分からない。


「おじ様……。そのまま聞いていてくださいね」

 隣に若菜ちゃんが座ったのだろう。しかも、久しぶりにその腕をからめてきている感覚がある。だが、これはたぶん夢だと思う。


 若菜ちゃんは、ちゃんと自分をわきまえている。これは俺の未練なのだ。それが願望となって、俺に夢を見せている。


「おじ様。好きです……」

 小さくも、はっきりと聞こえるその声は、隣の若菜ちゃんから聞こえてくる。夢だと考えてみても、やはりその気持ちは嬉しい。


「ああ、俺もだよ……」

夢ならば、そう答えてもいいだろう。なんだか、ここはあの時の占い師がいた部屋のニオイもする。夢は経験した事の集合体だという話もあるから、俺が勝手に都合のいい時間に戻っているに違いない。


 ――未練だな。


 そう考えているという事は、俺がそれだけの想いを持っていたという事か……。


 我ながら滑稽に思う。だが、その想いは夢でしか語れない。でも、いくら夢でもそんな事を考えるのかと思う言葉がやってきた。


「おじ様と私。このままでは結ばれないのです」


 夢で告げてくる若菜ちゃん。それは俺が語っているに過ぎない事だが、その口から言われると、やはり衝撃は大きい。


 ――そんな事、言われなくても分かっている。俺が、俺に説教するな。


 俺がそう叫びそうになった時、若菜ちゃんはその言葉を続けていた。


「でも、一つだけ方法がありました。あの時、道が切り開かれた感じでした。おじ様の評価や評判を壊さずに、周囲の誰もが納得する方法がありました」


 隣で体を預けてくる若菜ちゃん。その柔らかな感触は、とても夢だとは思いにくい。


 ――だが、夢以外にはありえない。


「おじ様。これは夢ではありません。今からそれを証明します」


 まるで俺の心を読んだように、若菜ちゃんが隣からスッといなくなっていた。それに続いてひんやりとする両頬。


 その感触を心地いいと感じている間に、俺の口が何かでしっかりと塞がれていた。


 ――!?


 だが、起きようとしても起きれない。夢なら、この瞬間に起きれるはず。だが、まるで金縛りにあったかのように、俺の体は微動だにできなかった。


「夢ではありません。おじ様が私の初めての人――」


 再びふさがれる俺の口。荒い息遣いが、俺の顔の火照りを増長する。ひんやりとした両頬の感覚が心地よい。それがいつまでも続いていた。


 だが、それも終わりを迎え、再び隣に若菜ちゃんの気配が訪れる。


「ただ、ここから先はまだまだ先です。少しの失敗も許されませんから……」


 決意の固さがわかる声が、俺の隣で小さくそう告げる。そして、それは思いもよらぬ言葉がつづく。その時俺は、背中に汗をかいていた。


「貴志君と結婚します。貴志君を海外に行かせます。私とおじ様は日本にいます。これで、おじ様と私はいつまでも一緒に居られます。そして、子供――」


 その声が、やけに遠くに感じてしまう。それから先も何か言っていたけれども、俺にはよく聞こえなかった。



 ***



――翌朝。


 体がだるく、何か色々と忘れているような感覚で目覚めた時、部屋はきれいに片付いていた。貴志もたぶん、まだ寝ている。


 ――今日が本当に休みでよかった。


 まだうまく動かない体を無理やり起こし、顔を洗って部屋に着替えを取りに戻る。


 ――それにしても……。何ていう夢を見るんだ、俺は……。


 徐々によみがえってくる夢の記憶。我ながら、恐ろしいことを考えたと思ってしまう。


 ――まさか、自分の息子を偽装結婚に使うとはな……。


 たぶん、俺は若菜ちゃんに恋している。だから、その心を欲しがっている。そして、社会的に死なない方法を自分で編み出していたのだろう。


 ――度し難いとはこのことだ。こんな事考えるなんて、俺は父親失格だ。


 そんな最悪な気分をはらすにはシャワーを浴びてさっぱりするのが一番だろう。そう思って自分の部屋に戻った時。俺はそこに何やら違和感を覚えていた。


 ――なんだ? あれ……。


 元々、俺は自分の机はきれいに整えておく方だ。だが、珍しく、部屋の机には一冊の本が置いてある。


 ――直し忘れたのか? この俺が?


 そう思って近づいてみる。その本は、かつて学生時代に使っていた心理学の本。そこに挟まれているメモを取るため、そのページを開いてみた。


 そのメモには、若菜ちゃんの字が綴られている。


『昨夜、夢のような時間をありがとうございました。でも、あれは夢ではありません。ただ、お話の内容は私の夢です。そして、私は夢を現実にします。それまでは、私を信じてください。おじ様は私の味方ですもの。おじ様は私を悲しませないと信じています。そして、これはおじ様と私だけの秘密です。この紙は、ちゃんと処分してくださいね』


 ――と。


 その瞬間、俺は昨日の夢が現実だったと思い知る。


 フラフラと、台所に行ってその紙に火をつける。燃えたまま、シンクの中に放り込む。やがて、その紙が灰となり水で流し終わっても、俺はこれからどうしていいのかわからなくなっていた。


〈了〉

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狩人と赤い頭巾の狼ちゃん あきのななぐさ @akinonanagusa

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