41.本音



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なぜこうなったのか。明日に控える学校を無視して深夜にDVDを見ている。

一度見たものだから大して集中してはいないのだが、互いに無言だ。おそらく初めて、あんなにくだらない言い争いをしてしまって、若干反省している。


塚本くんもきまりが悪いのか何も言ってこない。さっきの塚本くんには俺も少し驚いた。今まであんな風に俺に言ってきたことないし、後半なんてただの悪口だ。普通の男子高校生なら冗談半分であんな言い合いよくあることだが、相手はあの塚本くん。むきになって声を荒げて言い返してくるなんて。事が起こった今でも少し信じられない。


だんだんと佳境に入っていく映画。眠気は全く帰ってこない。このままだとオールすることになってしまう。

斜め後ろでソファに座っている塚本くんが気になって、いくら穏やかな内容の映画でもうつらうつらとする事ができない。


何か声をかけようか迷っていると、ぼそぼそと彼の方から話始めた。


「先輩が、」


俺はなんとなく空気を読んで、振り返らずに耳を傾ける。


「先輩のことが心配で。…眠れないくらい悩むなら、学校に行かなければいいって思ったんです」


「……」


「俺には全然分かりません。なんでわざわざ辛い方に進もうとするのか。学校に行ったらまた、嫌な目にあうかもしれないのに」


静かで切実な訴えだった。寝る前のあの会話を、塚本くんは納得できなくて引きずっていたのか。考えて考えて、眠れなかったのは俺だけじゃなかったのだ。


「兄だからですか?だからあんな目にあっても弟と向き合わなきゃって思ってるんですか?」


「そうじゃない」


「じゃあ、」


「向き合いたいんだ。俺が、あいつに。できれば、…昔みたいに戻りたい」


しん、とする。馬鹿みたいだと思っただろうか。こんなにも壊れ切った関係をいまだに諦めずに修復したがっていることを。どんなにひどい目にあっても嫌いになれない、いつまで経っても現実を受け入れようとしない俺のことを。


「だから学校にも行く」


「…それでこの家も出て行くんですよね」


思いがけない言葉につい後ろを振り返ってしまった。視線を落とした彼の表情の暗さにビビる。確かに声音が落ちっぱなしだったけど、そこまで落ち込むことないだろ。


「は…家?」


なんで突然そんな話になるのか、戸惑う俺の方を見ようともしない。彼との会話でそんなことは、一切話題に上がっていないのに。


「そりゃ、いつかは出て行くけど…」


「……」


「…なあ、まさかと思うけど、…それが嫌でさっきからゴネてるわけ?」


「……」


無言は肯定か。どんよりとしたオーラを漂わせる彼のことを唖然とした顔で眺めた後、どっと疲れが襲ってきて深々とため息をついてしまう。


「あのさ、お前には申し訳ないけど、まだここに置いてもらいたいんですけど」


「…そうなんですか?」


いまだにこっちは向かないものの、ぴくりと肩が動くのが分かった。どうやらまともに話をする気になったみたいだ。


色々と俺に言ってきたが、結局のところ俺がここを出ていくのが嫌だったとか、そんなところか?大人びた主張をする割には、その根っこの部分は結構ガキっぽい。頭はいいから理屈は上手にこねるけど、理屈をこね始める原動力は子供の駄々だ。呆れ果ててこいつのこと無視して今すぐさっさと寝てもいいけど、…しかし俺も今後のことを彼に詳しくは相談していなかったのだから、不安に思ったのだとしたら俺のせいになるのか。しっかり方針を決めてから塚本くんには相談しようと思っていたのだが。こうなってしまったらもう話してしまうべきだろう。


「さっきも言ったけど絶対家には帰るつもりだよ。…でも今帰っても状態は良くならないだろ。同じこと繰り返すだけだと思うし、あいつとの関係はどんどん悪くなってる。だからどうにかするまではここに置いてもらえないかって」


「どうにかって?」


「だからそれを今考えてたんだよ。まだ考え中で、決めたらそれも含めてお前に話して、家にもうしばらく置いてもらうこともちゃんと頼むつもりで。それなのになんか知らないけどお前が、俺がもう家を出るとか勘違いして1人で勝手にいじけてたんだろーが」


お世話になってもらっておいて何も言わずに帰るとか、そんな不誠実な人間に思わないでもらいたい。自分でもそこまでしっかりした人間じゃないことは自覚してるけど、謝罪と感謝は絶対忘れないようにしている。人として当然だ。


顔を上げた塚本くんと目があって、しばらく見つめ合う。そして俺の目の奥に嘘がないことを確認した後、ようやく表情が緩んだ。ホッとしたような顔でそっと息を吐く。塚本くんはスッキリしたみたいだけど、俺はなんだか理不尽にキレられた気がするし、かなり不服なんだが。大体気になることがあるなら正直にさっさと言ってくれればいいのに、黙っている上に変に遠回りにいちゃもんつけてきやがって。


「先輩」


「…なんだよ」


「あの、背が低いとか言ってすいませんでした」


本当だよ。それに関してはただの悪口だし。実はこっそり気にしてるコンプレックスだし。ソファの上から見下ろしながら謝られたって嫌味にしか聞こえないし。


腹たつけど…。

…そんなあからさまにしゅんとした顔を見せられたら、「許さない」と言えるわけもない。


「……俺もバカって言ったのは悪かったよ」


「はい、誰にも言われたことないです。そんなこと」


「でしょーね。学年一位」


嫌味ったらしく返してやれば、塚本くんが少しだけムッとした顔をする。もう一戦やるかとも思ったが、こんなくだらない言い合いがどうしようもなくばかばかしくて、俺も塚本くんも勝手に頰が緩んでしまった。声に出して笑うでもなくお互いニヤける口元を押さえて視線をそらす。

この、なんでもない時間が楽しくてたまらない。塚本くんと俺は、それこそ色々話すようになって距離が縮まっていたとは思うけど、こんな言い合いはしたことなかった。こうして考えてみると、俺も彼も意外と気を遣っていたのかもしれない。相手を傷つけないように、嫌われないように。近づきたいと思いながらも探り探りで、きっとまだ距離は遠かったのだ。


「塚本くん、俺お茶飲むけどお前もいる?」


「先輩まだ寝ないんですか?」


映画も終盤に差し掛かっているし、俺は次は何を見ようか考えながら立ち上がり、そう声をかけると彼は不思議そうに尋ねてきた。


「だってもう眠くねーもん。ここまできたらいっそオールすっかなぁ」


時間はもうとっくに深夜を回っている。寝れるのはせいぜい数時間。「久々の学校は万全の状態で」なんて言っていたがもう不可能だ。ここで寝たら遅刻は絶対に免れないし、それなら絶不調を覚悟して起きている方がマシかもしれないという選択。


「じゃあ俺も付き合います」


俺の言葉をまともに受け止めソファに座り直す塚本くん。なんでもないことのように言っているが、こいつもしかしなくても徹夜なんて初めてなんじゃないだろうか。何度かやったことがある俺は、それがどれだけ次の日に支障をきたすかを知っている。彼が学校で倒れたりしないか若干不安だが。


「お前がオール?似合わねぇな。…で、お茶飲むの?」


その夜、俺たちは今までで一番近い距離にいた。そして改めてその場所の居心地の良さを実感する。喋って、笑って、時の流れを忘れて。


気が付いた時には自然と微睡みの中に落ちていた。夢も見ない穏やかな眠りはきっと、傍に感じる暖かい体温のおかげだ。




そして案の定、俺たちはそろって盛大な寝坊をすることになったのだった。

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