38.大切な人2

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「先輩」


呼ばれた声にふっと目を覚ますと、整った顔が間近にあった。状況が把握できずに見つめ合うこと数秒、「あ!」と大声を出して一気に覚醒する。


やってしまった。いつの間にか寝ていた。持っていくつもりだった自分用の弁当を昼に食べて、そのままうとうとして、それからの記憶がない。机の上には食器がそのままで、俺はソファに寄りかかりながら寝落ちしたらしいことが分かる。ここ数日たっぷり寝たからか、どうにも直ぐに眠たくなってしまう。


「あー…、まじか。…とりあえずおかえり」


「………ただいまです」


たっぷり間をあけた後の返答に違和感を感じ思わず怪訝な視線を向けると、彼は俺から目をそらす。


「いやちょっと、なんか…」


「は?」


「なんか新鮮ですよね、そうゆう挨拶。おかえりって先輩が今言ってくれたやつ」


そりゃ一人暮らししてたら挨拶なんてすることないだろうが。たかがそんなことで嬉しそうな雰囲気出されてもこっちの調子が狂う。


「挨拶ぐらい毎日してやるよ。つーかそんなことが言いたいんじゃなくて、」


俺は正座をして改めて塚本くんの方に向き直り、しっかりと頭を下げた。


「今朝は悪かった」


「……え、…え??」


「あんな風に怒ったりしてごめん。早く学校行かなきゃって焦ってた。だからその、ちょっとキツイことも言ったかも」


俺の丁寧な謝罪を前に塚本くんは慌てて俺の顔をあげさせる。


「それは先輩が謝ることじゃないです。そもそも勝手なことしたのは俺の方ですし。自分でもあまり良くないことをした自覚はありますから」


確かに人のものを隠すのはガキかよと思ったけど。


「でもそれって俺のこと心配してくれたからだろ。俺、お前が俺のこと心配してくれんのがさ、なんか当たり前みたいになってるみたいで。それってすげーありがたいことなのに」


塚本くんは話していくうちに下に落ちていく俺の視線を無理やり引き上げた。顔をあげさせられて目と目をしっかり合わせられる。


「当たり前のことです。俺にとって先輩は代わりのいない大切な人なんですから」


あまりにも真っ直ぐな言葉が、同じく真っ直ぐな視線とともに俺に向けられている。


しばらく唖然としていた俺は、途端にドカッと頬が熱くなり彼を突き飛ばした。言葉を頭の中で繰り返すほどにこっちが恥ずかしくなってくる。何言ってんだ。何言ってんだよこいつ。なんでそんな台詞普通にスラスラ口から出てくるんだよ。


「な、なんですか、先輩?」


なんですか、じゃねえ。自分がどれだけ小っ恥ずかしい事言ったのかもわかっていないのか。俺だけこんな狼狽えて、バカみたいじゃないか。


だって、嬉しいに決まってる。誰かからこんなにも真っ直ぐに思ってもらえることなんて初めてだった。もう二度と誰からも好かれないかもしれないと思ってた。それでいいと思ってたんだ。みんなから嫌われて、どれだけ1人に慣れても人から好かれたくないわけじゃない。好きだって思ってもらいたい。俺の底にあった、自分でも見ないふりしていたそんな切望を叶える言葉を、塚本くんはあっさりと俺にくれた。それが絶対に俺に嘘をつかない彼だから、余計に嬉しいんだ。


嬉しい。本当に、本当に嬉しい。どうしたってにやけてしまう口元と熱が冷めない頬を見られまいと両手で隠す俺を、塚本くんは心配そうに覗き込んでくる。人と感覚がズレ気味な彼には、俺が今どうして顔を抑えているかなんてさっぱり分からないんだろう。具合が悪いんですか、とか的外れな心配をする言葉がさっきから耳に届いている。


「塚本くん」


「はい」


「晩御飯作ってねーから買いに行こ」


「ああ、それなら俺が行って、」


「ちげーよ。一緒に行こうって言ってんの」


「でも先輩、足の怪我が治ってないし」


「俺が、お前と出かけたいって言ってんの」


未だに頰は熱いけど、俺は無理やり視線を上げた。こいつにはちゃんと伝えないと何も伝わらない。言葉だけじゃなくて顔でも態度でも。塚本くんがいつもそうしてくれているように。それくらい「察しろ」という言葉が通用しない人間なのだから。


「前、映画一緒に行く約束したのに行けてねーし。流石に今映画はきついけど、お前がいない間暇だからDVD借りに行きたい。疲れたらすぐにお前に言うし。歩くのしんどくなったらお前におぶってもらうから」


めちゃくちゃなこと言ってる。すごい子供みたいなこと言ってる。塚本くんも驚いたようにぱちぱち目を瞬かせながら黙って俺の話を聞いていた。


「今だけ。今だけはお前に甘えるって決めた。辛いこともやりたいことも全部言う。だから余計に心配しなくていい。…結果的にお前にめっちゃ迷惑かけるけど」


塚本くんの言葉に甘えようとしていた。大切な人だなんて言われて、浮かれてなんだかひどく甘えたくなってしまって。いつもならこんなこと言ったら嫌われるんじゃないかって、わがままなんて絶対言えないのに。なんで塚本くんなら言えてしまうんだろう。


「分かりました。…存分に甘えてください」


見たことないくらい優しい笑顔で俺に向かって両手を広げる。抱きついてこいと言わんばかりのポーズ。

…いや違う。そう言う直接的な甘えるじゃないよ。こいつ俺の言ってることいつもちゃんと理解してんのかな。


「塚本くん、それはキモい」


「え??」


一刀両断して出かける準備をしようとさっさと立ち上がった。はてなマークを頭の上に浮かべてなぜ自分が突然暴言を吐かれたのかを彼は必死に考えている。

俺がお前に抱きついて甘えるって絵面最悪じゃねーか。


塚本くんの天然ボケのおかげで、俺の熱はようやく冷めてきた。ずっと重かった肩の荷も、なんだか落ちてスッキリしたようなそんな気分だ。

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