21.望まない変化



「一緒に帰ろうよ、たまにはさぁ」



冗談みたいなことを言いながら、にこにこと人懐こい笑みを浮かべ近づいてくる。弟は俺なんかに興味はない。俺が注意していたのもあるが、だからこそ今まで校内で顔をあわせることがなかった。それなのに一体どういう風の吹き回しだ。いつもと違う。それだけでなんだか嫌な予感がして、この場から逃げ去りたくなる。

だいたい、サッカー部はどうしたんだ。サボったりはしないはずだろ。だって人間関係をうまくやることが大の得意なはずなのに、そんな自分の評価を下げるようなことやるはずがない。


俺の沈黙を埋めるようにカチカチと時計の音が耳に入ってくる。

そうだ。今日はHRが長引いた。塚本くんはとっくに教室で待っているだろう。いつもの席におとなしく座って俺のことを待っている後ろ姿が頭に浮かぶ。何もせず、ただじっと何も映らないスクリーンの前に座っている。それが、俺が扉を開けた瞬間に振り向いていきなりガタリと立ち上がる。塚本くんのそんなあからさまな「待ってました」という態度を見ると忠犬のようで可愛いような、それが嬉しいような気持ちになるのだ。いつまでも待っているであろう背中を想像すると酷く寂しい気持ちになってくる。


俺は早く行きたくて、弟を半ば押しのけるように廊下に出た。


「悪いけど用事あるから」


「えーどこ行くの?」


背後からの声を無視する。兄弟仲良しこよしで帰ったことなんてほとんどないだろ。そもそもそんな仲良くないし。

少し追いかけるようについてきていた弟は、ふと足を止め、弟と俺の間に距離ができる。俺はそれを気にすることなく歩みを進めた。そうして彼は大きな声で俺に言葉をかける。


「視聴覚室かな?古い方の」


ぴたり、と足が止まる。ど直球なその答えに体が硬直した。全てを察した俺は思考回路が完全に停止してしまった。


「……は?なんで?」


「だって、兄さんいつも放課後はそこに行ってるじゃん」


なんで知ってんだよ。その言葉は開いた口から音もなく出て行った。頭が真っ白だ。「あの日」と似た感覚。彼に隠し事は通用しない。全てを暴いて、全てを奪い去っていく。俺の手からさらさらと少しずつ何かが溢れていくような感覚。


「そんなとこ、行ってない」


絞り出した声は震えていたかもしれない。俺の苦しすぎる誤魔化し方に、彼はぶはっと吹き出した。げらげらと笑いながら近づいて来ると、肩に手を回して体重をかけて来る。仲のいい兄弟のおふざけに見えるだろうか。俺の真っ青な顔だけが、この状況で異質だ。


「まだ隠そうとしてんの?ほんとバカだな兄さんは」


「別に…隠そうとなんて」


俺より体格のでかくなった彼の力は恐ろしく強く、俺がここから離れることを許してはくれない。仕方なく、俺は地面を見つめていた。足のつま先一点をじっと見下ろす。この状況から脱する方法が全く頭に思い浮かばない。頭の回転が鈍すぎる。彼に全てが知られていたという事実が俺の考えるという行為を邪魔してくるのだ。




「あ、塚本!」




その名前におもわず顔を上げてしまった。少し離れた前方に立つ塚本くんは驚きに満ちた瞳で俺を見ていた。その真っ直ぐな瞳で、俺とそのすぐ隣に立つ弟を見比べる。だが俺と弟は外見は全くと言っていいほど似ていない。兄弟だということを察することはできなかったのか、戸惑った表情を浮かべて立ち尽くしている。


「言ってなかったっけ?これ俺の兄さん。塚本さ、いつの間にか仲良くしてくれてたみたいじゃん。ありがと」


「…えっと…」


彼は俺の言葉を求めるように俺の方をじっと見ていた。耐えきれなくて視線を逸らす。ペラペラと今まで必死に隠してきたことを簡単に話してしまう弟のことが心底憎い。これまで心苦しくついてきた嘘の数々が水の泡だ。だからと言って何も言い出せない俺自身も、なんて情けないことか。

握りしめた手のひらに爪が食い込んで痛い。このまま血でも出てくれないかな。それで止まんなくなって、気を失うとか。もうなんでもいいからここから逃げ出したい。場所的な意味だけではなく、この現実全てから。


「俺さ今日兄さんと話があるから、借りてっていい?」


「え、……ああ分かった」


未だ戸惑った声音。彼は俺のことをどんな風に見ているのだろう。確認する勇気が出ない。俺は逸らした視線を地面に落とし、また一点を見下ろしていた。

いつだって失うことになるんだ。弟と兄弟だと知られると、いつも俺は一人になる。過去の似たような場面が、頭の中でフラッシュバックする。意識をそらすために、ぎゅっと目を閉じた。


弟に腕をひかれるままに俺は塚本くんの横を通り過ぎようとする。顔すら見ずに。


逃げるように立ち去る俺は、ぐっと後ろに体をひかれた。控えめに、でもしっかりと掴まれた腕。


驚いてあげた顔。

そこでようやく彼と目が合った。

その真っ直ぐさに息を飲んでしまう。嘘や隠し事をされていたことに対する軽蔑も悲嘆も怒りも何もない。いつもと変わらない強い瞳。


「月曜日の放課後、また待ってます」


少しだけ曲線を描く口元。俺だけに向ける塚本くんの精一杯の笑顔。その顔があまりに優しくて。その言葉があまりに暖かくて。


泣きそうになった。


「……ああ」


聞きたいこととかいっぱいあるだろうに。馬鹿なのか、天然なのか。それとも、本当はすごく察しがいいやつで俺なんかに気を使ってくれてるのか。


どうでもいい。なんでもいいや。塚本くんらしいから。

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