第5話

「いやぁ、すまないね。ちょっと馬鹿どもに注意しながらだった

もんで」

 僕が訪ねたとき、恐ろしい形相と怒鳴り声で、ほかの部員を追い立てていたサッカー部部長は、物腰柔らかに笑った。

「い、いえ、僕の方も急に来たものですから」

 基本的には物怖じしない性格なのだが、今回ばかりは怖い。この柔和な笑みの下に何が隠れているかと思うと、生命の危険を感じる方で怖い。

「で、何の用なんだ? 文化祭関係の資料に、出し損ねたものはないはずだが」

 普通に聞いてくれているはずなのに、どことなくこちらを責める雰囲気を感じる。ちょっと怖い。

「そうではなくて……文化祭の方ではないんです」

 気圧されてるからか、文が変になってしまっている。

「へえ、じゃあ何のことなのかな?」

 柔和に笑ってくれているが……何でここまで怖いのだろうか、さながら自分は蛇に睨まれたカエルか! しかしここで怖じ気づいて何も聞けないのでは話にならない。僕はなけなしの勇気を振り絞って、蛇に立ち向かうことにした。

「実は……美術部の方で盗難事件がありまして」

「盗難?」

 ただ単に聞き返されているだけなのに、めちゃくちゃ睨まれているように感じる。と言うか今回は本当に睨まれている。僕は思わず身構えた。 

「うちの部内に犯人はいないけど」

「あ、そうじゃなくて……美術部員、恭一くんを昨日目撃した部員がいるとのことでしたので。その裏取りに」

 僕が理由を説明すると、なんだか空気が軽くなったかのように思った。内心ほっとした。

「今は練習中だからすぐにはわからないかな。後で連絡するからそれでいいかい?」

「はい。わかりました。では失礼します」

 用件が済むやいなや、僕は立ち上がって一礼した。一刻も早くここを離れたかった。

「またね」

 最後の最後まで、部長は柔和な笑みを崩さなかったが、僕が背中を向けた瞬間に怒鳴り声が鳴り響いたので、とても驚きながら僕は文芸部室に逃げ帰った。

___

 思い出すだけでも身震いしそうな経験だった。しかし、そんな経験をしたにもかかわらず、具体的な進展は一つも無い。連絡をしてくれるようには頼みはしたが、それがいつになるのかもわからない。僕が笹谷有紀にこのことを話さなかったのは、これが原因だ。回答をもらってからこのことは話すつもりだ。

 しかし、ここ以外のところでは進展があった。美術部室の鍵についてだ。

 美術部部長の言っていたとおり、鍵は顧問の先生が管理していて、その出入りはノートに記録されている。記録は顧問の先生がやっているとのことだ。

 それによれば、三時二十分頃に部長が鍵を借りて、二十分ほど後に返している。おそらくこれは、最初のミーティングでのものだろう。その後が少し気がかりだ。

 その次に鍵が借りられたのは、鍵が返されてから三十分ほど経ってから。恭一くんが借りたことになっているが恭一くんが鍵を返した記録はない。鍵が返されたのはそのずいぶん後。悠斗くんの手によってになっている。となると、恭一くんが借りた鍵を、悠斗くんが返したことになる。ここの矛盾点は二つ。

 一つ目は些細なことだが、『ミーティングから一時間ほど経ったので戻ってくる』という悠斗くんの発言だ。恭一くんはこのとき、もっと早くに戻ってきている。偶然とも考えられるが、気にならないことは無い。

 もう一つはもっと重要。

『誰にも会わなかった』そう恭一くんは言った。しかし、記録を見てみる限りは、悠斗くんとは会っているはずなのだ。なのに恭一くんは、誰にも出会わなかったと言った。なぜこんな嘘をついたのだろうか。必ず、何かある。しかしその全貌は、まだ判然としない。

 そう。笹谷有紀の言うとおり、まだなにかが足りないのだ。

 僕はしばらく、メモの内容とにらめっこしていたが、すぐにどうしようもないと気づいた。笹谷有紀の方を見ると、机に突っ伏して、穏やかな寝息をたてていた。

「またですか……」

 聞こえるはずもないけど僕はそうつぶやいて苦笑した。彼女がこういったことになるのはよくあることで、考えごとをしているとそのまま眠ってしまうことがあるのだ。初めてこれを見たときは拍子抜けしたが、今では見慣れてしまって、こういうときは、部室においてある毛布を掛けてあげるのが習慣になっている。

 そのとき、スマホがメールを受けたことを知らせた。

 通知は二通。僕はそれぞれの内容を目で追う。

「っ……!」

 その内容は僕にとってあまりにも驚くべきものであった。


 翌日の放課後、僕はまた文芸部室に行っていた。

「なにか情報を持ってきたのだろう?」

 入ってくるなり彼女はそう言った。

「どうしてですか? 雑談できたのかも知れませんよ?」

「君がここに雑談で訪れたことは無い。いつだって何かあるのさ」

 笹谷有紀はため息をついた。彼女からしてみれば僕は単なる厄介者でしか無いのだから無理も無いだろう。それでも僕が追い出されていないのは、やっぱり彼女がお人好しだからだ。

「さすがです」

 僕は椅子に腰掛ける彼女の前に立った。

「証言の裏付けが取れました。サッカー部員の方は確かに目撃したと言っています。ですが……」

「茶道部員の方は目撃していなかったのか」

 僕は小さく頷いた。

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