笹谷有紀は今日も小説が書けない

大臣

第1話

笹谷有紀は小説が書けない。その言葉を聞いた時の人々の反応は二通りだ。

 まず一つ目は「笹谷有紀は技量が低くて小説が書けない」という解釈をする人。もう一つは「笹谷有紀は小説が書きたくても書けない」と解釈する人。もしも貴方が後者なら、貴方は何らかの形で笹谷有紀に関わっているのかもしれない。もちろん、単なる勘という可能性もあるが。僕? 僕はもちろん、彼女に関わっていたクチだ。笹谷有紀。霧ヶ峰高校二年生にして、たった一人の文芸部員。そして、当代一の探偵。彼女はいつだって小説を書こうとするけど、いつだって彼女の慧眼を頼みにした依頼が舞い込むのだ。だから彼女は今日も小説が書けない。

 さあ、今日も彼女の部室を覗いてみよう。きっと依頼が来ているはずだ。まあ、その依頼を持って行くのは僕自身だっていうことは言ってはいけない。


 五月某日。文化祭を間近に控えた霧ヶ峰高校は、緊張とも、期待ともつかない、この時期特有の雰囲気で包まれていた。かくいう僕も、所属している委員会が文化祭実行委員な関係で、各方面を取り持つために東西奔走していて、この雰囲気に呑まれている一人だ。 しかし、僕がこれから会いに行く人はこんな雰囲気の中一人整然と小説を書こうとしている人だ。もちろん、そんなことには僕がさせないのだが。

 笹谷有紀がいるのは、ついこの間建て替えられた授業教室棟ではなく、未だ立て替えのめどが立っていない、古いクラブ棟だった。実はクラブ棟というのも名ばかりで、ほとんどのクラブは教室棟に部室を移している。クラブ棟に残っているのは弱小クラブだけ。

 笹谷有紀がいる文芸部もその一つだ。

『文芸部室』

 クラブ棟三階、東側の一番端。重厚な金文字で、古めかしい木の扉にそう書いてある。かつて文芸部が創始されたときのメンバーには、有名な作家が何人もいたらしいが、今ではただ一人の安楽椅子探偵がいるだけだ。

「どうぞ」

 僕がドアをノックしようとしたら、ノックをする前に中から声がした。僕はドアを開けて、笹谷有紀に挨拶をする。ドアの中には優雅に腕を組んで自分の席に座っている笹谷有紀がいた。

「さすがですね。僕が来るのがわかっていましたか」

「右足をけがしたって聞いたからな。足音に何かしらの差はあるだろうと注意して聞いていた」

「さすがの観察力ですね。探偵さん」

 僕はそう茶化すと、彼女はため息をついた。

「言っておくが、安楽椅子探偵に聴力は必要ないよ。現場に出ないんだからね。ついでに言うならば、私は探偵ではない。ただの小説家だよ」

「まだ一作も書いていないのに?」

「君のせいだろ! 全く!」

 さっきまで優雅に構えていたのに、僕の度重なる茶化しに耐えかねたのか、思いっきり激高している。やはり彼女は面白い。僕は笑いをこらえるのに必死だった。

「ところでなんですけど……」

「ダメだ」

 さすがにすぐに言われてしまった。何でかはわかるけれども、僕はわざとらしく聞く。

「どうしてですか?」

「はあ……君のせいでいろんな依頼が舞い込むことになったせいだろ?!」

「はあ……それは『踊る自動販売機事件』ですか? それとも、『校庭のミステリサークル事件』ですかね?」

「その全てだ! 全く君のせいで私の創作活動は進まないのだよ。おかげでさっきはオカルト研究同好会から『UFO写真の真偽』なんていうふざけた依頼が来やがった。ふざけるな!」

 笹谷有紀は一息でそれを言い切って、机を思いっきりたたいた。これはまた説得が必要だな。

「いいですか、今回の事件は題するならば「密室から消えた絵画事件」とでも言うべき事件です」

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