第2話 何だかいつもと違う姉

「ゆ、夢……?」


 夏休みも中盤に差し掛かった朝だ。

 カーテンの隙間から見える空は、からっからに晴れている。もうすでに気温も高いようだ。午前9時。やっぱり自分の家だとゆっくり寝られて良い。


 何ていうかもう、まさかあんな夢を見るなんて、と、汗ばんでいる首筋をぼりぼりと掻きながら階段を下りる。さすがに両親はもう仕事に行ったらしく、家の中はしんと静まり返って――いなかった。


「おっそよ~」


 居間のソファの真ん中を陣取って、姉ちゃんがスナック菓子を食べながら借りてきたDVDを見ていた。自分ちと変わらない、部屋着姿で。髪も適当に結んで。


「おそよ、じゃねぇよ。良いじゃんか、休みなんだし」

「せっかく遊びに行こうと思ったのに、全然起きて来ないんだもん」

「昨日言ってくれりゃ早く起きたよ」

「だって、今朝思いついたんだもん」

「何だよそれ」

「とりあえずさ、ご飯食べちゃいなよ。用意してあげるから、顔洗っといで」

「用意ったって、作ったのは母ちゃんだろ」

「冷蔵庫から出してぇ~、レンジで温めたりとかぁ~、ご飯よそったりとかぁ~。そういうのしてあげるってこと」

「成る程。それなら頼むわ。俺、シャワー浴びてくる。何か汗かいちゃって」

「暑かったもんねぇ、夜中」


 まぁ、それもあるけど、夜中にかいた汗というよりは、起き抜けに吹き出してきた汗の方が酷いっていうか……。


 まさかあんな夢を見るなんて。


 シャワーで汗をざっと流し、姉ちゃんと出掛けるなら、と多少念入りに髪も洗う。ちらりと母ちゃんのトリートメントが目に入ったが、いや、さすがにこの短髪にトリートメントは不要だな。


「はいはぁ~いっ。ご飯出来たわよぉ~うふふ」


 脱衣所から出ると、母ちゃんのエプロンを着けた姉ちゃんが、お玉を持って立っていた。


「いや、それ着けるほどの作業はしてないだろ」


 冷静にそう突っ込む。本当は何か新婚みたい、なんて思ってしまったんだけれども。


「良いじゃん~。ほら、ちょっと奥さんぽくない?」

「は、はぁ?」

「新婚さぁん、おいでませぇ~。あなたぁ~、ご飯の用意が出来ましてよぉ~? なんちゃって」


 くっそ、姉ちゃんめ。

 俺の気持ちも知らないで。


 そう思いつつ、朝食の用意された席に着くと、姉ちゃんはその向かいに座った。


「何で姉ちゃんも座るんだよ」

「良いじゃない、ようが食べてるとこ見てたって」

「何か恥ずかしいだろ」

「恥ずかしがるような間柄でもないじゃない、私達」

「そうだけど」


 そう、恥ずかしがるような間柄ではないのだ。

 俺と姉ちゃんは、まったくの赤の他人ではあるけれども、物心つく前から隣に住んでいて、親同士も妙に仲が良い。お互いに1人っ子の俺達は、本当の姉弟みたいにしてこれまで過ごしてきたのだ。だからこうやって親のいない時に勝手に上がり込んで、戸棚から俺の買い置きのポテチを食べていたりもする。


「何か陽、変わったよね」

「何が」


 椎茸入りの野菜炒めを咀嚼しながら尋ねる。


「椎茸も食べられるようになったし」

「美味さに気付いたんだよ」

「昔はきのこの傘の裏が気持ち悪いって言ってたのに」

「まぁ、いまでもあんまりそこは好きじゃねぇけど。食べる分には全然。見なきゃ良いし」


 だからまるまる焼くようなBBQの椎茸はちょっと苦手だ。煮物とか炒め物なら、母ちゃんが薄めに切ってくれるから良いけど。


「何か恰好良くなっちゃうし?」

「はぁ? 俺は昔から恰好良かったろ」

「全然。可愛い感じだったもん。姉ちゃん、姉ちゃん、って。子犬みたいだったもん」

「子犬だって成長したらでっかくなるじゃん」

「違うの! トイプーみたいだったもん! トイプーはそんなに大きくならないもん!」

「何だそりゃ」


 あほらし、と吐き捨てつつも、『トイプー』というくだりにどきりとする。そんな偶然あるだろうか?


「昔はトイプーみたいだったの! 髪の毛もちょっと茶色くてくるんってしてたし!」

「……それがいまじゃシェパードだって?」

「――へ? 何でわかったの?」

「いや、わかったっつーか」


 何かそんな内容だったのだ。

 といっても、それは夢の中で姉ちゃんがそう考えていた、っていうだけだけど。

 変な感じだったな。姉ちゃんと俺が会話しているのを真上から見てる感じっていうのか。これが神様の視点っていうんだろうか。だけど俺の意識は姉ちゃんの中を出たり入ったりしてるというか、なぜか姉ちゃんが考えていることがわかるのだ。


 でもそれは夢なわけだから。所詮は俺の頭の中で産み出されたことっていうか。

 なのに。


「なぁ、姉ちゃんさ。こないだエビやくの眼鏡が良いとか言ってたじゃんか」

「えっ、うん、まぁ、それはね」

「てことはさ、まぁそういうのに興味あるってわけじゃん」

「そういうの? どういうの?」

「だから、付き合ったりとか、そういうんだよ」

「付き合うとか、かぁ……。でも、付き合って、何するの?」


 何するのって……。姉ちゃんほんとに女子高生かよ。

 恋愛ものの小説とか読まねぇのか。……ああ読んでるの見たことないな。姉ちゃんが読むのは時代小説とか歴史小説だもんな。

 恋愛映画とか……も全然見ないな。派手なアクションのあるハリウッド映画とか、任侠モノだもんな。


「だからほら、なんかさ、デートとかすんじゃん」

「デート?」

「映画見に行ったり、飯食いに行ったりさ」

「ふうん……。でもさ」


 と、そこで姉ちゃんは、ずい、と身を乗り出した。

 クラスの女子なんかはもう眉毛をいじったりマスカラをつけたりしてるのだが、姉ちゃんは、何もしていない。あんな不自然な形の眉毛とか、ばさばさに固まった長いまつ毛とか、どこが良いんだ。姉ちゃんはそんなことしなくたって、充分可愛い。それにどうせ社会に出たら、化粧なんてしたくなくてもすることになるんだし。


 その自然な眉毛とまつ毛が迫る。

 つるりとした小さな鼻と、血色の良い唇。


 その唇がゆっくりと開いて、


「それなら陽がいるじゃない」


 と言った。


「は?」

「映画に行くのも、ご飯食べに行くのも、陽とが良い」

「な?」

「ずっと一緒だったじゃない、私達」

「そうだけど……。彼氏彼女って、そういうんじゃねぇだろ」

「そういうんじゃないって、どういうこと?」

「だからさ、ほら、手ぇ繋いだり、キスしたりすんじゃん」


 俺とはしないだろ? だって、俺、『弟』なんだから。


 そう言うと、


「じゃ、しよっか」


 と、その桃色の唇がゆっくりと近付いて――、


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