第五話 寄り添う心

 “心珠しんじゅ”が汚い、と罵られ、事あるごとに叱責された。

 どうせ“心珠”はこれ以上汚くならないから、と女学校で嫌がらせを受けても、礼奈以外誰からも味方してもらえなかった。

 ようやくもらった縁談も“心珠”を理由に破談にされ、怒り狂った両親祖父母から外出禁止や過度な量の家事を言いつけられた。

 育ててくれた両親祖父母には感謝している。しかし、これ以上の関係性の修復は望めず、現状維持どころか努力しようと悪化の一途をたどる人生しか見えず、絶望せざるをえなかった。こんな生活が続けば壊れてしまうかもしれない、と見えない恐怖にとりつかれ、食事が喉を通らなくなった。拒否権なしに祖母からつけられた筝の稽古の最中は、筝の音色で吐き気をもよおし、もどしたこともある。



 両親祖父母を失った代わりに手に入れたものは、大きかった。

 温かい言葉をかけられる。心配してもらえる。

 料理を喜んで食べてもらえる。炊事が楽しくなる。家庭菜園にも興味が湧いた。

 四季の移ろいが美しいと感じる。

 人生の目標ができて、それに向かって努力できる。努力し合う仲間がいる。

 足を楽にしてギターの音色を楽しめる。

 愛するという感情を知る。愛される喜びを知る。

 契りを結ぶ悦びを味わう。

 愛しい人と一緒にいられる。

 全部全部、安利あんりがくれた幸せ。

 それらを感じたからこそ、過去の自分のように“心珠”で苦しむ人を救うために、“心珠”の研究をし、医者になった。自宅の敷地で診療所を始め、未熟でも人を救おうとしている。

 亡くなった両親祖父母への感謝と反抗と見せつけと、愛しい人への想いと恩返しとこれからの愛情表現のために。



 夜のとばりの陰で心があふれるままに愛し合い、ぬいは安利に寄り添う。

「縫」

 安利は縫の髪を梳き、頬に触れる。

「縫の心珠が見たい」

 縫が口の動きで嫌だと断ると、その唇を指でなぞられる。

 くすぐったくて顔をそむけたいのだが、頬を寄せられて逃げられない。

 安利の密着を許したまま、縫は親指と人差指を広げて“心珠”を出現させる。

 いつも通りの“心珠”に、縫はいつも通り何の感慨もない。

 一寸ほどの大きさの珠に宿るのは、光を通さない果てしない闇。珠の表面は、ランプの灯を受けてつるりと光るものの、内側から煌めくことはない。どんなに気が晴れようと光を通すことはなく、調子が悪くなってもこれ以上よどむことはない。

 だから、汚いと罵られ、卑下され、負の感情のけ口にされてきた。

 人に見せられるようなものではない。ましてや、最も見られたくない人に見せるべきものでもない。

 “心珠”を消そうとした手は、大きな手に包まれる。

「美しい」

 感嘆の吐息が、直に縫に触れる。

「縫の心珠は、いつ見ても美しい。混じりけのない、純粋な色だ。俺も、縫の色に染まりたいな」

 安利は縫の“心珠”に触れようとする。“心珠”に触れることができないと知っていながら、触れる真似をする。その手に、己の“心珠”を出現させる。

 縫は、安利の“心珠”の煌めきに目を細めた。

 混じりけのない真白い珠の中に、細かい金剛石のような雪が舞う。

 溜息が出てしまう美しさに、縫も“心珠”に触れたくて仕方がない。触れることができないと知っていながら、触れたくて、許される限り近くに寄り添う。

 ふたりはこれからも夫婦の真似事をする。

 許される限り、いつまでも一緒にいるために。


 【「心というものが煌めく珠なれば」完】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

心というものが煌めく珠なれば 紺藤 香純 @21109123

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ