十二譚ノ弍 或る末路

 その少女は、夢を喰いに来た貘を捕獲した。

「……お嬢ちゃん」

「何よバケモノ」

「サンタクロースを捕獲するなら季節外れや。あと百五十回は寝てからやり直しや」

 巧妙に張られた罠に拘束され、身動きも出来ず床に転がされていた。

「私知ってるの。この付近に、夜中出歩き回ってるフシンシャがいるって。あんたがそうなんでしょ! 家のお金を盗みに来たんでしょ」

「ちゃうわ! 俺は──」

 いや。窓から侵入したのは俺自身だ。

 言い訳の余地もない。

「何だって言うのよ」

「ゆ……」

「ゆ?」

 もうこうなったらどうとでもなれ。

 少女を眠らせ、夢と化した今の記憶を奪い取って逃げる。

「子供に夢を……見せる職業に就いてるんや」

 何故。

 どうしてこうなった。

 俺は担当地区で普段通りに巡回していただけであって、こんな年端も行かぬ少女に捕獲される落ち度は無い筈である。

 貘は仲間同士で集い、己の自治区を決め、より効率のよい夢の回収を行う。

 組織的だが、その分規律には厳しい。

 今の状況の様に、人間に彼岸の存在を肯定させ、ましてや捕縛されるなどもっての他だ。

 除名処分かはたまた処分か、肝を冷やしたその時、少女は何を思ったか縄を解き始めた。

「? はあ……?」

「可哀想だから解いてあげる」

「あーそうですか……」


 寝間着姿の少女は俺を椅子に座らせ、目の前に紅茶を差し出す。

 机には、深夜に食べるには抵抗のある洋菓子が揃っていた。

「どうぞ」

「こりゃどうもご丁寧に」

 ストレートのアールグレイは、沸かしたての湯で作ったのか酷く熱かった。

 舌を火傷したかもしれない。

「バケモノも火傷するの」

「そりゃお嬢ちゃん、この世に在る限りバケモノだって肉体のあるもんや。それが不安定か安定しているか。それだけの違いや」

 とっとと茶を飲み干して、この少女の記憶は奪って消えてしまいたい。

 そうしたら普段通りに巡回を終え、普段通りのノルマを達成し、普段通りに戻すのだ。

 向かいに座る少女は、クッキーやら小さいものをつまんでいたが、仕舞いにはシュークリームにまで手を出している。

 栗皮色の髪に深い黒目。つややかな頬に透き通る肌。

 髪は肩口で短く切り揃えられ、寝癖もそのままだった。

 すると視線に気付き、一言。

「食べなさいよ」

「俺はいい」

 へえ、と少女はさも退屈そうに、そして興味を失った様だった。

「それでお嬢ちゃん、どうしてまた俺なんかを捕まえよう思たんや。答えてくれんと──」

「お黙りなさい」

「ああ?」

「あなたに発言は許可されていないわ」

 そうですか、と皮肉げに返答しようとしたが、それも許可されていない、と一蹴されるのだろう。

「まず名前を教えてくれない?」

 鑑、とだけ短く答えた。

「かがみ? 姿見の事かしら」

「鏡とはまた違うなあ。発音がちょっと厄介なんや。かがみの『が』が上がる」

 少女は、そうなの、と短く答えて牛乳を入れた紅茶を口に含む。

「お嬢ちゃんは」

「言いたくないの。私の名前は嫌いなのよ」

「ああそうかい」

 その後も発言を制限されたまま少女の質問に答え続け、挙げ句の果てに夜が更けてしまった。

 発言の許可を貰ってから、日が昇る前に帰る事旨を伝えると、少女はあっさりと解放する。

 今までの執着が嘘の様に。

 今との差違は何かとひたすら考えていると、不意に少女が小指を立てた。

「約束」

「何をや」

「また明日の晩も来てくれる約束」

「本に感化されすぎや」

「そうだとしても、よ。それから、今から私に夢を見せて?」

「夢?」

「言ってたでしょう。あなたは夢を見せる職業だって」

 この時程自分の発言を恨んだ事はない。

 少女は自分の寝室に向かい、蒲団に潜り込むと、じゃあよろしくね、とだけ残して寝入ってしまった。

 これだけ寝付きの早い事なら、望む通りの夢を一つや二つ、簡単に見られそうなものだが。

 俺は蒲団を肩までかけてやり、胸中で念じる。

 良い夢を見られる様に。


 それからその家への通いが始まった。

 夜が更ける前に少女の元へ出向き、長い長い話しをする。

 時に謎かけであったり、笑話や、哲学、宿題の解き方であったり、親の書棚から持ち出したと言う難解な書物を読み解いたりもした。

 ただそれだけの日々を過ごした。

 少女はまるで本の中の人物の様で、両親共に家を出て働き通しだと言う。

 大学で教鞭を取って全国を飛び回り、家に帰って来る事が異例化されていた。

 夜は子守りの女史も帰宅してしまうので、結果的に少女は家に独りとなる。

 家から人が居なくなった時、俺が入れ代わりに少女の元を訪ね、長い話をするのだ。

 そして少女は必ず、よろしくね、とだけ残して寝付くのである。

 だが少女は徹底的に己の名前を口にする事は無かった。

 自分の名前を嫌っているから、と何度も繰り返して。

 だが物事には必ず限界があるとは正にこの事で、或る日、突然身体に異常が起こったのだ。

 少女の元へ通っている間は、時間を食われる為夢の回収が出来ない。

 貘は元来夢を食べて生き延びる種だ。

 悪夢でも良い夢でも何でも良い。

 ここ最近、ずっと夢を喰らっていなかった。

 夢の回収量が減ればそうなるのは当然で、言わば飲まず食わずの状態が続いている。

 貘はヒトの食物を受け入れ難い。

 一部例外も居るが、喰えたとしても空腹は満たされない。

 味覚の満足を覚えるだけだ。

 此岸の住人は人間の虚妄から生み出されたが、どうして夢以外を喰えない様にしたのか、大いなる疑問だ。

 今夜、少女が寝入った時に夢を貰おう。

 とても生きられそうにない。


 その日俺はまた夜更けまで、無尽蔵に続く話しをしに少女の家に向かった。

 最近は玄関を解禁してくれたので、窓から入る必要がなくなった。

 自分としては窓から入る方が楽で、心踊るものだが。

 いつも通り窓からは明るい灯が漏れており、少女が未だに起きている事を示している。

 玄関から入ろうとすると、ふと、違和感がそこに在った。

 少女以外の声が幾つか。

 厚い扉越しに僅か聞こえるそれは少女を入れると三人分で、残り二つは男女のものと取れる。

 声のする部屋に回り、窓から室内を覗いた。

 高級そうなスーツに身を包んだ男女が二人、少女を取り巻いている。

 少女は笑みを浮かべて、大人二人から綺麗な包みやら意匠の細かい服などを受け取っていた。

 そして二人をパパ、ママ、と呼んだ。

 成る程。

 両親が家に帰ったのだ。

 出逢った時から本の中の主人公の様だったが、両親が家に帰ってもそれは変わらなかったのである。

 耳を澄まして会話を聞いていると、こちらで仕事が出来る、だの何だの言っている。

 今夜から通わなくて済んだ。


          *


 十分に夢を喰らって体力を完全に回復し、その後は以前と同じ様に夢の回収に励んだ。

 他人の記憶が詰まった悪夢やら初夢やら、そんな人生の縮図みたいなモノを扱って過ごした。

 その間担当地区が変わる等といった事も、これと言って大きな事件もなく、ごくごく平穏な日々が続いていたのである。

 その中に一つの大きな違和感が、鎮座している事に気付かぬまま。

 初めて疑問符が浮かんだのは、それから十年程経過してからだった。

 彼の少女も随分成長している事だろうと、ふと思い出した所で気が付く。

 彼女の家も自身の担当地区に入っているにも関わらず、一度として彼女の見た夢に触れた事がないのである。

 触れた事が無い、と言うよりは、貘はヒトの脳に干渉して夢を回収している為、必ず夢に触れられる。

 故に彼女は異常なのだ。

 普段の妖怪共なら放り置くだろう。

 しかし自分が一度情を入れた人間だ。抗い切れない欲には素直に従う。


 久方ぶりに少女の家に足を運んだ。

 最後は十年以上前の事だから、最早彼女に俺の姿は見えないだろうと腹を決める。

 年を重ねた家に着き、夜になるまで待った。

 また窓から入るつもりだ。

 そうすれば思い出してくれるかと、一縷の希望を託した夢を見る。

 家の灯りが消えた頃、あの時と同じ窓をすり抜け、足音を殺して室内に侵入した。

 前回と同様罠が仕掛けられている事を期待したが、淡い期待に終わった。

 その部屋に少女は──少女だった女史が静かに眠っている。

 蒲団に包まれた背丈は倍程になり、枕に埋めた丸い顔は面長に、栗皮色の髪は成長に伴い黒くなった。

 俺が知っている彼女が全て失われてしまった現実に襲われ、くらくらとした衝撃が走る。

 雛が鶴になったとでも言おうか。

 だが生憎俺は雛を好んでいる。

 女史は完全に寝入っていて起こすのは申し訳なく、暫くの間様変わりした部屋を眺めた。

 壁紙はやや色褪せ、子供向けの玩具も処分され、どこか愛嬌のあった勉強机には、書類の山が無造作に置かれている。

 ランドセルはリクルートバッグに代わり、箪笥にはシャツやスーツが溢れた。

 子供時代の面影が消え失せている部屋を物色していると、背後でもぞもぞと動く気配を感じた。

 しまった。

 女史を起こしてしまったらしい。

 せめて己の姿が見えなくなってしまっている事を祈る。

 成長に伴う眼の曇りに。

 窓から脱出を図り、窓に手をかけた瞬間──

「ばあ!」

「ああああああああっ!!」

 振り返ると背後に女史がおり、達成感に満ちた笑みを満面に浮かべている。

 少女の面影を残した顔で。

「心臓に悪いわっ!」

「あははははは! いやだってさ、そんな驚くとは思わないじゃーん」

 駄目だ。

 昔と同じで女史が優位に立っている。

 頭一つ低い女史を見下ろし、力任せに髪をぐしゃぐしゃにしてやった。

 すると女史が一瞬寝癖の酷かった少女時代に戻った気がして、ふっと興が覚める。

 失われたモノの面影を見出だしたいなど、それこそニンゲン臭い。

 手を止めると、女史は俺の顔色を伺った。

「で? 今夜は何しに来たのよ」

「ちょっと懐古心に駈られた」

「何それ」

 そう言って笑う女史の目許には隈が刻まれていた。

 その日は長い話をした。

 お互いに今まで何をしてきたか、昔はああだった、こうだった、等々。

 それから、自分が文字通り化物であると──貘である事を打ち明けた。

「やっぱり化物だったんじゃない。昔の私ってそう言うの直感で解ったのかしら」

「子供の成長は残念要素が強いわあ」

 夢を与える仕事、などと巫山戯た事を抜かしていたのが思い出され、赤面する。

 咄嗟に口から出た嘘だとしても質の悪すぎた。

「昔は夢を与える職業だーとか何とか言ってたけど。かつて夢を見ていた私が、今は草臥れた社会人だものねえ」

「なんや、また寝かし付けて欲しいんか」

「お願いするわ」

 冗談のつもりで言ったのだが、彼女は淡々として抑揚の無い声で答えた。

「私ね、夢を見ないの」

「はあ」

「皆毎日、悪夢なり何なり何らかの夢を見るものだけどね、私は夢を見られないの。医者は後天的な記憶障害だとか言ってたけど、原因は不明のまま」

 言って、女史は頭を抱える。

 大義そうに欠伸をして、もそもそと蒲団に潜り込んだ。

「じゃ、よろしくね」

 そのまま、俺が寝かし付けないでもすぐ寝入ってしまった。

 少女は女史に成長し、子供から大人になり、遂には夢も見る事は叶わない。

 趣味嗜好の欠片もない無機質な部屋。

 その中で己を守るかの様に、蒲団にくるまって眠っている。

 俺は肩を軽く叩いてやって、昔と同じ様に祈った。

 泥の様に眠る彼女はまるで人形で、表情筋がぴくりとも動かないのも相まって尚更である。

 それ程までに疲弊していると言うのか。

 このまま女史は年輪を重ね、俺は彼女の夢を回収出来ないまま死にゆくのだろう。

 その時俺は記憶の保存技術を勉強しており、どうせなら第一号は、と決めていた。

 貘は夢を介して初めて対象の記憶に触れる。

 つまり夢を見ない彼女の記憶を保存する事は出来ない。第一号としては不適合だ。

 ここまで人間に情を寄せた事があっただろうか。

 人間は自分達の存在を、肯定も否定もする存在だが人間の虚妄が無ければ俺達は消える。

 それで記憶の保存が出来れば、と思った。

 自分も、彼女もその中で生き続ける。

 模倣体になり人々が語り継げば、概念は肉をつけ自我を持ち、語り継がれる限り何百年の渡航も可能だ。

 自分もいつかは必ず消える。ありきたりな恐怖を焦燥に襲われたが故の愚行に過ぎない。

 干渉した彼女の記憶を保存出来れば、延命も可能なのではないか、と。

 それが不可能であれば是非もない。

 もう全てを諦めてしまおうか。

 すっぱり切り捨ててしまえばどれだけよかったか。

 女史の寝顔を見ていると諸々の情念やらが溢れてきて堪らない。

 いつか、これを恋と言うのだと誰かが教えた。

 俺はやりきれなくて家から出る。

 恐らく、逃げた、と言う方が正しいだろう。

 宵闇に紛れて爪を噛んでばかりいた。

 それから、少女時代から女史への空白時間を埋める様に毎晩通う事に決めた。

 昔は夜更けまで話し込んだものだが、今無理は出来ないので日が沈んで直ぐに行っている。

 あの頃は漢字ばかりで読めなかった本を読み、時に持ち帰りの事務作業を片付け、管理職への愚痴を聞き流したりした。

 それから日を越える前に寝かし付ける。

 その間も少女は年を重ねていくと思うと、堪えきれなくなる日もあった。

 幾周もの季節を回り、俺の外見年齢が女史と同じになった頃だった。

 その頃は仕事が成功して昇格したり、部下が出来たり意中の男がいたりと何かと忙しく、何より充実していた。

 俺が寝かし付けないでも疲労で寝てしまう事が多く、最近は出番が無くなっている。

 それに加えて帰宅時間も遅くなったので、様子を見に行ったりもした。

 その日は意中男性と帰宅出来ると浮かれていた。

 自分の道を歩んでいるのは結構だが、たったひとりの存在に浮わつくのは複雑に思える。

 興味本位で張り付いてみた。

 相手は背丈が高いが、胡散臭い笑みを終始貼り付けている様な輩で、俺としては気に食わない。

 だが女史が見込んだ相手なので、口出しは無粋だろうと放った。

 街灯が壊れかけた横断歩道に差し掛かった時、灯りが消える。

 二人は連れ立って信号の光を頼りに進んで行った。

 その時、凶器的な速度で車が通過した。

 何も難しい話ではない。信号無視による交通法違反である。

 そこまではよかったが、運転手と生き残った男は俺を敵に回した。

 俺はこの目でしかと見た。

 男が女史の腕を引かなかったのを。


 結局女史の名前を知ったのは葬儀でだった。

 そして鷹野結城と言う少女は二十九年の時間を、俺は十数年ぽっちの時間に幕を下ろす。


          *


「ほんまにありがとな、長々と無駄話聞いてくれて。……これでようやっと踏ん切りついた感じやわ」

 長い話を終え、鑑は諦める様な息を吐いた。

 軽薄な同業者だったが、自分と似た経緯を持つなら同情の念が湧かない訳ではない。

 少なくとも、りんどうを造って小鳥遊友の存在を紡いでくれたのは感謝している。

 しかし鑑、お前はそれを──執念をそうも簡単に捨て去っていいものか。

 その執念が人を救ったのだろう?

 小鳥遊夫妻を、愚生を、茉莉と池鯉鮒を。

 一度は人に肩入れした身だ。

 醜くとも足掻いて理想を手にすればいい。

 結局我々は、人間の虚妄が無ければ存在

出来ないのだから。

「……待ってくれないかい」

「鑑の技術とヒトに対する執念で救われた奴は少なからずいる。だから、今度はあなたが、と言う訳でね」

 抱えてきたモノを凌ぐ程の救済を。

 鑑は怪訝そうな表情を浮かべて薄く目を開ける。

 いまいち信用出来ないと言いたいのだろう。

「はあ。そんで、方法としては?」

 一応食らい付いてくれたのは幸いだった。

「まずその……」

「鷹野結城」

「鷹野さんの友人知人の夢を回収する。そこから鷹野さんに関する記憶を取り出し、それらを繋ぎ会わせる」

「はあ」

 難しいだろうが、決して無理と言う話ではない。

 継接ぎだろうが、限りなく近く本人を再現出来ればそれは成功だ。

 記憶の継承は人格をつくり、故人さえこの世に再び復活させる。

 自分は椅子から立ち上がり、りんどうを残して鑑の工房を出る。

「朗報を待っていてくれ」


          *


 慌ただしく去っていった一を見送り、薄暗い工房に戻った。

 矢張俺はここで人形を作るのが性にあっている。

 残された伊十三式を見て思う。

「あんたも随分と愛されてたんやなあ……」


          *


 まず鑑の担当地区を闊歩する許可をもらう必要があった。

 少女が担当地区に住んでいたなら、そこの住民から夢を回収して記憶を繋いで少女を造り上げる事が出来る。

 貘達が作り上げた組織体を管理している者に直接掛け合うのが一番手っ取り早い。

 そいつの元へ行くには、此岸と彼岸の境にある事務所へ行く事だ。

 事務所と言うが、廃墟に必要最低限の設備を適当に揃えているだけの場所である。

 いつ崩壊してもおかしくない場所を好む、おかしな管理人だ。

 自らの担当地区を出る前に発煙筒を上げる。

 煙は人の目に映らず、陽炎程度にしか留めない。

 未だにこれの設計と言うか原理が判っていないので、いつか解る様になればいい。

 発煙筒を上げる事で、一時的にその場所から不在になる事を他の同士に知らせ、荒らされない様にするのがこの役目だ。

 準備を済ませたので早速出掛ける。

 此岸と彼岸の境にある存在は時折姿を消すので、境に沿って進んでいかねば見付からない。

 どちらの住人にも見えなくなる事も、しょっちゅうだ。

 二つの世界に跨がり、絶えず波の様に揺れ動く境界線がそうしている。

 暫く歩いて行くといつの間にか夕刻に差し掛かっていて、水平線に日が沈み、その上を化け鯨が飛んでいった。

 あれの存在に言及する事は特に無く、ただここ一帯の監視役か何かなのだろうと思っている。

 夕陽に目が眩んで後ろを向くと、そこに、突如件の事務所が出現していた。

 解体もされない忘れられた廃墟は、夕陽を受けて鈍色に輝き、辛うじて割れずに残っていた窓は、白と橙を反射している。

 入口を捜してその周囲を散策していると、不意に、古めかしい吊り照明が灯りを点した。

 その光の下、木製の扉が浮かび上がっている。

 入れと言わんばかりに主張する扉に手をかけ、不吉な音を立てて開ける。

 入った先にある、床材の剥がれた一階には何もなく、部屋の脇に細い階段が静かにそこでじっとしていた。

 それを昇ると、橙の光が零れて目を細める。

 昇った先には、廃墟の外見からは予想もつかない程整えられた執務室があり、部屋の中央で机にかじりついている者があった。

 背を猫背に丸め、卓上一杯に開いた地図と睨みあっている。

「どうも」

 一言口にすれば、その人はパッと顔をこちらに向けた。

「ああ。どうも」

「少々お願いがあって参りました。管理人殿」

「管理人殿、なんて大層なものでも無いしねえ。手前は名無しの貘に過ぎないよ」

 目を隠す程長く、黒い前髪からこちらを覗く目は金に光る。

 露出度の低い肌は新雪の様に白く透き通り、指はまるで骸骨だった。

 背丈は頭一つ低く、厚着しているが痩せぎすなのは見て取れる。

 これが貘を纏める管理人。

 管理人、と拝されているが、実際は同士達に協力を仰ぎながら管理をしている。

「それでも、管理人は管理人です」

 へにゃっと笑みを浮かべると、執務机の前にある椅子へかける様促した。

「えー……で、今回の用件は?」

「はい。実は担当する地区で、少々回収率が悪くなっており、このままでは今後の活動にも差し支えるかと。そこで知り合いに自分の場所から幾らか提供すると言う旨の提案を受けましたので、改めて許可を得に参った次第です」

 お願いします、と頭を下げると、後ろ頭を掻きながら、うーん、と唸る。

「……成る程ね。不作か」

「不作ですか」

「そう、状況として見ればそれが一番近い。原因は恐らく住民の不良か何かだろうけど……判った。暫くその知人さんの場所から分けてもらって」

「はい。ありがとうございます」

「ん。いいよ、仲間が減るのは悲しい事だからね」

 椅子から立ち上がり、礼を言って踵を返した。

 こうもあっさり認可されると、裏があるのではないかと疑いたくもなるが、ここはありがたく甘えていよう。

 しかし、金色の目に全てを見透かされている様な不快感は拭えなかった。

 許可を頂いたので後は好きにさせてもらおう。

 まず鑑の証言から鷹野女史の住居を特定。

 そこから近隣に住む親族友人の家を張って夜を待った。

 何分、最後の記録が七十年前である。

 女史を知っている人間も少ない。

 情報の半分は鑑を頼る事になるだろう。

 夜も更け始める頃、次第に夢を見始めるのでそれぞれ回収しに行く。

 結局女史に関する記憶をふくんだ夢は僅かしかなく、もう少し粘る必要がありそうだ。

 その後も鑑から許可を得たと言う言い分で、二週間粘って推定必要量を収集する事が出来た。

 鑑の手を借り、集めた夢と鑑の証言を元に女史を造り上げる。

「なあ、ホンマに造る気なんか?」

「? 造らないなら今鑑の手を借りてない」

「あっそ……」

 その間離れている自分の担当地区が気になりもしたが、それより怖いのは管理人殿の目と思考だ。

 基本的に自由に放し飼いされている我々だが、人間に肩入れする事は無い。

 稀にある事だが、夢の回収率を維持する為に特例以外で干渉する事が無いのだ。

 しかも今回は極めて個人的な干渉である。

 それを管理人が黙っている筈もない。

 裏に何か思惑があると言っていい。

 正体を探れないままでいるのが、一番恐ろしい事だった。

 女史の記憶を造り終えると、鑑はそれを箱に収める。

 りんどうの首に入っていたあれと同じものに見えた。

 箱を持って人形を安置してある部屋へ急ぐ。

 鑑が人形をいじり始めると、自分の出る出番はない。

「本来この子は、伊十三式みたいに稼働する様に作っとらんのや。だからあんたが記憶を造るって言い出した時は焦ったわ」

「……ごめん?」

「まあ兎に角、改造が間に合って良かったわ。……よっと。ほら完成したで」

 人形は抱え起こされると、緩慢な動作で目を開いた。

 鈍色の大きな目に栗皮色の髪が被さり、項垂れた首を持ち上げる。

 すると奥歯が見える程大きな欠伸を一つ。

「おはよう……」

 寝起きの低音で、少女の人形は口を開いた。

 見ると、鑑は細い目を見開いて驚きを隠せないでいる。

 喜色とも悲哀とも取れる微妙な表情を浮かべ、人形に様々な質問をし始めた。

 聞いている限り、生前の少女にしか判らない事項を質問しているらしく、その反応を伺っている。

 三十分話し込み、結論が出たのか席を外してこちらに来た。

 鑑はどこか晴れやかな、まるで悟った様な顔をしている。

 三十分ぽっちの会話で何があったのか。

 そして口を開くと、開口一番、思いを告げる。

「やっぱりあの子も処分する」

「…………そうかい」

「わざわざ記憶を造る為に奔走してくれたのは感謝してるけどな、お陰様で覚悟が決まったわ」

 自分は最早口をつぐんでものを言いたくなかった。

「上手く記憶を複製しても、やっぱり結城ちゃんは結城ちゃんってのは変わらん。どう足掻いてもな。あの子はもう故人なんやから、俺の我儘で無理に起こすのも違う」

 相槌だけ打って、頑是ない子供言い訳にも聞こえる言葉の数々を受け止める。

「もうこれでいい。はよ手伝ってや、りんどうとこの子処分するで。火葬でええな?」

「ああ」

 鑑に連れられて外へ出る。

 それぞれ少女人形とりんどうを抱えて。

 少女人形は未だ稼働しており、しきりに鑑に話しかけていた。

 未だ十分に動けているそれを見ていると、動く事のないりんどうと見比べてしまって空しくなる。

 鑑の背中が酷くちっぽけに思えた。

 きっと、一度人間に過度な肩入れをした自分も例外ではないのだろう。

「ここや」

 外に出てから歩いた時間は短かった。

 何しろ住居の裏に回っただけである。

 鑑が寝起きする住居の裏には、どこから持って来たか判らない焼却炉が設えてあった。

 成る程それで火葬か、と一人納得する。

 諦めた様に少女人形を停止させ、体を猫の様に丸めさせて炉に収める。

 自分もそれに習い、りんどうを炉に収めた。

 それは祈りにも似て。

 逃避する様に蓋をした。

 丸めた新聞紙と油を垂らし、小枝を組んで火を入れる。

 一瞬鑑の手が躊躇うのを見届けて、いよいよ点火された。

 暖かくない火を見詰め、締め付ける想いに頭を悩ませる。

 焼却炉に一番近くに突っ立っている鑑には、焼け焦げる匂いも漂ってくるのだろうか。

 ここまで僅かに漂った、死臭にも似ている焦げ臭さを堪えた。

 鑑が茫然自失としているので、気になって肩を軽く叩く。

「泣いてない」

 聞いてもいない事で誤魔化し、顔を背ける。

「泣いてるだろう」

「だから泣いてへんって」

「泣いてる」

 面白くなって押し問答を繰り返していると、ふと、足許に斑の模様がついているのに気が付いた。

 押し問答を止め、そっと頭を撫でてやった。

 これも或る一つの末路だと言うのなら、バッドエンドの方が幾らかましだったかもしれない。


       ── * ──


 本日の料理

 ・オムライス

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