夏はクール

1.忍び寄るお隣さん

「暑いとやる気が出ないよね」

 俺は部屋のクーラーを効かせた状態で、まったりとゲームをしつつ独り言をつぶやく。


「髪色は金髪かなぁ」

 髪型で色を変更する。長さはどうしようか。長くしてみるか。



 こんこん



「?」

 何か音がしたか? しばし手を止め、耳をすます……。

「気のせいか」

 次に体格は──



 こんこんこん



「……。」

 やっぱり何か音がしたような気がする。それも入口の扉から。

「でもインターホンあるしな」

 再びしばし手を止め、耳をすましてみる。

「やっぱり気のせい──」



 こんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこん

 こんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこん

 こんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこん



「インターホン鳴らせよ!」

「……。」

 俺が扉を開けたため、その娘はドアをノックする姿のまま静止していた。

 彼女はかなり小柄で、おでこは俺の顎先に当たりそうな高さだ。夏にも関わらず前開きのパーカーを着込み、フードまでかぶっている。フードから除く髪は耳が隠れる程度のショートヘア。やや吊り上がり気味の目で俺を上目遣いで見つめている。ズボンはホットパンツで細い素足が見えていた。色白だが、少々不健康な印象を受ける白さだ。

「えーっと、どちら様で?」

「隣に引っ越してきた、二村ふたむら 静香しずか、です」

 二村は自己紹介の後、小声で「よろしく」と付け加える。


「俺は加無木かむき 零次れいじ、こちらこそよろしく」

「……。」

 なんだろう、沈黙が痛い。とりあえず引っ越しの挨拶なら、これで終わりなんじゃなかろうか。まだ何かあるのか?

 そんなことを考えていると、二村は手に提げていたビニール袋からスパゲッティ乾麺を取り出した。よくスーパーなどで売っているものだ。

「これ」

「引っ越しの挨拶品?」

 二村はコクリと頷く。

「わざわざどうも……」

 な、なかなか独創的な品だな……。俺は二村が差し出したスパゲッティをつかみ、そして手元に引き寄せられないことに気が付いた。

「……。」

「離してもらわないと、受け取れないんだが?」

 二村はぎっちりつかみ、スパゲッティを離さない。よく見れば、異常に苦々しい表情で下唇をかんでいた。

「そこまでかよっ!! いや、渡したくないなら無くていいから! 別に絶対必要なわけじゃないから!!」

 二村は「え? 無くていいの?」と言いたげな驚愕の表情だ。俺がスパゲッティから手を離すと、彼女はスパゲッティを手に苦悩している。


「ぼそぼそ……」

 彼女はスパゲッティを手に、何事かをつぶやいている。俺は失礼を承知で少し顔を近づけ、内容に聞き耳を立ててみた。


 ──ご近所は修羅の道、隙を見せれば殺られる、これはきっと罠、私を油断させて罠に嵌める、静香負けてはダメ、耐えるの……


「いや! どんだけだよ!! ご近所トラブルとか無いわけじゃないけど、そこまでじゃねぇよ!!」


 ──じゃなければ、スパゲッティを"不要"など考えられない、絶対にこの恩を着せ無茶な要求を──


「どんだけスパゲッティの評価高いんだよ! これで着せれる恩ってどのくらいだよ!」


 しばしの苦悩の後、二村は再びスパゲッティをこちらに渡そうと手を伸ばす。その手は震え、ギリッと噛み締めた下唇からは血が滲み、血の涙を──


「リアクションすげぇな!! リアルで血涙見たの人生初だよ!!」



 俺は一息ため息を吐き、「ちょっとまってな」と言って中へ引っ込む。


「ほい、これは引っ越し祝いだ。これと交換ならいいだろ?」

 俺は棚の奥に死蔵されていた"桃の缶詰"を差し出した。大丈夫、賞味期限は切れてない。だが、それを差し出したのは誤りだったかもしれない。

 スパゲッティが地面に落ちる。二村のは両手をわなわなと震わせ、幻でも見たかのような表情で"桃缶"に手を伸ばす。

「そ、そんな、このような宝を、さ、差し出すの?」

「そろそろツッコミに疲れたんだが……。」


 その後、二村は俺を拝むようにして帰って行った。どさくさでスパゲッティも持って帰らせた。たぶん、桃缶の衝撃で直前の苦悩は消失したようだった。

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