お嬢様の遺書
上津英
遺書は語る
数日後、メイドが見つけてきた湖のほとりにあった遺書より。
『わたくしが自殺をした理由?
何から話しましょう……そうね、昨日、わたくしは失恋しましたの。
これを読んでいるだろうメイドの方、今驚きましたね? それは当たり前の反応でしてよ。
わたくしだって、代々王家の宰相を務める公爵家に産まれ、殿下からの求愛を受けているこの身に愛する人が出来たこと、未だに信じられませんもの。
わたくし、家系に物凄く誇りを抱いております。だから家柄上ゆくゆくは殿下と結婚するのだろう事は理解していますの。ただ内心殿下を「つまらない方」とずっと思っていましたのよ。冷血で、無感動で、わたくしの事もお飾りとしか思っていなくて……そのくせ嫉妬深くて。わたくしと話した殿方を、理由を付けては刑に処する程。器の小さい事。
わたくし、ずっと願っていました。殿下の妻になる前に一度で良いから誰かを心から愛したいと。
そしてわたくしが愛したその殿方は、……この屋敷で去年から働いていた庭師のキールでした。
泥水のように汚い茶色の髪。毛むくじゃらの体。まるで怪物みたい。
去年初めてキールを見てそんな印象を最初抱いたものです。
キールは庭師ですから、しょっちゅう庭の手入れをしていました。その愚直な仕事ぶりは、わたくしの部屋からよく見えていました。ですから、檻越しに珍獣を見るような感覚でキールが庭木に鋏を入れていく様を、紅茶を片手に窓辺に座って、趣味の小説を書きながらよく眺めておりましたわ。隣に深い森のある屋敷でしたから、庭以外見るところがありませんし。
雨の日も、風の日も、雪の日も。この愚か者は、庭園を高級な飴細工のように繊細な物に生まれ変わらせていくのでした。
驚きました。それは、今まで勤めていた庭師のどれよりも素晴らしい庭園でしたから。
どうしてこんな怪物のような男から、こんなに美しい庭園が生み出せるのか。
どうしてこんな愚直な男が、わたくしの心を動かすのかと。
キールに興味が湧きました。
ですからわたくしは、なに食わぬ顔でメイドからキールの名前を聞き出し、窓からキールに向かって「キール、貴方は素敵な庭を造りますね」と書いた紙飛行機を飛ばしましたの。わたくしが直接庭に赴くと、絶対邪魔が入ります。キールとの会話を邪魔される。そんなの、嫌でしたから。
そして、ああ!
わたくしから手紙を受け取ったキールと言ったら! ふふ、師匠に腕を認められた職人見習いのように、顔をくしゃくしゃにして笑顔を溢したのです。ガバリと顔を上げ、紙飛行機が屋敷の何処から飛んできた物なのか探しだし始めました。
前髪に隠れたキールの緑色の瞳が、窓際に立つわたくしの姿を認めた瞬間。キールは女神でも目撃したかのように驚きに目を見開いた後、少年みたいにあどけない満面の笑みを向けてきたのです。
またしても驚きました。誰かからこんな笑顔を向けられたのは、初めての事でしたから。殿下は勿論、両親や使用人ですらこのように偽りのない笑顔は向けてくれません。驚きの余り、わたくしは暫くキールと見つめ合いました。
永遠にさえ思えましたが、実際はそうでもなかったのでしょうね。キールは視線を外し、頬を緩ませながらも深々と一礼して自分の仕事に戻っていきました。
わたくしはキールの後ろ姿を見つめたまま、込み上げてくる感情を持て余していました。怪物のようだと思っていた醜い容姿が、どうしてか森の神のように柔らかな存在に見えて仕方ありませんでした。この時からキールが何よりも輝いて見えるようになったのです。
なんなの。なんなんですの。わたくしは魔法にでもかかってしまったのかしら?
あの日の事があってから、わたくしは自室に紅茶のポットを持ち込んで篭る事が多くなりました。もちろん、窓辺に座ってキールを眺める為です。
……と言っても、わたくしがどこぞの男を見る為に部屋に篭っている、なんて身も蓋もない噂が殿下の耳に届いたら、嫉妬深い殿下は面倒な騒ぎを起こすに決まっています。カーテンを閉めて、僅かな隙間からキールを眺めるだけにしましたわ。
窓辺からキールを観察していて、気が付いたことがあります。それはキールがよく笑うと言うことでした。共に働く使用人達とすれ違えば人好きのする笑顔を向けて応えます。特にまかないの時間を知らされた時などは、以前わたくしに向けてくださったような少年めいた笑顔を、惜しみなく、相手が誰であろうと浮かべますの。
初めはまたあの笑顔を見られて天にも昇る気持ちで居ましたが、キールが誰彼構わずあの笑顔を向けるものですから、だんだん面白くなくなってきました。
どうしてキールは誰にでも笑顔を向けるのでしょうか?
わたくし、たしかに貴方に見つめらながら笑われたのですよ?
笑顔の安売りはよろしくありませんわ。
一度意識したらキールへの不満が山のように出てきました。
同時に、何故わたくしはキールにこんなに心乱されるかを不思議に思いました。まるで子供が親の言動に一喜一憂しているよう……そこまで思って、わたくし自分の気持ちに気が付きましたの。
この気持ちは恋ですわ。
つまらなかったのは嫉妬……キールが他の人に笑顔を向けるのが許せなかったのです。
これが、わたくしが夢に見ていた感情。一度は味わいたかった恋! ああ、なんて思い通りにならない感情なのでしょう。
庭に居るキールを改めて見下ろしました。
手触りの良さそうな癖の目立つ茶色の髪。包容力を感じる自然体の体。キールはこんなにも美しい。
この男の美しさに気が付いたわたくしは、間近でキールを見て、叶うならば少し言葉を交わしたくなりました。その唇からどんな言葉が紡がれるのか、聞いてみたくて堪りませんでした。キールだってわたくしと話したいに決まっています。ですからあのような笑顔を向けたのです。
殿下のお怒りに触れぬよう、キールと話せる方法。すぐに思い付きました。
紙飛行機です。わたくしとキールを結び付けたあの方法……あれでしたら。
わたくしは早速、白い紙にペンを走らせました。
『明日、朝一番で森の中の湖の近くにある柊の木に鋏を入れといて頂けませんか? 今度殿下をそこにお連れして誕生日プレゼントをお渡ししようと思っていますの。驚かせたいので、これはわたくしとキールとの秘密にしてくれないでしょうか? 勿論、お父様にも内緒です』
わたくしは紙飛行機にこう書きました。
柊の木の下で結ばれた恋人達は幸せになれる……我が国にはそのような言い伝えがありますから、紙飛行機を受け取ったキールの表情に緊張が走り、一度深く頷きました。そして、わたくしの見間違いでなければ、キールが悲しそうに目を伏せたのです!
この表情はどのような意味があるのでしょう? まさかキールは、キールも、わたくしを愛しているのでしょうか? だから殿下の物になるわたくしを想像して、あんなに悲しそうに笑ったのでしょうか? ああ……っ、こんなに悲しい恋物語はどこの書物にも存在しておりませんわ! 違うんです、違うんですよ、キール。これは方便なのです、どうか明日、真実が明らかになるまで耐えてくださいませ!
わたくしは込み上がる涙を堪えながら眠りにつき、朝を迎えました。起床後、化粧を施されたわたくしは手短に朝食を済ませ、メイド達の目を盗んでキールが待っている森に入りました。
指定した湖までドレスが乱れるのも構わず向かい、茶色の人物を認めるなり声を張り上げました。
キールはすぐに反応してこちらを向き、わたくしを見て目を丸くしました。その後ぎょっとして何度も周囲を見渡しました。他に誰か居ないか、気にしてくれたのでしょうね。
わたくしはキールに事情を説明しました。貴方に興味を持ったこと、貴方と二人で会いたかったこと、嘘で貴方をここに呼び出したこと。キールも、わたくしがそこまでこの庭師に興味を抱いたことに大層喜ぶ物だと思っておりました。
……それなのに。キールはあろうことか、恐怖に顔を引き攣らせたのです。
そして命乞いでもするように、わたくしに向かって「そんなつもりはなかった」「お許しください」と繰り返し、額を地面に擦り付け始めました。
状況が飲み込めませんでした。どうしてキールがこのような反応をするのか、理解出来ませんでした。未だに顔を上げないキールを見て、わたくしは合点がいったのです。
殿下です! キールは殿下を恐れているのです!
わたくしは悲しくなりました。殿下の嫉妬など無視して、こんなにも美しい令嬢に違う世界を見せてくださいませ!
「私には恋人が」という言葉も聞こえました。もう、目の前の現実を飲み込みたくなかった。こんな世界なら見たくなかった。何故? 何故貴方はわたくしに笑いかけたのですか?
わたくしは叫びました。現実だと思いたくなかった。嫌、嫌、と呟いていると視界にキールが使っていた高枝切り
キールの叫び声を聞いたわたくしは途端に怖くなりました。キールがどうなったかも確認せずに逃げ出しました。館に帰ろうかとも思ったのですが、キールを殺してしまったのではないかと思うと、怖くて怖くて帰れません。
森の中、段々ととんでもない事をしてしまったという自責に駆られました。わたくしは、気高い家に生まれながらも、最低な事をしてしまったのです。
キールは生きているかもしれません。ですが、生死の問題ではないのです。犯罪者が居ると、わたくしが家名に泥を塗ってしまった事が問題なのです。この先一生そんな看板を背負って生きていかないといけないなんて、耐えられそうにありません。かくなる上は、水に身を投げ家名を守るしかありません。
ああ、お父様、お母様、お兄様、申し訳ありません。馬鹿なわたくしを許してくださいませ。殿下に嫁げなかったわたくしを、お許しください』
***
「こんなところかな」
一枚の紙を封筒に入れ終え、私は疲れたとばかりに背筋を伸ばした。後はこのお嬢様の『遺書』を頃合いを見計らって湖のほとりで発見したかのように装えばいい。私はお嬢様付きのメイドだから、そんな事は簡単だ。
それにしても、昨日はどうなる事かと思った。まさか不器用そうなキールがあんなに最低な男だったなんて。私とお嬢様を二股にかけるとは全く良い度胸だわ。おかげで密会を目撃した時、頭に血が上ってお嬢様を湖に突き落としちゃったじゃない。
殿下にばれたらどうするんだ! って、当然キールは大慌て。でも私は、良い方法を考えてたの。
お嬢様は現実逃避でもしたかったのか小説を書くのが好きだった。小説と言うより妄想だったけど。その中にピッタリの遺書みたいな小説があった事を思い出したの。登場人物や状況まで一緒な凄い遺書。違うのはお嬢様とキールが密会する仲だったことかしら。
あの遺書があればお嬢様は自殺で片付けられる、これならバレない、後は任せてって貴方を説得した。
でもね、キール。
どうして私を裏切った貴方を一緒になって助けてあげると思ったの? そんなわけないでしょう。私がお嬢様の部屋で選んだ遺書は貴方に不利な物。この遺書を読めば殿下は当然貴方のせいでお嬢様は死んだと思うでしょう。お嬢様にこき下ろされていたショックもあるでしょうし、貴方を許さないでしょうね?
貴方は断頭台行きよ、謝っても助けてあげないんだから。悪いのは二股をしていた貴方。
女は怖いのよ。
お嬢様の遺書 上津英 @kodukodu
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