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「ところでハンス、何か用があって来たのか?」


クルトに声を掛けられ、一瞬意識を飛ばしていたハンスはハッと我に返った。

「あ、うん、おじさんに聞きたいことがあって来たんだ!改修中の機体に関してなんだけど…」

「これが現状の設計図と実験結果です。」

 すぐ近くに置かれていた古いデスクを利用して、レイがハンスが説明するよりも前にさっと紙を広げた。アルミフレームの薄い眼鏡を掛けたいかにも真面目そうな面持ちの少年は、でしゃばろうというそぶりもなくただ淡々と説明を始めた。


「新型エンジンへの換装に合わせて、反トルク対策のため垂直尾翼の角度を右に2度傾けました。ところがそれでも完全にはバランスを保てず若干左にロールしてしまいます。そこで、エンジンの取り付け角の調整に加えて主翼の長さを左右非対称にすることなども試しましたが、現状ではやってみたどの組み合わせもベストとは言えませんでした。」

「ふむ。これがその結果のデータか?」

「はい。あまり角度をつけると離着陸時の操縦への負担が上がってしまうので、そうならない形で調整しつつ、次のレースまでには最適な交点を見つけたいと思っています。」

レイの説明はいつものごとく的確で、自然と全員が設計図を覗き込んでいた。


「やっぱり主翼も胴体も最小限に縮小させてることが無理を生んでるんじゃないか?できる限り空気抵抗を減らしたいのはもちろんだけど、新型エンジンに対してはそもそも機体が保たないんじゃ…。」

 双子の片割れであるアルバートが設計図を見ながら口を開いた。

「いや、機体の大きさというよりはバランスの問題だと思うんだ。もちろん飛行できないようなレベルじゃないんだけど、レースでの細かい動きに対応する操縦性を保つためにはより機体を安定させる必要がある。それにはもっと良い方法があるような気がしてるんだ。」

 レイの返答に対して今度はエリックがアルバートの代わりに続ける。

「わかってるけどさ、一ヶ月近く試してまだベストな状態にもっていけてないんだもんな。もし根本的に変えなきゃいけないとしたらすぐに対応しないとだろ?レースまであと二ヶ月もないし…。」

「だからこそ今おじさんの意見を聞きにきたんだろ…あっ!ゾフィーは聞くなよ!」


 ハンスは一緒に設計図を覗き込んでいるゾフィーを見て機密情報が耳に入ることを咎めた。するとゾフィーは呆れたようにハンスを見た。

「私の機体とタイプが違うから、聞いても参考にならないわよ。」

「まぁまぁ、いいじゃん。むしろゾフィーにも意見聞きたいよ。」

 宥めるようなエリックの言葉にハンスは少しムスッとしながらも、大人気ないことを自覚したのかそれ以上は反論しなかった。


「クルトさん、どうですか。何かアドバイスを頂けたら。」

 クリスがいつもの柔らかい口調で問いかけ、全員の視線がクルトに集まった。クルトは黙ったまま少し考えたが、やけに真剣な顔をして口を開いた。


「そうだな…アドバイスとして言えることは三つある。一つは、空気抵抗を下げる方法は機体全体の縮小だけじゃない。他のやり方も考えろ。二つ目は、垂直尾翼による反トルク対策は角度調整の他にもある。ヒントはミッツェルジュード社のMj001Kだ。最後は、クリスはいろんな女にふらふらしてないで、そろそろゾフィーをもらってやってくれ。以上だ!」

「…なんだよそれ!」

クルトの真剣な表情に真面目な意見を期待していたハンスは最後に肩透かしをくらった。


「ゾフィーさえよければ、いつでも。」

 クリスは隣に立っていたゾフィーに向かってにっこりと笑った。これまで幾人もの少女を虜にしてきた実績のある端正な笑みだった。

 それを見たジルベールはなぜか慌てて視線を外し、無理矢理設計図に目を落としながらつぶやいた。

「いやいや冗談は置いといて…、えーと機体縮小以外の方法と、Mj001K??」

「冗談なんかじゃないぞ!俺はいつでも本気だ。」

「…おじさんは普段から冗談の方が多いだろ。」

いつもと変わらないクルトとハンスのやり取りを見て、ゾフィーは笑いながら答えた。

「クリスはファンの女の子がたくさんいるから、一人に決めたら大変よ。私学校に行けなくなっちゃうわ。」

「じゃあ一緒に休学しようか。俺はゾフィーさえいれば学校なんて行けなくても全然平気だけどな。」

クリスは慣れた様子でさらっと甘い言葉を繰り出すが、そんなことより早く話を戻したいハンスが口を挟んだ。

「はいはい、勝手にやってくれ。でも他のはめちゃくちゃヒントになった!つまり空気抵抗を下げて速度を上げる方法が他にもあるってことだよな?」

「Mj001Kはかつてカザン空軍の主力となったMj000のための試作機ですね。現在はMj000も既に廃棄となってますが。」

 レイは確かめるようにクルトを見た。

「ああ。航続力と運動性能が高く評価された機体だ。徹底した軽量化によって機動性を最大限に高めることに成功した、当時としては画期的な設計だった。よく知ってるな。」

 クルトは感心したようにレイの肩をぽんと叩いた。


「反トルク対策はそれを参考にするとして、空気抵抗を下げる方法ってまだ他にある?これまで散々やったけど、主翼の厚みや角度を調整するとか?」

「それなら、私の機体が参考になるかも。重いエンジンよりもどう風を掴むかを重視してるから。」

「…風を掴む?」

ゾフィーの言葉に対して、アルバートが不思議そうに聞き返した。


「うん。レースのときは風や気圧の他に他の機体から発生する気流とか、色んな空気の流れの中にいるでしょ。その中で一番上手に乗れそうな風を掴んで、ゴールまでの細い道を辿っていく感じ。」

「…なんかすげーな。俺にはわかんないけど、レースパイロットの感覚的にはそんな感じなのか?ハンスも?」

ハンスは俺にはわからない、とは言えずに黙っていた。


「まぁ、俺から出せるヒントはこれだけだから、あとはそれぞれの頭で精一杯考えるんだな!…ところでお前ら、腹減ってるか?俺がつくった特製のラトゥ(シチューのようなもの)があるぞ。」

 自慢げなクルトは隣にいたジルベールの大きな背中をバシッと叩き、他のことに気を取られていたジルベールはびっくりして危うく声をあげそうになった。一方ハンスは一転して笑顔になり、隣にいたエリックとアルバートの首に勢いよく腕をかけた。

「やった!おじさんのラトゥはめちゃくちゃうまいぞ!」

 双子はその言葉を疑った。ハンスが料理に興味があるとは到底思えなかったからだ。

 だがそんな二人の不安はゾフィーによってきれいに拭い去られた。

「おじさんのラトゥ、久しぶりだわ。本当に美味しいのよ。ぜひみんなに食べて欲しいわ。」

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