第三章【牢獄の番人と吸血鬼】

 結局、全員ついてきた。

 牢獄に収容されていた魔力の予備貯蔵庫どもは、それなりの人数がいたようだった。子供から大人までざっと見積もって五〇人弱ぐらいだろうか。彼らは少しだけ先に歩くユーイルと距離を置いて、しかし確実についてきていた。

 薄暗く長い廊下の終着点は頑丈そうな鉄扉で塞がれていて、試しに押してみたが向こうからかんぬきがかけられているようだった。鍵だけなら握力で壊したところだが、閂だとさすがに力技では通用しないだろう。

 なので。


「仕方ねえな」


 ユーイルはワイングラスをくるくると回して、湧き出てきた中身をぶち撒ける。足元に広がった赤黒い海を軽くつま先で蹴飛ばして、


「吹き飛ばせ」


 短い命令。

 主人の言葉に応じるように、赤黒い液体が蠢く。ぐわり、と波打ち、鋼のような質感を持ち始めた赤い大波は、鋼鉄の扉を容易く吹き飛ばす。閂ごと扉を破壊した液体は再び水たまりのようにユーイルの足元に残り、それから彼の掲げるワイングラスへと自動的に戻っていった。

 一連の超常現象を怯えた様子で見ていた捕虜の人間たちだったが、子供はユーイルの能力に興味を示したらしい。瞳をキラキラと輝かせて、ユーイルへと駆け寄ってくる。


「ねえねえ、それどういう魔法なの?」

「あ?」

「お兄ちゃん、魔法士マギアなんでしょ? すごいなぁ。魔法士ってたくさん勉強しないとなれないんだよ」


 ああ、とユーイルは手に持ったワイングラスを一瞥した。

 このワイングラスは、ユーイル自身が吸血鬼となった時に自然と手の近くにあったものだ。湧き出てくる赤黒い液体の正体は人間の鮮血で、吸血鬼となったユーイルは他人の血液を意のままに操ることができる。

 だからこそ、先ほど脅しをかけたのだ。

 ――問答無用でオレの『餌』だと。


「その魔法士ってのがどんな存在なのかよく分からねえけど、オマエが思うような奴じゃねえよオレは」


 ユーイルはひしゃげた鉄扉を踏みつけて、牢獄の階層から出て行く。

 子供が期待するような存在ではない。ユーイルは、自分が死にたくないので彼の世界で禁忌とされている手段に及んだ。

 霊薬『マナ』――あらゆる病を治すことができる、万能薬。

 ユーイルもまた『マナ』を服用したマナ患者であり、だが不思議と自我は失っていない。世界中に広まった『マナ』とは違い、ユーイルが服用したのは試作品の『マナ』だ。その為、自我を失わずに済んだのだ。

 いっそ、狂ってしまうことができたら、どれほど気が楽だっただろうか。

『マナ』はユーイルの父親が開発したもので、ユーイルの父親が世界を壊してしまったのだ。


「さてと」


 牢獄を壊し、扉も破壊した。脱獄には成功したと言ってもいいだろうが、きっとこの先に門番的なものが立っているのだろう。

 いっそ血液を全部抜いてしまって、干物にしてやった方がいいだろうか。

 そう思ったユーイルの目の前に、薄暗い階段が地上へ向かって伸びていた。壁から突き出した燭台がかろうじて階段を照らしているだけの状況であり、夜目が利くユーイルはこの程度であれば問題なく上れる。後ろから勝手についてきている人間どもが、どういう思いを抱こうか知ったことではないが。

 その時だ。


「あ、あ、あれ、おかしいな、おかしいな、おかしいな、ど、ど、どうして、ここに、ほ、捕虜が、いるんだ?」


 粘つくような声に、ユーイルは眉根を寄せた。癪に触る声だったのだ。それはまるで、マナ患者のような。

 背後にいる捕虜の人間たちが、一斉に「ひッ」や「うわぁッ」などと悲鳴を上げた。なにか恐ろしいものでも見たかのような反応で、それは当然だろうとユーイルも思う。

 薄暗い階段をゆっくりと降りてきたのは、屈強な体躯の男だった。頭は小さく、毛髪の類は生えていない。目は虚ろで、足取りもどこか覚束ないものだ。

 そして何より目立つのは、関節部分の球体である。それはまるで、人形のようだ。


「ぼ、ぼ、僕は、ろ、ろ、牢獄の、ば、番人をしてい、た、た、たんだ。だ、だ、だから、だ、脱獄はゆ、許せない、よ」

「だったらどうするつもりだ?」


 ユーイルの言葉を挑発と受け取ったか、牢獄の番人と名乗った屈強な男は、ニタリと不気味に笑う。大樹よりも太そうな腕をぶんと持ち上げると、ユーイルへ殴りかかるそぶりを見せた。

 なんだ、この程度か。

 つまらなさそうに鼻を鳴らしたユーイルは、ワイングラスから湧き出た鮮血を番人の粘つくような笑みに向かってぶっかける。視界を塞がれたことによって「うぎゃあ!!」と番人が悲鳴を上げ、目に入ってしまった赤黒い液体を取り除こうとする。

 しかし、その前にユーイルが命令する。


「縛れ」


 番人の顔面にぶっかけられた赤黒い液体が蠢き、何本も糸のような状態になる。糸となった鮮血は、屈強な男をぐるぐる巻きにして縛り上げた。


「あ、がぎ」


 口まで鮮血の糸によって縛られた番人は、目を白黒させていた。一体なにが起きたのか、彼はよく理解できていないのだろう。

 ユーイルはさらに足元へ赤黒い液体をぶち撒けながら、気怠げな足取りで番人へと歩み寄る。


「無理に拘束を外そうとすれば、オマエの体は傷だらけになるぞ。それでいいのか?」

「う、ぐぐ、ぎ」

「オレの前に現れたのが愚策だったな。極めて愚策だ」


 赤黒い液体をばら撒き終えて、ユーイルは鮮烈な赤い瞳を炯々と輝かせながら言う。


「雑魚如きが吸血鬼と名高いオレに勝てるとでも?」


 そして、

 足元に撒かれた赤黒い液体に、ユーイルは命じた。


「串刺しにしろ」


 次の瞬間、赤黒い液体からいくつもの棘が伸びて、縛りつけられた番人を次々と串刺しにしていく。全身を棘に貫かれた番人は、さすがに生きることはなかった。

 鮮血によって作られた糸を解き、彼を貫く棘も元の液体に戻したユーイルは、階段めがけて大の字に倒れた番人を見下ろして舌打ちをする。


「なんだ、血が出てねえわ」


 ならば用はない。

 ユーイルは血液を武器として扱う吸血鬼なので、死んだ相手から鮮血を頂こうかと思ったのだが、残念ながらそれは叶わなかった。

 足元に広がる赤い海をワイングラスに戻しながら、ユーイルは背後にいる捕虜となっていた人間たちへと振り返った。


「……………………」

「……………………」


 彼らは全員、

 それはそうだろう。目の前で名前も知らない誰かが死んだのだ。気分がいいものではない。

 当然の反応を受けたユーイルは、やはりつまらなさそうに鼻を鳴らすと、無言で階段を再び上り始めた。

 地上はすぐそこだ。


 ☆


 地上が近づいてきたので、ユーイルは外していたガスマスクを装着する。最後の階段を上り終えると、木製の扉がユーイルを出迎えた。

 軽く押してみると、蝶番を軋ませながら扉は簡単に開かれる。どうやら施錠はされていなかったようだ。


「地上だ」

「やった、出られた!」


 捕虜の人間たちは歓喜する。

 ユーイルを押しのけて、我先にと地上を目指す人間たちの背中を見送り、銀髪の吸血鬼はひっそりとため息を吐いた。ユーイルの役目はここで終了のようだった。

 しかし、地上へと繋がる扉の向こうから聞こえてきたのは、人間たちによる悲鳴だった。


「あ?」


 まさかまだ敵がいたのだろうか。

 もう手は離れたのだから放っておこうかとも考えたのだが、ここで見捨てるのも寝覚めが悪い。ユーイルは仕方がないとばかりに、自分も地上へと足を踏み入れた。

 扉の向こうに広がっていたのは、玄関ホールのような広い空間だった。

 ただし、広間はものの見事に荒れ果てている。天井は崩落し、もうもうと埃のようなものが舞っている。中心に積み重ねられた瓦礫の山の下には、なにやら生物のようなものが押し潰されていた。

 立ち尽くす彼らの後ろで、ユーイルは漂う生臭さにガスマスクの下で顔を顰める。これは間違いなく血の臭いだ。


「お、ユーイルだっけ? お前もお宝目当てか?」

「オマエ……」


 玄関ホールの奥からやってきたのは、銀髪碧眼の女だった。黒い外套を翻し、その腰に大太刀を佩いている。確か、名前はユフィーリア・エイクトベルといったか。

 ユーイルは嫌なものを見たとばかりに顰めっ面を浮かべるが、相手はどこ吹く風で馴れ馴れしく話しかけてきた。


「惜しかったなァ。もうお宝は半分ほど空賊のお嬢さんに取られたぜ」

「別にいらねえ」

「なんだよ、一攫千金になるかもしれねえだろ?」

「そんなのどうでもいい」


 ユフィーリアは「ふーん」とユーイルの反応に興味なさげな様子で答えを返すと、脱獄を手伝った捕虜の人間どもに視線を移した。

 彼女は不思議そうに首を傾げると、


「え、なに? 死ににきたの?」

「捕虜になってたんだよ」

「なんで?」

「魔力の補給の為に、魔石を使ってたんだと。それが奪われたから、今度は人間から搾取しようってことになったらしい」


 なるほど、とユフィーリアは納得した。


「ところで、あの瓦礫の下で潰れてんのはなんだ?」

「どっかの魔獣じゃね? よく名前分かんねえけど」

「ふーん。血ィ貰っていいかな」

「あー、吸血鬼だもんな。いいんじゃねえか?」


 適当な返事を受け取ったユーイルは、素直に血を頂戴することにする。

 ワイングラスを掲げて、くるりくるりと回す。すると、とろとろと流れていた鮮血が煙のようになって空中を漂い、それからワイングラスの中に収納されていく。

 葡萄酒のようにワイングラスの中で揺れる鮮血は赤々として美しく、しかし生臭くてユーイルは渋面を作るのだった。


……」


 誰かが言った。

 周りが静かだからやたらとその言葉が大きく聞こえ、ユーイルはワイングラスを揺らす手を止める。

 捕虜として逃した彼らは、ユーイルを見つめている。ユーイルを「すごい」と称賛した子供たちでさえ、怯えた視線を寄越してくる。

 こうなることは分かっていたはずだった。

 だから、現地人と触れ合うことはしたくなかった。

 人間たちの反応に諦めたようにため息を吐くユーイルだが、ユフィーリアだけは違った。


「おう、化け物だぞ。お前ら、殺されたくなかったとっとと失せろ。助けてやったのに礼の一つも言えねえ礼儀知らずな奴らは殺したくなるからな、首が繋がってるうちに逃げた方がいいぜ」


 腰からいた大太刀を見せつけて、ユフィーリアは綺麗な笑みを浮かべた。口調だけなら冗談にも聞こえるだろうが、彼女ならやりかねない。

 人間たちは絶叫して、蜘蛛の子を散らすかのように一目散に逃げ出した。慌てた様子で足をもつれさせながら走り去っていく彼らの背中を見送って、ユフィーリアは笑う。


「なんだ、あいつら。随分と腰抜けだなァ」

「いいのかよ、あんなこと言って」

「ん? 結果的に大団円になりゃいいんだから、誰が不幸になろうが同じようなモンだろ。自分の幸福は他人の不幸の上に成り立ってんだよ」


 軽い調子で屑みたいな発言をするユフィーリアは「まあでも、武器で脅すのはよくなかったかな」と言うが、反省の色すら見えない。

 飄々とした態度を貫くユフィーリアに、ユーイルは呆れるのだった。

 彼女のように生きることができたら、苦労はしないのである。

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