ユフィーリア・エイクトベル編

第一章【天魔憑き、暴れます】

 厳密に言うと、ユフィーリア・エイクトベルは人間ではない。

 かといって、完全な化け物かと問われればそうではなく、人間でもなければ化け物でもない中途半端な存在である。

 天魔憑てんまつき――ユフィーリアの世界では、そんな第三の種族が確立されている。

 空から無数に降ってくる怪物『天魔てんま』と契約し、人類に害を成す天魔と戦争をするのがユフィーリアたちの役目だ。とりわけユフィーリアが契約した天魔は最強とも名高い固体であり、事あるごとに難関任務に放り出されていた。


「いやー、にしてもあのユーリって子のおっぱいは柔らかかったなァ」


 感慨深げに馬鹿なことを考えながら、ユフィーリアは階段を上っていた。

 見た目だけなら絶世の美女と表現してもおかしくはないのだが、中身は完璧に助平なおっさんである。透き通るような銀髪に気品のある青い瞳、人形めいた顔立ちは世の中の男の視線を集めそうなものだが、その容姿とは対照的に、態度や口調は軽薄な男そのものだ。

 それもそのはず、ユフィーリア・エイクトベルは本来であればのはずなのだ。契約した天魔のおかげで銀髪碧眼の女の体を手に入れてしまい、しかし心はちゃんと男なのでちぐはぐである。


「こう、しっとりとしてて、んで重量があってなァ。他人のおっぱいはやっぱり素晴らしいよなァ称賛されるべきだよなァ!!」


 うんうん、とユフィーリアはいきいきと頷く。ついでにその両手は軽く五指が折り曲げられていて、空気を揉んでいるかのようだった。どうやら先程まで同行していた空賊であるユーリ・エストハイムの背後から揉んだ胸の感覚が、いまだ忘れられずにいるようだった。

 意気揚々と階段を上っていくと、終着点は木製の扉だった。しっかりと観音開きとなっている扉は施錠されておらず、扉を軽く押せば簡単に開くことができた。

 ギィ、と蝶番を軋ませながら、扉はユフィーリアをその向こうへと誘う。


「おー、こりゃすげえ」


 目の前に広がる部屋に、ユフィーリアはひゅうと口笛を吹いて称賛した。

 広々としたところは玄関ホールなのだろうか。立派なステンドグラスが嵌め込まれた窓に埃が被ったシャンデリア、床も埃を被っているものの大理石である。さすが城と銘打たれるだけはある、質実剛健ながらも細かなところに絢爛けんらんさを盛り込んでいる。


「ほーへー、こいつァいいな。舞踏会が開けそうだ」


 鼻歌で杜撰ずさんなクラシックを奏でながら、ユフィーリアは玄関ホールに足を踏み入れる。

 その時だ。


「――何奴だ」


 唐突に、上空から嗄れ声が降ってきた。

 ユフィーリアが「あん?」と天井を見上げると、どしーん!! と重たいなにかが降ってきた。大理石の床が揺れ、積もっていた埃が綿雪のように舞う。

 左右に引き裂かれた巨大な口から、鋭い牙がずらりと覗く。高みから睥睨へいげいしてくる瞳は蛇のようであり、全身を硬い鱗が覆っている。ばさりと立派な翼をはためかせ、喉の奥からぐるると呻きが聞こえてきた。

 どこからどう見てもドラゴンである。


「おー、すげえ」


 だというのに、ユフィーリアの態度は飄々としたものだった。

 天魔の中にはドラゴンのような個体も存在したが、こんな立派な姿はしていなかった。せいぜいが、蜥蜴とかげのような個体で、口から毒を吐いたりしていたような気がする。

 さすが異世界、こんな敵も用意してくれているとは驚きである。


「ここから立ち去れ。去らねば侵入者として排除する」

「え、排除? 排除ってなにすんの? ていうか、排除できんの?」


 完全に煽りである。

 ふざけた様子で挑発してくるユフィーリアに、ドラゴンが大きな口から紅蓮の炎を吐き出して威嚇してきた。おそらく当の本人からすれば当てるつもりはなく、「次はお前がこうなる番だ」と暗に告げているだけだろうが、ユフィーリアはしっかり喧嘩を売られたものだと判断した。

 満足げに鼻を鳴らすドラゴンは「どうだ」と言わんばかりの態度を見せるが、ユフィーリアはすでにドラゴンの目の前から消えていた。


「遅え」


 一瞬でドラゴンに肉薄したユフィーリアは、目にも留まらぬ速さで居合を放つ。

 天魔憑きは、契約した天魔の能力を自在に操ることができる。その能力は常人を逸脱したものが多く、ユフィーリアの場合は視界で認識した如何なるものでも距離や硬度を無視して切断できるという『切断術』を使える。

 その威力は彼女を『最強』と言わしめるだけのものを有し、異世界に来た現在でも衰えた様子はない。あっさりとドラゴンの首を落としたユフィーリアは、煌めく薄青の刃を黒鞘に納める。


「……あ、そうだ」


 ふと思い出したように落ちたドラゴンの首を拾い上げたユフィーリアは、見開かれたままのドラゴンの眼窩に容赦なく指先を突き入れた。

 鼻歌でも歌わない勢いで眼窩へぐりぐりと指先を押し込んでいき、血に濡れた眼球を引きずり出すことに成功する。


「ドラゴンの眼球って売れるんだよな、好事家に」


 世の中には特殊な趣味嗜好を持つ人間もいて、眼球を集めることが趣味だと宣う貴族なんかもいた。蒐集家の中で天魔の眼球は高値で取引されていて、損傷が少ない眼球でユフィーリアはよくお小遣い稼ぎをしている訳である。

 ドラゴンともなれば、それはもうえらい金額が手に入るに違いないと踏んだユフィーリアは、なるべく傷つけないようにしてドラゴンの眼窩からしっかりと二つの眼球を抉り出した。眼球を外套の内側から取り出した空き瓶に放り入れると、残された状態のドラゴンの胴体部を見上げる。


「……ドラゴンの肉とか、ドラゴンの鱗とか、ドラゴンの心臓とか、売れそうだよなァ」


 あの空賊のユーリとやらには申し訳ないが、ユフィーリアも金が必要なのである。主に遊ぶ為の金が。

 まさかドラゴンも金儲けに使われるとは思ってもいなかっただろう。すでに死んでしまっているので文句は言えない状態だが、死人に口なしという言葉があるように、ユフィーリアには関係のない話である。知ったこっちゃない訳である。

 という訳で。


「よーし、バラせたバラせた」


 ドラゴンの臓器とドラゴンの肉、果てはドラゴンの鱗まで丸っと手に入ったユフィーリアは、ご満悦の様子で広々とした玄関ホールを立ち去った。

 玄関ホールの奥に隠されるように設置された扉を押し開けると、ギィという蝶番が軋む音と共に、ユフィーリアを城の奥へと誘い込む。

 薄暗い廊下にひしめく、得体の知れない怪物の数々と目が合った。王冠めいた角を持つ大蛇や蛇の尻尾を持つ鶏、粘性の液体が蠢いていたり二足歩行する蜥蜴もいたりする。

 ユフィーリアはそれらを眺めて、見渡して、それから満足げに頷いた。


「全員狩るか!!」


 弾んだ声で宣言したユフィーリアは、意気揚々と化け物が犇めく廊下を突き進み始めた。

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