第二章【最下層で眠る魔石】

 階段がものすごく長い。

 壁から突き出た燭台しょくだいの火がぼんやりと深淵を照らしているが、十分な光量とは言い難い。

 最初こそ鼻歌交じりに下りていたユーリだが、次第に変わらない景色に飽き飽きしてきて無言で下りていた。もはやただの作業である。罠や鍵の類もなく、ただひたすら階段だけが続いていく。


「このままだと地獄にでも繋がっていそうだねェ」


 洒落にならない冗談も言ってみたりして、ユーリはこの退屈さを紛らわせようとする。が、景色も変わらないし頭がおかしくなりそうなほど階段は終わらない。どこまで行くつもりだろうか。

 退屈だ。本当に退屈だ。いつもは相棒がいてくれるのだが、今回ばかりはそんな贅沢な存在はいない。女神様とやらはなんで自分一人を転移させたのだろうか。せめて相棒の存在があれば、退屈凌ぎにもなったのに。

 そう思っていたユーリだが、不意に階段の終わりが見えてきた。なにやら古びた木製の扉が、最終地点のようだった。


「ようやく終わりかい」


 あー、長かった。

 ユーリはため息と共にそんな悪態を吐き出すと、二段飛ばしで階段を駆け下りる。ヒールが軽やかに階段に響き渡り、彼女はようやく最下層へと足をつけた。

 埃を被った木の扉だが、施錠はされていないようだ。扉を押すと蝶番がギィと悲鳴を上げて、簡単に開いてしまう。「不用心だねェ」と空賊のユーリが嘲り、ひやりとした部屋の中に足を踏み入れた。

 綺麗に舗装された石畳がどこまでも続き、それでいて天井は高い。どういう構造になっているのか不明だが、天井付近には天使や神々が描かれた宗教画が飾られていた。あれらも価値のあるものだろうか、とユーリの赤い瞳が眇められる。


「――んん?」


 ユーリが目をつけたのは、部屋の中央に据えられた台座である。

 いくつもの蛇が絡み合うかのような不思議な台座の上には、紫色の光を放つ球体が掲げられている。ガラスのように透き通っているが内側から煌々と光を放ち続けていて、なにかの力が充填されたような雰囲気さえある。

 それを一目見た時、ユーリの空賊としての勘が告げていた。――これはものすごい価値のあるものだ、と。


「へーえ、コイツはなかなかのお宝じゃないかい」


 ユーリは口笛を吹いて称賛し、ホルスターから散弾銃を抜いた。

 銃口を紫色のガラス玉に向けると、躊躇うことなく引き金を引く。


「食らいな、シルヴァーナ」


 すると、台座に設置された紫色の球体が散弾銃の銃口へと吸い込まれていく。見事に吸引されたそれに値段が付与され、散弾銃の弾丸となる。

 頭の中で響いたこの球体の値段は、


【一億二〇〇〇万ディール】

「へえ、高いじゃないかい。あんな石ころみたいなのに」


 もしかしたらこの世界特有の宝石なのかもしれない。

 長い階段を下りてきた甲斐があったというものだ。ユーリは口笛を吹いて高値をつけられた紫色の球体を「いいねェ、綺麗だったしねェ」と手のひらを返したように称賛する。先ほどまでは石ころみたいだと言っていたのに、高値がつけられた途端にこの反応だ。


「さーて、他にはなにかないかねェ」


 薄暗い最下層の部屋を物色するユーリだったが、その時だ。

 ――ズドン!! となにやら重いものが落ちてくるような音と振動を、背後から感じ取った。


「……なんだい?」


 嫌な気配を感じ取ったユーリは、ゆっくりと振り返る。

 薄暗い中で、ぽっかりと浮かぶ赤い光が二つ。等間隔に並んだその二つの光は右へ左へと怪しく動き、ゆっくりとユーリの眼前に姿を晒していく。


「誰だ……魔石ませきを盗んだのは」


 嗄れ声が落ちてきて、ユーリはあんぐりと口を開ける。

 赤く輝く光の持ち主は、巨大なだった。頭や肩は苔むしていて、ひび割れた頭部から眼球代わりの赤い瞳が覗く。横に引かれただけの口がカタカタと動いて嗄れ声を紡ぎ、どういう原理か動いている。

 石像は「貴様か……」とユーリを見下ろし、それからカタカタと笑う。


「こんな若い娘がなんと無茶をするものよ……その魔石はこの城を構成する魔力の源……魔力の供給が断たれた今……この戦はあの方がやって来る前に負けてしまう……」


 嗄れ声は聞いてもいない情報をペラペラと喋り、ユーリはなんだか鬱陶しく感じた。

 動く石像など、ユーリアが常日頃から財宝を求めて彷徨い歩いている『迷宮区』ならごまんといる。目の前の石像も立派であるが、もう何度か見たことがあるような顔をしていた。

 石像は巨大な拳を握りしめて、ゆらりと掲げる。どうやら殴るつもりのようだが、果たしてその拳はユーリに届くのか。


「盗人よ、魔石を返せば見逃してやろう……返さぬというのならば、生きて帰れると思うな……」

「あー、残念だけどねェ」


 ユーリは散弾銃を手持ち無沙汰にブラブラと揺らして、


「もうこいつに食わせて弾丸にしちまったのさ。一億相当の価値があるみたいだねェ、ご馳走様」


 清々しいほどの満面の笑みを浮かべてお礼を述べた瞬間、石像は眼球代わりの赤い光を猛烈なまでに輝かせて咆哮を上げる。ビリビリと空気を震わせる怒号にユーリは堪らず耳を塞ぎ、「うるさッ」とかすかな苦情も呟く。

 石像は拳で足元の床をガンガンと殴り、床の石を砕いて凹ませていく。怒りに身を任せて、ただ床を殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴って殴った。

 ひとしきり暴れたあと、石像はユーリを見据えてもう一度言う。


「魔石を……返せば……」

「他人の話を聞かない石像だねェ。現実逃避をしても無駄だよ、もうないって言っただろうに」


 散弾銃に食わせたことは、換金したということと同等である。ユーリはひらひらと手を振って、もうすでに魔石とやらがないことを証明する。

 力任せに床を殴りつけていた石像だが、今度はユーリめがけて拳を振り下ろした。ユーリは後ろに飛び退って拳を回避するが、飛び散った石飛礫の何個かが顔面めがけて飛んできたので、手で払い除けた。


「随分と乱暴なことをするじゃないか。こっちは女だよ?」

「盗人に性別なぞ気にしてられん……!! 今ここで死ね!!」

「ははッ、いいねェ!! そうこなくちゃ!!」


『迷宮区』でのやり取りを思い出したユーリは、散弾銃の銃口を石像に突きつけた。


「三〇〇万ディール装填」


 弾丸に装填された金額を込めて、ユーリは願いを叫んだ。


「【止まれ】!!」


 ガチン、と撃鉄が落ちる。

 すると、どうだろうか。拳を構えて殴りかかってきそうだった石像が、途端にピタリとその動きを止めたのだ。「う、ぐおお……」と石像は呻き、無理やり体を動かしてユーリに殴りかかろうとするが、その体は時間が止められたように拘束されている。


「き、さま……!! どうなって……いる!!」

「願いを叶えてもらったのさ。この散弾銃は、そんな能力を持ってる」


 ――それは、遥か昔に『迷宮区』の奥地で発見された魔法の拳銃だった。

 七つの大罪の悪魔を宿したその拳銃は、それぞれ七人の宿主に従った。そのうちの一つがユーリの持つ『強欲の散弾銃』だ。

 強欲の散弾銃は他の七つの大罪と違って単純であり、それでいてユーリ・エストハイムという女の特性によく合っていた。

 強欲の悪魔は金銭を欲しがった。美しいもの、綺麗なもの、あらゆる金銀財宝を宿主たるユーリに求めた。代わりに散弾銃に宿った強欲の悪魔は、金銭の代わりにユーリの願いを何でも叶えてやると交換条件を提示してきた。

 ユーリが願いが大きければ大きいほど金銭は莫大なものとなっていくし、強欲の悪魔に捧げる金額が大きければ大きいほどユーリはたくさんの願いを叶えられる。――空賊たるユーリ・エストハイムにとって、強欲の散弾銃はこれ以上なく馴染んだ。


「魔石とやらを盗んだ時に気づくべきだったねェ、デカブツ。アタシは『強欲の罪マモン』――強欲の悪魔を従えた、大空賊さ!!」


 砕けよと命じようとしたその瞬間、ユーリの頭の中に待ったの声がかけられた。引き金を引こうとした指を止めて、怪訝そうな表情で彼女は虚空を見やる。


「なんだい、今更アイツの命が惜しいとか言わないだろうね?」

【価値がある。二億四〇〇〇万ディール】

「魔石よりも高いじゃないか。どうしてだい?」

【魔力駆動のものは元より高額、さらに意思を持つものであればより高額になる。よって二億四〇〇〇万ディール相当の価値がある】


 なるほど、確かに一理ある。

 そういえば、『迷宮区』の奥底で出会った石像も同じように食わせたところ、かなり高額なものになったのだ。それと同じか。

 ユーリは即決だった。


「食らいな、シルヴァーナ」


 躊躇いもなく散弾銃の引き金を引く。

 散弾銃が石像を吸引し始め、石像は「うごおおおお」と叫んで踏ん張ろうとしている。だが、散弾銃の決定には逆らえずに、吸い込まれてしまった。

 しっかりと二億相当の金額を充填したユーリは、綺麗な満面の笑みで「やったねェ」と言う。


「これなら願いも叶え放題じゃないかい。当分は金銭を消費しなくてもよさそうだねェ」


 魔石も奪い、魔石を守護する石像も換金してご機嫌な様子のユーリだったが、


「――ん? なんだい?」


 ぐらりと足元が揺れ始めて、ユーリは警戒する。

 まさかこの広大な部屋が崩れるのか、と思ったのだが、事態はそういう甘い方向には転がらなかった。

 唐突に床がひび割れて、ガラガラと崩れ始める。慌ててユーリは入り口である木製の扉付近まで駆け寄って、なんとか瓦礫と巻き添えになって落ちることだけは回避した。

 床も天井を支える柱も奈落の底へと消え去り、ぽっかりとした空洞がユーリを飲み込まんと大口を開けている。


「…………なにかいるねェ」


 奈落の底に、いくつもの赤い光が灯り始めた。

 ポツ、ポツ、と生まれていく赤い光にユーリは今すぐここから逃げなくてはと叫ぶ空賊の勘に従って、逃げることにした。


「きげぇえええええええええええええ!!!!」


 大気を震わせる金切り声が耳を劈き、ユーリは一目散にその場から逃げ出した。

 背後でなにか得体の知れないものが蠢く気配を感じながら、必死に階段を駆け上がった。

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