ユーリ・エストハイム編

第一章【空賊と最強の兵士の邂逅】

 ユーリ・エストハイムは空賊である。

 山賊や海賊と違って、活動範囲は主に空中だ。だが、今ここには空を飛ぶ為の術を持っていないので、こうして地上をてくてくと歩いている次第だ。

 歩くの面倒なのでそろそろ移動手段が欲しいと思っていたのだが、アウシュビッツ城の付近までやってくると下水道を発見した。水が絶えず流れていて、ぽっかりと開いた空洞から中に入れそうな予感がする。


「ふぅむ、下水道に足を突っ込みたくはないけど文句は言ってられないねェ」

「ほほーう。お嬢さん、下水道からお城に侵入するのか?」

「ぎゃあ!?」


 背後からぬるりと手が伸びてきて、唐突にユーリの豊かな双丘をもにゅんと揉む。反射的に肘鉄を背後に立つ相手に叩き込み、さらに爪先を高いヒールで踏みつけてやったが、どうやら相手の履いている靴は鉄板が仕込んであるようで、足を踏みつける行為はさすがに通用しなかった。

 ただ、肘鉄の攻撃は通用したようで「ぐっふぇ」という間抜けな悲鳴を上げて、相手は倒れ込んだ。一体どこの誰が破廉恥な愚行をしでかしたのかと振り返ると、そこには銀髪碧眼の女が鳩尾を押さえて呻いていた。


「アンタ、ユフィーリアじゃないか。こんなところでなにをしてるんだい」

「そ、そりゃこっちの台詞だぜ……アイテテテ、鳩尾が痛い」


 肘鉄が叩き込まれた鳩尾をさすりながら、地面に倒れた銀髪碧眼の女――ユフィーリア・エイクトベルはゆっくりと起き上がる。なんなら口の端から涎が垂れていた。そこまで強くやりすぎたのだろうかと、ユーリは雀の涙ほどは反省する。


「それよりも、本気で下水道から忍び込むつもりか?」

「そうするつもりだけど? なにか問題があるのかい?」

「今この城に侵入することは不可能だぜ、なにせ結界みたいなのが張られてる」


 ようやく鳩尾の痛みが引いたのか、ユフィーリアが軽やかな身のこなしで立ち上がりながら言う。


「城に侵入しようとしたんだけどよ、結界に阻まれて城に触ることすらできなかったんだよな」

「結界が張られてるってんなら、あの下水道から流れてる水はどうなるんだい。き止められる訳じゃ?」

「やってみりゃ分かる」


 ユフィーリアは肩を竦めてから、崖を下って下水道付近に歩み寄っていく。その身のこなしの軽さはさながら猫のようで、ユーリは慌ててユフィーリアの背中を追いかけた。

 遠くの方から聞こえる喧騒を聞きながら、二人は下水道の付近までやってきた。どばどばと勢いよく水が流れ、人が一人通れるほどの足場が真横に設置されているのが分かる。ユフィーリアが振り返って下水道を指で示し、「じゃあ入るけどいいな?」と言う。


「早く入りな。誰かに気づかれでもしたらどうするんだい」

「誰かに気づかれたんなら殺せばいい。問題はこの城に入れるか――あー、やっぱり無理だな」


 ユフィーリアが下水道に足を踏みいれようとしたが、その爪先はを蹴飛ばしただけで終わった。脅かす為の冗談かと思いきや、ユフィーリアは下水道の出入り口を殴りつける。その拳は、やはり透明な壁のようなもので堰き止められていた。


「この通りだ。残念だけど、まずは城の結界をどうにかしねえとなァ」

「……ふぅーん? どうにかすればいいのかい?」

「お、なにかあんのか?」

「まあね。アンタとは違って、アタシは空賊さ。障害物を解除するのも仕事の一貫さ」


 どこか自信ありげに言うユーリだが、本来、鍵開けの仕事はユーリの相棒の仕事である。もちろんユーリも開けられない訳ではないのだが、相棒の方が早く開けられるのだ。

 そんな訳で。

 ユーリはホルスターから銀色の散弾銃を抜き放つ。くるりくるりと弄び、それから銃口を透明な壁で覆われた下水道の出入り口へ向ける。


「この結界を全て取り払うには、どれだけの金をつぎ込めばいいかねェ」


 頭の中に響いた声が、その金額を告げる。


【一〇〇〇億ディール】

「はあ!? ぼったくりじゃないか!!」


 いきなり叫び始めたユーリに、すぐそばにいたユフィーリアが驚いたように「うおおッ!?」と飛び上がった。

 そんな周りに気を遣っていられないほど、ユーリは散弾銃の銃身を握りしめて文句を連ねる。


「アンタふざけんのもいい加減にしな!! たかが結界如きにそんな大金が払えるもんかい!!」

【一〇〇〇億ディール以外は認めない】


 頭の中の響く声は頑なである。

 これはなにか特殊なことがありそうだ。ユーリは舌打ちをすると、独り言を叫んでいる痛い女だと勘違いしたらしいユフィーリアへと振り返る。赤い隻眼で睨みつけられたユフィーリアは、ちょっと引いた様子で「ひえ!?」と飛び上がる。


「ちょいと、この結界ってのはなにか特別なのかい?」

「あ、ああ。物理も魔法も通じねえって訳だ。目に見えねえから俺も結界を切れねえし、どうしたモンかね」

「これは一部に穴を開けることはできるのかい?」

「あ? まあ、できるんじゃねえの? やったことねえから分かんねえけど」

「そうかい」


 散弾銃の銃口をもう一度下水道へ向けて、


「結界の一部解除、この下水道に限ってはどれぐらいだい?」

【二〇〇万ディール】


 一〇〇〇億ディールよりもかなり下がった。これなら補充された金額で賄えるだろう。

 ユーリは「なら、二〇〇万ディール装填」と言う。玩具のような散弾銃を構えて、ユーリは願いを込めながら引き金を引いた。


「【破れな】!!」


 銃声はなかった。

 カチンと撃鉄が落ちると同時に、パリィンというガラスが割れるような音が耳朶を打った。試しに下水道の出入り口に触れてみたが、透明な壁で阻まれることはなく通れるようになった。


「すげえなァ、今のなに?」

「願いを叶えてもらったのさ、悪魔にね」


 ユーリは自慢げに口の端を吊り上げて笑い、それから散弾銃をホルスターにしまう。

 悠々とした足取りで下水道の出入り口を潜り、その背中をユフィーリアも追いかける。ユフィーリアが通り抜けるとほぼ同時に、パキパキという不思議な音が聞こえた。見れば、虹色に輝く膜のようなものが張られていた。結界が復活したようだった。


「どうなってんだい。せっかく結界を壊したってのに、また出る時二〇〇万ディールを支払わないといけないじゃないか」

「結界師がいんだろ、どっかに」

「なんだい?」

「結界を張るのが仕事の奴らだよ。そいつらを倒さねえ限りは結界は復活するだろうし」


 二人分の足音が、水の流れる音によって掻き消される。

 ユーリの後ろをユフィーリアがついてきているので、なんというか、居心地が悪い。そもそも彼女には先ほどの前科があるのだ。――いきなり背後から胸を揉むという前科が。

 ところが、ユフィーリアは特に何をする訳でもなく、ただ「暗いなァおい」とかぶつくさ文句を言いながらついてくる。チラチラと背後を確認しながら歩くと、彼女はにやりと楽しむように笑って、


「なーに、お嬢さん。俺の顔になんかついてるのかい?」

「アンタって、顔だけ見ると美人なのに、どうしてそうも品のない話し方なんだろうねェ」

「別にいいじゃねえか。品のある喋り方ってなによ、語尾に『ざます』ってつければいいのか?」

「ていうか、いきなり胸揉んできたし」

「いやー、お嬢さんでかいよね。揉み応えあるっていうか、ものすげえ柔らかいし」

「今度揉んだら金取るよ」

「金払ったら揉ませてくれんの? 寛大だなァ、いくら積んだら揉ませてくれる?」

「一〇〇万持ってきな、話はそれからだよ」


 そんな下品な雑談をしているうちに、上へ伸びる錆びた梯子がかけられていた。

 ユーリはジロリとユフィーリアを睨みつけて、それから錆びた梯子を顎で示した。視線だけで「先に行きな」ということを示したのだが、彼女はその意図を汲み取る前に自分で先に行くつもりだったようで、なにも言わずに梯子を掴む。

 慣れた様子でするすると梯子を登っていくユフィーリアの後ろに続いて、ユーリも梯子に足をかけた。


(不思議だけど、こういうことが進んでできるってことは、やっぱりだからかねェ)


 女神から与えられた情報では、ユフィーリア・エイクトベルが生きている世界は空から降ってくる謎の怪物と戦争をしているらしい。――空で生きているユーリと似て非なる世界だ。

 彼女の役割は前線でその命を張り、時に特殊任務に従事することだ。精鋭部隊の前衛を担当しているようだが、その戦闘技術がどれほどのものなのか情報にはない。

 だが、こういうことが進んでできるということはそれなりに強いのだろう。多分、ユーリよりもだ。


「ねえ」

「ん? あ、悪い。さっき屁ェこいたから臭えか?」

「そんなこと言ってんじゃないよ。アンタはなんで城に忍び込みたかったのかって聞きたいんだよ」

「あー、そのことか。――ちょっと静かにしててな」


 追いかけてきているユーリを見やったユフィーリアが、快活そうに笑って唇に指を当てる。行く手を塞ぐように鉄の扉が横たわり、押せば開くことができるようだった。扉を開いた途端に攻撃されたらたまったものではないのだろう。――そういえば、彼女は異世界に転移された時、誰が最初に扉を開けるのかと発言した張本人だったか。

 ユフィーリアはほんの少しだけ鉄扉を押し開けて、それから周囲に敵影がないことを確認する。どうやら敵影がないようで、彼女は素早く梯子を登りきると、「よし」と満足げに頷いた。


「お嬢さん、お手をどうぞ」

「そんなものなくたって」

「梯子の最後の段が折れてんだよ。別にやましいことはしねえから、ほれ」


 そういう話を聞いてしまうと、従わなければいけない雰囲気になってしまう。

 ユーリは仕方なしにユフィーリアが差し出してくる手を掴むと、ひょいと引き上げられる。しっかりと重いユーリを腕一本で釣り上げる腕力は眼を見張るものがある。

 冷たい石の床の上に降り立ったユーリは、そこが倉庫のようなところだと認識する。たくさんの木箱が積み上げられていて、どれもこれも埃を被っている。中身は腐った肉や果物のようなもので、とても金銭に変えられるようなものではなかった。


「仕方がないね、他のところで探すか」

「やっぱり空賊だからお宝がほしい?」

「そうだねェ、アタシは空賊だからね」

「その割には華美な装飾品をしている気配がねえけどなァ」


 見透かすように青い瞳が輝いて、ユーリは言葉に詰まった。

 凪いだ海面の如く穏やかで、それでいてどこか不気味である。互いに知らないはずなのに、奥底まで見られているような気がした。

 だが、ユフィーリアは元々そこまで深く追及するつもりはないらしい。「まあいっか」と会話を即座に切り上げて、ヘラリと笑う。


「お嬢さん的にも深く探られない方が都合いいだろ。俺も深く探られない方が都合いいし、それでチャラってことで」

「別にやましいことなんか隠してないんだけどねェ」

「ん? 探られてもよかったって? なんならおっぱいでも揉みながら話する?」

「それは単にアンタがやりたいだけだろうに」


 心底嫌そうな顔をすると、彼女は快活そうに「あはははッ」と笑った。なんというか、男みたいに笑う人である。


「そういうアンタは、なにが目的だい? アンタは金目のものなんざ欲しくないだろう?」

「まあ、金目のものは欲しいけどよ。俺の目的は城に残された予備戦力の殲滅。つまり増援を潰すことだな」


 倉庫から顔を出したユフィーリアは、周辺の様子を窺いながらユーリを手招きして廊下へと呼び出す。その行動がどうにも手馴れている。きっとこんな任務をいくつもこなしているのだろう。


「性格の悪いことを考えるねェ。増援呼んだら来なかったってオチかい」

「嫌だろ?」

「嫌だねェ」


 ユフィーリアはにんまりと笑って、それから二人の前に分かれ道が出現する。

 片方は上層階に繋がる階段、もう片方は下層に繋がる階段だ。

 そのうちユフィーリアは上層階に繋がる階段を目指し、ユーリは下層に繋がる階段を選んだ。


「お、じゃあここでお別れか」

「そうだねェ。アンタも好きにやるんだろう、アタシも好きにやるさ」

「俺も最初に言った通りだな。好きにやるから、死んだ時には自己責任ってことにしといてくれ」

「死ぬつもりは毛頭ないだろう?」

「当たり前だろ。俺だって元の世界に帰りてえんだよ」


 じゃあ、そういうことで。

 自由奔放を体現した銀髪の女二人は、真逆の方向を選んで別れることになる。

 が、


「あ、そうだ。お嬢さん」

「なんだい」

「俺って元々はなんだわ。契約して今はこんな女の姿になっちゃいるが、きちんと野郎だったんだぜ」

「……………………」


 男?

 目の前で不敵に笑う彼女が、男?

 ならば。

 出会い頭にユーリの胸を揉みしだいたのは、あれは――。


「てな訳で、ご馳走さん。いやー、いいモン揉ませてもらったわ」

「――ッ!! 待ちなアンタ!!」

「はははははッ!! あばよお嬢さん、また会えたら殴られてやるよ、一発ぐらいはな!!」


 ケラケラと笑いながら、ユフィーリアは階段の奥へと消えていった。

 このまま追いかけてもいいのだが、この下にあるだろうお宝が勝ってしまった。どうせ彼女のことならば生きているだろうから、あとで思う存分殴ればいい。

 ユーリは舌打ちを一つ落として、それから階段を下りていった。

 この先にあるだろう、まだ見ぬ財宝を目指して。

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