1 ここは異世界

「とりあえず、その格好を何とかしないと……」

 赤い髪の少女が極力一真の方を見ないようにして背中に背負っていた袋を床に置いて中をごそごそと探った。


 一真はそれを座り込んだままぼんやりと眺めていた。事態を飲み込めずに呆然としてしまっているのだ。

 それでも股間だけは両手でしっかりと隠している。


 ふと、赤い髪の少女の隣の黒髪の少女と目があった。

 すると黒髪の少女はびくりと体を震わせて怯えるような眼差しを向けてきた。

 少し傷ついたが、無理もない。得体の知れない誰とも知らぬ男の全裸とシンボルを間近で見てしまったのだ。

 幼く見える容姿をしてるのでそういった経験がないのかもしれない。

 可愛らしい瞳が涙に濡れているのを見ると罪悪感を感じる。


 その黒髪の少女から赤い髪の少女を挟んで隣にいる金髪の少女からは「それ両手で隠す必要あんの?」と、少し傷つくだけではすまない台詞が聞こえてくるが、これは聞き流す。

 蔑むような瞳から、蔑むような声での容赦ない指摘。

 彼女も、なまじ可愛い顔をしているのでそのギャップから来る破壊力は相当なものだ。今の余裕のない一真には受け止めきれない。

 彼女のことは今は意識から出来るだけ排除しようと一真は決めた。


 そうこうしていると、赤い髪の少女は袋から大きな布を取りだし、腰の剣を使って真ん中に穴を開ける。

 続けてその左右に端まで切り込みを入れた。

 その切れ味を見て、彼女の剣は本物でその姿がコスプレなどではないと思い知らされる。


 赤い髪の少女はその作業を終えると、一真の頭を布の真ん中の穴に通した。一真の股間と背中が隠れて両手が自由になった。

 赤い髪の少女と黒髪の少女もほっとしたようだった。

 金髪の少女はにやにやしているが、それは見なかったことにした。


 赤い髪の少女が続けて長い紐を手渡してきた。

 一真は首をかしげる。

「紐で腰のところで結ぶのよ」

 見かねた赤い髪の少女の指摘に納得すると、一真は立ち上がって紐を腰に回し結ぶ。

 いわゆる貫頭衣というやつだ。あくまで簡易的にすぎないが。


 赤い髪の少女も立ち上がる。

 その少女に一真は右手を差し出した。きょとんとする少女に告げる。

「俺は如月一真きさらぎかずま、よろしくな」

 とにかく、情報が欲しい。そのためには友好な関係を築こうと一真は考えた。

 赤い髪の少女に微笑みかけると、彼女も察したようで、同じく笑みを返すと一真の手を握り返してきた。

 剣を使っているのだから稽古も沢山しているのだろう。皮は厚く蛸が沢山出来ている。

 それでも全体的な柔らかさと温かさは女の子らしさを感じさせて一真は少し気恥ずかくなった。

 自慢ではないが生まれて十七年間彼女なんかいなかったし、女の子とろくに手を繋いだこともないのだ。


「私はエリス。キサラギカズマって珍しい名前ね」

「如月が名字で、一真が名前だよ」

「それなら、カズマ・キサラギじゃないの?」

 問いかけながらエリスは一馬から手を離す。

 一真はそのエリスの疑問と質問に合点が言った。どうやらここがどあうところかはまだわからないが、外国のように名前が先に来て、名字はあとに来る風習のようだった。


「俺の国では名字が先なんだよ」

「変わった国………と言うよりも聞いたことないわね、そんな風習の国………」

「日本って国なんだけど知らないかい?」

 エリスは首を横に振った。他の二人も似たような反応だ。

「カズマはその国の貴族なのかしら?」

 変な質問だな、と一真は思った。何の脈絡もなく、どうして貴族だという発想が出てくるのだろう。

「いや、俺は一般市民だよ。どうして貴族だなんて思ったんだ?」

 その答えにエリスも他の二人も戸惑いをあらわにした。

「だって、姓を………平民が家名を持っているわけないでしょう?」

 まるで当然のことのように言う。現代の貴族の知識も朧気な一真はそんなものなのかと思うくらいしか出来なかった。

 ここでは名字があると貴族扱いされるということなのか。


 三人にじっと見つめられ一真は焦りながら言った。

「とにかく、俺は貴族ではないんだ。それをわかってくれればいいよ」

 エリス達はわかったようなわからないような顔をしたがひとまずその事は後回しにすることにしたようだった。


 少しの沈黙のあと、エリスに促された黒髪の少女が一真に軽く頭を下げた。

「私はぁ……レイチェル・エールデンスって言いますぅ……」

 ビクビクと怯えながら上目遣いで見上げてくる様は小動物を思わせた。

 どうやら、完全に怖がらせてしまっているようだ。

 出来るだけ優しい笑顔でレイチェルに尋ねる。


「じゃあ、名字のあるレイチェルは貴族って事なのか?」

「はいぃ……」

 レイチェルは全く警戒心を解いた様子を見せなかった。依然怯えた泣きそうな顔をしたままだ。

 ただ、一真に対する好奇心はあるようで、そのままの表情で尋ねてくる。

「カズマさんもぉ…魔導士なんですよねぇ……?」

「……………………」

 一真は完全に沈黙した。さっきの貴族の話よりも更に脈絡なく突拍子もない。

 わかったのは「も」と言うからにはレイチェル自身が魔導士とやらだということだけだった。


 一真は首を横に振りながら答えた。

「悪いけど魔導士なんかでもないよ。ただの一般市民だ」

「黒髪なのにですかぁ……?」

 レイチェルがぽかんとしている。

 だがそれは一真も似たようなものだった。黒髪だから魔導士。いったいどういうことなのかさっぱりわからない。


 情報が欲しいと思っているのに、わからないことが増えていく気がする。

 理解できぬまま、金髪の少女の方を向いた。


 金髪の少女はその視線に気付くと、挑発的な笑顔をして自己紹介をする。

 彼女は先程出会ったときからずっと一真を馬鹿にしている気がする。

「あたしは、セリシア。アルハルト=ルーハートの神官だよ。神官くらい見ればわかるだろ?」

「うん、服を見ればね………」

 見るからに神官という服装だ。アニメやゲームと同じだというのは奇妙なことかも知れないが、お陰でわかりやすい。

「はぁ!? 髪を見ればわかるだろが、金髪なんだから」

 セリシアはそんな一真の答えに心底馬鹿にしたように自分の長い金髪を指差しながら言った。


 一真の思考回路はショートした。

 自己紹介をしつつ友好的な関係を構築していき情報を得ようとしているのに、その自己紹介からもう訳がわからなくなってきている。


 黒髪だから魔導士? 金髪だから神官?

 この子達は何を言っているんだろう。さっぱり理解できない。

 そんなこと言ったら地球上が魔導士と神官だらけになっちゃうだろうに。


 ふと一真は二人とのやり取りを見守っていたエリスを見た。

 真っ赤な夕陽のような赤い髪。

 ファンタジー世界の先入観で見ていたので疑問に思わなかったが、よくよく考えたら赤い髪はおかしいのではないかと一真は当たり前のことに遅まきながら気付いた。

 綺麗で艶のあるエリスの髪を見ると、染めているようには見えないが、もしかすると……。


「もしかして、赤い髪は剣士って決まってるのか?」

 聞かれたエリスはそれは困った顔をした。

 エリス達からしても一真のことを知りたいのは変わらない。

 だというのにこの少年は話せば話すほどおかしなことばっかり言ってくるのだ。

 ふざけているのかとも思ったが、そういうわけでもないようなのが、輪をかけてエリスを困らせていた。


「そんなわけないわ………黒髪や金髪以外は何の加護も受けていない普通の人よ、常識でしょう」

「………以外って、赤い髪の他にも色んな髪の人がいるのか?」

「当然でしょう……?」

 つまり、青やら緑やら何種類ものカラフルな髪の色があって、一真のいたところでは普通だった髪の色がここでは特別で特殊だということなのだろうか。


 一真は口に手を当てて考え込む。

 一真の常識とはかけ離れすぎている。過去の遺跡だというこの場所の石碑に日本語が刻まれていたので、もしかしたらここはをSF映画のように一度地球上がの文明が滅びて何万年も経った未来の世界みたいなところなのかもと思ったが、そうではないようだ。


 どんなに時間が流れても人の髪がカラフルになるわけはないし、本物の魔導士やら神官だとかが生まれてくるとは思えない。


 やはりここは異世界なのだ。日本語が存在する理由はわからないし、彼女達と言葉が通じる理由もわからないが、自分はアニメや漫画のように異世界転移したということだ。


「カズマ………大丈夫?」

 黙り込んだ一真をエリスが心配そうに見つめてくる。

 最初は怒鳴られもしたが、大分雰囲気が柔らかくなってきている。

 きっとこちらが彼女の本来の性分なのだと一真は思った。


 そんなエリスを心配させまいと強がって一真は笑った。

「大丈夫だよ。大体わかったから」

「わかった?」

 一真は頷いて、三人に少女を順々に見つめた。それぞれが一真が次に何を言うのかと待っている。

 その三人に一真ははっきりと宣言した。


「俺は異世界から君達に呼ばれてこの世界に来た人間なんだ!」


 力強い一真の言葉に三人が目を見開く。そして、徐々にその目が失望に染まり、しまいには残念なものを見るようなものに変わっていった。


「あ……あれ?」

 一真はその反応に戸惑った。何故、そこまで残念そうな顔をするのか。


「あなたね………いくらなんでもそれはないわよ」

 エリスの口調には先程まであった一真に対する心配するようなものはなくどこか冷たい。

「え? あの……」


「異世界なんてぇ……今時子供だって信じませんよぉ…」

 レイチェルもがっかりした様子を少しも隠さなかった。

「ち、ちょっと……?」


「異世界なんてあるわけねーだろ。頭おかしいのか、お前は」

「…………」

 セリシアは最初から一真を馬鹿にしていたので違和感はない。

 だが、問題はそこではない。


 一真は大声で突っ込みたかった。

 異世界ファンタジーの住人そのものの姿をしたお前らがそれを言うのかと。


 風呂に入っていたらそのまま異世界に呼び出さされて、その異世界の人間からのこの言われよう。


 理不尽ここに極まれりとは正にこの事だった。


 一真はゆっくりと上を見上げた。

 可哀想な人を見るような三人の視線から逃れるように。

 溢れた涙がこぼれてしまわないように。

 一刻も早く日本に帰る方法を見つけよう。


 一真はそう強く決意した。



















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