第17話 文芸パレスの黒猫マスコット

「有休とれたから来週そっち行くけど会える」


 もう一度彼女は繰り返した。


「え、いつ、何曜日」

「月、火、水」

「月曜は一日空いてる、火、水は、夕方空いてる」

「そう。だったら、月曜に」

「わかった。どこか行きたいとこある」

「文学館か、作家の記念館」

「月曜は休みのとこ多いけど、ちょっと待ってて」


 私は、地元の図書館に置いてある文学散歩リーフレットを取り出した。


「え、と、月曜開館なのは、鷗外記念館、漱石の方は月曜休館、田端文士村と近代文学館も月曜はお休み」

「そう。じゃあ、鷗外ね。来週の月曜、何時にどこにいればいい」

「最寄駅は地下鉄の千駄木で、直接行ってもいいけど、途中の図書館も鷗外の展示コーナーがある。

「本郷図書館」

「それ。地下に庭があって、そのサンクガーデンに沙羅の木がある。鷗外のコーナーには、等身大のパネルも」

「じゃあ、鷗外のパネルの前に、11時」

「わかった。あ、そうだ、あのね、電車よく遅れたり止まったりするから、携帯出られるようにしといて。メールで連絡も入れるから」

「了解」

「楽しみにしてる」

「そう」


 彼女の素っ気ない返答の声が、少し浮き立っていたように聞こえたのは、私の気のせいだっただろうか。

 多分、そうだ。

 私の浮かれた気持ちが、そういう風に耳にフィルターをかけたのだ。


 彼女と心置きなく会うために、とにかく原稿に目途をたてようという意欲が湧いてきた。

 レモン系のリーフをブレンドしたハーブティーに、ローズマリーをひとつまみいれると、つんと鼻の奥を刺激する香りに、しゃっきりとした。



 そして、待ちかねた月曜日。

 二度寝の寝坊で目が覚めたら時計は10時を回っていた。

 うちから千駄木までは、徒歩と電車で30分はかかる。

 今から着替えて、顔を洗って、彼女と会うのに顔をきちんと作りたかったけれど、その時間は無さそうだった。

 慌てて、まず遅れる旨のメールをして、化粧も着替えも最低限で済ませて家を出た。


 車両点検や事故で電車が遅れないよう祈りながら、私は電車に揺られていた。

 彼女にその注意をしていたのに、情けないことだ。

 途中、時間調整で3分停車した他はスムーズに最寄駅の千駄木についた。

 千駄木の団子坂上に、かつて、鷗外が家族と住んでいた観眺楼があった。

 今は、モダンな建築の記念館になっている。


 地下鉄が千駄木駅に着いた。

 私は降りると改札を抜け、階段を上って地上へ出た。

 左に進んですぐ団子坂下だ。

 団子坂の反対は三崎坂、その坂を上っていくと、谷中や日暮里、足を延ばせば上野へとつながっている。

 地下鉄が下を走る不忍通りを進んでいけば、根津神社に本郷の学生街だ。

 谷根千と言われるこの辺は、かつて多くの文人たちが住み、散策していた。

 鷗外もその一人で、作中人物もこの界隈を逍遥している。


 時計を見ると11時をまわっていた。

 急がないと。

 階段を駆け上る。


 待ち合わせ場所の本郷図書館は、団子坂を上がりきる手前の右に入っていく道沿いにある。

 その道をまっすぐに進んで行くと、旧安田楠雄邸、高村光太郎旧居、ファーブル昆虫館 「虫の詩人の館」 などがあり、ちょっとした文化探訪の散歩道になっている。


 本郷図書館は、右折してすぐに見えてくる。


 文京区立本郷図書館は、外観はこれといった特徴のない一般的な公共施設を思わせる建物だった。


 入口の手前に、ガラス張りの掲示スペースがあり、図書館カレンダーやイベントのお知らせが貼り出され、スタッフやボランティアの手作りと思われる、カラフルな編みぐるみの人形たちがその下に並んでいる。

 

 そういえば、ご当地キャラクター大流行に乗って、学生時代の文学読書系サークルでも、文芸パレスの参加時に、ブースに目印になるようなマスコットを置こうという話が出たことがあった。

 流行に乗ったそういうものは軽薄じゃないかという意見も出たが、重鎮と呼ばれていた留年生が面白がったことで、やってみようということになった。

 なったのだが、手芸が得意なメンバーがいないことが話が進んでから判明し、結局イラストでいいんじゃないかということになった。


 ところが、当日、長テーブルのブースに、サークル名の書かれたミニスケッチブックを持った黒猫の編みぐるみが置かれていた。


 「かわいい」「誰が作ったの」「くたっとしてるとこが猫っぽい」と、口々に編みぐるみをほめそやす売り子たち。

 その輪には加わらずに、宅配便の箱を空けてもくもくと冊子を取り出している泊愛久。

 私は、自分が作ってきた不格好なフェルトの黒猫をバッグから取り出しそびれていた。


「あれ、作ったの? 」


 彼女は首を軽く縦にふると、手を休めることなく設営作業を続けていく。


「編み物できたんだ。器用だものね。目も揃ってるし、売り物みたい」

「しゃべってないで、手伝ってよ」


 ほめたつもりだったけれど、それが彼女の気に障ったらしい。

 しゃべりながら手を動かすことの苦手な私は、深呼吸して気をとりなおして、


「この子、どこに置こうか。新刊と一緒にがいいかな」


 と、黒猫を両手で抱えて言った。

 彼女は知らんふりをしている。

 代わりに後輩が私に話しかけてきた。


「先輩、その子かわいいから、目立つ場所に置きましょうよ」

「本より目立たせるの? 」

「かわいいもので釣るんですよぉ」


 鼻にかかったのんびりした口調の後輩が、私の手から黒猫の編みぐるみをとって、組み立て式の二段ラックの上に置いた。


「ほら、いいじゃないですか」

「そうだね、目立つね」


 私は会話をしながら、彼女をちらちらと見ていた。

 彼女は興味がないという風に本の冊数を数えている。


 その日は、黒猫効果か、いつもより本を手に取ってくれる人が多かった。

 けれど、それは、その時一回限りだった。

 編みぐるみが紛失してしまったのだ。

 惜しむ声もあったが、イベントの煩雑さの中で何処かに紛れてしまったのだろうということでその場はおさまった。

 

「いけない、時間過ぎてたんだ」


 編みぐるみを見ているうちに思い出に浸ってしまっていた私は、我に返って、慌てて館内へ入った。

 そして、館内案内図を改めて確認してから、待ち合わせ場所の書架と閲覧室のある地下へ階段で降りていった。



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