その3 綴野つむぎと後輩インターン

「今日から一週間、お世話になります」

 午後になって訪れてきたのは、中学二年生の少女だった。

 それは、青天の霹靂へきれき

 午前中に店長から、「今日、地元の高校生がインターンに来るから」と言われたのがきっかけで、「指導のほど、よろしく」と投げつけられたのだ。

 そんな少女の第一印象は、やる気がない、だった。

 目に活力が見られず、立ち姿もどこか脱力気味。視線もどこを見ているのか、なんというか眠たそうだ。

 インターンは一週間。午後二時から四時までの二時間。

 当日に店長に聞かされたため、仕事どころではなく、どんな仕事を体験させるか悩みながら午後を向けることになったのだ。

 ちなみに、店長はわたしに丸投げにする気まんまんだ。

「じゃあ、まずは――」

 わたしはカウンターに置いておいたエプロンを手に取り、少女に手渡した。

 少女はそれを広げ、ゆっくりとした動作で身につけた。

「これを着たからには、あなたも今はこの『ぽっぷぽっぷ書店』の店員です」

「はい」

 ぐっと拳を突き上げるわたしに、逆にテンションを下げる少女。

「それじゃあ、始めましょう。最初は――」

 そして、綴野つむぎ初の教育が始まったのだ。


 少女は一見やる気がないように見えて、言われたことはそつなくこなした。

 とは言っても、初日は本屋の説明や本の整理、本屋の切実な内輪事情など、興味を持ちそうなことを説明していた。

 そうして、初日も残り三十分を切ったところで、わたしは少女を奥の小説コーナーへと連れ込み、

「ここから、面白そうな本を選んでみて」

 そう言うわたしに、少女が首を傾げて見せる。

 ちなみに、耳だけ傾けていた店長も、最後の最後で眉を寄せていた。

「私が、選ぶんですか?」

「ええ、どれでもいいわ。タイトルでもいいし、表紙でもいいし、とにかく『これ、読んでみたいな』ってものを選んでいて」

「分かりました」

 渋々と言った表情で、本棚と向かい合う少女。

 その背中を見守る私は、少女が手に取っては戻すを繰り返す光景をウキウキ気分で眺めていた。

「じゃあ、これで」

 残り五分のところで少女が一冊の本を手にわたしの前で立ち止まる。

「じゃあ、それを最終日までに読んできてくれるかな?」

「私が、ですか?」

「うん。最終日前日には、ポップづくりをしてもらいます」

「ポップ?」

「これのことよ」

 そう言って、わたしは平積みされている本の傍らに立つポップを指さして見せた。

「ポップは、お薦めしたい本の紹介文なの」

「それを、私が書くんですか?」

「そうよ。インターンだから、気を張らなくても大丈夫。あくまで体験だから、ね」

「わ、分かりました」

 少しかがみ込んで少女の顔を覗き込むと、顔を背けられてしまった。

「じゃあ、今日はここまでね。また明日ね」

「お疲れさまでした。失礼します」

 頭を下げ、少女が奥の従業員室へと姿を消す。

 まるでアルバイト初日の自分を見ているようで、少しほっこりした気分でいたわたしに、

「あの小説代、給料から天引きするから」

 という店長の声が背後から聞こえたけど、わたしは全然気にならなかった。

 気にならないったら、気にならないのだ。


 それから三日後の木曜日。

 選んだ本を持ってくるように指示しておいたわたしは、一時間を仕事の体験にあて、残り一時間を従業員室での読書に割かせたのだ。

 自宅とは違い、他にすることのない環境に置くことで読書に集中させるというわたしの案が功を奏し――決して、二時間もさせる仕事がないわけではない――予定通りに少女は小説を読み終えた。

 そして、そのまま従業員室で、ポップづくりをしてもらった。


 翌日の金曜日。つまり、インターン最終日。

 わたしと少女は、表紙を見せるようにして置かれた本とポップを前にしていた。

「あの、どうして棚に並べるんですか?」

「もしかしたら、これを見て興味をもって買ってくれるお客さんがいるかもしれないわ」

「でも、あの、書くだけって……」

「こんな素敵なポップ、書くだけなんて勿体ないわ。ポップは、誰かのために書くものなの。そして、見られて初めてその魅力を発揮するのよ。現に私だって――」

 頬に手を添え、うっとりするわたしに、何か言いたげな、だけど結局は言えずに口を噤む少女。

「今日は一緒に、レジに挑戦してみましょうか」

「は、はい」

 そう言ってカウンターの奥へ向かうわたしは、後ろ髪を引かれるように自分が書いたポップを気にする少女の姿を微笑ましく眺めていた。


「ありがとうございました」

 少女と一緒に頭を下げる。

「どう? レジ打ちは?」

 お客さんが店を出たのを見計らい、少女に声をかける。

「だいぶ慣れてきました」

 そう言って、ふぅとひと息つく少女。

 そして、ちらりと横目で奥の本棚に目を向ける。

(なんだかんだで気になってしょうがない気持ち……分かるわっ!)

 内心で激しく同意するわたしに、少女が視線を入口に向ける。

 お客さんがひとり入ってきたのだ。

 その客はまっすぐに小説コーナーへ向かい、そして――

「あっ……」

 おそらく無意識なのだろう。少女が小さく声を漏らす。

 そう、その客は、少女が書いたポップを前に立ち止まっていたのだ。

(先輩、手に取ってくれるかなぁ?)

 内心、ドキドキが止まらない。

 その客は、今日のために呼んだ先輩だった。

 先輩に、インターンが書いたポップを見てほしい。そして、それが手に取るに足るかどうかを判断してほしい、とメッセージを送ったのだ。

 少女が胸に手を当て、エプロン――ポップポップ書店の文字――を鷲づかみ。

 そして、先輩の腕が持ち上がり、その人差し指が本棚へと伸び――

「――っ!」

 少女が息を呑む。

 先輩が手に取った小説をレジへと持ってくる。

 その小説は、間違いなく少女がポップで紹介したものだった。

 今日までずっと落ち着いた態度でそつなく何でもこなしていた少女が、興奮を隠せない様子で本を手に取り、会計作業を行う。

 そんな光景を微笑ましく見つめるふたりの視線。

「ありがとうございました」

 少女が頭を下げる。いつもより深く、長く――

「どう、気分は?」

「う、嬉しかったです」

「でしょ?!」

 自分のことのように喜ぶわたしに、少女が初めての笑顔を見せてくれた。

 そうして、少女の五日間に亘るインターンは終わりを告げた。


 その日の夜の、とあるメッセージのやりとり(一部抜粋)。

『私は今、猛烈に感動している。将来有望。今のうちの唾を付けておくべし(先輩命令)』

『了解です(敬礼)』


 一ヶ月後。

 私服姿の少女が店を訪れた。

「今年の委員会――図書委員に立候補してみました」

「ホントに!」

 インターンでのポップづくりがきっかけになったと言ってくれたときには、わたしは天にも昇りそうな気分になっていた。

「はい。うちの中学の図書室って、ポップづくりが伝統になってるんです。何でも、本好きな生徒が提案して、それが少しずつ話題になったそうなんです。司書さんも、『あの子には、本に携わる仕事に就いていてほしいわね』って言ってました」

 どうやら、あの司書さんもやる気になってくれたらしい。

「それじゃあ、伝えて。わたしはここ――『ぽっぷぽっぷ書店』の店員として、本に携わる仕事を立派に勤めています』って」

 そう言って意地悪な笑みを浮かべるわたしに、少女が目を見開き、そしてはにかむように笑った。


 そして、わたしは今日も、大好きな本を紹介するために、ポップを書くのだ。

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綴野つむぎと紡がれるダイアリー 天瀬智 @tomoamase

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