第10話・映画館でデート

 翌日、颯斗が家を出てすぐのこと……

「というわけで颯斗お兄ちゃんを尾行したいと思います!」

洗面所で探偵帽子をかぶって半袖の白のYシャツに黒のサスペンダーをつけた茶色の半ズボンを穿いて木製のパイプをくわえた依吹がパジャマ姿で右手に歯ブラシを持っている嵐斗にそう言うと、嵐斗は「ふーん……行っていらっしゃい」と冷たくあしらった。

 予想外の嵐斗の対応に依吹は「いやいやいやいやいや!」と突っ込んで改めて嵐斗に颯斗を尾行する理由を話す。

「あの女っ気のない颯斗お兄ちゃんが女の人と映画館デートに行くんだよ? 嵐斗お兄ちゃん気にならないの!?」

 そのことは既に本人から聞いて知っている嵐斗からしてはどうでもいいことでもあり、人のことにちょっかい出せる身でもなかったからだ。

「俺もこれからデートだからな。人の事をとやかく言う暇なんてねえよ」

兄の爆弾発言に依吹は「嵐斗お兄ちゃんも!?」と驚く。

 嵐斗は歯ブラシを空のコップに入れて着替えるために2階へ上がる。

「あの勉強一筋だった兄さんが自分から自分を変えようとしているんだ。俺ら弟妹がとやかく言う筋はねえよ」

嵐斗はそう言いながら階段を上がると、依吹はこんなことを嵐斗に尋ねた。

「そう言えばお兄ちゃんまだ麻衣さんと付き合ってるの?」

 それを聞いた嵐斗の足はピタリと止まった。

「なんか文句でもあるのか?」

振り向きもせずに穏やかでありながらとても威圧感のある口調で嵐斗は聞き返すと、ゴゴゴゴゴゴゴという圧力に、これ以上は今日を自分の命日にすることになると気づいた依吹は「ナンデモゴザイマセン」と濁してバタバタとその場から逃げるように玄関を出た音がした。

 嵐斗はハアッと溜息をついて「全く、この家じゃ誰も俺の事を解っちゃいない」と愚痴って階段を上がる。

 そして颯斗はどうしているかというと……

キッチリ約束の時間に待ち合わせ場所で待っていた。

 場所は映画館の売店近くで、颯斗は通りが見えるガラス張りのイートインコーナーのスツールに座って蜜奈が来るのを待っていた。

「颯斗さん! 待たせちゃいましたか?」

右から声をかけられた颯斗は振り向くと、すらっとした碧のワンピースに茶色の半袖Yシャツを羽織って黒のヒールスニーカーを履いている。

 一言で言えば、杏奈よりオシャレさんだ。

颯斗はその姿に見惚れてしまい、無言になっていた。

 そんな颯斗に蜜奈は「どうかしましたか?」と尋ねると、ハッと我を取り戻した颯斗は冷静を取り戻す。

「いや、見惚れていただけだよ」

颯斗がそう言うと、蜜奈は嬉しそうな顔で颯斗の右手を取り「ではチケットを買いに行きましょう!」と言って颯斗を引っ張った。

 スツールから引きずり込まれるように颯斗に引っ張られ、クルクルと回転するスツールを後にし、チケット売場へ向かう。

 2人はチケットを購入して売店で飲み物とSサイズのポップコーンをひとつ買い、シアタールームに入った。

 少し経って、袖を折った白の長袖Yシャツに黒のウエストベストに黒の長ズボンを穿いて黒のブーツを履いた嵐斗と紅の長袖Yシャツに赤と黒のチェック柄のプリーツスカートを穿いて黒のロングソックスと赤のパンプスを履いた麻衣が映画館についた。

「私は飲み物を買ってくるからチケットをお願い」

麻衣はそう言うも、嵐斗は売店前に人があまりいないのを見て「いや、チケットを買ってからでも大丈夫だろ」と言って麻衣と一緒にチケット売り場へ向かう。

 そんな2人を柱の陰から依吹が見ていた。

リアルに探偵を被ったコスプレをしてカップルを尾行など、傍から見ればどう見ても不審者ガールである。

 売店前で飲み物を選びながら明らかに尾行する方を間違えていることに気づいていた嵐斗は麻衣に「ちょっといいか?」と断って、人混みに溶けるように消えた。

(あれ? 嵐斗お兄ちゃんどこ行ったの!?)

嵐斗を見失って驚く依吹の後頭部を後ろから伸びた右手がガッチリと鷲掴みにした。

「テメエは一体何やってんだこのボケ!」

嵐斗は依吹の後頭部を右手で掴んだままクレーンのようにヒョイッと持ち上げながら尋ねる。

「……ッツ!?」

 後ろから聞こえる嵐斗の声と突然持ち上げられた事で変わった視点に依吹は戸惑う。

嵐斗はベストの左ポケットに入っている懐中時計を取り出してパチンと蓋を開いて時間を見る。

「……颯斗兄さんが映画を観終わるまであと1時間はある。通りの向かいにコーヒーショップがあるだろ? これでラテでも飲みながら張り込め、お釣りは返さなくていい」

 嵐斗はそう言いながら持ち合わせがしっかりしていないであろう依吹のズボンのポケットに四つ折りにした千円札をスッと入れて手を放した。

 依吹と別れて麻衣と合流すると「遅かったね? 何かあったの?」と麻衣に尋ねられた。

「いや、おじゃま虫がいたから追い払ってきた」

嵐斗はそう答えると麻衣は少し顔を赤くしながら尋ねる。

「今回は誰? 槙奈(まきな)? それとも助ちゃん? 先輩たち含めたらキリが無いんだけど……」

 そう言う麻衣に嵐斗は「心配すんな。俺の妹のいーちゃん(麻衣がつけた依吹のあだ名)だ」と答えると麻衣は溜息をついて、少しシュンと落ち込んでから口を開いた。

「いーちゃん、まだあの事を根に持ってるのかな?」

 麻衣はある事件がきっかけで依吹との間に溝を作ってしまい、今でも気にしているのである。

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