無限軌道

賢者テラ

短編

「かわいそうな沙織……」



 母は、娘に降りかかった過酷な運命を受け止めきれず床に崩れたところを、看護師に支えられて室外に出て行った。

 バタン、と個室の病室のドアが閉まる。

 訪れる静寂。



 ……静かだ。



 沙織には、意識がはっきりあった。

 しかし、沙織に属するものでこの時動いていたのは、顔面だけ。

 首から下は、まったく不随であった。

 言葉も、しゃべれなかった。



 昨日は、沙織にとって取り立てて何も代わり映えのしない一日になるはずだった。いつものように中学校へ行って、授業受けて、部活して——

 住宅街の曲がり角で、前方不注意のトラックと衝突。

 斜め後方に8メートルはね飛ばされた。

 幸いにも、道幅の狭い住宅街の道だったから、トラック自体それほどスピードが出ていなかったため、即死は免れた。



 病院に運ばれ、ICUでの壮絶な救命活動が行われた。

 5時間に渡る手術の結果、一命は取りとめた。

 ただ、脊髄など神経系統の損傷が致命的となり、彼女は意識はあるものの体をまったく動かせなくなっていた。手足はもちろん、起き上がることも寝返りをうつこともできない。

 沙織にゆるされた行動は4つだけ。

 まばたきをすること。呼吸をすること。首を少し傾けること。

 そして、物を食べたり飲んだりするために口を動かすこと——

 


 でも、沙織はやがてもうひとつの行動が可能なことに気付いた。

 いや、気付かされたと言ったほうがいい。

 それは、泣くこと。

 寝たきりの状態なので、目尻からどんどん枕のシーツに涙がこぼれ落ちる。

 まだ人生これから楽しいことが待っている、という中学時代。精神的にもまだ幼いと言っていい彼女が受け止めるには、あまりにも大きすぎる不幸であった。

 死ぬよりはマシ、命があるだけよかったなどという言葉は、彼女の姿を見れば軽々しくは言えるものではない。沙織を実際に見れば、きっと誰もがその言葉を引っ込めて、もらい泣きすることであろう。

 医師は、回復後のリハビリは試みるが、再び体に感覚が戻るかどうかはまったく分からない、と言って顔を曇らせた。



 泣いてばかりもいられなかった。

 自分の直面している現実を考えれば考えるほど、気が狂いそうになった。

 しかし、体を動かせない彼女ができることは、考え事だけだ。

 四六時中、考え事。

 寝ても冷めても、考え事。

 目は見えるし、音も聞こえる。でも、テレビも音楽も、彼女が直面している魂の根幹に関わる深刻な問題に対しては、何の力もなかった。

 彼女の深すぎる苦悩を和らげる役には立たなかったため、沙織は特にそういうものを要求しなかった。



 気がおかしくなりそうな自分を正気に保つために、沙織が必死に行ったこと——

 それは、自らの想像の世界で楽しむこと。

 自分が動けないことも忘れて、その世界の中で沙織は自由だった。

 空を飛ぶことも、一瞬で好きな外国に旅行することも、歌手になって大勢の聴衆を魅了することさえも。

 幸いにも読書好きだった彼女は、そういった空想の翼を広げてその宇宙に遊ぶことは得意だった。

 沙織は、日々医療的処置を受けながら、食事・入浴・歯磨き・体位転換(寝返り)をしてもらいながら、寝ても冷めても想像の世界に身をゆだねた。

 


 ある時はインドで王女になった。

 人間の言葉を理解し、沙織に忠実な虎の家来を得た。

 その虎にまたがった沙織は、インドの大草原をどこまでも駆けるのだった。

 インドの民族舞踊も教わった。

 きれいなサリー(女性用の民族衣装)を来て、マスターした舞いを王宮で訪問客に披露するたびに、大喝采を浴びるのだった。



 北へも行った。

 北極で彼女は、犬ぞりを駆ってどこまでも続く氷原を走った。

 雲ひとつなく、突き抜けるような青空と氷の白のコントラストが目にまぶしい。

 氷に穴を開けて、糸を垂らして魚を釣る。

 魚がかかった時の、ビクンビクンと魚が身を跳ねる感触。

 釣れた瞬間、沙織は本当に自分の現実を忘れ去って喜んだ。

 そして焚き火を起こし、釣った魚を串に通し、あぶって焼く。

 魚の脂(あぶら)が炎でジュウジュウと滲み出し、匂いが食欲をそそる。

 矢も楯もたまらず、プリプリした魚の身に、思いっきりかぶりつく。


 ……おいしい。


 想像に過ぎないのだが、それが唯一の心の拠り所であり、最大の楽しみだったから、この時は本当に涙がこぼれた。



 そんな、ある日の夜。

 もうじき病棟は消灯の時間というタイミングだった。

 夜の9時過ぎに寝ろ、などとは普通ならば文句のひとつも言いたくなるところだが、想像の世界に身を浸せさえできればよかった沙織には、大して苦痛ではない。

 沙織はいつものように目を閉じ、今日はどこへ行こうか何をしようか、とプランを立てだした。

 結構世界のあちこちを回ったから、今度は妖精や不思議な生き物の沢山いるおとぎの国もいいな。地球を飛び出して宇宙旅行、なんてのもいいな!



 ベッドのかたわらに、人の気配がした。

 担当の看護師さんが、消灯を告げにやってきたのかな?

 そう思って、わずかに傾けられる首をひねり眼球を動かして横をみると——

 沙織は、目をむいた。



 ……ちょ、ちょっとあんた何でここにいんの!



 そこにいるはずのない……いや、いてはならない人物がいた。

「へ? アタシここにいるの、マズいか?」

 エキゾチックなつくりの顔をニューッと突き出してきたのは、沙織が想像の世界で生み出した人物だった。サオリ王女の、インドでの民族舞踊の師匠——

「さぁさぁ、今日もレッスンダヨ」

 両の手のひらを体の前で合わせた師匠は、腰をかがめて顔をカクカクさせた。

 首の角度は真っ直ぐのまま左右に振る、あのインド舞踊の気味悪い動きである。



 ……師匠。想像の世界と違って、私この世界じゃ体動かないんだけど?



「ありゃま。そりゃ困った、アタシすることないじゃんかね」

 沙織はしゃべれなかったが、思考だけで意思疎通ができるようだ。

 師匠(想像上の名を、カリスネアと言った)は、物珍しげに病室を歩き回った。

「狭っ苦しいとこだね、ここ。踊らんとやっとられんわ」

 そう言って、腕と足をブンと振り上げた。



 ……あわわ こらぁ! 私の点滴が倒れるじゃん!



 沙織の点滴を吊り下げた支持台が、衝撃でグラグラと揺れた。

「ああ、悪りぃ悪りぃ。どんまいどんまい」

 言葉遣いの悪いインド人である。



 ……あのぉ、どんまいってのは私の方が言う言葉なんだけど?



「気にシナーイ」



 ……気にする、っちゅうねん。

 


「それでは沙織ちゃん、消灯だし電気消すね——」

 バタン、とドアが開いて担当看護師の中平和美が入ってきた。

 沙織は、固まった。

 まぁ、もともと動けないのだから初めっから固まっているとも言えるが。

 果たして、沙織の生み出した想像の産物が、彼女以外の人間の目にも見えるのだろうか?

 和美は、ゆっくりと部屋全体に視線を走らせていたが、ある一点で目が釘付けになった。



 ……やっぱ、見えてるよ!

 


「あの~、面会時間はとっくに過ぎてますけど。ってか、家族の方以外は面会謝絶にしてあるはずですよ? あなたどうやって入ってきたんですか!」

 完全に不審者扱いである。

 でもしかし、消灯間際の病棟で、民族衣装を着たインド人がいれば誰だって不審者と思うだろう。思わないほうが、逆におかしい。

「あんた、ピーチクパーチクうるさいね。おすぎとピー子でも林家パー子でも、そんなにうるさかないよ。あんたも女なら、黙ってダンスのレッスンを受けるよろし」

 まったく、質問の返答になっていない。

 和美はすっかりカリスネアのペースに巻き込まれてしまい、10分ほどインド舞踊を教えられてしまった。

 他の病室のナースコールが鳴ったので、和美はすみませんっ、と言って飛び出していった。

「コラあんた。まだ続きあるんだからね。後で戻ってこないと、夢に化けて出てやるから覚悟しいや——」

 岩下志麻並の、恐ろしい脅迫である。



「ま、あんたの想像のパワーが強すぎたんだろうねぇ。あんたが向こうの世界から戻ってくる時に、私も連れてきちゃったんだろうよ」

 カリスネアは沙織のベッドのかたわらに座り、自分が現実世界で実相化してしまった原因をそう推理した。何だか、分かるようで分からない答えである。



 ……で、あなた元の世界に戻れるの?



「お手上げ。どうしたらいいか分かんな~い」

 カリスネアは肩をすくめた。

「ま、しばらくはここでごやっかいになりますかね」



 ……マジで!



 沙織は言語障害のゆえに言葉がしゃべれなくなったので、スムーズに意思疎通ができることは何よりもうれしかった。カリスネアと沙織は、時間を忘れて何時間も語り合った。

「あ、ワタシちょっと用事しに行ってくるネ」

 急に立ち上がったカリスネアは、そう言い残して病室を出ようとする。



 ……こんな時間にどこへ? って、あなたこの世界で用事なんかあった?



「さっき、できたノヨ。さっきレッスンしたあの女、戻って来いって言ったのに家に帰って寝ちまったよ。予告どおり夢に出て続きやらせちゃる!」




 沙織が次の朝目覚めた時も、昨晩のことが夢や幻でないことを確認した。

「お目覚めですね~」



 …………!



 カリスネアは消えてはいなかった。

 絵が動くぅ! などと言いながら病室のテレビを見ていた。

 それだけまならまだしも、その足元には——

「ん? 俺の顔に何か付いてるか?」

 


 ……ちょちょちょちょちょちょっと!



 虎だ。

 部屋の三分の一の面積を塞いで、大きな虎が寝ている。

「あっちからこっちの世界に来ちまったの、私だけじゃなかったネ」

 カリスネアはよ~しよしと言って、虎の顎を撫でさする。

 虎は、ゴロゴロと喉を鳴らす。まるで巨大な猫だ。



 ……看護師さんが来たらどーするの!



 絶対に、気絶する。絶対に、大事件になる。

「看護師、って何だ? うまいのか?」



 ……く、食うなぁ! 人食べちゃぜえええったいにダメだかんね!



 虎なのに、想像の世界と同じように流暢な日本語をしゃべる。

「そんなみみっちいこと言うなよ。あ~腹減った!」

 


 ガオオオオオオオオオオオオオオオオン



 虎は巨大な口を開けて、ひと声高く吼えた。

 病室の壁が、吼えた声の反響でビリビリ震える。



 ……あ~あ、絶対に今の他の部屋にも聞こえたよな。



 ここが大部屋でなく個室でよかった、と思った。

 他に人がいてたら、パニックは必至だ。



 コンコン、と遠慮がちなノックが聞こえた。

 ドアが開き、日勤の看護師・矢野さんが入ってきた。

 後には、各部屋の病院食を積んだ押し車が見える。

「沙織ちゃ~ん、朝ご飯一緒に食べよっか~」



 …………。


「よぉ姉ちゃん。メシか?」


 …………!


 ………………!?


 ……………………?????



「キャアアアアアアアアアアアア」

 万歳をしながらダッシュで逃げていく矢野さんを、追いかけて飛び出す虎。

 勝負は目に見えている。逃げるだけ無駄というものである。

「いざ鎌倉っ!」

 ヘンなことを言う虎もあったものである。



 ……どこでそんな言葉覚えたのさ。ってか、こんな時につかう言葉じゃないし!



「ヘッヘッヘ~ おじさんはゼンゼン怖くないんだよおお お待ち~」

 どこぞの変質者オヤジのようなことを叫んで、虎は廊下を駆けて行ってしまった。

 あとで聞いた話だが、矢野さんは虎に飛び掛られ、ベロベロと顔を舐められじゃれつかれたらしい。

 被害は、その時空腹の虎が勝手に食べた病院食一食分。

「あれ、ゼンゼンうまくねぇの。味があるんだかないんだか——」

 結局、病院内の喫茶店でカレーを買って、カリスネアが虎に与えたらしい。



 ……よくお金ありましたね



「この子と二人で行ったら、何も言わずにカレーだけくれたよ」



 ……虎連れていったんかい!



「一時はパニックになったけど、危害を加えないって分かったらみなよろこんで触ったり遊んだりしてたよ。何ていうか、アイドルみたいだったねぇ」

 沙織は、思いっきり頭痛がした。



 しかし、心配したほど現実社会はパニックにならなかった。

 不思議な事に、病院の入院患者や医療関係者以外にはカリスネアと虎の姿は見えないみたいだった。これまた、どういうからくりになっているのか想像もつかない。

「昨日の和美さん、なかなかスジがよかったアルよ。今日は、婦長さんに踊り教えるアルね」

 いつの間に、インド人は中国人になったのか。



 ……ちょっと。それは婦長さんが教えて、って言ってるの?



「いんや。私が教えるって決めたの」



 ……おお、神よ。



 一日たつと、病院内をカリスネアが練り歩いていても、誰もヘンに思わなくなった。慣れというのは怖いものだ。

 虎も、のそりのそり歩いては病院内を散歩し、若い女性看護師に撫でられてはハイになり、喫茶部に寄ってはカレーを食わせてもらってきた。

 今では、小児病棟のアイドルらしい。



 ……こらああああ 病棟の廊下で走るなぁ!



 ついに、犬ぞりまで現れた。

「そんなカタいこと言うなよ。でもここ、ホント狭っちいなぁ」



 ……なら走るなよ!



「いんや、ガマンして走る」

 エスキモーの男は沙織の説得も聞かず、そりで病棟の端から端まで何度も往復する。犬たちも、キャンキャンうるさい。

 それだけならまだしも——

 沙織は、想像で宇宙旅行に行ったことを反省した。なぜなら、彼女が作り上げた想像の宇宙人が、おかしな光線を頭からピカピカ発しながら、病棟内を散歩するようになったからだ。

「マイ・ネーム・イズ・ウチュウジン」 



 なぜか、病院内はパニックになるどころか逆に良くなっていった。

 カリスネアと虎。犬ぞりとエスキモーの男、そして宇宙人——

 彼らは、もう病棟の人気者であった。

 医師も看護婦も、彼らが癒やしの存在になり、仕事の張り合いにもなった。

 患者たちにも、笑顔が絶えなかった。

 症状の重い者やふさぎ込んでいる者、悲しんでいた者も、皆この世のものとは程遠い彼らに力を与えられていった。

 犬ぞりも虎も、子どもたちは大好きだ。

 カリスネアの舞踊は、かっこいいし健康増進にもよいと女性看護師たちの間で大人気で、彼女は出張レッスンにひっぱりだこだ。

 でも、彼らは最後には必ず沙織のことを心配した。

 夜の消灯前には必ず皆沙織の病室に集まり、彼女に楽しい話を聞かせるのだった。

 沙織は彼らとだけは心で容易に会話ができたので、それは最も楽しいひと時でもあった。



 二週間がたった。

 いつものように、沙織の想像の産物たちは主人の病室に集まった。

「そーいえば、ワタシが初めて王女の前に現れたのは、この時間だったね」

 カリスネアが会話の口火を切った。犬ぞりだけは入りきらないので、そりと犬たちは廊下の外だ。もう夏が近いのに、エスキモー男は分厚い毛皮を着込んだままだ。暑くはないのだろうか?



 ——ちょっと、王女って言うのやめてよ。確かに、あなたを見たのが消灯前の今頃だったね。まだ二週間しかたっていないのに、何だか懐かしい気がするわね。



 そこで、会話が途切れた。

 沙織は、嫌な予感がした。

 いつもなら、賑やかなみんなが我先にと話すのに、妙に口数が少ない。

 何か、ある。

「王女」

 これはさっきみなで話し合って決めたことなのだが、と前置きをして——

 沙織が恐れていたことを、カリスネアはついに宣言した。

「私ら今日で、お別れするアル」



 動けない沙織の目尻に溜まり、溜めておけなくなった涙がボロボロとあふれ出た。

 こんな時間が永遠は続かないとは思ってはいたが、こうも早く来るとは!

「泣かんといてくださいな」

 虎は、いつもの雄々しさに似合わぬ悲しげな顔をした。

「わしら、決めたんです。わしらを生んでくれた王女のために、最後の力を使おうと。なんの、もともとこの世界にいるはずのない身ですよって、何も命の惜しいことはありまへん」

 彼らによると、自分たちがこの世界に実体化したのは、自分たちが好き勝手に生きるためでなく、生みの主人である沙織を救うためなのではないか、というのだ。

「わたしら、今からみんなひとつになって王女の体内に侵入するアル。そこで悪い細胞はみなやっつけて、損傷している神経は修復スルね」

 そう説明したカリスネアは、そばの宇宙人に声をかける。

「ほな、よろしく」

 


 病室の天上に、急にまばゆい光体が現れた。

 だんだん光の強さが薄れると、それは一機の……



 ……何よこれ。どっかの映画で見たような!?



 どう見ても、それは『宇宙戦闘機』と呼べる代物だった。

 しいて言うなら、スターウォーズという映画の『X-ウィング』に似ていた。

「ほな王女。お元気になられますよう。たまには私らのことも思い出したってくださいな。だって、ゆうたら王女は私たちのお母さんみたいなもんやからな」

 皆、感極まって鼻をグズグズ言わせている。ただ宇宙人だけは何の異音も動きもないので、ヘルメットの外からは泣いているのかどうかまったく分からない。

 沙織は、皆に手を振れられたなら、一人一人(一匹もいるが)に抱きついてお礼を言えたなら、どんなにいいだろうと思ったことか。

 一瞬にして、沙織を取り囲んでいた全員は、そのおもちゃ大の戦闘機の中に吸い込まれていった。

 きっと、廊下の外の犬たちもいなくなったことだろう。

「ご主人様。今までほんまに楽しかった。ありがとな——」



 戦闘機X-ウィングは、恐ろしいエンジン音を立てて、旋回した。

 そして目に見えないほどにみるみる小さくなっていった。そして——

 沙織の鼻腔から体内に突入していった。

 彼女が生み出した想像の子どもたちは皆、心をひとつにして最大の戦闘に挑んだ。

 ただ、親なる沙織をを救うためだけに。



 沙織は、その晩夢を見た。

 泣きつかれて眠った彼女が見た夢は——

 カリスネアが、虎が、エスキモーが、宇宙人が。

 彼らの乗る戦闘艇が、彼女の体を蝕む悪性の細胞をひとつひとつレーザー砲で破壊し、切れた神経を正しくつなぎ合わせてくれている夢。リアルすぎて、現実なのか夢なのか判別が付きにくかった。


 


 窓から朝日が差し込み、沙織のベッドに光を投げかける。



 ……朝か。



 首を横に向けてみる。

 いつも騒々しいあのメンバーは、もういない。

 寂しさがこみ上げてきたが、沙織は思い出した。

 彼らが一体何のために消えていったのか。

 そして彼らの残してくれた最大のプレゼントは何だったのか——

 今こそ、思い出した。 



「沙織ちゃん、おはよう~」

 朝の検温をしに、担当看護師の中平和美が入ってきた。

 彼女は一瞬、いつもならいるはずのカリスネアや虎がいないので不思議そうな顔をした。いや、本来はそういうものがいるほうがおかしいのだが。

 でも、和美はもっと信じがたいものを見ることになった。

「……ウソ」

 和美は、体温計と血圧計を床に落とした。

 鼻歌を歌いながら、ベッド脇の花瓶の水を交換しているその人は——



 沙織は立ったまま和美に振り向く。

 にっこり笑って、窓からの陽光を背にして……

 確かに、言った。



『おはよう』

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無限軌道 賢者テラ @eyeofgod

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