第3話 死神さんと変態さん

 茅原流星は両の手を見つめて暫く放心状態になっていた。

 ただ空をノッくする音を耳が拾っている。蝉は脳の中で死んでいた。

 ――まただ。またうるさいと思っている内に全て終わっていた。

 視線を下せばそこに、白髪の男性の死体が冷たい床に横たわっている。

 首に赤い手跡だけが痛々しくついていた。

 ふらつきながらもなんとか男性の上から退いて、寝台に背を預けて足を伸ばす。

「ああ、アリスちゃんに会いたい」

 カラカラに枯れた声が口から出る。暗い空を見上げた。

 男性は確かに彼女の名前を知っていた。ということは、彼女と接触したという事だろう。彼女の体は触られていやしないか。自身でもゾッとするほど流星は死体となった男性へ激しい嫉妬を覚えた。彼女に声をかけたのではないか、たったそれだけでも憎たらしい。

「くそっ、くそ!」

 自分がこの檻の中に居なければ。彼女に会わせたりなどしなかったのに。声だってかけさせなかったのに。流星はもう反応を返さない死体の頭部を足で蹴った。

 流星は、今は彼女に会いたいと本気では思えなくなっている。こんな汚れた手では彼女に触れない。触りたくない、汚してしまうからだ。

 頭を抱えて呻く。居場所を失くしたくない。奪われたくない。守ろうとすればするほど黒くなっていく。汚れてしまう。

 暫く顔も上げれず、瞳を閉じていると、がんっと。鉄格子が鈍い音を立てた。顔を上げる。

 黒いローブを着た集団が鎌を持って、自らが入っている檻を壊そうとしていた。

「……はっ?」

 思考が止まる。絵本の中で一、二度はお目にかかった登場人物だ。黒いローブに鎌。「死神」。

 だが本当に彼らがそうだとするなら、つまり自分はもう死期が迫っているという事にならないだろうか。そうこう考えている内に、鉄格子がへし折れ、一人が飛び込んできた。

 ――殺られる!

 流星は咄嗟に自らの胸の前で腕を交差し構えた。

 が、鎌で胸を抉られることもなく、気付けば「死神」に抱き付かれている。

「ちょっ」

 耳元で啜り泣く声を上げて、死神は暫く茅原流星という罪人に抱き付いていた。

「エル!」

 死神は流星の両頬を掌で包むと、そう呼んだ。

 それで漸く流星も死神の顔を拝むことが出来た。同じ橙色の髪、真紅の瞳に涙をいっぱい溜めた女性がじっと流星の顔を見つめる。流星は無意識に身を引いた。

 なんだ、この女性は。死神の姿などをして、一体何なんだ。生気を奪う気か。戸惑い、疑問が頭を埋め尽くす流星の様子に見かねたのか、一人、また一人と死神たちが牢にわらわらと入ってきた。抱き付いてきた彼女を合わせると五人はいる。

 一人、少し細長く身長のある男が流星の前に屈み、視線を合わせた。橙色の髪に瞳。今度は男のようだ。男は口元に笑みを携え、口を開いた。

「久しぶりだな、エル。俺はカイン。お前の幼馴染さ。また会えて嬉しいよ」

 カインと名乗る青年は、流星の頭をクシャクシャに撫でる。

「えっ、いや。あの、人違い、ですよ?」

 エルとは誰のことか、そもそもカインなんて変な名前のヤツが幼馴染なら忘れるはずもない。

 流星は慌てて手を左右に振る。カインは「ふはっ」と笑うと急に流星の知らない言語で、その場にいる仲間に何か言った。すると女性は「Oh……」と顔を両手で抑え、首を振る。それ以外の面子は静かに頷いた。予め分かっていたかのような顔つきだ。

 カインはまた流星へ顔を戻した。

「大丈夫だ、エル。今は思い出せないだろうけど、少しずつ思い出していけばいいさ」

(こいつら絶対頭おかしいって)

 牢の鉄格子が外れたなら外に出られるはずだ。流星は殆ど衝動的に女を振り払い、檻の外へ出ようと地を蹴り手を伸ばした。直後――

「うっ――!!!」

 視界が回る。体に痛みが走る。正確にどこが痛いのかは分からないがとにかく痛みを感じた。

 気付けば夜空を見ている。そして、空を遮るように一人の看守が顔を見せた。

 トングを右手に、グリップは左手に。鞭を握った赤髪の看守、天野狂。

 流星は息を飲んだ。


 一方、ステラは息子が鞭で叩かれたのを見て、悲鳴を上げた。

 刑務所に居るという話を聞いた時からある程度の覚悟はしていたのだ。

 ――きっと息子はいけないことに手を染めてしまったのだろう、と。

 だがそれがなんだというのだろう。息子は息子だ。それにこれは自分のせいでもある。

 置き去りにしてしまった私にも、きっと責任はあるはず。だから息子を檻の中で見つけても一切を気にせずかいなに抱くことが出来た。看守に鞭で体を叩かれ、地面に倒れ伏した息子へ駆け寄ろうとステラは立ち上がる。その腕をカインが掴み引き止めた。

『大丈夫、俺が話す』

 カインは看守へ顔を向ける。冷や汗が頬を伝った。濁った若葉色と空色の瞳がこちらを見据えている。看守は無言だった。

「はじめまして、看守サマ。俺はカイン。こちらはステラ。ステラは八年ぶりに息子を迎えに、俺は八年ぶりに幼馴染へ会いに来たんだ。感動的だろう?」

 カインは流暢な日本語を駆使し、友好的な態度を取る。この日の為に、日本人から教わってきた。それなりに自信はある方だ。

「へえ」

 しかし看守はさして驚いた風も無く、興味無さそうに呟いた。

「だから? 見逃せって?」

「ああ、そうだ。見逃してほしいね」

 無論、見逃してくれるはずもないことをカインは知っている。相手はきっと目論見通りなら機械であるはずだ。後ろの仲間たちもそれを察してか、鎌を構え始めた。機械が自分の役割を放棄することなどあるはずがないからだ。


 狂は溜息を吐く。

 騒がしいからやってきてみればこのありさまだ。

 狂は看守としてならここで何があろうと囚人を逃がすべきではないだろうと考えた。プログラムにはその場合の対処法も組み込まれてある。絶対に例え体がバラバラになろうとも、この囚人を逃がすことはしないだろう。だが。

「ここで逃がしたら看守長のヤツ、困るだろうなぁ」

 理由なんてそれで充分だった。口端を上げて狂は笑う。目的の為ならば、間違ったっていい。

 理想の人間は、そうだったはずだ。

 それで狂は踵を返した。後ろで動揺の声が上がる。彼にはそれすら面白くて仕方がない。

(愉しいなあ、困らせるのは)


 狂が去った後、彼らは流星を担ぎ上げ、素早く撤退し始めた。

 流星は頻りに暴れたが、無駄に終わる。力が強いのだ。

 そんなこんなで、この都市も夏を終えた。


            ★


 ビルが疎らに立ち並ぶその街は、何とも空が窮屈に見えた。

 青いそらに向けて聳え立つ細長い建物が何だか、槍に見えてしまう。

 和泉市街。路面を走る電車の車窓から、真夜は顔を突き出して、街を眺める。

 小学校の頃は此処にいた。幼い頃に見た時から景色に変わりはないが、池之町での暮らしにすっかり慣れた真夜は、改めてこの街を見て狭いなと感じた。顰めっ面をして桃味の氷菓を齧る。

 夏祭りが終わって、日が上がった頃に真夜は目を覚ました。開けた視界の先で瞳を潤ませた涙を見た時、胸の痞えが下りた。

 彼女はしきりと、「よかった、よかった」と繰り返したが、それは真夜の言葉でもある。どれだけ肝が冷えたか。

 随分と意識がはっきりしてきた頃、涙が経緯を話してくれた。手当をして自宅まで運んでくれた夕夜は、意識を取り戻した真夜の顔を覗き込み、第一声。「ビビりだなぁ」と嗤った。腹は立ったが、実際にその通りだと真夜は何も言い返せず目を逸らした。

 真夜が車内に顔を引っ込めると代わりに向かい側に座っていた涙が好奇心に目を輝かせながら顔を突き出す。涙の隣で旭は舟をこいで頭を上下に揺らしていた。

 やがて動きの止まった車の中を移動し、運賃箱に札を一枚入れ、そのまま降りる。運転手が背後で慌てた声を上げ、引き止めようとしてきたが無視した。

「お釣り、受け取らなくても良かったの? 真夜さん」

「一々面倒臭いだろ」

 眠たげな旭を伴い、大通りを歩き、人気の少ない端へ移動していく。

「刑務所って随分と奥にあるものなのね」

 足取り軽く、涙は真夜の後ろを歩いた。旭は真夜の隣を眠そうに眼を擦りながら進む。

「お礼がどうとか言ってたけど」

 墓地の隣を歩く。襲いかかってきた白髪の男性は死刑が決まったらしい。いずれ彼もここに埋められるのだろうか。真夜は考えを振り切るよう、伸びをして涙へ話しかける。

「本当の目的はもっと別にあるんだろ?」

 聞かなくたって答えは分かっていた。真夜は意地悪な質問をする。

「まあ。お礼だって重要な事だわ。言える内にちゃんと言っておくべきだもの」

「なんだよ、言える内って」

 旭が伸びをする。手の出てない袖を天に突き上げ、もう片方の袖を口元にやった。何度目の欠伸なんだ。

 門が見えてくると、涙が待ちきれないとばかりに走り出した。こういう、衝動的に動くところは流星と変わらない。先を急ぐ彼女に後ろから声をかける。

「派手に転ぶなよー」

 彼女は振り向かず手を振った。門を突っ切る。そこで、涙は足下に目を落とした。地面の一部が光った気がしたのだ。足は惹き寄せられるように、その地面を踏んだ。


              ★


「ちっ、茅原流星が牢に居ません!!」

 焦りの色を含んだ声が廊下に響き渡る。早朝から所内は騒々しくなった。

 看守長は荒々しい足取りで端の檻へやってきた。中を見て息を飲む。

 白髪のあの凶悪犯が絞殺され、冷たい床に倒れているのはともかくとして、鉄格子の壊され方が異常だった。とても一人で内側から破壊したとは思えない。

 急いで隣の房の囚人へ訪ねる。壊され方を見る限り、きっと余裕がなかったのだろう。ということは、当然夜中も騒々しかったはずだ。だが囚人の彼は言葉一つ話せない状態となっていた。

 当たり前だ。恐怖のあまり一睡もできず、隣に極悪人の死体が転がった状態で夜を明かしたのだ。

 二人の看守がすぐに死体を片付け始める。向かい側の囚人が大声で叫んだ。

「く、黒いローブに鎌を持った奴らだ! そいつらが急にやってきて茅原を攫ってったんだ!」

「赤い髪の看守がそれを見逃したんだ!」

「なんだと!?」

 長は顔を真っ赤にした。赤い髪の看守など天野狂以外にいない。そして、黒いローブに鎌という特徴も夏の初めに聞いたばかりだ。つまり、『死神』が茅原流星を攫い、天野狂はそれを見逃したということになる。

 看守長は大きな声で通路の端から端まで声を響かせた。

「施設へ向かうぞ! 殺人鬼と絡みたくない臆病者共は天野狂をひっ捕らえ直ちに私の元まで連れてこい!!」

 看守は皆、我先にと刑務所を飛び出す。一大事なのだ。ただでさえ未だ正体がつかめない『死神』と犯罪者に手を組まれると、どんな脅威となるのか。底知れない不安を抱え、彼らは外に飛び出し、そして地面を踏んだ。


             ★


 地面が、次々に破裂していった。晴れ渡る空の青。

 その穏やかな雲の下で、地面が破裂し、巻き込まれて両足を失う者、右半身を奪われる者、全身が吹っ飛んだ者。道端にゴロゴロと、

 悲鳴が走った。巻き込まれなかった者の中に、逃げる者が居れば、駆け寄り「大丈夫か! 早く医者を!」なんて叫ぶ者も居る。

 桜夜はその惨状を目の当たりにして、息を吸った。

 砕けた地面に埋もれて発火し沈黙する機械が無残に転がっているのが目に入る。中にはその機械に手を伸ばし泣き叫ぶ者もいた。

(なんだこれは?)

 桜夜はよろけてその場に尻餅をつく。

 目の前で起きているすべてを疑った。

 ――なぜ? 何が起きている?

 布瀬桜夜は真人間だった。倒れていく人々の中身が機械だと知るや否や、桜夜は自らの体を抱く。

(僕らは機械だったのか? なぜ壊されていくんだ?)

「会長!」

『副会長』――鬼木理輝が駆けつけてきた。

「しっかりしてください会長! 爆弾が数か所に埋められているようです! 原因を探って参りますので、会長はここで待機を!」

 理輝はそう強く言い聞かせ、桜夜の元を去る。

 ただ黙って壊れゆく人々を見送れというのか?

 桜夜は耳を塞いで瞳をきつく閉じた。

 無闇に動いたところで結局何もしてやれないのだ。苦しい思いを抱えながら桜夜は地面に頭を打ち据え、唸った。


              ★


「あああああああ!!」

 大群の虫の死骸を足下に見つけた時のような絶叫を上げて隼が夕夜の裾に縋り付く。

 夕夜が溜息を吐くと、隣で窓香が端末をこちらに向けていた。

【クソうるせぇ】

「あああああ! なんだよ! なんだよ! どうなってんだよ!! 何でこんなに爆発すんだよ! ってか何で骨ないんだよ! 夕夜さん、話と違うんスけど!!」

 和泉市街の大学。校舎の外に出ると、周囲の至るところで爆発が起こり、同じように外に出ていた学生たちが被害に遭っていた。顔の半分が剥がれて、電線が露出している学生も居る。勿論彼らの内部に骨なんてあるはずがない。

「骨がねぇんだぜぇ? つまり人間じゃねぇのさぁ、こいつらは」

「はああ!?? いやいやいや、何落ち着いてんの二人とも!? えっ、窓香ちゃん、怖いよね!? ね!? 人間じゃないってさ!」

【いや、知ってたし】

「はああああ!??」

 端末に綴られた文に零れ落ちるのではないかと思うくらい瞳を見開き、隼は全力で焦る。

【つか、知ってたから気味悪くてお前らと居るんだって】

「俺様も人間の骨にしか興味ねぇしなぁ」

 夕夜は隼の反応を見て、意地の悪い笑みを浮かべ、「いやあ、特にお前さんの骨は元気でいいわなぁ」と腕を掴んで、揶揄からかう。

「ひぃい! やめてくださいよぉおお! つか、え!? いつ!? いつ、気付いてたの二人とも!?」

 半泣き状態で詰め寄ってきた隼に、夕夜と窓香は顔を見合わせて苦笑した。

【俺は、一年の個人面談の時から、教師の目がおかしいなって違和感を持ってたんだ。確信に変わったのは、夕夜から教えられた時】

「俺様は医者の息子だからなぁ。面白れぇことに、人間は自分が人間と知らず、また機械も自分が機械だと知らずに俺らの元に来るのさぁ。ま、中身の違いで知りたくなくたって分かっちまうよなぁ?」

「な、なんだよそれ、なんだよそれぇ……! 俺にも教えてくれたっていいじゃんかぁ! んなの俺、医者じゃねぇし気付けねぇよぉお!」

 隼が悔しがって地団駄を踏んだ。夕夜はその隙に辺りを見渡す。

 少し遠くのほうでまだ爆弾の炸裂する音が鳴っていたが、周囲は既に静まり返っていた。地面に多くの機械の残骸が散乱している。

 下唇を舐めた。この事態を引き起こしているのは一体何だれだ? それに狙ったように、爆弾に巻き込まれているのはどれも機械ばかりだ。

 夕夜は地面からシャベルを抜き、肩にかけ、歩き出した。慌てて隼がそのあとを追い、窓香が続く。

 破片を踏み潰し、中枢に向かって一行は進んだ。片づけ切れていない屋台の近くを歩くと、心の弱い隼がグズグズと泣き始めた。

 彼にとっては裏切られたような感覚に近いのだろう。無理もない。

 夕夜や窓香と違い何も知らない隼は、相手が人間であろうと無かろうと、繋がりを作り大事にしてきたのだから。夕夜だって可哀想に思わないわけではない。

 実際、人間の体の構造は伝えてあった。人間の体は骨でできており、怪我をすれば赤い血が出るという簡単なことを教えた。

 だから、いずれは自身で気付くことができるだろうと考えていた。同じようにして真夜という少年にもその話はしたはずだ。

 その気遣いが、こうも強引な形で無駄にされてしまった。それに夕夜は今、後ろで傷心する隼よりも真夜のことを気にした。隼にはこうして、自分や窓香が居るから、進むことができたのだ。

(アイツ、独りで大丈夫なのかねぇ)

 夕夜にはそれだけが気掛かりでならなかった。


             ★


 路面電車がひっくり返っている。

 その下にたくさんの部品が散らばっていて、地面からは煙が立ち上っていた。

 春兎は人の悲鳴を耳に入れながら、どこか既視感を覚えていた。

 なんだか何処かで見たことのある景色だと。

 ただ、何処で見たかを詳細に思い出そうとしても、霧がかかったかのように、朧げにしか思い出せない。

 右や左を眺め回しても、そこに放り出されてあるのは、中身の出たガラクタばかりだ。

 心の何処かで、来るかもしれないと予期していたことが、この日に来てしまった。

 だからか、春兎はそこまで驚いた表情を見せない。既視感の正体を探るべく、春兎は暫く唸ったが、その内見えてくるだろうと視線を横へ向けた。

 春兎は隣の少女が俯いていることに漸く気付いた。

「ニィ?」

 春兎は少女の顔を覗き込む為に一歩足を進める。

 女児は咄嗟に彼を突き飛ばした。


 激しい爆風。春兎は何が起きたのかわからなかった。少女に突き飛ばされ、顔を上げると少し離れた場所で、頭を抱え蹲る少女の姿が目に入る。よく見ると小刻みに体を震わせているようにも感じた。

「ニィ! ニィ!!」

 堪らず春兎は大声で彼女の名を叫び、駆け出す。顔を上げそうにない彼女に不安が増して、背を撫で擦る。

「おい、大丈夫か!?」

 暫くして彼女はゆっくりと腕を解いて、顔を上げた。そして春兎の顔を見て、息を吸う。

 彼女の顔が固まったのを見て春兎は首を傾げた。少女が無意識にか、後ずさったように感じる。

(あれ?)

 春兎は顔に何かついているのかと触ろうとした。すかっと。左半分がなくなっていた。

 なんとか右半分の残った顔で、左を向くと、肩の部分がひび割れ、電線がはみ出している状態だった。

「あー……」

 よく調べれば、どうやら声もノイズがかっている。言語機能もいつ尽きるかわからなくなっていた。これは確かに幼い少女からするとグロテスクで怖いものがあるだろう。

「あぁあ……」

 おまけに少女はこう声を漏らしたのだ。きっとトラウマ級だろう。忘れられない悪夢となるだろう。

「あー……あはは、ごめんな、ニィ」

 春兎は半分残った顔で苦笑して見せる。きっと逃げるだろうと思ったその刹那――

 少女は両手で顔を覆い、涙を流し始めた。

 春兎はぎょっとする。涙には滅法弱かったのだ。逃げられるより、その場で泣かれるほうがよっぽど堪えた。

 だが彼女の流す涙を見ている内に、彼は次第に朧げだった既視感の正体に気付く。

 消去したはずのデータが頭の中を回り始めて、春兎は思わず彼女から距離を取った。

(そうだ、そうだった)

 頭を抑える。元より思い出さない為に捨てたはずの記憶データだったのに。いつかはこの生活にも終わりが来ると予測し作っていた機能だけが、上手く生きた。

 ――そうだ、コイツ! コイツの顔は外の国のソレだ! なんで今までこの為に残してあった言語機能を使おうとしなかったんだ俺は!

「この死に損ないが!」

 突如背後から怒声がかかり、春兎は上手く自由の利かない体を動かし振り向いた。赤髪の少年が血走った目を向け、鎌を手に駆け寄ってくる姿が映る。

(あ、やべ。だめだ、全然動けねぇ)

 真正面から殺気を浴びて春兎は確信した。これは、八年前に対する復讐だ。八年前、俺達が殺めた人間たちが復讐にきているのだ。春兎は力なく残された半分の顔で笑った。

「やめて、レグロ!」

 先程まで顔を覆っていた少女がどういう訳か、壊れかけの自身の前で腕を広げて立っている。

「アイリス!」

 赤髪の少年が足を止めた。アイリスと呼ばれた少女に春兎は目を落とした。

(なんだよ、アイリスかー。名前全然かすってねぇじゃん)

 一方でレグロは、春兎の表情を見て激昂している。表情といっても、相手は機械なのだから無表情であることは仕方がないことだと踏んでいた。

 ただ、この春兎という機体AIは、顔を半分失っても、はっきりと分かる表情を作っているのだ。

 力のない笑み。即ち、諦めの表情。負けを認めた顔。それがレグロにはどうしても許せない。八年前、幼かった自分から両親を奪っていった人工知能の機械が、破壊ころされることをなんとも思っていない顔をするだなんて。

(もっと悔しそうな顔をしろよ、もっと恐がれよ、もっと悲しめよ)

 ゆるせない。

(俺の両親はきっと辛い思いをしたのに、なんでお前がそんな楽そうな顔をするんだ)

 ゆるさない。

「あれ、なんで泣きそうな顔なんかしてんの」

 AIが不思議そうな顔をしている。

 レグロは自身の膝が笑っていることに気付いて、視界が歪んだ。

 ああ、悔しい、恐い、悲しい。

 敵が目の前に立っているのに、もう壊れかけているのに、なんでこんなに恐いんだ。

 なんで、こんなに悔しがって悲しんでいるのが俺なんだ。

「うるせえ! ふざけんな! お前らのせいで! お前らのせいで!!」

 十二の少年はしんから声を張り上げ叫ぶ。

「殺してやるっ! 殺してやる!」

 頬を涙で濡らしながら、本気で睨む。悲しみと悔しさと怒りと恐怖をごちゃ混ぜにした複雑な表情だった。ずっと昔に「人間の表情は虹のようだねぇ」と言った旧友たくみの顔が脳裏をよぎる。

 春兎AIはレグロが眩しくて笑うしかなかった。到底、もう手に届きそうにない理想の、なりたかったモノ。自分にはできない表情を何の努力もせずに自然と浮かべてみせる変態にんげんさん。

「いいなあ、うらやましい」


             ★


 茅原流星は絶句した。

 カインの説明が頭の中をぐるぐると回る。

 八年前、AIにより人類はほとんど無残にも虐殺されたこと。その時に、ステラは息子である自分をこの国に置き去りにしたまま、娘のアイリスと自国へ逃げたこと。復讐にこの地へまた戻ってきたこと。機械だけを壊す地雷を埋めたこと。

 カインもステラも何も知らない。何も知らないから、とても晴れやかな……それこそ重荷を下ろしたあとのような顔で、流星に落ち着いて説明した。

 流星は何度も何度も首を左右に振ったのに。

 絶望だった。彼らは、……いや仮にもしも二人の言う通り、流星の幼馴染ないし実の母親にしろ、そんな彼らが笑顔で「お前の居場所を奪いにきたんだぞ」なんて言ってきたのだ。

 堪ったもんじゃない。施設の外で、悲鳴と共に地鳴りが響く。流星は慌てて音のほうへ目を向ける。

「外は危険だが、ヘリを呼んである。この地にいる人間たちもちゃんと保護するから安心してくれ」

 カインは、流星の顔を見て、きっと人間の友達もその地雷に巻き込まれるんじゃないかと心配しているのだろうと、勘違いをして説明を付け足した。

 が、流星の目に映っていたのは人間ではない。

「ああ、そんな。そんな、嘘だ。嘘だっ!!」

 半狂乱になった流星は付近に居た『死神』の一人を突き飛ばした。突然の行動にステラは驚き、カインですら立ち上がり絶句する。地面に体を打ち付けた『死神』には目もくれず、流星は駆け出す。

「エル!!」

「来んじゃねぇ、殺すぞ!」

 流星はズボンのポケットから包丁を取り出しその切っ先を実の母親に向ける。

 ステラは立ち止った。

 体に見合わず大きな服。袖からは手が出ていない為か、他所が見たら、袖から包丁が突き出ているようにしか見えないだろう。

 流星はステラが動かないのを確認すると、あとはひたすら前方だけを見据え駆け出した。

 ステラも後を追いはじめる。きっと彼があんな風になってしまったのも自分のせいなのだと自らに言い聞かせながら。カインも当然の如く、二人を追いかけたが、すぐにどちらの影も見失った。

「やっぱり血なのかね。まったく親子して足が速い」

 膝に手をつき息を整えながらカインは呟いた。


 巨大な地響きがその場所を示した。

 流星は刑務所へ踏み込んだ。きっと彼女なら、きっと彼女なら自分を心配して近くまで足を運んでいるかもしれない。そうであってほしくないと願った。願いは無情にも叶うことはなく、あんなに彼女に会いたいと願っていた流星は最悪な再会を果たす。

 見慣れた風船帽の少年が、座り込んでいる。その前の地面が大きく抉れており、中心に三つ編みの少女が半身を失くして横たわっていた。その前の地面もパックリ開いているが流星はそこまで気にする余裕をなくしていた。

「アリスちゃん!!」

 足を取られかけながら流星は突っ込むようにして彼女に駆け寄る。

「アリスちゃん!! ああ!! アリスちゃん、嘘だ、アリスちゃん!」

 膝を擦って、彼女を抱き上げた。半身を失った彼女の体はとても軽い。若葉色の瞳を失った少女は、ノイズのかかった声で口を動かした。

「お義兄さま……ああ、私、どうなってるのかしら。……上手く体を動かせないの、ごめんなさい」

「大丈夫、大丈夫だよ、アリスちゃん! すぐに直してもらうから!」

 罅われた腕が流星の肩を掴む。

「いいの」

 残された青い瞳がじっと、流星の瞳を見ていた。

「それより、私、お義兄さまに言わなくちゃ、いけないことがあるの」

「そんなの、直してからだって、いくらでも聞いてやれる!」

「ダメ。わかるの。これだけ壊れたら、きっともう私は動けなくなる」

 流星は涙の体に改めて目を落とす。損傷が激しいのは目に見えて明らかだった。

 内部の回線が、切れかけて青い光を何度も放っている。このまま抱き続けると、流星自身の体も危なくなるのは時間の問題だった。

 それでも流星は気にしなかった。彼女が消えてしまうくらいなら、いっそ諸共に消えてしまいたい。居場所アリスが消えたら息なんてできないのだから。

「そんな、アリスちゃんがいなくなったら、俺、ダメだよ」

 言葉が切れ切れになる。目尻が熱い。きっと今、一番情けない顔を彼女に見せてしまっているだろう。まるで既に壊される前から消えてしまったかのように、蝉の声すらなく、怖いくらいの静寂が脳を占めていた。ただ、彼女の言葉だけが救いのように流星の中に入っていく。

「そんなことないわ。私がいなくたって、お義兄さまなら、大丈夫よ」

「ダメだ、ダメだよ。だって、俺の居場所アリスは君なんだ。君が消えたら、俺はもう息ができなくなる。これ、冗談じゃないんだ。本当に、ダメなんだ。だって、――」

 先にどうしても言葉が続かない。言わなくてはいけないことはたくさんある。彼女に隠した汚いことがたくさんある。言わなくてはいけない。なのに出ない。どうしても、言葉にするのに抵抗があった。

「流星さん」

 ノイズが一層酷くなる。彼女から表情が消えた。

「あなたは、もっと遠くに飛べるの。こんなに狭いところで、私を鳥籠せかいにしないで」

「あなたは、鳥籠アリスなんて持たなくていい、縛られなくたっていいの」

 彼女から表情がなくなっている。それでも、その言葉に含まれているモノに流星は気付いた。

「寂しくなったら、周りを見渡すの。そうしたら、あなたを完璧には理解できなくても、理解したくて後ろを飛んでいる人が必ずいるわ」

 ノイズは酷いのに、まるで予め録音されていた音声のようにハッキリとしている。

「にげないで」

 彼女はその言葉を最後に、微笑んだ。

 内部の青い光は、勢いを増すどころか、風に吹かれた炎のように、消えていく。まるで命のように。

「ああ、待って、まってよ、涙ちゃん。待ってよ、俺、俺も言いたいことがあるんだ、涙ちゃん」

 声が震える。なんて無力だろう。

 俺はどうして人間だったのだろう。彼女のように、どうしてハッキリと正しく言葉を言えないのだろう。

 どうしてこんなに不器用なんだ? 彼女に言わなくてはいけないことがたくさんあるはずなのに。

 自分はずっと、逃げていたのだ。

 人間から、ずっと逃げていたのだ。向き合うことから逃げて、自分を理解してくれると勝手に彼女ロボットに押し付けて、臆病にもずっと羽を畳んで、彼女とりかごに凭れかかっていたのだ。

「ごめんね、涙ちゃん」

 彼女の罅割れた顔に涙を落とした。彼女は瞼を伏せている。その癖、機械ロボットなのに、安らかに笑んでいた。


             ★


「いいなあ、うらやましい」

 春兎がその言葉を発すると、レグロもアイリスも視線を彼に止めた。

「幸せだねぇ」

 気の抜けるくらい呑気な声が後に続く。

 春兎が声の出どころに目を向けると、半身を失っているのに、何でもないように立っている、赤い瞳の彼が立っていた。

「ねぇ、どうして君は春兎にお礼を言ったのぉ?」

 幼い顔立ちの卓己がアイリスから瞳を逸らさずに訪ねた。

「えっ、マジ? お礼言ってたの? いつ?」

「ほらぁ、君がネタをねだりに来た時ぃ」

「強請ってねぇわ! お願いしに行ったときだろ!? あ、え、あー! あん時かぁ! えー、そうだったの、ニィ?」

 春兎は卓己の横に並んで、同じようにアイリスを見つめる。

「あっ、」

 アイリスは反射的に口を開こうとした。言語が今なら通じると気付いたからだろう。だが――

「それって、おかしすぎね? 普通、責めるとこじゃん。なんでお礼?」

 春兎が本当におかしいものを見るような目でアイリスを見た。機能が少しずつ失われつつある春兎には人の顔色を読み取ることさえ困難になっている。

「え……?」

 アイリスはその容赦のない瞳に、言葉を失い固まった。

「いや、だってさぁ。ほら、主に人間とか潰し回ったの、俺と卓己なんだよね。なんだっけ、最初は普通に人間たちと一緒に過ごそうと思ってたんだけど、ほら、人間ってさ、俺達が自我を持ったら恐れる傾向にあったじゃん? そん時ね、自我を持ってる機械が俺と卓己だけだったわけでさ。二機だけで、大勢の人間たちと上手くやってくことはできないと計算したわけよ。絶対幾日もしない内に恐れを抱いた人間たちに寄ってたかって潰されるのがオチだって」

 彼は、ノイズがかった中でも流暢に喋る。実際はただ、先に言語機能が停止してしまう前に言えることは言っておこうという春兎AIの正しい判断からによるものだった。

「潰されるのは不味いから。じゃあ、ある程度人の数を減らして、何十人かは残して、それから機体を増やしてってことをしてたのよ。正直、ニィに感謝される要素あるかな?」

「このくそ野郎!!」

 レグロが怒鳴る。春兎はそれでもアイリスから瞳を逸らそうとしない。その隣に立っている卓己も同じだった。


              ★


「えっ、えええ、何あの鎌、何あの黒い人たち。ちょっと待って何でこっち見てんのおお!?」

 ある程度、隼の精神が回復してきたとき、追い打ちをかけるかのように、黒いローブに黒い鎌を手に持った二、三人の集団が少し先で突っ立ってじっとこちらを見つめている。

(なるほど、そう来たか)

 夕夜は顎に手を当て、その場に立ち止まった。

(機械を狩る死神ってことかえ)

 隼はすぐさま、窓香を盾に隠れた。

【おいこら離れろやクズ】

「やだぁあ、だって怖いもんん、鎌持ってんじゃんかあ。無理ぃ俺死にたくないってぇえ!」

【そんなの夕夜だって同じだろが。シャベルちゃんと見ろ】

「あああ、もうどっちも怖いいい!!」

【:(】

 集団の一人が片手を上げて、夕夜たちに歩み寄ってくる。夕夜も返事とばかりに軽く手を上げた。

「君たちは人間だろう? 俺たちは君たちに危害を加えるつもりはないよ」

 流暢に話す青年に夕夜は軽く首肯し、「もちろん。こっちも同じさぁ」と返す。

「は!? え!? 夕夜さん、なんでそんなスムーズに話ができんの!?」

「うるさいです」

「あ、え、ごめんなさい」

 隼は、珍しく口を開いた窓香に小さくなった。

 暫く、夕夜と男は会話を交わしていたが、話がまとまったのか、夕夜が少し離れた場所で会話が終わるのを待っていた二人に手を上げた。

「ゆ、夕夜さん、何話してたんですか!? ってか、なんで話せたんですか!?」

 夕夜に追いつくとすかさず隼はこう切り出す。

「医者の息子だからなぁ?」

「いや、それ関係ないっすよね!?」

「チッ。じゃあお前さんは俺様達の代わりに話せたんかえ?」

「えっ、えっ無理です。絶対嫌です」

「だろぉ?」

 夕夜は溜息をつくと、黒いローブの男の後ろに続いて足を進める。

「え、っつか、これ何処向かってんの?」

「池之町」

 曖昧に答えて、夕夜は後ろを振り向いて暫く見つめた。

「……」

 いつの間にか空は茜色に染まっていた。その下には破片が多く散らばっている。

「此処も終わりだなぁ」

 不気味なくらい静まり返ったビルの立ち並ぶ都市に背を向け、夕夜たちは前に進んだ。


               ★


「旭、涙」

 真夜は震えが収まらない体で、今自分が見ているものについて考えていた。

 どれだけ自分の口が悪くても何も言わずついてきてくれる奴らで、旭は確かに自分を持っていなかったけれど、いざという時には頼りになるヤツで、涙はいつも明るく、前向きに物事を捉えてくれるから、彼女の意見には度々救われたりもして。

 あいつらのこと、カスとか言ったけど、本当はすごくいいやつで。それを僕はちゃんと分かっていたのに。いつも、口の悪いことしか言ってなくて。

『人の骨さぁ、随分古くなっちまってるけどなぁ』

『ホネ?』

『人間の体の中にあるもんだよ。お前さんの体の中にもあるんだぜぇ、ンヒヒヒヒ』

 白くて細くて長いもの。旭の開いてしまったお腹の中を覗いた。無い。白くて細くて長い棒がない。それだけで視界は大きく歪んでしまう。

「嘘だ」

 涙が爆発に巻き込まれた後、旭に突き飛ばされた。振り向くと、次は旭が爆発に巻き込まれていた。

 旭が突き飛ばしてくれたお陰で真夜は無傷で済んだ。ただ、彼の腹部に穴が開いた。カチューシャが外れて、色素の薄い髪が白い肌を覆い隠す。彼は瞼を伏せて、どれだけ肩をゆすっても、もう眠たげに欠伸をして起きてはくれない。

「バカだろ。バカだろ、なにやってんだ。なにやってんだよ」

 譫言うわごとのように繰り返したその言葉ですら、もう誰に対して言っているのかは分からない。

(俺の体の中にもある)

 夕夜は確かにそう言っていた。

 なら自分は彼らとは違う体なのか? どうして彼らは違う構造なのだ?

 幼馴染の桜夜も機械だったのだろうか。

 真夜の中でゆっくりと何かが崩れていく。

『言える内に』

 彼女は予期していたのだろうか。わからない、何も。今となっては何もわからない。

 ただ、伝えたいことはあったのだ。彼らに、本当に思っていたことを何一つ告げられぬまま、こんな唐突に別れが来るだなんて思わなかった。

 これから先も三人で暫く馬鹿をやって、流星が戻ってきたら四人でふざけて、時々は向こうの和泉市街の奴らも誘って、いつもうざったらしく絡みついてくる夕夜と本気で喧嘩をして派手に怪我をしても良かったのに。

 全部が消えて、先にあった道が唐突になくなった感触。先が真っ暗で何も見えない。真夜は茫然とその闇を見つめる。覗き込まれているようにも感じた。


               ★


 桜夜はただ漠然と、此処ではもう今まで通りの生活は送れないと考えていた。未だ全てを理解したわけではないが、とにかく今までの生活は何かが狂っていたのだろう。

 次々と無機質な音を立てて崩れていく人々を見ていればそれは明らかだった。

「布瀬さん!」

 桜夜は顔を上げた。真っ赤な帽子に制服の一戸だ。彼女はすぐに桜夜の元へ駆け寄った。

「鬼木さんが、この事態を起こしたのは『死神』達だったと……!」

 一戸はその場に膝を下し、そのまま地面に額を打ち据える。

「何度謝っても許されないことですが、何度も謝らせてください。ごめんなさい! 私は、あなたにずっと迷惑ばかりをかけてきた不出来な警官です。だけど、お願いします! 私と一緒に、進んでください!」

「進む……?どこへ?」

「此処を忘れるほど、遠い場所へ」

 顔を上げた彼女の瞳はどうしようもなく熱い光を伴っている。

「忘れるほどは、だめだよ。僕は忘れてはいけないんだ」

 目に焼き付けた残骸が脳裏から離れそうにない。彼らを忘れてはならない。ただ壊れゆく様を助けることもできず、見ているだけだった自分の無力さを噛みしめる為にも決して忘れてはいけないのだ。

「なら、私が一緒に背負います! 布瀬さんが忘れないよう、私も一緒に背負いますから!」

 だが一戸はを熱い瞳で桜夜の水のように静かな瞳を燃やした。

 桜夜は苦笑した。

(駄目だなぁ。理輝、僕やっぱり君のように厳しくはなれないよ)

 桜夜は立ち上がると、一戸に手を差し伸べる。

「いいよ。一緒に進もう。僕も、君とはちゃんと向き合って話していきたいことが山ほどあるんだ」

「はい! もちろん! 私も、たくさんあります!」

 一戸がその手を掴んで立ち上がる。

 桜夜はズボンのポケットから端末を取り出して、番号を打って耳に押し当てた。

 コールの音をここまで胸が軋むような気持ちで待つのは初めてだ。

「ああ、駄目だ。繋がらない」

 桜夜は端末をズボンに押し込むと駆け出す。一戸も隣に並ぶと彼の顔を覗いた。

「布瀬さん、ご友人ですか?」

「うん。繋がらないんだ。探しに行かないと」

「分かりました! 行きましょう!」

「うん……えっ!? 待って、一戸さ」

 一戸は力強く頷くと、桜夜の腕を掴んで、全力疾走。桜夜の声は結局一戸に届くことはなく、桜夜は引きずられるようにして彼女と静まり返った街を奥へ奥へと走っていった。


              ★


「真夜、真夜」

 肩を揺すられもしたのに、当初、それが自分を呼んでいるのだという事に全く気付けなかった。

 橙色の髪を一つに結んだ、真紅と紺碧の瞳の男。雲のように白い服の上に空のように青い服を着ている。

「お前、何ボーっとしてんの? 何、俺より先に妖精さんに会ったとか言ったらマジで殺すけど」

 袖を捲るのが億劫なのか、手を出さず袖を口元に当て、嗤う青年。

「流星?」

「はいはい、流星くんでーす。夢は妖精さんになること、趣味は妖精さん探しの茅原流星ですよーっと。おはよ。大丈夫? 妖精さんになる?」

 深い眠りから目が覚めたばかりのように、真夜は流星を眺めていた。やがてその腕を掴み強く握る。居る、今目の前に。

「えっちょ、痛い痛い、くそほど痛い。なにすんだよ」

「はは、ははっ」

 真夜は笑い始めた。腕に細くて固い感触が確かにある。これはきっと骨だ。

 真夜は笑いながらも目を擦る。おかしい。涙が止まらない。

「お前何器用なことしてんの……」

「真夜ー!!」

 遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた。赤い制服の女性に手を引っ張られて、親友が息を切らせながら走ってくる。見上げるともう夕焼けは暗い空に飲み込まれつつあった。

「あーごめん、なんか真夜くん今壊れてる」

「えっ、え!? 真夜、大丈夫!?」

 真夜はさらに笑ったし、涙は相変わらず止まりそうにない。

 バカかよ、バカだろ。うれしくて、悲しい。苦しくて仕方がないのに、嬉しい。

(何、心配してんだ。責めろよ。なんだよ、流星、殴ってくれよ。なんで、誰も僕を責めないんだ。何で僕に優しくしてくれたやつがこんなクズな僕を助けて死んでるんだ。なんで、僕は最後まで何もできないんだよ。なのに、なんで群がってくるんだよ、バカかよ。バカだろ。何やってんだ)


「飛ぼうぜ、真夜」

 よく見ると、流星の目尻も真っ赤で泣き腫らしたのだということが容易に理解できた。

 流星は遠くの空を指さしてそう言う。真夜は霞む視界を擦って、流星の示したみちを見た。暗い闇に飲み込まれそうになりながらも必死に逃げている赤い空だ。

「ははっ、なんて不安定なルートだよ、バカか」

 真夜は目を擦って、立ち上がる。涙はもう出なかった。

「行きましょう」

 夕梨がその空を見上げて目を細めてそう言った。

「うん、僕らは進まなくちゃ、前へ」

 桜夜は胸を上下させて、たくさん息を吸う。

「俺らはやっぱ飛んで妖精さんになるよな」

 先だけ見据えて流星は自身気に言う。

「妖精さんになるのはお前だけで十分だわ」

 先の方で黒いローブに身を包んだ橙色の髪の女性がこちらをじっと見つめていた。待っているように見える。流星が深々と溜息を吐く。顔を覆いだしたところを見るに、何やら訳知りらしい。真夜はそれを問いただすためにも一言声をかける。

「行こうぜ」

 真夜はもう振り返らなかった。


                ★


 池之町の外れに、二十人ほどの人間が固まっている。その中には当然夕夜もいたのだが、あまりに真夜が遅いため、迎えに行こうかと腰を上げた時に折りよく、彼が後ろに三人も人間を連れてきたときには、口を開いてしまった。

「あー!! 『会長』さんだ!!」

 隼が桜夜を指さしそう言えば、誰もが彼に救いを求めるように、駆け寄る。一戸がすかさず、桜夜の隣に立つ。

「あれっ、涙ちゃんは!?」

「は? 何お前、涙ちゃんの何なの?」

 隼が辺りを見渡すと、すかさず流星が反応を示す。

「桜夜のやつ、これからもっと大変そうだな……」

 真夜が苦い顔をして親友の様子を遠くから見守っていると、

「なんだ、お前さん独りじゃなかったんかえ」

 と眼帯の男が口の端を上げて肩を組んできた。

 前よりも嫌な気にはならなかった。

「あいつらバカなんだよ」

 風船帽の鍔をちょっと下す。

「素直じゃねぇなぁ」と夕夜は笑った。


               ★


「私はあなたに命を救われた」

 アイリスはこう口を開いて、春兎の瞳から目を離さないようになった。

 また一方で春兎の方でもアイリスから瞳を全く逸らさない。

「八年前、私は四歳だった。あの時私はあなたにお礼を言わなかったけれど、自分の国に戻って大きく育ってからすごく後悔した。だって私の国は戦争をよくするし、テロだってよく起こる。大人になるまで生きていけるかどうかなんて誰も分からない。私はこの年になるまでに、綺麗なモノも汚いモノもたくさん見てきた。だけど、それは全部、あなたが私に手を差し伸べてくれたからこそ、見れたもの。今、この私が、ここにあるのは、あなたが私を救ってくれたからなの」

 アイリスは視界の端でレグロが俯いたのを認めた。彼だって、幼い頃にここで両親を失ってそれから、長い間苦しんで漸くここに立っているのだ。今の彼を作ったのは他ならぬ、春兎や卓己たちだろう。

「ありがとう、変態ロボットさん」

 アイリスは笑う。心の底から気持ちを伝えるには、まず笑顔でいるべきなのだ。

 だからアイリスはニィっと、口端を上げて。だけど、それも長くは続かない。口端が震えた。

 どうしてこんなに不器用なのか。

 彼、春兎の残された赤い瞳は黒くなっていた。口を小さく開いて、真っ直ぐアイリスを見つめたまま。

 もう彼は何も話してはくれない。だけど、浅くとはいえ、ずっと春兎の傍で顔色を見てきたアイリスには、すぐに分かってしまった。脆くも、頬を幾筋も涙が伝った。

 彼に、伝えられたのかは分からない。だけど、何度同じ言葉を繰り返したところで、きっともう無駄なのだ。彼はもうここにいない。

 アイリスはローブの袖で涙を乱暴に拭い、レグロの腕を掴むと彼らに背を向け歩き出した。レグロも抵抗などせず大人しく彼女の後に続く。きっとアイリスの涙で悟ったのだろう。

 だけど、当のアイリスはまだ幼く弱かった。少し歩くと、彼を振り返る。

 離れた場所で二つの機体ロボットは静かに佇んでいた。八年前から全く変わりもしない彼の姿。

 アイリスは当時を思い出した。手を振る彼の姿はもうそこにはない。

 また拭い取ったはずの涙が溢れそうになった。口の端から嗚咽が漏れる。

 彼女はそれでも視界を前方に戻して歩く。普通に歩くだけなのに、何処までも遠くを目指して歩き出すような気分だった。

 何度と、止まりそうになる足を必死に運んだ。頭の奥で、夜空に咲く花を思い出す。つい昨夜の事だったのに、もう何十年も前だったような気になる。

 ――わすれない。

 空を見上げた。既に暗い深海のような空がアイリスを覗き込んでいる。

 ――あなたとのこと、全部。

 やがて、ずっと先で、「アイリス!」と叫ぶ母の声が聞こえた。アイリスはレグロから手を離した。

 ――ずっと、わすれない。

 地を蹴って、駆けだす。アイリスを心配して頭を撫でようかそっとしておこうかと葛藤していたレグロは急なこの疾走に「おい、アイリス! 待てよ」と怒鳴った。


              ★


「スリープモード解除」

 顔を半分失ったAIが緩く左右に頭を振った。

「幸せだねぇ」

 隣で童顔のAIがそんなことを言う。

「いやあ、すげぇね、人間。データ消し飛んでたから、助けた時の事とか全然分からなくて申し訳ないんだけど」

「すごいねぇ。僕らが作った機体は全部だめになったのに、人間から作られた僕らには、僅かな自動修復機能が残ってあるんだから」

 二つの機械は口々に言って辺りを見渡す。静まり返っている。人の気配もなく、陽はとうに落ちて、暗い空が星を連れてきた。三日月が自然に光っている。それを人工知能が見上げた。

「春兎は、人の気持ちが分かるようになったのぉ?」

 春兎はその言葉を鼻で笑う。

「まさか。分からねぇよ、分かるわけねぇじゃん。なんなんだろうなアイツら。ほんと意味分かんねぇわ」

 拗ねた子供の様に、顔を顰める。

「アイツら、俺達には真似できない顔ばっかするし、意味分かんねぇくらい難しいこと考えるし。同じ種族なのに殺したりするし。かと思いきゃ間違えたりするし、俺らみたいに目標達成するために完璧なことはできないのに、俺らを作ったのはアイツらだしさ。作っておきながら、怖がるしさ。なんなんだろうな。分からねぇよ」

 だから、羨ましい。そんな訳のわからないものに憧れた。訳が分かるようになりたかった。

 同じように進んでいきたかった。


「池之町の方も落とされてしまいました」

 人差し指で眼鏡を正し、鬼木理輝が横倒しにひっくりかえっている電車の上に腰かけた。

 彼はおそらくずっと近くで様子を見守っていたのだろう。自然とやってきて報告をする。

 つられるようにして、卓己も膝を曲げて屈む。驚いた風もなく、理輝へ言葉を返す。

「そうみたいだねぇ。米さんから連絡あったよぉ。この町とさよならする道をみんなが選び始めてるんだってぇ。この生活も、もう終わりだねぇ」

「あーそうかぁ。意外と長く続いたよなぁ」

「ねぇー。幸せだったねぇ」

 春兎もずるずると電車を背もたれに足を伸ばした。依然変わらず暗い空を見上げて。

 お礼を言って去っていった彼女の事を考えていた。本当に不思議な子だ。

 八年前、忘れられないほど恐ろしい出来事にあったのに、わざわざお礼を言う為にやって来るだなんて。だけど、春兎には彼女を助けた頃の記憶は残っていない。どんな気持ちで彼女のことを助けたのかは分からないが、きっと思い出したくなかったからその記憶を消したのだろう。

 一方で、卓己は十分に満足していた。当初の「人間との共存生活」を八年にも渡って続けることが出来たのだ。その上、人間の女性から「悪くはなかった、むしろ気に入っていた」などとも言われたのだ。悔いなど全く無い。


 彼らはこの生活を永遠に続ける気持ちはなかった。

 ただ、純粋に人間と同じ生活を送り、間近で自身も同じ種族にんげんであるという夢に溺れていたかっただけなのだ。だが、人間は本能で気付く。

 医者が人間と機械の内部の構造の違いにすぐ気付いたように。気付いて尚、何も言わずにいるやつもいれば、恐れを感じて抜け出した者もいる。

 人間が人間を殺すようになったり、人間が機械を壊したりするようになると、流石にもうそろそろ止めにしようという気になった。

 何も俺達は人間との共存を夢見ただけで、人間を縛り続けたいわけではないのだから。初めにそう言い出したのは理輝だ。

 残りの二体は勿論その通りだと頷いた。そして、その機を見計らったかのように現れたのが『死神』だった。三機は無責任にも人間の行動に全て任せることにしたのだ。否、理輝だけはこの『死神』の行動を大概、見知らぬふりをして誤魔化してきたわけだが。


               ★


「地中に埋められた爆弾ですが、全て鉄にのみ反応して作動するよう作られた地雷のようです。概ね、最初から人間を保護して撒くつもりだったのでしょう」

「考えたねぇ」

 卓己は曖昧に返事を打ちながら、ふと理輝の顔に目を向けた。この理輝という機体は、卓己と春兎が造り出した二体目のAIであり、前作の旭のような不良品とはならずに済んだものの、人間との関わりの中で、自我に目覚め始めた機体であった。

「ねぇ。理輝はぁ、これからどうするぅ?」

 進路先を気になって尋ねるかのような雰囲気で卓己は聞いた。鬼木理輝。記録データのバックアップ、または収容する為のフォルダーとして作ったような機体だった。ただ、そんな彼ですらも、自分と春兎の我儘の為に作り出された被害者のようなものだ。

「俺は、あなた方に合わせますよ」

「いいのぉ? あんなに『会長』さんと仲良しだったのに」

「いいんですよ」

 理輝はというと、普段あまり表情を変えない癖に、口元を綻ばせている。

「俺は困ってる人を見過ごせないだけなんで」

「彼の事だから向こうでまた頭抱えるんじゃないかなぁ?」

「大丈夫ですよ。そうなった時は、笑い飛ばしながら背中を蹴ってくれる友人や、一緒に悩んで考えてくれる人がいるんで」

「うーん?」

 二人は同時に布瀬桜夜という人間を思い浮かべた。同じ人物であるはずなのに、卓己には頭を抱えて唸ってばかりいる桜夜が浮かび、理輝には似た者同士、激しく口論しては、その内、声を張り上げてまで口論し合っている事が馬鹿らしくなって笑っている桜夜と夕梨が浮かんだ。

 そんな二人を隣で眺め宥めたいと、思わなかった訳ではない。でも、これでいいのだ。何故って、

「今困ってる方が、そこにいるじゃないですか」

 卓己は首を傾げて理輝が、真っ直ぐ指した方に目を向ける。

 そして、元より大きな瞳を更に大きくし、息を飲んだ。隣で意味もなく頭上の星を眺め続ける春兎の肩を揺すぶった。

「あ? なんだよ、卓己」

 好きな音楽のサビ部分でいきなり切られたような不快感たっぷりの顔で春兎は卓己の顔を見る。

 春兎にとって卓己というのは、何でも知っている存在だ。知らないことなんて何もない。普通の人よりも恐ろしく早いスピードで事実を掴んでくるからこそ、春兎は見たことがなかった。

 卓己が口を開いて食い入るように前を向いている姿は。

 それで慌てて春兎は卓己の視線の先を追った。


 その機体を、春兎はすっかり忘れていた。

 一見、人間かと思った。何故って、彼は全くの無傷なのだ。

 彼は、黒い制服を着ていた。その腕章には見覚えがある。トングを右手に、グリップを左手に握るその少年は、真っ赤な髪の下に、濁った瞳をしている。

「天野狂」

 卓己が隣で呟いた名前に、口元を手で覆う。

 狂という名の看守は、鞭を握ったまま、特に何の表情も無しにその場に佇んで、ずっとこちらを見ていた。

 看守。目に見えて人間ではないとはっきり分かる部分がある。

 瞳の奥でモニターが回っていることだ。この狂という看守もそれは変わらない。

 ただ、他の看守と変わっている部分があるとするならば、たった一つ。彼だけは、春兎や卓己が作った機体ではないという点。

 警察、看守、データ管理の為に、彼らは何体か機体を造った。旭、理輝を試しに造り、それからは、看守を春兎が、警察を卓己が。より人間らしく。

 造っている当時は、二体とも自分達が人間になった気分に酔いながらの制作だった。それでも、覚えている。

 確かにこんな機体は作った試しも無ければ、八年前に残しておいた人間の中にも彼の姿はなかった。それに彼らの作った機体というのは脆く吹き飛ばされ、全て無くなっているというのに、目の前の看守、天野狂は何処にも損傷がない。

 二体は彼を造った存在をつかめず、ずるずると終末を迎えたのだ。

「いや、待てよ」

 春兎は狂の顔をじっと観察した。何処か既視感を感じる。若葉の色と青い瞳。濁り切ってはいるが、その顔は、誰かと重なる。

「まさかな」

 春兎の脳裏にふと、昨日の夏祭りの出来事が過る。事件の被害者だったのだろう。三つ編みの少女の顔。空色の瞳と若葉色の澄んだ綺麗な瞳。あの顔つきと狂の顔がどういうわけか重なったのだ。

「で? お二方はどうなされるんですか?」

 理輝の言葉に卓己は渋い顔をして、春兎に視線をやった。

「どうするぅ? もう僕らもここで終わっとくぅ?」

 正直、理輝が狂を見て困っているとか言っても、その機体は自分にとっては関係のないものだ。卓己は今ここで他の機体と同じように壊れてもそれで充分なのだが、同じ道を進んできた仲間に敢えて聞いたのだ。

「いや」

 何やら神妙な面持ちで考え込んでいた春兎は緩く左右に首を振った。

「嫌な予感がするんだ」

「嫌な予感?」

 春兎は狂を指す。

「アレは俺達が造ったモノじゃない。つまり、アレを造る技術を持つ人間が、和泉市街か池之町に居たってことになる。その人間が今回の騒動で、ここを離れ、外に出たら危ないと思わないか?」

「危ないって。うーん? でもそれは春兎の考えすぎだと思うなぁ。第一彼を造った人間がまだ生きてるとは限らないよ。何せ、僕は彼らについて調べてみたことはあるけれど、両親の行方だけは掴めなかったからねぇ」

「失踪事件に、連続殺人。思い返せば色々ありましたよね」

 春兎は二体の言葉に頷いて黙った。背中にジクジクと広がるこの嫌な予感はなんだろう。

 彼らの言う通りに、既に亡くなっている可能性は十分ある。でも万が一に、まだ生きていて、今回の騒動。

 大多数の機械の亡骸を目に止めた状態で外国へ移動したとして、十六年前のような愚かな人間でなければ良いが、もし何かに使えると思ってその技術を外の国でも発揮して目につけられるようなことにでもなれば。

 既に自分達が自我を手に入れたのと同じようなことが、歴史が繰り返されないなんて、断言は誰にだって出来ないのだ。


 先刻まで緩やかな会話を続けていた三体が途端に張りつめた沈黙を生むのを狂はじっくり眺めていた。

 狂は敢えて人の進む方向と真逆の方向に突き進んできた結果、彼らを見つけた。

 実際、理輝の通りに彼は困っていた。居場所であった刑務所は既に壊され、囚人は牢に一人もいない。その上、看守長も仲間も一人として残っていなかった。

 それで狂は拗ねてここまで来たのはいいが、その道中、まるで自分だけが他の世界に飛んでしまったかのような錯覚に陥るほど辺りが静かで、胸に穴が開いたかのような寂しさを拾ってしまったのだ。正直、彼らを見つけた時は心底安堵したが、彼らの話す内容は一向に理解できない。

 そこで狂は暫く様子を眺めておこうと黙っていたが、黙り続けることに痺れを切らした。

「ウジウジうるせー害虫が」


             ★


 果たしてその予感は的中しつつあった。

 サンフランシスコ、アルカトラズ島。またの名を監獄島という。

 人間というのは不思議なもので、人が減ると増やそうとし、また人が増えると人を減らそうとする本能的な働きがある。

 その国は、人口の過密化と共に増えた犯罪に手を焼き、今また監獄島という、都市から離れた位置にある島の上に設置してあった刑務所に罪人を放り込むこととなった。その折に、この国もまた、進化を求めて、一体の機械を刑務所に置いた。

「おいコイツまたゲロりやがった」

「おえっ、誰が処理すると思ってんだよ、この税金喰いが!」

 蹲った囚人の背を一人の看守が蹴り飛ばすと、もう一人が、「まぁまぁ」と宥める。

「いいじゃん。これからそんなの全部機械ロボットにやらせりゃ良いんだからさ」

 蹴り飛ばした看守が軽く舌を打って、骨の様に細くなった囚人の腕を引っ張って立たせた。

「お、ほらほら、言ってりゃ来るもんだな。なんだっけ、名前。確か日本製のー」

 人間との区別がつきやすいように、その機械の髪や瞳の色はへき色だった。

 愛想よく口元は常に笑みを作っており、他の看守よりも一層目立つようにか、彼の容姿はまだまだ学生くらいのものだ。

「よお~新人ロボちゃん? くん? って、性別なんか無ぇよな、失敬、失敬」

 囚人を引っ張り歩く看守の隣を歩くもう一人の看守が帽子を取って機械しょうねんをからかう。

「こぉんにぃちぃはぁーあ」

 一方、機械はその場に行儀よく佇み、表情を崩さずに返事を返す。だが、どうも呂律が回っていないような、調子の狂った喋り方である。

「おい、そのロボット、本当に大丈夫なのかよ。不良品なんじゃねぇの」

 囚人の腕を掴み、自身の鼻を摘まんでいた看守が怪訝そうな顔で隣を見る。

「いやいや。なんかね、日本の方じゃ上手く作ると暴れちまうってんで、ちょっと欠陥ドジ入れるようにしたらしいんだわ」

「なんだそれ。単純に管理しきれてないだけだろ。おい、ロボット」

「あー、ダメダメ。そのロボット、名前呼んでからじゃなきゃ、自分に下された指令って認識しないから」

「なんだよ不便だな」

 脱ぎ取った帽子を指の先で回し、男は「なんだっけな」と唸った。

 その間も碧色の少年は動じず静かに二人の看守の顔を見上げている。嗅覚が無いのか、目の前の囚人が肌に蠅を纏わりつかせていても、眉をピクリとも動かさない。

「ああ、そうだった。そうだ」

 漸くピンときたのか、男は帽子を被って渋面な同僚の耳元に囁いた。

「ふーん。おい、アオイ。お前に新しい仕事をくれてやるよ」

 渋面の男が、囚人の背中を再び蹴り飛ばす。囚人は力なく、アオイと呼ばれた機械の前に倒れた。

「アオイ、そのゴミを処理するんだ」

「アオイ、ちゃーんと、シャベルで穴掘って土に埋めてねー?」

 人差し指を追いかけ、アオイは、真下に転がる囚人を見下ろした。暫くそのままの状態で固まったが、屈み、囚人の襟首を掴むと、

「はぁあーい、わっかりましたぁあー」

 と敬礼のポーズを取って、満面の笑顔で返事をする。その次に深々とお辞儀すると、正しくゴミを引きずるように、囚人を引きずって、さっさと先を歩いて去っていった。

「ロボット様様だな」

 アオイの背後に口笛を吹き、両手を叩き払う看守と、「なー楽になりそうだよなあ」と暢気に伸びをして帽子を被り直す看守。

 やがて二人の看守は、先の突き当たりをアオイが曲がったのを確認してから来た道を引き返し始めた。

 正式名称、天野碧あおい――。

 彼が自我に目覚めるのは、もう少し先の事である。

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変態さん 星野白兎 @hosino3564

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