火の用心

「焼きいもが食べたいわぁ」


 ある日突然部屋に現れたかずこさんが言った。


 ちょっと待て。

 出現のお約束がおかしくないか? 俺が会いたいなーと思ったらおっさんは現れるのだと言ってたじゃないか。何でかずこさん湧いて出たんだ。まさかこの俺がかずこさんに会いたいと思ったとでも言うのか? そんなバカな。あり得ない。


「えっと、外に美鈴ちゃんも来てるのかな?」


 百歩譲ってそれならアリかも。


「ううん」


 かずこさんの返事は俺の心を慰めない。でもなんだろう。そんな気がしてた。うん。


「じゃあどうやって……」

「うふふ。ないしょー♡」


 二つの握りこぶしで口元を隠してくねくねとしなを作るかずこさん。可愛くない。恐ろしさしか感じない。そして内緒はやめて。怖いから。

 でも、かずこさんの「内緒」を聞き出すのは不可能だ。命が惜しくばここはスルーするしかない。


「焼きいも買って来ようか?」


 もう、さっさと用件を済ませて帰ってもらおう。そうだ。それがいい。焼きいもが食べたいなら買って来てやろうではないか。


「何言ってるの渚くん。焼きいもじゃなくてお芋を買って来なくっちゃ」

「え」

「落ち葉を集めてー」

「え。いや」

「焚き火をしてー」

「いやいや、かずこさん」

「お芋を焼いて食べましょうよ」

「いや。無理ですよ?」

「何で? 楽しいし美味しいわよ?」


 かずこさんがキョトンと首を傾げる。


「条例で焚き火は禁止されている」

「ええーっ」

「火事になったら危ないだろう」

「そんなヘマしないもの」

「ヘマしようと思ってする人はいません」

「何でよう。垣根の垣根の曲がり角よ? 日本人の心よぉ?」

「旧き佳き日本の原風景は失われつつある。これも時代の流れ。致し方無い」


 しかつめらしい顔で頷くと、かずこさんは盛大に頬を膨らませた。


「やだ」

「え」

「絶対、やだ」

「ええっ」

「探してきて」

「何を」

「焼きいも出来るとこ探してきて」

「そんな無茶な」

「ちゃんと焚き火でやるんだから!」

「無理ですって」

「約束だからね!」

「ちょっ、かずこさん!?」


 かずこさんは唐突に消えた。

 嵐のような人だ。


 だが、どう考えても焚き火なんで無理だろう。


「楽しみだねえ。焚き火で焼きいも!」


 茶色い股引きを着たおっさんが嬉しそうに頬を染める。

 チッ。やっぱり聞いてたか。


「おっさん。かずこさんにも言ったけど焚き火は無理だ」


 おっさんの頼みなら何とか聞いてやりたいが、さすがにこれは……。


「ほっくほくのお芋!」


 夢見るようにおっさんが微笑む。


「ちょっと待とうか」


 宥めようと試みるが、おっさんに俺の声が届いている気がしない。


「あっつあつー♡♡」


 うっとり。


 夢みる天使に下々の声など聞こえよう筈もなかった。

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