第一話 訪れたチャンス

結局、死ねずに一年が経過した。


 魔界の向こう側の世界では、自殺するときは縄で首を吊るのが一般的らしいが、縄は僕の首に食い込むことすらしなかった。


 それからというものの、僕は部屋から出ず、ずっとゲームをする生活を送っている。


 暗い部屋で、布団の上に寝そべって、大好きなゲームをやる。


 すごい楽しくて、この安寧がいつまでも続けばいいのにと思う。


 だけど、心はそれに猛反対して、現状の自堕落な僕を矯正しようと躍起になっている。


 僕自身、わかってる。

 だけど、もう体が動かないんだ。


 それに、これは僕のせいじゃない。病気のせいだ。だから僕は何も悪くない。


 カチカチとボタンを打ち込み、スティックをせわしなく回転させ、キャラクターをどんどん配置していく。


 僕がやっているゲームは、いわゆる戦略系、ストラテジーゲームだ。

 自分のキャラクターを何体も育て、それを実際に戦場に配置し、指令を出して相手軍を殲滅する。


 僕はこのゲームをまるまる一年やっていたから、常にトップランカーの場所に名前を連ねている。

 このゲームの総人口は七十万人ほど。そう考えると、すごいことだ。


 だけど、心は空虚なまま。


 わかっている。わかってはいるんだ。

 だけど、今からまっとうな生活を始めても、もう手遅れかもしれない。それを知るのが、怖いんだ。


 「ヤスノリ! 降りてきなさい!」


 階下から突然、母親の大きな声が響き渡る。

 僕は思わず舌打ちをした。


 このタイミングで呼ばれるとは。マッチングにはもう入ってしまっている。ここで負けたら、トップランカーから落ちるかもしれない。


 「ヤスノリ! ぐずぐずしないで!」


 僕が決めあぐねていると、母親の大声が再度響き渡った。先ほどと違い、怒気をはらんでいる。


 「少し待って! 数分したら行く!」


 とりあえず大声で返事を返し、僕は急いで画面とのにらめっこを再開した。

 階下で母親と、誰かの話し声が聞こえる。


 来客でもあったのだろうか。インターホンが鳴ったことにすら気づかなかった。


 画面の向こうで戦闘が始まった。


 僕の軍隊は指示したとおりに行軍していく。その進行方向を微調整していると、階段を上ってくる足音が聞こえた。


 僕は慌てて立ち上がると、電気をつけた。


 それと同時に、扉が開く。


 そこには、見知らぬ人が立っていた。

 背が高く、鼻筋は通っていて、彫りが深い。ダンディーでありながら、爽やかさもあわせもったイケメンだ。


 その後ろに、母親の心配そうな顔がある。


 その人は、さっきまで僕がプレイしていたゲーム画面をちらりと一瞥し、こちらを見た。


 「ヤスノリ、この人は国の――」

 「お母さん、少し待ってください。私とヤスノリ君、一対一で話してもよろしいでしょうか」


 母親の言葉を遮って、その人がそう言った。医者だろうか。果たして僕に何の話をしに来たのだろう。

 母親は心配そうな顔で言いよどんだ。


 「ええ――ですがやはり息子の事ですから、私にも話を――」

 「それはヤスノリ君の意見を聞いてから、お母さんに報告します。もちろん、最終的な決定権はお母さんにありますので。しかし、今は席を外していただいてもよろしいでしょうか? お願いします」


 頭を下げられ、しぶしぶ、といった様子で母親は部屋から出て行った。

 汚い部屋に、僕と見知らぬ人だけが残される。


 僕の軍隊が画面内で接敵したようだ。何かの唸り声や、叫び声がイヤホンから漏れ出る。


 正直、すごく気まずい。


 そんな僕を気にした風もなく、その人は帽子をとった。


 「さて、ヤスノリ君。君は今、何歳だい?」

 「……十九」


 得体の知れない人間に個人情報をばらしてもいいものかと思ったけど、とりあえず答えた。


 「十九歳か。じゃあ、就職先は決まっているのかい?」

 「……いいえ」


 僕はうつむきながら答えた。

 あと一年もしたら成人だ。そうしたら親元を離れなくちゃいけない。


 自分がどれだけダサいのかなんて、僕が一番よく知っている。なんでこんな見ず知らずの人に辱められなきゃいけないんだ。

 僕は心の中で悪態をついた。


 でも、その人はにっこり笑った。


 あまりにも予想外過ぎて、僕は少しびっくりした。心からのうれしそうな笑みだったから。


 「それは重畳。じゃあ、就職したくないか?」

 「え……?」


 そしてかけられたのは、全く想像もしていなかった言葉。

 この人は、もしかして僕を、こんな僕を会社に誘っているのか?


 自分を変えられるかもしれないチャンスが、すぐそこに来ている。


 そう思った僕は、急いで口を開いた。


 「え、えっと……。親に迷惑をかけたくないので、就職はしたいと思います。でも僕は――」

 「いや、言わなくていいさ。それは過去の君だ。ここから僕とともに働くというなら、そんな記憶はいらない」


 何と言っていいかわからず、僕はまたうつむいた。頭の中がぐるぐるしている。


 なんで、こんな僕なんかを。わざわざ家にまで来て。


 「僕は、君が『ゲリラ病』の患者ということも、今までどのように暮らしてきたかも、全部知っている。その上で、もう一度聞く」


 その人は、まっすぐ僕を見据えた。


 「僕は、君に来てほしい。ぜひ、我々とともに働いてくれないか」

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