第53話 血痕×死体×初めての一発

 朽ちたレストランの探索をしていた那月たちAチームは厨房に入って調査を進めていた。規模から数十名の料理人が雇われていたことが分かる。調理器具や包丁など刃物類からは所々に錆び付きが見える。人の手から離れて久しいようだ。それでもレストランの荒廃具合と重ね合わせるには保存状態が良い。本来ならば刃全体に錆が浸食していなければ時間経過の辻褄が合わない。


 同様に厨房の荒れた様子が目立つ。それは自然による風化というよりも人間が暴れ回った惨状に類似し、各所に散らばる包丁や調理器具が相当な激しさだったことを物語っている。


 惨状を見て回る那月の足が止まって一点を見つめる。そこに睦美が近寄ってきて那月の視線を辿る形で調理台の一部分を見た。そこには黒ずんだ何かがこびり付いている。


「なんでしょう、これ?」


「血のりよ。状態からしてかなり古い物のようね」


 那月は固まった血のりを指でなぞって状態を確認する。空気に触れたことで黒色に変色してしまっているがまず間違いないだろう。


「で、でも、どうして厨房に血のりがあるのでしょうか?」


「厨房の惨状から察するに流血沙汰の事件があったと考えるのが普通ね」


 ただ厨房で起きる事件の原因が何か気になるところではある。人間関係のもつれで流血沙汰に発展したとなれば相当な修羅場だ。場所が場所なだけに死者の出た事件は公表されることはなかっただろうが、レストランが閉店に追い込まれたのは間違いないだろう。


(それにしても私の知らない事件か……)


 当時の記憶を遡ってもヒットしなかったことに疑問を抱く。行方不明者の調査に力を入れていたとはいえ、当時であれば些細な事件でも関連性がないか調べていた。それ程に行方不明の事件には痕跡がなかったのだ。


(それに何かに巻き込まれているようなこの感覚……)


 閉じ込められた事実とエントランスからの反応がない事から異常事態は確実で、那月はそれを起こしている張本人が誰なのかを考えていた。洋館そのものが持つ場による異常現象か、或いは、異能者による超常現象の可能性も否めない。


 様々な可能性を浮かべては思考していく那月の意識を調の悲鳴によって現実に引き戻した。


「どうしたの?」


「ひ、人が死んでる……」


 腰を抜かして体を震わせながらも死体の位置を指で伝えてきた。人が死んでいると聞かされて睦美が脅えた様子を見せると、那月の背後にぴったりとくっついて離れなくなった。那月は若干の歩きにくさを覚えながらも調の傍に近づくと、彼女が指差す方向に体ごと向けた。そこにはまごうことなき死体が横たわっている。


 那月は背中に引っ付く睦美の手を解いて死体の傍で膝を折る。


(腐敗の兆候はあるけど比較的、新しい死体ね……)


 つまり観光島開発の際に出た犠牲者ではない。さらに死体の状態を詳しく調べていくと胸に弾痕と思われしき穴が空いているのを発見した。それから所々が破れて使い物にならなくなった衣服を確認していく。そこで那月は上着の胸元に刺繍されていた紋章に気付いた。


(これは総術特区咎狩とがかり部隊“エイジス”の紋章……)


 咎狩部隊“エイジス”は身内から出た裏切者を秘密裏に処罰する特殊部隊だ。その死体があるということは任務を熟す中で返り討ちにあったのだろう。つまり相当な手練れが裏切ったことになる。そして仮に今起きている現象が裏切者による仕業だとすれば悠長に洋館を探索しているのは危険だと那月は判断した。


「色々と気になることはあるけど、今は早くこの場を去りましょうか」


 調たちを不安がらせないように普段の口調を心掛けて那月は言った。その矢先だった。


 エイジス兵の死体が那月に襲い掛かったのだ。小柄な体躯に覆いかぶさる形で襲い掛かったエイジス兵は馬乗りの形で那月を跨ぐ。腐敗した腕を伸ばして首を絞めにかかるも、寸前で那月が腕を掴んで押し返す。


「――くっ!」


 死体とは思えない腕力に那月から苦悶の声が漏れた。単純な力勝負では性別と体格の差が顕著に出てしまう。状況を打破しようと仕込み日傘を探す。エイジス兵の腕を止める為に咄嗟の判断で日傘を手放してしまい正確な位置を把握できていない。


 視線を周囲に巡らせていくと仕込み日傘を視界に捉えた。腕を伸ばせば届く範囲に落ちているが、エイジス兵の腕力を片腕で耐えるのは難しい。どうしたものか、と悩んでいるところ、思わぬ人物が仕込み日傘を手に取った。


「……睦美ちゃん?」


 仕込み日傘を手に取った人物の名前を調が声にした。睦美は調の声に反応は見せず、少し覚束ない足取りで那月たちとの距離を詰めると、仕込み日傘の先端をエイジス兵の頭にぶつけた。そして躊躇いなく引鉄をひいた。


 一発の銃弾がエイジス兵の頭部を貫通した。仕込み日傘の先端からは硝煙が昇り、煙を探知したスプリンクラーが水を撒いた。頭上からの雨に全身をびしょ濡れになりながら睦美は腰から崩れて座り込んだ。


 那月は力を失って覆い被さるエイジス兵の体をどかして立ち上がり、呆然とする睦美の傍に寄って肩を抱き、小さな胸で抱き込んだ。髪を梳かすように優しく頭を撫でて放心状態の睦美の心を和らげていく。それを皮切りに睦美の感情は決壊した。大粒の涙を流しながら那月の胸の中で泣き叫ぶ。


 自らの意思で初めて人を殺した事実が罪悪感となって襲ったようだ。人生で経験することは皆無に等しい行為だけに感情のコントロールが利かない。非日常の世界で長く生きてきた那月にとっては特別珍しくない話である。だからこそコントロールの利かなくなった相手の慰め方も熟知している。


 那月は何も言わず睦美が泣き止むまで一言もかけずにただ頭を撫で続けた。

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