第12話 小学生とハイジニーナ高校生

    *


 ミクの回想は続く。


    *


 あたしたちが着替えを終え、低温ミストサウナに並んで座る頃にはもう、カコとの楽しいデート、なんて気分じゃなくって、完全に「あたしがなゆちゃんを守らなきゃ」という気持ちになってた。


 それを考えるとなゆちゃんの隣に座るべきだったんだろうけど、カコはなゆちゃんの隣を死守してたし、なゆちゃんにしても、両隣を高校生に固められるのは窮屈だと思うし……。

 その結果、なゆちゃん、カコ、あたしと順に座ることになったんだけど、これが間違いのもとだった。


 カコはバスタオルから出てるなゆちゃんの肩を撫でて、いいわねえ、と、うっとりとした声を漏らす。


「な、なにがですか?」


 身を縮こまらせてなゆちゃんが訊く。確かに小学生のなゆちゃんの肌は水滴を弾くようなみずみずしさに溢れているけど、それはカコだって全然負けてない。第一、そんなの高校生が小学生に言う台詞じゃないよね。


 カコはなゆちゃんの肩に浮き出た汗を指先ですくって言った。


「だって、毎日イチローのお風呂の残り湯に身を浸してるんでしょ」

「ひぃっ!?」


 そっちかよ!

 そしてカコは、なゆちゃんの汗を自分の唇に塗るように指を這わせた。


「ちょっ、カコ!」


 そんなのあたしだって引く。

 サウナの中なのに、ぶわっとなゆちゃんの全身に鳥肌が立つのが見えた。

 カコはそんななゆちゃんを妖艶な濡れた瞳でじっと見つめ、首筋を下から撫で上げて畳みかける。


「ねえ、なゆちゃんだけ独り占めするなんてずるいよ? 毎日毎日、みんなに隠れてイチローの入ったお風呂のお湯を全裸でかぶったり、あまつさえその中に身を横たえて『気持ちいい……』なんて言ってるんでしょ。ねぇっ」

「あ、あたし、そんないやらしいことしてません!」

「落ち着いてなゆちゃん! それ普通だから!」


 カコの狂気が加速して、あたしは慌ててなゆちゃんをフォローする。でもカコはあたしには目もくれず、なゆちゃんに迫った。


「ね、残り湯、いくらならお義姉ねえちゃんに売ってくれる?」

「ひぃぃぃぃぃっ」


 なゆちゃんはサウナ室のベンチから飛び上がると、反対側の壁に張り付いた。あたしは腰を浮かしかけたカコの両肩を慌てて押さえた。


「ちょ、ちょっと待ってカコ。なゆちゃん、大丈夫だから」


 なゆちゃんはいやいやをするように、ぶるぶると首を振る。その弾みで緩んだバスタオルがはらりと落ちた。恐怖に怯えたなゆちゃんは自分の体を隠すのも忘れてガタガタ震えてる。

 カコはなゆちゃんの裸身に大きく目を見開くと、突如「エウレカ!」と叫んでサウナを飛び出していった。


 なんだそれ。

 なにがなんだかまったくわからない。「エウレカ」ってアルキメデスだかピタゴラスだかがお風呂で叫んだ言葉だっけ?

 あたしはぽかん、と走り去っていくカコの背中を見ていた。


 とにかく、一時的にしろあの――あえて言わせてもらうけど、色情ヤンデレ欲獣魔神の危機が去ったことだけは間違いない。

 素っ裸のなゆちゃんは壁にもたれかかるようにずるずると腰を落とした。あたしは状況の把握に精一杯で、もうどうフォローすればいいのかわからない。


 ともかく、なゆちゃんに近づいてバスタオルをかけてあげた。


「ご、ごめんね、なゆちゃん。カコはお兄ちゃんのことが好きすぎて自分を見失うことがあって」


 くっ。なんであたしがこんな台詞を言わなきゃいけないんだよ。


「大丈夫です、大丈夫ですよ。ミクねえさんだって、普通のことだって言ってたじゃないですかー、はははー」

「全然そんなことないから! 小学四年生でそこまで達観しないで!」


 うわごとのようにはははーと笑うなゆちゃんに、あたしは心の中で「戻ってこーい」と祈りながら必死で語りかける。

 それからカコが戻ってくるまでの間、あたしは一生懸命、なゆちゃんのメンタルケアに努めたのだった。


 ……ほんと、なにしてんだ、あたし。



 カコが戻ってきたのはそれから一時間くらい経ってからだった。そのころにはなゆちゃんはなんとか落ち着きを取り戻し、あたしと二人で薬湯やら酒風呂、ジェットバスなんかのいろんな温泉を楽しんでた。


「カコー! こっちこっち」


 出入り口のところにカコの姿を認めたあたしは、寝湯で寝ころんだまま手を挙げた。びくっと身を縮めるなゆちゃんに「大丈夫だからね」と軽くウインクする。なゆちゃんの場所は一番端だから、隣にカコが来ることはない。


 カコはバスタオルをぴっちりと体に巻き、もじもじと赤い顔で恥ずかしそうにやってきた。

 どうやら我に返ってるようでほっとした。まあ冷静になっちゃえば、あんなことを小学生に言ったなんて相当恥ずかしいはず。あたしは努めて大したことはなかったかのように明るく振る舞った。


「どこ行ってたの」

「ちょっとはなわさんに相談してたの。明日からエステ通おうと思って」


 隣のスペースにちょんちょん、と足をつけて湯温を見ながらカコが答える。

 もうすぐ夏休みだし、プールとか海とか行く準備かな。

 そっかー。もうすぐ夏休み、そうなんだよなー。

 きっとカコはイチローとどっか行ったりするんだよな。いいなあ。あたしも一緒に行きたいなー。


 いや、ほんとに行きたいか?


 今日のカコの様子を見てたら、あたしのことなんてほんとにどうでもよさそうだし、イチローと三人で出掛けたりした日にはあたしなんかそっちのけだよね、きっと。


 ……あれ?


 なんであたし、カコとイチローと、三人で行くことを考えてんだ?


 本音のところを言えば、カコとイチローが二人でデートしてるのを見るのもだんだん辛くなってきてる。

 もちろん、カコがあたし以外のヤツと仲良くしてるのを見るのが嫌、ということもあるんだけど、でも……。


 なんで、あそこにあたしはいないんだろう。

 なんで、二人の間にはあたしの居場所がないんだろう――。


 あたしはミクの横顔をぼーっと見ながらそんなことを考えていた。髪をアップにしてるせいで、いつもなら隠れているうなじが色っぽい。


 やっぱり、可愛い。世界一可愛い。


 そんなカコの隣にいられるなんて、それってすごく幸せなことだ。たとえ、カコの思いが自分に向いていなかったとしても、それでも――。


 それでも……。


「そんなに……見ないで」

「あ、ご、ごめん」


 頬を赤く染めてカコが目を伏せる。

 しまった、と思わず謝ってから、そんなに言われるほど見てたかな、と思った。ひょっとしてあたしも知らず知らずのうちに、傍から見るとおかしい行動をとっちゃってるんだろうか。


 気をつけなきゃ。

 あたしがカコの隣にいられるのは、あたしが女の子だからだ。恋愛対象じゃない、トモダチだから、あたしはカコの隣を許されてる――そこをはき違えちゃダメなんだ。


 あたしがそう自省してると、カコは右手でアソコのあたりをやたらとガードしながらバスタオルを外した。バスタオルを置くと、自由になった左手も右手に重ね、真っ赤な顔で急いで湯に入った。


 ……いや、あたしもそこまで露骨にソコばっかり見てないよ? ていうか、そんなに恥ずかしいならなんで胸は隠さないの?

 足下からシュワシュワと泡が出て、自然に体が浮き上がる。カコの愛らしいバストトップはちらちらと――。


    *


「ねえ、ちょっと。ミク? 聞いてる?」

「はっ」


 僕の何度目かの呼びかけでようやくミクが反応した。


「あ……あたし、どこまでしゃべった?」


 なぜかミクは焦ったように僕に訊く。


「その、風呂の残り湯を売ってくれ、てカコが那由多に迫ったってとこまで」

「あー、うん。そう。以上」


 ……ほんとか? そこからたっぷり五分くらい眉間に皺を寄せたり、だらしなく口元を緩めたり、泣きそうな顔をしながら虚空を見つめていたけど、その後の話もあるんじゃないのか?

 僕がそう言うとミクは蔑むような目で言った。


「あんたが知りたいのはカコとなゆちゃんの間になにがあったか、だろ? カコのおっぱいがどうかなんて、そんなことを教えるつもりはないっつーの」

「なんでそんな話になるんだよ!」


 僕は赤い顔で抗議する。なんなんだ、その思考の飛躍は。

 ともかく、昨日、那由多の身になにがあったかは理解できた。何もなかったって言うには無理があると思ったけど、それを当事者の那由多の口から言うのがはばかられる、というのも分かる。ミクの言う「カコの一途さに当てられた」ってのはよく言い過ぎだと思うけど。


 実際にその場を見ていない僕には、カコがどれくらい本気だったのか、今いち深刻さの度合いが分からない。普通を絵に描いたような僕にとって、そこまで好きになってもらえることは単純に嬉しい。たとえそれが狂気じみていたとしても。


 でも、その狂気が自分以外に向けられるのは、やっぱり怖い。那由多を怖がらせた、ということに対しては一言、物申したい気持ちもないわけじゃないんだけど、なんて言えばいいのやら。


 そのときミクのスマホが鳴動した。


「あ、カコからだ」


 ミクはシェイクのカップを取り、ストローで啜りながら左手でスマホを操作する。


「ぶはぁっ」

「うわっ、なにすんだよ!」


 ミクは思いっきり僕の顔めがけてシェイクを吹き出した。なんだよもう、今日はそういう日なのか?


「ちょっとミク」

「うわあ、なんだよカコ……こんな写真ヤバいだろ」


 ミクは僕をまるっきり無視して両手でスマホをいじってる。


「ねえミクってば」

「とりあえず保存してから……」

「ミクってば!」


 僕は完全無視を続けるミクの右手をくいっと引っ張った。その弾みにスマホの画面がちらりと見える。


『ハイジニーナにしちゃった! これでなゆちゃんといっしょ!』


 そのメッセージの下には肌色の写「見るなバカっ!」


 ミクの右ストレートはそれはそれは綺麗に僕の両目の間に入り、僕は椅子もろとも後ろにぶっ倒れた。


    *


「人のスマホ覗き込むなんて信じらんねー」

「悪かったよ。わざとじゃなかったんだ」


 店内で派手にやらかした僕らは、周りの視線から逃げるようにマックを出て駅までの道を並んで歩いていた。


「いいな、見たことは忘れろ」

「一瞬のことだったし、見えてないってば」

「ほんとだな?」

「もちろん」


 なんとか納得したのか、ミクは僕に向けた視線を外して前を向き直った。


「ところでさ」


 射抜くような視線から逃れた僕は軽い調子でミクに訊く。


「ハイジニーナってなに?」

「見えてんじゃねーか!」

「ぐはっ」


 ミクのスイングした通学バッグが顔面を襲う。強打した鼻をさすっているとネクタイをぐいっと掴まれた。鼻がくっつくくらいにミクが顔を寄せる。


「いいな? 絶対にググるな、ググったら殺す」

「うん」


 あとでググろう。

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さんかく 瓜生聖(noisy) @noisy_noisy

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