第6話

 学校にはたかしから連絡が行っていたようで、教師から注意されることはなかった。しかし赤ん坊を抱えているというのはそれだけでも非常に目立つことであり、近くにいた誰もが綾香の方を見ていた。

 教室に入って、俺と綾香は綾香の同級生達に囲まれる。皆に逐一説明をさせられる綾香は大変そうであった。

「可愛いー、私にも抱っこさせてよー」

 女子達はこぞって俺を抱っこしたがる。次から次へといろんな娘に回され、俺は目が回りそうになった。これほどにまで女子にモテたのは生まれて初めてだ。

 やっと綾香のところに戻ってきた俺を、綾香は優しく抱いて膝に乗せる。

「何だ高志田、お前が産んだのかよ」

 一人の男子が綾香をからかってきた。ムカつく野郎だ、ぶっ飛ばしてやりたい。

「おーい席に着けー」

 担任が教室に入ってきた。生徒達は一斉に自分の席につく。俺は綾香の膝に座ったまま、ホームルームや授業を過ごすことになった。

 そして休み時間。再び女子を中心とした綾香の同級生達が集まってくる。

「偉いねーバブちゃん、ずっと静かにしてて」

「そうなの。バブちゃんいい子なんだよ」

 綾香は自分が褒められたように喜びながら、俺の頭を撫でる。

 確かによくよく考えてみれば、授業中空気を読んで静かにするのは赤ん坊らしくない。変に怪しまれたりするかもしれないし、もっと赤ん坊らしくするべきなのだろうか。だがリアルな赤ん坊のふりをすれば当然周囲に大きな迷惑をかけることになる。そのようなことは極力したくはないが……

 結局次の授業も、俺は赤ん坊らしくなく膝の上で大人しく黙っていることを選んだ。たとえ赤ん坊としては不自然に見られても、周囲に理不尽な迷惑をかけ綾香まで煙たがられるよりはマシだろう。

 だが現実はそう上手くいかない。授業中、俺は急に便意を催した。よりにもよって教室で大きい方をおもらし。最悪だ。

「すっ、すいません!」

 綾香は教師に伝わるように立ち上がって手を上げる。

「バブちゃんがおもらしをしちゃったので、おむつを換えに行ってもいいですか?」

 ばつが悪そうにしながら、綾香は言う。

「しょうがないな、行ってこい」

 教師の許しを得た綾香は、俺を抱えて鞄を持ち教室を出て行く。

 何ということだ。迷惑をかけまいと考えた矢先に早速迷惑をかけてしまった。自分の情けなさに涙が出てくる。

 保健室に着いた綾香は養護教諭に一礼した後、ベッドに俺を寝かせ鞄からおむつを取り出しておむつ換えを始める、

「大丈夫? 一人でできる?」

「はい、やり方は昨日、本で調べましたから」

 養護教諭が心配して声をかけるも、綾香は手伝いを断った。

「あら、手際いいわねー。高志田さんはきっといいお母さんになるわね」

「えへへ、ありがとうございます」

 おむつ換えを褒められて綾香は照れながら笑った。

「困ったことがあったら遠慮せず相談に来ていいのよ。何でも助けてあげるから」

「はい、ありがとうございます」

 綾香は深々と頭を下げる。今後も俺はこの保健室に度々世話になりそうである。

 しかし、今後も俺がおもらしをする度に綾香は授業を抜けなければならないのか。俺のせいで成績が下がってしまわないか心配である。

「高志田さん、今のおむつは高性能で臭いが外に漏れにくいようになってるから、無理して授業を抜けてこなくても休み時間になってから保健室に来たっていいのよ」

「そうなんですか。ありがとうございます」

 養護教諭のアドバイスを聞いて、綾香だけでなく俺も安心した。

「保育園やベビーシッターを使わず高志田さんが面倒を見るようにって偉い学者のお兄さんが言っていたんでしょう? 本当に大変ね」

「大丈夫です。バブちゃんは可愛いですし、お兄ちゃんが言っていたならそれが正しいはずですから。あっ、そうだ先生、次の授業体育でプールなんですけど、その間プールサイドでバブちゃんの面倒見ていて頂いても宜しいでしょうか」

「ええ、構わないわよ」

 そうして俺達は、一度教室に戻った。

 次の授業は体育でプール。授業後綾香達は更衣室へと移動する。勿論俺を抱いたまま。

 おい待て、流石にそれは不味い。綾香だけならまだしも、このクラスの女子全員の裸を俺が見てしまう。同年代の裸だったら男として素直に喜んでいたかもしれないが、相手が中学生のお子様では罪悪感とか犯罪臭とか、そういうのが勝ってしまう。

「プールだよー、バブちゃん。バブちゃんはまだ赤ちゃんだから泳げないけど……あっ、そうだ、お兄ちゃんに頼んでバブちゃん用のプールうちに作ってもらおっか」

 俺の焦りなんか露知らず、綾香は楽しそうに俺を抱えたまま更衣室に入る。

 服を脱ぎ出す女子達。綾香よりずっと発育のいい子、ずっと子供な子、身体は千差万別。

 ……俺は一体何を見ているんだ。バカか俺は。

「あれ? バブちゃんおねむかな?」

 とりあえず俺は寝たふりをしてこの場をやり過ごす。寝たふりなら俺の一番の得意分野だ。

 勿体無い、なんて考えが一瞬頭をよぎったが、俺は後悔していない。子供相手にそういう目で見るのが間違っているのだ。

「それじゃ行こう、バブちゃん」

 綾香は着替えを終えたようで、寝たふりをした俺を抱えて更衣室を出る。

「先生、バブちゃん寝ちゃったみたいです。それじゃあ、体育の間は宜しくお願いします」

 外で待っていた養護教諭に俺を渡すと、綾香はプールに向かっていった。

 俺を抱いた養護教諭はプールサイドにある日陰のベンチに腰掛ける。

「あらバブちゃん、目が覚めたの?」

 俺が目を開いたことに気付いた養護教諭が話しかけてきた。

「バブちゃーん」

 プールから綾香がこちらに手を振ってくる。青い空の下、スクール水着を着て楽しそうにはしゃぐ女子中学生の群れ。とても微笑ましい光景だ。

 ……いや、あんまりガン見するのもよくないな。そう思って俺は空に目を向けた。雲一つ無い、爽やかによく晴れた空だ。

 その空に、どこからともなく小さな黒い雲が出現した。俺はぎょっとして目を見開く。先程まで何も無かった場所に、突然不自然に現れたのである。

 次の瞬間、黒い雲から黒い雷が落ちた。この場所のすぐ近くだ。

「きゃっ!」

 雷に驚き、女子達が悲鳴を上げる。

「変ねえ、こんなに晴れてるのに。落ちた所、高等部の方じゃないかしら」

 養護教諭が言う。俺は何か悪い予感がした。黒い雷なんて、自然現象としては絶対にあり得ないことだ。

「綾香! バブちゃん! ワルワル星人が出たぞ!」

 突然どこからかドローンが飛んできて、それに取り付けられたスピーカーからたかしの声が響く。

「お兄ちゃん!?」

「場所はこの学園の高等部だ。生徒達が危ない!」

『何だって!?』

 そう聞いた途端、急に俺の中に力が湧き出した。養護教諭の腕の中から飛び出し、宙に浮かぶ。

「ばっ、バブちゃんが飛んだ!?」

 養護教諭と体育教師、綾香の同級生達は、皆揃ってびっくり仰天した。だが今はそんなことを気にしている場合ではない。人の命が懸かっているのだ。

「綾香、バブちゃんに乳を!」

「わかったよ、お兄ちゃん! すいません先生、私ちょっと用事ができました!」

 綾香はスクール水着姿のまま俺を抱え、物陰に行く。そして周りに誰もいないことを確認した後スクール水着を胸下まで脱ぎ、俺の顔を胸に近づけた。

「バブちゃん、おっぱいだよ」

 何だろうか、このいかがわしい状況は。女子中学生がスクール水着を脱いで胸を露出してるって。いや、今はそんな場合ではないのだ。俺が綾香の乳を吸わなければ、沢山の命が失われるかもしれないのだ。俺は四の五の言わずに乳を吸い、身に力強いエネルギーが沸き立つのを感じた。

『スーパーベイビー! バブー!』

 パワーアップを完了した俺は全速力で飛行し、高等部へと向かう。

 ワルワル星人は、高等部グラウンドの中央に出現していた。前二回のものよりも大型で背中に無数の棘を生やした、非常に強そうな印象を受ける個体だ。

 窓から見える教室の中はパニックになっていた。校庭に巨大な宇宙人が現れれば誰だってそうなる。授業中のため校庭に誰もいなかったのは幸いだった。

 ワルワル星人は校舎を暫く見ていた後、校舎に向かって一歩一歩足を進め出した。その目線は、俺の在籍するクラスの教室を一直前に見ている。このままでは不味い。

「おいおいヤベーよ、俺らあの宇宙人に食われちまうのか!?」

 教室から声が聞こえてきた。俺と同じクラスの、乱暴でウザいヤンキーの声。別に俺はこいつにいじめられていたわけではないが、普通に生理的に受け付けない人種なので常々死ねと思っていた。

「やだ! 死にたくない! 誰か助けてよ!」

 俺のことを「例のあの人」とか呼んで影でクスクス笑っていた派手な女の声。見た目はアイドル並の癖に性格はゴミクズみたいな奴だ。俺はこいつも死ねと思っていた。

「何だ!? 赤ちゃんが飛んでるぞ!」

 次に耳に入ったのは、典型的なリア充でクラスの中心人物みたいな奴の声。俺みたいなぼっちは逆立ちしてもなれないような、天の上の人。凄くいい奴のはずなのに、俺はこいつが嫌いだった。普通だったら嫌う要素なんて何も無いのに、惨めなぼっちの俺は自分勝手に嫉妬して嫌っていたのだ。

 俺は校舎とワルワル星人との間に入り、校舎を庇うような態勢になる。

 正直俺はこの学校にいい思い出なんて殆ど無かった。友達が一人もいなかったのだから当然だ。死ねと思っていた人も沢山いる。テロリストに占拠されて俺以外皆殺しにされる妄想をしたこともある。だが、いざこうして彼らの命が危機に瀕した時、俺は不思議と彼らを守らねばと思っていた。心の奥底から沸き立つ感情がそう言い聞かせ、体が勝手に動き出すのだ。いつから俺はそんな聖人になってしまったのか。体と一緒に心まで赤ん坊のように純粋にでもなってしまったのか。だが何にせよ俺には迷いは無いし後悔も無い。俺には人を守れるだけの力があるのだから、守るのは当然の義務なのだ。

『うおおおおお! 喰らえ! おもらしビーム!』

 俺はいきなりおむつを下ろし、必殺のおもらしビームを発射する。ビームの如く放たれた尿はワルワル星人を直撃。これで決まった。俺はそう思っていた。

『何っ!?』

 おもらしビームを受けたワルワル星人は、まるでノーダメージであるかの如くピンピンしている。

『ど、どうなってんだよたかし! おもらしビームが全然効かねえぞ!』

「ワルワル星人の装甲はおもらしビームを無効化するのだ。奴を倒すためにはまず装甲を破壊しなければならん」

『そういうことは昨日の内に教えてくれよ!』

「まさか貴様がいきなり必殺技を使うようなタイプだとは思っていなかったのでな。必殺技とは普通とどめに使うものだろう」

『知るかよそんなこと!』

「ワルワル星人は胸部のコアにおもらしビームを当てれば一発で消滅させられる。やるならそこを狙え!」

『わかった!』

 俺は拳を突き出し、ワルワル星人の胸部目掛けて突っ込んだ。しかしワルワル星人はそう簡単に倒せる相手ではない。俺は容易く跳ね除けられ、拳は相手に届かない。

「こいつ、昨日の奴より強いぞ! 単調な攻撃は防がれると思え!」

『そんなこと言われても、俺は戦うのまだ二回目だぞ! 喧嘩や格闘技だってしたことないのに、無茶振りにも程がある!』

「それは貴様の心に聞いてみろ。貴様ならばできるはずだ」

 たかしは何やらいいこと言って自分に酔ってる感のある発言をするが、俺にはその意味がさっぱりわからない。

 そんな風に俺が迷っていると、ワルワル星人は次の攻撃動作に移った。全身を震わせ、背中の棘をミサイルのように次々と発射してゆく。

「校舎が危ない! 防ぐんだバブちゃん!」

 俺は飛来する棘を殴って破壊し、殴った反動で別の棘の場所まで移動して一つ一つ破壊してゆく。

 どうにか全ての棘を破壊できた。校舎に被害は無い。戦い方なんて全然知らないはずなのに、不思議と効率的に棘を防ぐことができた。これもスーパーベイビーの能力なのだろうか。

「すげー……あの赤ちゃん戦ってるぞ」

 校舎の方から声が聞こえる。気がつけばどの教室の窓にも、俺とワルワル星人の戦いを見物する生徒が沢山張り付いていた。

「聴け諸君!」

 突如、たかしはドローンのスピーカーで校舎に向けて演説を始める。

「今校庭で戦っているあの強くも愛らしい赤子。あれこそが悪のワルワル星人から地球を守る正義の味方、スーパーベイビーバブちゃんだ!」

 わざわざ俺のことを紹介してくるたかし。一体何がしたいのだろうか。

 と、そんなことを考えていると、ワルワル星人の方にも動きがあった。全て撃ち切った背中の棘が、再生しつつあるのだ。

「バブちゃん! 今がチャンスだ! 奴は棘の再生に集中している!」

『わかった!』

 俺はこの隙を突いて突貫。相手の胸部に強烈なパンチを喰らわせた。更にそこから、連打連打連打。装甲を破壊してコアを露出させたところで一旦距離をとり、おもらしビームの態勢に入る。

『これで倒せるんだよな? たかし!』

「無論だ! そして我輩のことはカイゾー博士と呼びたまえ」

『喰らえ必殺、おもらしビーム!』

 本日二発目のおもらしビーム。先程出したばかりだというのに、先程と変わらぬ量の尿が相手のコアに炸裂する。たかしの言うとおりワルワル星人は消滅し、学園に平和が戻った。

「見たか諸君! これこそが世紀の天才科学者カイゾー博士によって作られた正義の改造人間、スーパーベイビーバブちゃんだ!」

 たかしはちゃっかり自分の名前を出しつつ、俺のことを皆にアピールした。

「すげー! いいぞバブちゃーん!」

「ありがとーう!」

「バブちゃん可愛いー!」

 校舎から上がる歓声の山。俺は誰一人傷つけさせることなく、ワルワル星人を倒すことに成功したのだ。

 一仕事終えて一息ついたところで、俺は急に力が抜け出した。空を飛んでいられるだけの気力が無くなり、ふらふらと地面に降下してゆく。

「おっと危ない」

 たかしのドローンからロボットアームが出現し、俺の背中を掴んだ。そしてそのまま、中等部の方に飛んでゆく。その間にも、校舎からは無数の歓声が飛び交っていた。

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