第5話

「なんだか、大変なことになっちゃったね」

 リビングのソファに腰掛けながら、綾香は抱っこされた俺に言う。

 俺はふと窓の外で何かが動いたことに気付いた。俺はそれを指差し、綾香に知らせる。窓の外には、同型のドローンが三機も浮かんでいた。形からして先程の椅子に変形するドローンとは異なり、変形機能を備えていない普通のドローンのようだ。

 綾香が窓を開けると、ドローンは屋内に進入。それぞれが床に箱を降ろすと再び飛び立っていった。

 一つの箱の上には、たかしからの手紙が貼り付けられていた。手紙には『可愛い妹のために育児グッズを一通り用意しておいたぞ。先程のサポートメカともども、有効に活用してくれたまえ。カイゾー博士より』と書かれている。箱を開けてみれば、手紙のとおりおむつや布団や抱っこ紐といった様々な育児グッズが三つの箱に分けて入れられていた。

「ありがとうお兄ちゃん……」

 たかしの粋な計らいに、綾香は感謝の意を示す。

 箱の中には、サポートメカの説明書とリモコンも入っていた。

「サポートメカって、確かこれだよね」

 綾香はダイニングに行き、椅子形態になっていたサポートメカをリモコンで変形させてみた。これはベビーカーやベビーベッドに変形できる他、移動に便利なドローン形態にもなれる。何かとかさばる物をこれ一つで済ませられ、その性質上頻繁に場所を動かすことへのフォローも完備。それでいて赤ん坊が怪我しないよう安全にも気を遣われている。たかしはこれを俺専用であるかのように言っていたが、一般向けに商品化する気満々のようにも感じられる。

 食べかけだった昼食を再開して終えた後、綾香はサポートメカから俺を降ろしてドローン形態に変形させた。そして箱の中にあった育児グッズのいくつかをドローンに運ばせつつ、俺を抱っこして自分の部屋に戻る。

 そういえば俺は、綾香の部屋に入るのは久しぶりだ。部屋には可愛らしい小物がそこかしこに置かれており、いかにも女児中学生の部屋といった様相をしている。部屋内の物は綺麗に整頓され掃除も行き届いており、彼女の几帳面な性格が窺える。

 俺はふと窓際に部屋干しされた下着に目が行った。駄目だ、これを見るのはよくない。俺は慌てて目を逸らす。箪笥の上にはぬいぐるみ等に混ざって、写真立てが一つ置かれている。写真に写っている人物は……高校生の俺だ。

 ……これはどう反応すべきなのだろう。なんとなく直視することができず、俺はそこからも目を逸らした。

「はーい、それじゃあバブちゃんはおねんねしようねー」

 綾香はサポートメカをベビーベッド形態に変形させ、部屋の隅に設置する。そしてたかしから貰った布団を敷き、俺を寝かせた。その後箱の中に入っていた新米母親向けの育児ハウツー本を読んで勉強を始める。

 俺はベビーベッドの上で、天井を見上げる。学校ではいつも寝たふりをして過ごしている俺にとって、この場でも寝たふりをするのは何も難しいことではない。だが今日はあまりにも衝撃的な出来事の連続すぎて、頭の中での整理が追いつかずとても落ち着いて寝たふりをすることができなかった。

 ワルワル星人によって重傷を負わされた俺は、久々に会った親友のたかしによって改造されスーパーベイビーバブちゃんになった。ただ改造人間になるだけならまだしも、何故赤ん坊なのか。そこがまず理解できない。更に俺は謎のスーパーパワーでワルワル星人と戦わされる。というかワルワル星人って何なんだ。たかしは悪の宇宙人とか言ってたが、本当にあれが宇宙から来たのか? そして綾香が俺の母親役を押し付けられる。まさか綾香の乳を吸わされる破目になるだなんて。

 思い出した途端、俺の掌に乳房の感触と温かみが、口の中に乳首の味が蘇ってくる。彼女なんていたことのない俺にとって、女の子の乳を吸う経験なんてこれが初めてだ。世のリア充どもは自分の恋人に対して平気でこんないやらしいことをしているのか。

 いやいやちょっと待て、綾香はまだ子供なんだ。四つも年下の娘に俺は何を変な感情を抱いているのだ。いや、今は見た目的には俺の方がずっと年下だけども。俺の好みはあくまで同年代。お子様は恋愛対象外のはずなのだ。

 ああ、色々考えていたら、なんだか頭が熱くなってきた。もう考えるのはやめて本当に寝てしまおうか。俺は力を抜き、体を楽にする。すると急に、股間の辺りに何か温かいものを感じた。まさか。

 ……間違いない。俺はおもらしをしている。必殺技のおもらしビームではない。これは本当のおもらしだ。

『う、うわああああ! 嘘だろ!? 高校生にもなっておもらしなんて!!』

 赤ん坊の体にはこんな弊害もあるのか。俺はこの窮地に焦り騒ぎ出した。綾香はそれに気付いて立ち上がる。

「あれ、どうしたのバブちゃん? あ、おむつ濡れてる」

 綾香には俺の声は赤ん坊の声として聞こえている。俺が高校生にもなっておもらしをするという耐え難い辱めを受けているこの状況も、綾香には赤ん坊が普通に漏らして泣いているようにしか見えていないのだ。

「大丈夫だよー、今おむつ換えてあげるねー」

 綾香は本やおむつのパッケージに書かれた説明を見ながら、俺のおむつを脱がす。

「あ、可愛いおちんちん」

 丸出しになった俺の下半身を見て、綾香はくすっと笑う。

 く、屈辱だああああ! 男にとってそれを可愛いと言われることがどれほど屈辱的か、こいつはわかっているのか。いや、確かに今の俺のそれはとても小さいのだが。いや、高校生の体だった頃も決して大きくはなかったのだが。

 赤ん坊のそれを見て可愛いと思うのは、別におかしなことではないのだろう。だが俺の中身が高校生である以上、そう言われるのは結構傷つくのだ。

 そんな俺の屈辱は露知らず、綾香はマニュアルに忠実にたどたどしい手つきでおむつを換えてゆく。

「で、できた! バブちゃーん、おむつ綺麗になったよー。よかったねー」

 綾香はニコニコ笑って俺に話しかけてくる。俺はとりあえず自分も笑ってみせた。ここは一先ず普通の赤ちゃんのふりをしておくのが最善だ。

「あ、笑った! 可愛いー」

 綾香はますます笑顔になる。

「いい子いい子」

 頭を撫でられ、ほっぺたを指でつつかれ、抱きしめられて頬擦りをされる。

「改めてよろしくね、バブちゃん。色々と拙いところもあると思うけど、私、一生懸命ママやるからね」

 俺と向き合い、綾香は言う。彼女は強い子だ。こんな面倒なことを理不尽に押し付けられても、文句一つ言わず受け入れてくれる。普通だったらなかなかできることではない。

 それにしても、これからずっと俺は排泄の度に綾香に下半身を晒しておむつを換えられるのか。今回は小さい方だけだったが、いずれは大きい方も。果たして俺はその恥辱に耐えられるのだろうか。

 俺は何時になったら元の体に戻れるのだろうか。そもそも元に戻ること自体可能なのだろうか。たとえ戻れたとしても俺の家はとても人が住める状態ではなくなってしまったため、結局この家で世話になることになる可能性が高い。綾香には今後も幾度となく迷惑をかけてしまう。


 その後俺は寝転がったり、ベッドの柵に掴まって立ってみたり、ベッドの中をハイハイで動き回ったりして時間を潰した。俺が暇そうにしていることに気付いた綾香は自分が遊んでくれたり、たかしの箱に入っていた玩具を持たせてくれたりもした。だがやはり、赤ん坊にとっての娯楽は高校生の俺を満足させるようなものではなかったのだ。それでも俺は綾香を心配させまいと、楽しんでいるふりをして過ごした。

 暫くして、夕食の時間になった。昼食に続いてまたしても俺の飯はミルクである。昼とは違う味付けだが、たかしがわざわざ俺の口に合うよう味を調整してくれたお蔭もあってこれまた美味かった。

 夕食を終えた後、俺達は綾香の部屋に戻る。綾香は机に向かって勉強をしており、俺はその邪魔をしないようベッドの上で静かにしている。

 暫くすると、綾香は椅子に座ったまま両腕を上げて背伸びをする。

「んーっ……バブちゃん、そろそろお風呂にしよっか」

 俺の方を振り返って言う綾香。俺は一瞬体が硬直した。

 綾香に抱っこされながら、俺は浴室に連れて行かれる。不味い。これは流石に不味い。俺は必死に抵抗するが、スーパーベイビーとしての力が出ていない時の俺は普通の赤ん坊も同然、綾香のか細い腕で簡単に押さえ込まれてしまう。

「バブちゃんお風呂嫌いなの? 大丈夫だよー、気持ちいいよー」

 ドローン形態になったサポートメカが綾香の後をついていき、浴室でベビーバスに変形する。

 俺は綾香からさっさと服を脱がされると、浴室の床に座らされた。

「ちょっと待っててねー」

 そして綾香は、俺の前で服を脱ぎ出した。飾り気のない純白の下着は、やはり彼女が子供なのだということをはっきりと俺に実感させる。そうだ、彼女は子供なのだ。子供の裸に何を変な気になっているのか。ここで変な気を起こせば自分がロリコンだと認めるようなものではないか。

 俺の焦燥感なんかまるでわかっていないかのように、綾香はブラジャーをとる。小ぶりながら確かに膨らんだ胸が顕となり、俺の視線は嫌でもそちらに釘付けにされる。この胸を、俺はついさっき吸っていたのだ。赤ん坊が乳首を吸うのは当たり前、そう思っているから彼女は俺に吸われても何とも思っていないのかもしれない。だが何度も言うが俺の中身は高校生であり、本来ならば四つも歳の離れた子供の乳首を吸うなどあってはならないことなのだ。

 上を脱ぎ終えた綾香は、いよいよ残る最後の一枚、パンツに手をかける。おいおい待て待て、それも脱ぐのか。いや風呂なんだから脱ぐのが当たり前なんだけども。俺が目を泳がせてしどろもどろする中、綾香は躊躇なくパンツを下ろす。女の子の一番恥ずかしいところが、俺の前に顕になった。

 思っていたよりも大人の体をしていたことに驚いた俺は、瞼にチカチカと眩しさを感じた。そうか、彼女ももう中学生なんだよな。中一ともなればこれが当たり前か。かくいう俺も中一の時だったし、そもそも女子は男子よりも早いというしな。お隣さんとしてずっと彼女を見てきた分、俺は彼女のことをずっと子供なんだと錯覚していた。だが彼女も、少しずつ大人に成長していっているのだ。

 正直綾香の顔は好みだ。だが四つも歳の離れた子供であるということが、俺にとって彼女を恋愛対象として見ることを妨げていた。しかしそこで彼女が実は意外と大人の体をしていると気付いてしまったら。

 幼馴染の妹は、幼馴染にはなり得ない。そのはずだったのに。

 そんなことを考えている間に、俺は綾香に体を洗われていた。あんな恥ずかしいところまでしっかりと。そうだ、俺は彼女を子供として見ているつもりでいたが、今は俺の方が子供に見られているのだ。

「きれいきれいしようねーバブちゃん」

 何だこの感覚は。頭がおかしくなってきそうだ。

 泡を流した後、俺はサポートメカが変形したベビーバスに入れられる。その後で湯船に浸かった綾香は、ほっと一息ついた。

「バブちゃん、お風呂気持ちいい?」

 俺が喋っても何言ってるのかわからない癖に、綾香は訊いてくる。

 綾香と二人きりで素っ裸なんて、やっぱり不思議な感覚だ。小さい頃に一緒に風呂に入ったことはあったが、その時はいつもたかしも一緒だった。二人きりというのは何気に初めてなのだ。


 入浴を終えた俺達は、綾香の自室に戻る。

 先程までベビーバスになっていたサポートメカは、謎のハイテクシステムによって一瞬で自身を乾燥させた後再びベビーベッドになった。まったくどうなっているんだこのメカは。

 綾香は俺を寝かせた後暫く部屋でくつろぎ、頃合を見てパジャマに着替えた。寝床に着く前に、綾香は俺の写真を見る。

「ねえバブちゃん、この人が私の好きな人だよ」

 突然そんなことを言い出した綾香に、俺はドキリとする。

「なおくんが帰ってきたら、バブちゃんのパパになってくれたらいいのにね」

 残念ながら、それはできない。バブちゃんと直正は同一人物だからだ。

 綾香は灯りを消した後、窓の外から夜空を見る。

「ねえバブちゃん、なおくんはね、今アメリカの病院にいるんだよ。私を庇って酷い怪我をしちゃって……その時私は気を失ってたから詳しい事はわからないんだけど、私のせいでなおくんがあんなことになったのかと思うと……凄く辛くて……なおくんの体がいまどうなってるのかの連絡も全く無いし、もしかしたらまだ目を覚ましていないのかもと思うと、胸が苦しくて……」

 星空を見上げる綾香は、今にも泣きそうになっていた。まさか綾香が、そこまで思いつめていたなんて。

「ごめんねバブちゃん、変な話しちゃって」

 何も謝ることなんてない。そう伝えたかったが、今の俺には言葉を発することができない。確かに赤ん坊の体にされて不便であることこの上ないが、俺のお蔭で綾香が助かったのならば庇ったことには何も後悔は無いのだ。

「おやすみ、バブちゃん」

 俺は心の中で「おやすみ」と返した。綾香にこんな心配をかけさせてしまい、俺は罪悪感に苛まれる。果たして俺は元の体に戻れるのだろうか。


 そして、翌朝。

「おはようバブちゃん」

 目を覚ました俺に、綾香が話しかけてくる。かと思えば、突然俺のおむつを脱がし始めた。

「おむつ換えしようねー」

 どうやら俺は寝ている間におもらしをしていたようである。

 綾香におむつを換えてもらった後は、朝ごはんである。今日もまたたかしの作った俺専用ミルクだ。

「ごちそうさまでした」

 朝食を終えた後、綾香はにっこり笑顔で手を合わせる。

「今日は学校だよバブちゃん。お兄ちゃんがね、バブちゃんも一緒に学校に連れてくようにって言ってたからね」

 おいおいちょっと待て、何言ってんだたかしの奴。確かにテレビとかで見る戦前のイメージ映像とかだと赤ん坊背負って学校に行く子供とかいるけど、この平成も終わろうとしている現代にそれはないだろ。

 とか考えているうちに、俺は抱っこ紐に抱えられ外に連れ出される。

「いってきまーす」

 玄関から出て見えた俺の家には、立ち入り禁止のテープが張られていた。改めて見ると、本当に酷い有様だ。

 いつもの通学路を、いつもと同じように綾香と二人で進む。ただ一つ違うのは、俺が綾香に抱っこされながらという点だ。

 と、思っていたが、突然綾香はいつもとは別の道に足を進めた。そっちの道は学校に行くなら迂回となるルート。どこか寄っていく場所でもあるのだろうか。

 周りを見てみると、綾香以外にもうちの学園の制服を着た生徒達が皆本来の通学路ではなくこの道を通っていることに気がついた。

 そうだ、二週間前にワルワル星人の襲撃を受けた場所は通学路であった。俺の家があれだけ破壊されていたのだから、そちらも同じくらいの破壊規模であることは想像に難くない。そこを避けて通るために通学路が変わるのも当然といえるだろう。

「おはよー。あれ、どうしたのその赤ちゃん」

 通学途中、綾香の友達が声をかけてきた。俺もよく知っている子だ。

「おはよう。この子はバブちゃんっていって、今うちで預かってる子なの。お父さんとお母さんが海外旅行に行っちゃったから、私が学校にも連れてって面倒見ることになってるんだよ」

「へー、大変だねー」

 そう言いながら、綾香の友達は俺のほっぺたを突っつく。

「そういえば綾香んちの近くで宇宙人出たってニュースでやってたけど、大丈夫だった?」

「うん、隣の家は壊されちゃったけど、うちは大丈夫。隣の家族も丁度みんな家にいなかったから、誰も怪我しなくてよかったよ」

「怖いよねー宇宙人。何でよりにもよってこの街に出てくるんだろ。二度あることは三度あるっていうし、また出てきたりして……」

「きっと大丈夫だよ。宇宙人をやっつけてくれるヒーローがいるから。ね、バブちゃん」

 綾香は俺の顔を覗き込んで笑った。たかし曰く、ワルワル星人を倒せるのは俺だけ。責任重大である。ワルワル星人の襲撃で死人が出でもしたら、それは俺が守れなかった人なのだ。そう考えると、急に心苦しく感じてきた。果たして俺に、ヒーローという仕事は務まるものだろうか。

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