後編その2



 レイスの両親からも協力することが確約された。

 というわけで、急いでレイスの両親の公爵家の実験農場近くに引っ越しさせる算段を取った。

 さらに時期が時期だったので、レイスの両親には春から実験する農作物の選別をしてもらう。

 色々と悩み、相談し、時に意見をぶつけながら実験農場の始め方を形にしていった。



 何故そこまで忙しく動いたのかといえば、レイスとラティは卒業式を迎えたら翌日に入籍し、翌月まではゆっくりしたいと思っていたからだ。

 なので学園に行く暇もほとんどなく、駆け抜けるような二ヶ月を過ごしていて、正直なことを言えば男爵令嬢と取り巻きの連中などすっかり忘れていた。



 だから卒業式が終わって、卒業パーティーもラティは当然のようにレイスのエスコートで参加。

 話が分かっている大勢の人達から祝福されて、噂話として聞いていた人達もそれが真実だと知って驚いたりで、ラティとしては大満足な卒業パーティー……のはずが、ミンツ殿下達がやらかした。


 レイスはレイスで平民の友達と話していて、自分も貴族の友人達と楽しく話していた時だった。

 いきなりよく分からない冤罪を述べて、さらに婚約破棄とラティの廃嫡を宣言したのだ。

 ラティは目を丸くした後、自分とミンツの婚約が三ヶ月前には解消されていることを伝える。

 それで話が終わりだと思っていた。

 だがミンツは信じられないとばかりに、


「私とお前の婚約が三ヶ月前に解消されている……だと? どうしてそれを私が知らない!?」


「どうして未だに知らないのか、わたくしも分からないのですわ。会場にいる大半の方々は知っていたり噂話として聞いていたようで、普通に過ごしていれば気付くのですよね?」


 会場にいる人達に尋ねれば、貴族平民問わずに頷きがあった。

 学内の噂話がどうなっているかラティは知らないが、ミンツとラティの婚約解消となれば話題としては大きい。

 彼らが気付くまで教えるつもりはないと言っていても、それなりに噂としては広がってしまっていたのだろう。

 自分こそ壇上にいる連中が知らないことを不思議に思ってしまう。


「私とお前が婚約を解消した証拠はあるのか!?」


「……証拠? 普通に陛下へ確認すればいいでしょうし、王城に戻れば婚約解消した誓約書も、陛下と父の署名付きで存在していますわ」


 是非とも確認したらどうだろうか。

 こちらとしても茶番に付き合う理由はない。

 そう思っているのに、


「だとしたら何故、クリスティを虐めた!?」


「いえ、全く意味が分からないのですが。どうしてわたくしがそちらの男爵令嬢を虐めなければならないのでしょうか?」


 クリスティと呼ばれた男爵令嬢はミンツに抱きしめられるように立っている。

 虐められているのなら、ラティ以外の誰かがやったのではないだろうか。

 しかしクリスティと呼ばれた男爵令嬢は身体を震わせながら、


「わ、わたしがいけないのです。ラティ様という婚約者がいるにも関わらず、わたしがミンツをお慕いしてしまったから……っ! きっとラティ様もミンツのことを……」


 全く以て勘違いしていることを、演劇でもするように言ってのける。

 ラティも周囲の人間も開いた口が塞がらないどころか、頭が痛くなってきた。


「……全く、仕方ありませんわね」


 ラティがちらりと愛しの婚約者に視線を向ければ、心配そうに駆け寄ろうとしてくれていた。

 けれどレイスをその場に止まるよう指示する。

 ここで彼が参加すれば、話はややこしくなってしまう。

 第二王子のディントや、その婚約者であるシャリエも出てこようとしているが、現時点で登場させるのは厄介になりそうだ。

 面倒ではあるが、ある程度を自分で片付けるのが一番賢い選択だろう。

 ラティは大きく息を吐き、額に手を当てた後に壇上を見据える。


「まず、最初に。どうしてわたくしが殿下を慕っているという、あり得ない勘違いをされているのか。その理由をご説明していただけませんか?」


 言葉の節々から面倒に思っていることを感じ取れるほど、どうでもいいようにラティは訊く。


「お前は私の婚約者だ。だから……」


「そうなると殿下は婚約者だったわたくしを慕っていた……と解釈出来てしまうのですが?」


「そのようなことが、あるはずない! 私はクリスティを愛しているっ!」


「だからわたくしも婚約者だったからといって、殿下をお慕いしていたわけではありません」


 ミンツがそうなのだから、ラティも同じこと。

 何故ラティだけが慕わなければならないのか。


「殿下がそうなのですから、わたくしも同じこと。ご理解いただけますか?」


 再び尋ねれば、不承不承ではあるが頷きが返ってくる。

 何故、不服そうなのか腹が立ちそうになるが堪えた。


「それと先ほども言ったように、今のわたくしと殿下には何一つ関わりがありません。何をやろうが誰と愛を育もうが、どうぞご勝手にお願い致しますわ」


 婚約を解消してから、彼らのことを思い出すことはほとんどなかった。

 だというのに、突然自分を巻き込んで騒がないで欲しい。


「これでよろしいですか? わたくしは皆様と無関係な立場ですから、これで――」


「だ、だがお前は王妃の権力に執着していたはずだ! だから次期王妃となるクリスティのことを虐めていたのではないのか!?」


「男爵令嬢が次期王妃……?」


 かなり謎なことを言われた。

 現在の王太子は第二王子のディントであり、次期王妃はその婚約者のシャリエだ。

 そのことを知らないとはいえ、だからといってクリスティが王妃になることはあり得ない。


「彼女がどうやって王妃になるというのです? 殿下はご自身が王太子となった理由さえも忘れましたか?」


 ラティの質問に対して、答えたのは彼女の弟であるラルク。

 未だ蔑むような視線を向けながら、ラルクは堂々と頭がおかしいことを言い放った。


「ヴィレ家が後ろ盾となったからでしょう? 僕がいれば何も問題は――」


「大有りですわ、愚弟。お前が側近になったところで、後ろ盾にはなり得ない」


 愚かだとは思っていたが、これほどとは。

 ラティは大きなため息を吐く。


「王家にヴィレ公爵家の血を取り込むからこその後ろ盾ですわ。だからわたくしが婚約者になったのです」


 でなければ意味がない。

 ラルクが側近として存在したところで、後ろ盾とはならない。


「殿下の場合、わたくしが王妃になるからこそ国王となれるのです。しかし婚約が解消された以上、ヴィレ公爵家の後ろ盾を投げ捨てた殿下が国王になることはありませんわ」


 当然の帰結だ。

 ラティがいないミンツなど、兄弟より何一つ優れた部分がない王子。

 国王になれるわけがない。


「つまり殿下との婚約を解消したということは、わたくしが王妃の権力に執着していない証拠ですわ。これでおわかりの通り、権力に執着していないわたくしが、男爵令嬢に手出しする理由はないのですから――」


「で、殿下の気を惹くために一度、婚約を解消したんじゃないの!? そうだったら姉上がクリスティを虐める理由はまだある!」


 弟のさらなる頭が悪い発言に、ラティは思いっきり頭を引っ叩きたくなった。


「殿下も心苦しいでしょうが、姉上のことを許して再び婚約してはいかがですか? 側妃として置くのなら、姉上も渋々納得するでしょう」


 余計なことも追加する弟に殺意が芽生えそうになるが、それを聞いたミンツの反応も反応だった。

 驚くようにラティを見た後、憐れむような視線を送ってきた。


「……そうか。お前は私の気を惹くためにしていたのか」


「馬鹿なことを仰らないでください。もう面倒なのではっきりお伝えしますが、わたくしは殿下のことを一度たりとも好意的に見たことはございません。むしろ殿下に好意を抱いた男爵令嬢に対しては、わたくしが出来なかったことをやってのけたのですから、尊敬すら覚えておりますわ」


 明日からラティはレイスと夫婦になる。

 だというのにミンツと解消した婚約を蒸し返されるのは、本当にいただけない。

 まあ、王族の権威とやらを使おうが覆されるわけがないのだが、愛するレイスがいるというのに勘違いされるのは単純に気分が悪い。


「それに随分と都合良く解釈されていますが、わたくしはすでに愛する殿方と婚約しております。明日には入籍しますので、是非とも祝福していただけると幸いですわ」


 弟が言ったふざけたことを潰すため、仕方なく自身が婚約していることも伝える。

 ミンツのことも一度でも好意的に見ていた、とレイスに勘違いされることも嫌なので、そちらも全力で否定するラティ。

 すると姉の事情を知らないラルクが叫いた。


「ど、どの家に入るというのですか!? 婚約解消とはいえ、その経歴に傷があるとなれば――」


「どこの家にも嫁入りしませんわ」


 叫いた声を遮るように、ラティは弟の失態を突きつける。

 むしろ姉の婚約事情すら知らない人間が、本当に公爵家を継げると思っている浅はかさに辟易してしまう。


「愚弟。お前は先ほど『次期ヴィレ公爵』と言いましたが、あり得ると思うのですか?」


「だ、だってヴィレ家には僕以外に継ぐ人間はいない!」


「お前以外にいない? それはわたくしが婚約解消する前までの話ですわ」


 ラティの婚約が無くなった。

 つまりヴィレ公爵家としては、跡継ぎに関する選択肢が増えたことを意味する。


「わたくしの夫となる殿方は婿入りする身。そしてお前は三ヶ月の猶予を無為に潰した」


「三ヶ月の……猶予?」


「わたくしと殿下の婚約解消をいつ知るかによって、お前の扱いを変えるとお父様は仰っていました。正直、期限最終日の今日まで知らないとは、わたくしも思っておりませんでしたわ」


 どうでもよかったので気にしていなかったが、それでも今日の騒動に参加しているとは驚きだ。


「無知蒙昧で堕落した愚弟を、お父様が次期公爵に指名するとでも? というより、わたくしが婚約を解消した時点で、お前が公爵位を継ぐ可能性はありません」


 将来の王妃として、ラティはしっかりと義務を果たしてきた。

 逆にラルクはどうだったのか、と問われてしまえば答えは自ずと出てくる。


「どうしてですか!? 僕はちゃんと――」


「次期国王の側近候補としていたのであれば、ヴィレ公爵家の人間として殿下を窘めるのがお前の役目でしょう? 一緒になって男爵令嬢に溺れるとは情けない。何がちゃんとしているのか、わたくしには理解出来ません」


 ミンツもそうだが、揃いも揃ってラティの存在を甘く見ている。

 代わりがいる彼らと比べて、ヴィレ公爵令嬢は替えが利かない。


「だ、だとしたら次期宰相は……っ!?」


「お父様に何かしらの問題があれば、腹心であるヴァイラル子爵が暫定的に宰相となります。次代はわたくしの子供になりますわ」


 これも問題ない。

 むしろラルクの思い付きの疑問を、こちらが解決していないと思われている時点で心外だ。


「これで前提条件は全て崩しましたわ。わたくしは殿下と婚約者ではなく、そもそも殿下のことはどうでもいい。そして愛する殿方がいるから嫉妬するわけがない。ついでに殿下と婚約解消したということで、王妃に執着しているわけでもない」


 向こうの訳の分からない主張はこれで崩した。


「それでもわたくしが、そちらのご令嬢に手出しする理由は何処に? むしろ感謝しているくらいなのに」


 本当に感謝している。

 しかし、あれほど言われたはずのミンツが目を見開く理由が一切分からない。


「殿下、何か不思議なことでもあるのですか?」


「感謝とは一体、どういうことだ?」


「わたくしは父と約束をしていましたわ。殿下と婚約を解消した場合、愛する者を夫にすると」


 叶うはずのない夢だった。

 普通に考えれば、決して自分を蔑ろにするわけがないのだから。

 けれどミンツは男爵令嬢に手を出し、婚約が解消出来た。


「つまり彼女と殿下が恋仲になったおかげで、わたくしは婚約解消して愛する殿方を夫に出来たのです」


 個人的には男爵令嬢は最高の仕事をしてくれた。

 心から褒め称えたい。


「正直、殿下が男爵令嬢と懇意にしている情報を手に入れた時は、心が躍りましたわ。一応は婚約者として、未来の国母になる身としては忠告を致しました。義務を放棄してしまっては、わたくしが非となる部分も含まれてしまいますので」


 本当に嫌々ながら、自分は忠告した。

 言わねばならぬ身だが、内心では真逆のことを考えていた。


「だからわたくしの忠告を無視して、お二人が恋仲になった時はもう……飛び上がりたいほどに嬉しかったのです。急ぎ陛下へご報告し、確認が終わり、婚約が解消となった時は舞い上がってしまいましたわ」


 自分で夫を見つけられる。

 愛する人を夫に出来る。

 喜ぶなと言うほうが無理だ。


「ああ、でも勘違いなさらないでください。わたくしが愛する殿方と出会ったのは、殿下と婚約を解消した後ですわ。決して不貞はしておりませんので」


 本当に、ただの偶然でラティは愛するレイスと出会った。


「さて、他に疑問となる部分はありますか? ないのであれば、わたくしはパーティーを楽しみたいのですが」


 これ以上はないとラティは思っている。

 けれど弟はまだ食い下がった。


「だ、だとしたら一体誰がクリスティを虐めたのですか!?」


「わたくしが知るわけないでしょう? 事件性があるのなら、然るべき方々に調べて貰いなさい」


 平民でさえ事件に巻き込まれたら調査するのだから、貴族の娘に危険が迫ったのであれば普通に調べるだろう。

 ラティとて状況は違うが、王城に話を持ち込んで調べてもらった結果、婚約を解消することが出来たのだから。


「それでは、わたくしはこれで――」


「――待て、ラティ」


 去ろうとしたところで、今度はミンツから声を掛けられる。

 ラティは面倒そうな表情を隠すこともせず、投げやりに返答した。


「……何でしょうか、殿下。さっさと終わらせてくださいませ」


 そちらの言い分は全て潰している。

 これ以上、問答の必要はない。

 今すぐパーティーを楽しませろと言わんばかりのラティに、ミンツは再び目を丸くしながらも問い掛ける。


「お前は……私を王にするつもりがなかったのか?」


「……はい?」


 一瞬、ラティどころか会場全体も理解が出来なかった。

 けれど皆が把握した瞬間、ラティは思わず本心が零れ出てしまう。


「もしや勉強もせず、わたくしの諫言も聞かず、それでも残っていた唯一の道すら放り投げた殿下を王にしろ、とでも?」


「お前は私の婚約者だった。ならば――」


「婚約者だったというのに、最低限の義務すらしない殿下が何を言います。男爵令嬢との恋に浮かれて、その程度のことも分からなくなりましたか?」


「クリスティは王太子ではなく、私を見てくれた! そして癒やし、支えてくれたんだ!」


 これは話が通じない、とラティは思った。

 というか聞く限りだと、ミンツは王太子という立場を重荷に思っていたようだ。

 だとしたら王太子でなくなったのは、彼にとって幸いなはず。


「いまいち、話が支離滅裂で理解しかねますが……。わたくしが殿下を王にするつもりがなかった、というよりは殿下自身が王になることを捨てたのですわ。ご自身の選択したことを、しっかりと理解して下さいませ」


 話し合う以前の問題で正直、ラティにはもう彼らと何か話したところで、会話になる気がしない。

 なのでこちらもこちらで、勝手に言うだけ言って終わるとしよう。


「それと皆様。これが最後の諫言になるかと思いますが、我が愚弟と殿下につきましては今日が婚約解消の把握期限最終日となっております。おそらく他の方々の家も同じ扱いになっているかと思われますので、急ぎご実家で確認を取られたほうがよろしいかと思われますわ。先ほど愚弟に申しましたが三ヶ月を無為に過ごしたことにより、おそらく皆様の立場は相当に悪い状況かと」


 そう言って一礼して、集団のところに戻る。

 すぐにレイスが寄り添ってくれたので、ラティは彼に視線を向けて微笑む。


「わたくし、頑張ったでしょう?」


「ラティは凄かったよ。あそこにいる方々も、ある意味で凄かった」


 正直、ミンツの婚約者をよくやっていたと尊敬してしまう。

 けれど容易に壇上のミンツも逃すつもりはないらしい。


「待て、ラティ! どういう意味だ!? それにその男は誰だ!?」


「それは弟である僕がお伝えします」


 と、その時だった。

 これ以上はラティに迷惑が掛けられないと、現在の王太子であるディントが前に出る。


「……ディント? 一体、どういう――」


「先ほどラティ様の諫言について、お答えさせていただきます」


 本当に仕方なさそうに。

 これ以上の時間浪費はパーティーが出来ないから、仕方がないとばかりにディントは告げる。


「兄上は明日、遠方の国に婿入りする身です。すでに準備は終わっていますので、ご理解を」


 同時、少しだけ周囲がざわついた。

 けれど納得出来る内容でもあったため、すぐにざわめきは落ち着く。

 一方でミンツは理解出来ないように、思わず呟いてしまう。


「何故だ! 私は王太子で――っ!」


「公表されていないだけで、現在の王太子は僕です。間違えないでいただきたい」


 ラティという婚約者を失った以上、それは当然のことだ。

 唯一の道を放り投げたミンツを、王に据える理由はこの国のどこにもない。


「それと彼女に寄り添っているのは婚約者です。ラティ様に婚約者が寄り添うのは、当然のことでしょう」


「ど、どうしてお前が知っている!?」


「僕は母上やシャリエと一緒に、ラティ様の新しい婚約者とも顔合わせをしていますから」


 巻き込まれた形ではあるが、しっかりとレイスと顔を合わせている。

 話をしてみれば、ラティが惚れるのも納得の知性派だった。

 少しだけ側近に欲しいとも思ったが、ラティどころかヴィレ公爵家に睨まれそうで言えなかった。


「側近候補……というより男爵令嬢の取り巻きと化した者達についても、どうなったか僕は把握しています。ご家族から伺うのが一番でしょうから、僕から言えることは一つだけです」


 情けないことだと思いながら、ディントは取り巻き達に伝える。


「碌な結果ではない。それだけは理解して家にお戻りください」


 瞬間、取り巻き達の顔がさっと青くなった。

 ほんの少し前まではラティのことを、これでもかと責め立てていたのに。


「そちらの男爵令嬢につきましては、虐められた内容について事件性があるのならば調べましょう。ただし、どちらにせよ今回の一件を鑑み、社交界は出入り禁止になります。ご実家にはすでに通達していますので、これもご了承ください」


 ディントもディントで言うべきことを言い終わると、さっさと卒業生を祝福しに戻る。

 同時、取り巻き達はほとんどが慌てて壇上から去り、急いで家に帰っていった。

 さすがにミンツと同じ王族であるディントがあれほど言ってくるのであれば、全く無視することも出来ないのだろう。

 というわけでラティとしても、これで一件落着だ。


「ラティ様! どうして、そのような酷いことが出来るのですか!?


 そう思ったのは、早計だったろうか。

 目に涙を溜めて男爵令嬢が叫んだ。

 しかも、それにミンツが乗っかった。


「そうだ、ラティ! お前はどうして、そんなことをする!?」


 何が酷いのか理解出来ない。

 どうして、と問われることも意味が分からない。

 眩暈がしそうだったが、レイスがラティの肩を抱いて支えた。


「ラティ、大丈夫か?」


「大丈夫というより、あそこにいるお二人は我々と同じ世界の住人なのか疑問ですわ」


「それは……どう答えても不敬になりそうだ」


 レイスが苦笑すると、ラティも同じく苦笑する。

 そしてミンツでは埒が明かないので、今まで一度も会話を交わさなかった男爵令嬢に視線を向けた。


「ええと、そこの男爵令嬢。結局、何をどうしたいのか教えていただけない?」


 結論はすでに出ている。

 だというのに彼らのやりたいことが、いまいち見えてこない。


「ラティ、またクリスティを虐めるつもりか!?」


「殿下では話にならないから、男爵令嬢に確認しているのです。こちらも会話が出来ないのであれば、これ以上の対応は致しませんわ。本来であれば、声を掛けたことさえ温情なのですよ?」


 無視したところで全く問題ない。

 なのに応対しているのだから、感謝してもらいたいくらいだ。

 ラティはミンツを無視して再度、男爵令嬢に声を掛ける。


「それで? 要するに貴女、わたくしに何をさせたいの?」


「わ、私はただ謝って欲しくて……っ! そ、それにミンツが可哀想だと思わないんですか!?」


「……なるほど。わたくしに謝って欲しかったこと、そしてミンツ殿下が可哀想……というのは理解しかねますが、その二つがわたくしにさせたいことだと把握しましたわ」


 一応ではあるが、その二つをラティにさせたいことは分かった。


「では、まず一つ目から。たった今、ディント殿下が事件性あらば調べると言ったことを覚えてらっしゃらないので?」


「そ、それは覚えてます……けど……っ!」


「だとしたらしっかりと証言して、ちゃんとした捜査をしてもらいなさい。わたくしは関わっていないので、別の犯人が現れます。その方に謝ってもらうのが筋ですわ」


 やれやれ、と言いながらラティは話を続ける。

 これで理解出来ないのなら、どうしようもない。


「それでミンツ殿下が可哀想、というのは? わたくしにどうしろと?」


「ミ、ミンツが王太子じゃないなんて、可哀想です!」


「……あのですね。わたくしに何をさせたいのか、と問うているのですわ。言葉を理解されていますか?」


 正直、本当に人間を相手にしているのか疑わしくなってきた。

 ラティはレイスの腕を抱き抱えるようにして、どうにか気持ちを入れ直す。


「そもそも貴女、今までわたくしの話を聞いていましたか?」


「き、聞いています!」


「ならば理解しているでしょう? ミンツ殿下は自ら、王太子の座を放り投げたのですわ」


「違います! ラティ様が婚約を解消したからでしょう!?」


「ええ。ですから貴女と恋仲になったので、王太子ではなくなるのですわ。これが放り投げた以外、何だと言うのですか?」


 長々と話していれば、会話が逸れることはあるだろう。

 けれど質問と返答で噛み合わないというのは、あまりに突飛な出来事だと言える。


「それだけで王太子じゃなくなるなんて、可哀想です!」


「……えっ? いえ、別に優秀であれば婚約解消しただけで王太子の座を降ろされる、ということはありませんわ」


 会話の齟齬が広がりそうだったところに、ラティが待ったを掛ける。

 そして自分と彼らの会話を思い出して、あることに気付く。

 自分はミンツのことを能力のない駄目男だと言っていないことに。


「……もしや男爵令嬢は、ミンツ殿下が優秀だと勘違いなさっていたのですか?」


「だ、だってミンツは王太子だから。それに立場があるから、どこか苦しそうで……」


 彼女の説明にラティは首を捻った。

 というか納得出来ないことを彼女は言葉にした。


「……男爵令嬢。少し確認をしてもよろしいかしら?」


「何を、でしょうか?」


「貴女はミンツ殿下から王太子という立場について、どのように教えられていたの?」


 そこがラティには引っ掛かった。

 まるでミンツが王太子をこなしているようで、違和感が凄かった。

 ラティの質問に男爵令嬢は素直に答える。


「ミ、ミンツは王太子として仕事とか責任とか、色々と大変だって本人もみんなも言ってたから……それで私も一緒に支えようって思ったんです。王太子は大変かもしれないけれど、私も少しぐらいお手伝いしたかったから……」


 彼女が話し終えると呆然としたのはラティ、ディント、シャリエの三人。

 このことで男爵令嬢が嘘を言っているとは思えなかったからだ。


「ラティ、どうしたんだ?」


 呆けてしまったラティを心配そうに見るレイス。

 少ししてハッ、と気付いたラティは困ったような表情を浮かべた。


「男爵令嬢の考えが足らず、また幼いのは確かですわ。絵本のような物語に夢見ているのでしょう。ですが――」


 悪意があったわけではないのだろう。

 彼女は彼女なりにレイスのことを心配したのだろう。

 だが、


「ミンツ殿下達に騙されているので、少々憐れに……」


 思考回路が幼いのは、貴族としてもいただけない。

 礼儀が伴っていないのも、それが理由の一つだろう。

 しかしながら、言い方を変えれば純粋さを持っている。

 そこを付け込まれた……と言えるのかもしれない。

 ラティが憐れみの視線を向けると、男爵令嬢は狼狽える。


「ど、どういうことですか?」


「男爵令嬢。貴女は大抵、ミンツ殿下達と一緒にいましたわね?」


「は、はい」


「しかしながら王族は学生ながら政務がありますわ。王太子なればディント様よりも政務は多いのですが、無論のこと手伝うのが婚約者であり側近候補になります」


「そ、それが辛くて、大変だってことですよね?」


「その通りです。しかし貴女との逢瀬が終わった後に片付けられるほど、単純でもなければ仕事量が少ないわけでもないのですわ」


 だというのに政務が滞っていなかった。

 それは何故か。


「貴女と彼らが一緒にいる間、誰が政務を行ったと思いますか?」


 順序よく、分かりやすく、子供でも答えを見つけやすいように。

 ラティは筋道を立てて説明する。


「答えは男爵令嬢でも分かりますわね。政務を行ったのはわたくしであり、ディント殿下であり、シャリエなのです」


 王族の確認が必要なものはディントに回し、それ以外はラティやシャリエが片付けた。


「つまりミンツ殿下は王太子の重さに苦しむほど仕事をしておりません」


 とはいっても、今言ったことはあくまで男爵令嬢と出会ってからのこと。

 出会う前に関しては、ラティが地獄を見た。


「殿下が早い段階で王太子となった理由は、わたくしが婚約者となったからです。そしてディント殿下や、その弟がどれほど優秀だとしても、ヴィレ公爵家を取り入れることが優先されたからこそ、ミンツ殿下は王太子だったわけですわ。ここまでは理解していますか?」


 ラティの問い掛けに男爵令嬢は首を縦に振る。


「ですが本来、王太子とは王族の中で最も優秀な者がなるのですわ。これもよろしいですね?」


 再度の問いに、男爵令嬢も否定はしない。

 というか出来るわけがない。

 国王というのは優秀な人がなるのだと、子供でも知っているから。


「さて、男爵令嬢。ここで単純な比較をした質問をします」


 ラティがここまで説明してきたのは、彼女にこんな簡単なことを尋ねるため。


「片方は成績優秀で政務もしっかりとこなし、婚約者とも良好な関係を築いています。もう片方は努力せず成績が平凡、政務は放り投げた挙げ句に最大の切り札だった婚約者を蔑ろにし、婚約破棄まで申し出た」


 当然、前者はディントであり後者はミンツ。

 けれど言葉にすれば、かなり酷いことになった。

 事実なので仕方ないが。


「さて、貴女はどちらに国王となってほしいですか?」


「……そ、それは……ラティ様が最初に仰った方です」


「もう理解されているとは思いますが最初に言ったほうがディント殿下であり、その後に言ったのがミンツ殿下になりますわ」


 息を一つ吐くと、ミンツがふざけるなと言わんばかりに睨み付けてくる。


「わ、私が仕事をしていないと言っているのか!?」


「わたくしは男爵令嬢の話を聞いて、ミンツ殿下も取り巻きも仕事をしている気分になっていたことが驚きでしたわ」


 ある意味、衝撃だ。

 彼らを国王にして、側近にしたのならばラティは早死にしていただろう。


「男爵令嬢。わたくしの言っていることが信じられないのであれば、信じなくても構いません。ですが処理した書類は嘘を吐きませんし、成績表も嘘を吐くことはありません。もし確認したいのであれば、わたくしが一言添えましょう」


 いきなり信じていたことが覆されて、困惑した様子の男爵令嬢。

 けれどラティの言葉に力が抜けてしまったのか、座り込んでしまった。


「婚約者がいるにも関わらず色目を使い侍らせる。自業自得ではありますが、それでも彼女に全ての非があるわけではないでしょう」


 常識がなくて、ある意味で純粋だった。

 そのような言い訳が許される年齢でもなければ立場でもない。

 しかしながら騙されていた、ということも忘れてはならない。


「ディント殿下。彼女に与えた社交界の出入り禁止については、再教育をして問題がなければ取り消しにしてあげては?」


「……そうですね。まさか兄上が仕事をした気分になって、それで男爵令嬢を騙していたことは情状酌量を考えていいかもしれません」


 馬鹿なミンツと考えなし男爵令嬢の相乗効果と言えばいいのだろうか。

 希有な例だとは思うが救えないのはミンツだけだ。


「というよりミンツ殿下を王城へ戻されては? さすがにこれ以上は、パーティーの迷惑になってしまうので」


「……兄上がこの国にいる最後の時なのですが、仕方ないことですね」


 ディントが手を挙げると、どこからともなく複数の騎士が現れる。

 そしてミンツの両サイドにつくと、そのまま王城まで引っ張って連れて行ってしまった。

 男爵令嬢については、一人の騎士が控え室まで運んでいく。

 これで壇上に現れた人達は全員、いなくなったことになる。


「これでやっと、パーティーを楽しめますわ」


 一安心、といったところだ。

 するとレイスがラティを甘やかすように、軽く頭に触れる。


「堂々として、綺麗だったよ」


「……これ以上、惚れさせてどうするのですか」


 ラティは顔を朱くして、それでも甘やかしてくれたことに嬉しそうな笑みを浮かべる。

 今、彼女の隣にいるのは王太子ではなくて、ただの平民。

 図書館に行ったことで偶然に始まったこと。


「わたくし、レイスに出会えてよかったですわ」


 物語のような、運命的なものではなかった。

 気になったから声を掛けただけで、どこにでもあるような普遍的なもの。


 だけど、ラティは思う。

 だから、ずっと想っていく。


「そういえば、言っていなかったので良い機会ですから伝えますわ」


 彼とは特別な出会いではなく。

 だというのに彼のことが特別になった。

 それはきっと出会いではなく、出会ってからの日々がどうしようもなく特別だったから。


 これからずっと、ずっと、一緒にいると思えるほどの日々で。

 これからずっと、ずっと、一緒にいると想えるほどの感情。


「貴方をお慕いしておりますわ、レイス」


 こう言えば、きっと彼は顔を真っ赤にするのだろう、と。

 ラティは伝えてから、楽しそうに彼の表情を伺った。





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特別な出会いではなく 結城ヒロ @aono_ao

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