第5話【花吹雪国:慧眼の証明①】
花吹雪国の中枢、将軍が住まうこの城には、数えきれないほど桜が植えられている。常春で、特殊な土壌をしたこの地に植えられるその種々の桜は、代わる代わる花をつけることで、一年中花を咲かせていた。
そして、散る桜の花びらも無くなるということを知らないから、いつしかこの城は、人々にこう呼ばれていた。
——桜吹雪城——
この桜吹雪城へ最後に訪れたのは、もう半年も前になる。私が花春州で政務を執るようになってからは、これが初めての里帰りです。
本当は、もっと帰った方がいいのかもしれないけれど、そうはさせない実体のない壁というものがこの城にはある。
その黒々とした壁は、金色の髪を、青色の目を覗き見しながらヒソヒソと囁き、私を阻んでくる。
そんな障壁を身が擦り切れる思いで乗り越えて、たどり着いた先の本丸御殿の表(:城主や家臣が政治を行う場)では、体が重くなるような感覚を受ける。
その重圧こそ、ここに来た目的、私の正面に居られる、桜花将軍という畏敬の圧力だ。
「久しいね、うまら姫。姫と顔を合わせたのは半年ぶりくらいになるかな。さあ、顔を上げておくれ。第一姫御子である姫が、顔を伏せる必要はない」
公方様の許しを得て、私は顔を上げる。正面にお目見えするのはお疑いするまでもなく、桜花公方様その人だ。
相変わらず、お若い。壮年というお年には、お見えになられないほど若々しいお姿だ。髪も目も真っ黒なせいか、30代くらいにしかお見えにならない。
そして、病気がちであることをあらわされるかのように、そのお姿は儚くお見えになられた。
「申し訳ありません、上様(:身分が上の者へ使う総称)。謁見という儀礼を全うする為、必要な作法であると身勝手ながら思い込んでおりました」
「はは、誤る必要はないよ。……そうだね、これも一応謁見。姫の言う通りだ。先ほどの話は忘れてくれ」
「御意に」
「さて、それでは早速だけれど、本題に入ろうか。姫をこの城に呼んだのはほかでもない、あずま殿についてだ」
もちろん、今回お召し寄せされた理由については、事前に書面をもって把握していたので、答えも事前に考えてきている。
「申し上げます。鳴上国より出奔いたしましたあずま殿を、春花州の年貢1割をもって、召し抱えることに成功いたしました」
このことは、先にお伝えしていたので、公方様だけでなく、場内の者でも知っていることである。
ただ、それでも、年貢の1割というのは与える印象が強いようで、わずかなどよめきが起こった。
「なるほど、彼の英雄、あずま殿を召し抱えた手際、流石はうまら姫だと褒めたたえたいところだ。しかし、その契約において、年貢1割というのはいささか驚きを禁じ得ない。はたして、それほどの報酬をもって召し抱えることに利があるのか、疑問に思うのだよ」
やはり、この点についてお気にされていましたか。
「上様のご懸念点も、十分に理解しております。そのお答えといたしましては、先に報告いたしました通り、その投資に見合う見返りがあると、私は考えております」
と、言ってみたはいいものの、あの試算にはいくつか穴がある。おそらく公方様は、そのことについて気付いておられるはず。
「『花吹雪国全体で見た場合の』利益、という報告文は読ませてもらったよ。……姫は、この契約の交渉を行うにあたって、私が話した『姫の裁量で、賄える内容でまとめること』というのは覚えているかい? 当然、あずま殿へ支払う報酬は、姫が裁量権を持つ花春州からといことになる」
やはり、公方様は甘くない。花吹雪国全体の利益になるとお話しすれば、公方様から少しは援助を頂けるかもしれないという甘い考えが、見事に打ち砕かれてしまった。
「しかと、受け止めております」
「では、よろしい。今回の質問は以上だ」
そうして、公方様との謁見は終わった。
なんて、事務的で温かみのない親子の対面なんだろう。
そんな思いがこみ上げているのか、いつもより遅い足取りだ。そんな不安定な足で、西の丸御殿(城にある世継ぎなどの居住域)へ向かっていると、前から見覚えのあるお方が通りかかられた。
見事な長い黒髪をなびかせるその人は、御台所、私の母上だ。
端によってこうべを垂れ、失礼のないように弁える。
少しだけ、久しぶりに会った私(娘)へ、お声をかけてくれないだろうか、なんて思いを秘めながら。
なのに。
御台所は、まったく気にする素振りがなく、素通りされてしまったのです。
私は、その場で停止してしまい、どうしても頭を上げることができませんでした。
誰も味方が居ない国の中枢で、実の母親から無視されたという事実は、それほどのものでした。
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