第1章 イースポーツ その4
視界を覆い尽くしていた閃光が晴れてくると俊介は、見渡す限り広がる草原の真ん中に立っていた。
視界の左上に緑色のHPゲージと青色のSPゲージが表示されている。
それぞれの値は、HPが百二十五、SPが百二十だ。
視界の左下には、現在装備している武器とスキルが表示されるアイコンもあった。
「兄ちゃん。これでゲームスタート?」
「ちょっと待ってな。俺と父さんも行くから」
そう言って洋介と哲郎は、部屋を後にした。
十分ほど待つと、再び二人の足音がする。VRヘッドセットを取ってみると、二人が俊介の部屋にパソコンとゲーム機、モニター二台を持ち込んでいるのが見えた。
「え? 二人ともここでやんの?」
「息子と初めてゲームをするんだ。同じ空間を共有したいんだよ!」
と言って哲郎はご機嫌に、洋介は渋々とフローリングの床に直接腰を落とした。
「まったく我が家のお父様はよ……」
「洋介!! 父さんは洋介とも親子の交流がしたいんだぞぉ」
「キモイからうねるな」
そんなやり取りをしている間にも準備は進み、俊介のキャラである『ボルト』の元を二人の男性キャラクターが訪れた。
一人は、頭上に『ヘルザー』と名前が書かれている四十代ぐらいであろうか。赤い髪をオールバックにしたヒューマンの男性であった。
黒い鎧を身に着けており、腰には剣、背中には鷲の紋章が刻まれた大きな盾を背負っている。
もう一人の名前は『ピッグマン』で、白いローブを着て杖を背負っている。こちらもヒューマンであるが、体型が極限まで太っている以外に目につく印象がない。
デフォルトキャラの体系を太らせただけというのが俊介にも分かった。
「洋介。いくらなんでも俺のキャラ酷くないか?」
ちなみに哲郎は、一人称視点だと酔うと言うので、三人称視点でのプレイだ。
何とか全員が揃ったところでようやく冒険のスタート。
しかしこれと言った指示もなくだだっ広い草原に投げ出されたせいで、次に何をすればいいのか俊介には分からない。
「兄ちゃん、こっからどうすればいいの?」
「まずは戦闘してスキルのレベル上げとスキルツリーの解放だな。あとは装備を更新して装備レベル上げかな」
「装備レベル?」
「武器とか防具にはレベルが設定されててな、高レベルの物ほどステータスやスキルに高いプラス補正が入る」
「兄ちゃんは、スキルレベルとか装備レベルは、どれぐらい進んでんの?」
「全ジョブスキルマックスだけど。あと装備レベルもMAXの百だな」
「すげー」
俊介が感嘆していると、哲郎の嬉々とした罵倒が部屋に響いた。
「さすがニート!! このごく潰しの長男め!! 時間だけは余っていやがる!!」
「フリーダーだし。ていうかこのゲーム成長めちゃくちゃ早いから、一つのジョブに特化して育てれば、一週間でスキルツリー全部解放して装備レベル九十越えまで行けるかな。まぁ、まずは雑魚を倒しながら最初の拠点になる町へ行くところからだな」
洋介操るヘルザーの先導に従って、俊介のキャラであるボルトと、哲郎のキャラであるピッグマンの三人が草原を進んでいく。
歩き始めて三十秒ほどが経ってから、巨大なネズミが三匹、草原をうろついているのが目に入った。あれが雑魚敵だろう。
「あいつをやっつければいいの?」
「そうそう。Rトリガーで武器が振れるぜ」
ヘルザーの指示通りにコントローラーのボタンを押してみると、ボルトが右手でナイフを振るった。
一人称視点でプレイしている事と、ナイフの風切り音が相まって実際ナイフを持っているのではと錯覚させられる。
「キャラの姿勢や速度で攻撃モーションも変化するから、その辺りも押さえておくといいぜ。特にこのゲーム一番の特徴は、前にも話した独自の物理法則が適用されてる事」
「物理攻撃は、重さと速さが増せば、威力がどんどん向上していくだっけ?」
「上手く速度に乗って攻撃すれば、そのナイフでもでかい剣並の威力が出せる事もある」
「なら、でかい剣を同じ速度で振ればより強いわけ?」
「理論上はそうだけど、その辺りはゲームバランスの兼ね合いで、装備重量が重いと攻撃の速さが落ちていくんだよ。速度で攻撃力を上げるプレイスタイルは、ある程度軽い武器しか使えないし、防具も布製オンリーだ。でないと、速さを活かせない。だから極論武器の更新だけしていけば、いいから金がかからないって面もあるんだけど――」
ヘルザーの解説は終わる気配を見せない。聞いておいて無視するのも申し訳ないが、体育会系の性か、とにかく実践に行きたくなってしまう。
所詮は、雑魚敵。大した相手ではないはずだ。
「よし。あのネズミから!」
ヘルザーの説明が終わるのを待たずにボルトは、左スティックを押し込み、走り出した。
とにかく素早く鋭く踏み込みつつ、意識を集中して間合いを測る。
ネズミは、俊介の接近を察知し、迎撃態勢を取った。迫る齧歯の牙。しかし速度では、こちらに分がある。
先手必勝。
ボルトがネズミに向かって振るった短剣は、見事に空を切り裂いた。
ネズミには一切のダメージがない。短剣は思った以上に、リーチが短いようだ。
体勢を立て直そうとするも、ボルトの身体は操作を受け付けてくれない。どうやら全速力で切り込んだせいで、硬直が生じているようだ。
時間にして〇・五秒にも満たない隙であったが、ネズミが既に繰り出した攻撃を避けるには、致命的。
無防備且つカウンターの形となったネズミの牙は、ボルトを一撃で葬り去った。
HPを失ったボルトの亡骸は、地面に伏したまま灰のように崩れていく。
「息子が死んだァァァァ!!」
世界の終末が訪れたかのような悲鳴を上げながらピッグマンは、ネズミではなくヘルザーに杖を振るって攻撃を仕掛けていた。
「お前のせいだ!! お前のせいだ!!」
だが、ソウルディバイトには、パーティメンバーへのフレンドリーファイアは存在しない。
いくら杖を叩こうとも、洋介のキャラが受けるダメージは〇だ。
しばらく攻撃を続けていたピッグマンだったが、突如動きを止め、
「痛っっっっった!!」
強烈な打撃音と洋介の叫び声が俊介の部屋に響き渡った。
俊介がVRヘッドセットを外すと、洋介の背中を哲郎がマシンガンのような勢いで蹴り続けている。
「長男のくせに、次男を犠牲にするとは!!」
「俺のせいじゃねぇし!! ていうかゲームで勝てないからってリアルファイト仕掛けてくんじゃねぇよ!!」
そもそも息子を守れなかった自分の事は、棚に上げている気がするが、いいのだろうか?
指摘するだけ話が伸びて面倒そうなので、俊介は話題を変える事にした。
「兄ちゃん。なんで俺死んだの?」
洋介が回答するより速く、哲郎は顔を濡れたパンのように涙でぐちゃぐちゃに崩して縋りついてきた。
「死ぬとか言わんでくれ!! お前に死なれたら父さんどうやって生きていけばいいんだ!」
「言わないから、顔元戻して。目が潰れそう……」
「ここがこのゲームの難しい所なんだよ。速い速度を出せば攻撃力が上がるけど、自分に跳ね返ってくるダメージも大きくなる」
先程の戦闘を思い返すと、最高速で放った攻撃が空振り、その隙にネズミの攻撃を差しこまれている。
ゲーム慣れしていない俊介でも、開始直後に出会う雑魚敵の攻撃で一撃死させられるのはあり得ない事ぐらい理解していた。
「あとは速い速度で壁や地面に突っ込んでも自滅する」
さらに洋介が付け加えた解説に、俊介のやる気は削がれつつあった。
速さに憧れて始めたゲームで速さを追求出来ないのは、モチベーションの消滅に等しい。
「むずくね? 攻撃じゃなくても死んじゃうとか……」
「上手く攻撃を当てる事が出来れば、どれだけ速くてもプレイヤーはダメージを負わないけどな。自滅するのは、あくまで攻撃を外した時限定だ。防御力があれば、そういう事態も減って来るけど、装備重量の関係で動きが遅くなるし、どの道カウンター合わせられたらどんな重装備でも持たない」
敵の攻撃への警戒と、正確な間合いの把握。適当に攻撃すればいいだけだと考えていたが、奥深さに感心させられる。
「俺、RPGってもっと単純なゲームかと思ってたよ」
「この作品は、競技性高く作ってるからな。その辺ただのRPGよりもシビアなんだよ」
「そっか。イースポーツなんだっけ」
「これの大会も再来月にあるんだ。折角だから練習して出てみないか? 俊介の反射神経と運動神経ならいい線行くと思うぜ」
「ゲームでしょ。運動神経とか関係あんの?」
「eスポーツは、反射神経使うし、体力も重要なんだよ。将棋だってものすごい体力使うっていうだろ? アクション要素がある場合、そこに反射神経と咄嗟の判断力も問われる」
単なる子供の遊びか、オタクの娯楽程度にしか考えていなかった今までの認識を改めて恥ずかしく思わされる。
確かに元々は遊びかもしれない。でもそれは、俊介がやっていた陸上も同じ事。
子供なら誰もが一度はやった駆けっこにルールを付けて競技化したものが、俊介の得意とした短距離走だ。
動かす部位に明確な差異はあれど、競技(スポーツ)という点において両者に差等存在しないのかもしれない。
漫然と遊ぶよりも、大会等の目標を決めてやる方が俊介の性格にも合っている。
「兄ちゃんさ、大会って具体的に何をするの?」
「一つは、ボスの討伐タイムアタック。大会専用のボスが居て、三人パーティで倒すまでのタイムを競う。もう一つは対人戦。三人パーティ同士で戦うんだ」
「つまりコンピューターと戦うか、人間と戦うかって事か……」
自分には、どちらが向いているだろうか?
他人とゲームの腕を競い合うのは、いかにもスポーツらしいスポーツだが、設定された目標を目指して三人で協力するのも楽しそうだ。
「俺、どっちに向いてるかな……」
「まぁ時間はあるし、遊んでいく内に決めたらどう?」
洋介の言う通り、今の俊介はゲームを始めて十分足らずの初心者だ。
焦って目標を設定するのではなく、進むべき場所を探しながら道中を楽しむ事を優先すべき時期だ。
とは言え、あまり
目標に到達する事を急がないにしても、目標そのものは確認しておきたかった。
俊介の目指すのは、一先ずキャラクターを自由自在に動かせるようになる事だろう。
「兄ちゃん。俺のキャラの参考になる動画とかないの?」
「ネットで海老茄子って人の動画見てみ」
洋介の教えてくれたワードを検索すると、いくつもの動画サイトが表示された。
動画のタイトルには、スーパープレイや神業と言った単語が並んでいる。
俊介は、検索結果のもっとも上に表示された動画のリンクをクリックした。
再生回数は、六千万。二年前の投稿という事を考慮しても尋常ではない再生回数である。
再生ボタンをクリックした瞬間、俊介の五感を驚嘆が支配した。自身のキャラクターとは比較にならない速度域で、海老茄子が敵の群れをなぎ倒していく。
動画自体が一人称視点であり、俊介が動画をVRで見ている事と併せて、流れるような剣閃と、嵐のような機動が自分の所業であるかのように錯覚させられる。
同じ映像をサブモニターで眺める洋介は微笑み、哲郎は口元を抑えてえづいていた。
「ダメだ。父さん吐きそう。視界がグワングワン回りすぎ……」
「世界有数のトッププレイヤーだからな。ただこれは、一人じゃ出来ない。これをやるには、エンチャンターの協力が必須なんだ」
「えんちゃんたー?」
聞き慣れない単語に俊介は首を傾げた。哲郎も眉間にしわを寄せて渋い顔をしている。
「なんだそれ。日本語喋らんか」
「エンチャントは、武具や他者の肉体に魔法をかけるって意味。これを使うと、防御力や速度がさらに上がって、攻撃力が増す。防御力上昇の方は、効果が強いほど、効果時間も短い。一番強いのは、六十分の三〇フレームとかだね」
「それって何秒なの?」
「約〇・五秒。だから攻撃の瞬間に合わせてエンチャントするんだよ。本人も戦いながらね。海老茄子っていうのは、一人のプレイヤー名じゃなくて、エビアンと茄子カルビって二人のプレイヤーの名前なんだよ。戦ってるのがエビアン。エンチャンターが茄子カルビだ」
〇コンマという時間単位の重さを俊介は、陸上競技を通して思い知っている。
日常であれば意識しない極小の時間であるはずなのに、追い抜くにはあまりに果てしなく遠い時間。
短距離走は、他者との競い合いでもあるが、本質は、何処まで行っても自分との戦いだ。
もちろん競技にあたっては、周囲のサポートが必要不可欠であり、彼等の想いも乗せて走っている。
だが実際に走るのは、あくまで選手一人のみ。トラックの中では、孤独に速さを追求しなければならない。
しかしゲームの世界は、違う。最速を目指して、最強に向かって、同じ空間を共有した仲間と一緒に走るのだ。
「一応父さんのキャラはエンチャンターにしたけど、難しいよ。成功出来れば確かにすごいけど、プロでもなかなか安定しな――」
未体験の領域に足を踏み入れたい好奇心が鼓動を煽ってくる。
VRヘッドセットを外した俊介と哲郎の瞳から放たれる星屑のような眼光が洋介を射抜いた。
こうなると二人は、止まらない。外見こそ母譲りの俊介だが、内面的には紛う事なき哲郎の息子だ。こういう時、折れてやるのが、香と洋介の役目だった。
「やりたいんだね。じゃあやってみよう」
「まぁ父さん難しいの分かんないから。お前がエンチャなんたらをやれ」
一転、掌を返してきた父親に、洋介は軽蔑を隠さなかった。
「人任せかよ。つーか俺は無理」
「なんで?」
「エンチャンターは、好みじゃない。このゲームは、自分に合わないジョブを使っても長続きしないんだよ」
「お前、人のキャラ勝手に決めといてよくもまぁ……というかお前のキャラは、どんなキャラなんだ?」
「防御重視の重装戦士。所謂タンク役」
「自分の殻に閉じこもった引きこもりの自分をゲームキャラに投影しているのか」
「心理分析してるつもりか? すげーむかつくんだけど。てかフリーター」
「家に家賃を入れないのは、ニートよ!」
階下から響く香の一撃に洋介は凍り付き、哲郎は攻勢に転じた。
「そうだ母さん!! もっと言ってやれ!!」
「ニートでも、エロビデオ見てるだけの馬鹿亭主の億倍可愛いけど」
会心の一撃に哲郎の顔色が土気色に染まっていく。
「これ、俺達夫婦の離婚の危機じゃね?」
焦燥に支配された哲郎は、
「母さん!! 今夜久しぶりに、どう!?」
息子たちにとって最悪のカウンターを放ち、
「……哲郎さんのばか」
まんざらでもない香の返答。
「お前たち。今日は耳栓をして早く寝なさい」
「マジでキモいからやめてくれ」
俊介は、現実から目を逸らすべく、VRヘッドセットを被った。
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