END3『闇への手招き』

 悪夢の世界に2度も飛ばされたことで流石に危機感を覚えた葉月はその世界で原因を探し、いよいよ突き止めてしまった。それはこの悪夢のような世界こそが『現実』であり、元々いたと思っていた風花の存在した世界こそが『夢』の世界だったのだ。この事実を知ってしまった葉月は夢から醒めるために、風花と別れることを決意した。そして最後にもう一度だけ、彼女に会うべく夢の世界へと旅立っていくのであった。



「――葉月はづきなのね……よかった……ホント、よかった。おかえりなさい」


 教会の壇の前に座っていた風花ふうかが葉月が帰ってきたことに気づき、抱きしめながらそう葉月の帰還の喜びの言葉を告げていく。


「ただいま、なんだけど……ちょっと話があるんだ」


 対する葉月にはその言葉を単純には受け取ることができないでいた。なぜなら、彼女には告げなければならない事実があったからである。


「話? なに?」


 何も事情を知らない風花は、これから言葉では表しきれないほどの悲しい事実が告げられるとも知らず純粋無垢な顔で葉月の顔を見つめる。


「実は、ね――」


 そして葉月は今までの飛ばされた世界で見てきたことを全て風花に話した。一つ一つ証拠を並び立て、事実を風花に突きつけることは葉月にとってとても辛いことであった。今葉月は自らの意思で、最も選択したくはなかった『別れ』という道を掴み取ろうとしているのだから。きっと、きっと風花はその事実を知って絶望し、泣きじゃくることだろう。


「んー……」


 そう葉月は高をくくっていたが、現実は違っていた。風花は葉月の話に、明らかに納得のいっていない様子の顔を見せてうなっている。首を傾げて、眉間にシワを寄せて何か考えるような仕草までし始める。


「あれ? どうしたの?」


 想定していたものと違うものがやってきて、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして戸惑う葉月。てっきり、自分の説明で理解してくるものだとばかり思い込んでいた葉月は風花がどこに納得がいかないのか、まるでわからなかった。


「私、葉月の考えは間違ってると思う」


 何を根拠にそう言っているのかは定かではないが、風花はハッキリとそう断言した。それは決して『その事実が受け入れられないから』とか、『葉月と一緒にいたいから』とかそういう願望から来るものではなく、やはり何かしらの論理的な根拠があってそう言っているように感じられた。そんな目を彼女はしている。


「いや、間違いないって。だって、『あの本』が何よりの証拠でしょ?」


 だけれど葉月も葉月で確実な根拠をもとに、この事実が正しいと信じて疑わなかった。そもそもそれが確信に至ったのは、この世界のことが書かれてあった本が見つかったから。そしてさらにそれに真実味を帯びさせる妹の証言。これだけでも、十分に根拠となるだろう。むしろそれが間違いなら、何が正しいのかと聞きたいほどに葉月には自信があった。


「なら、今からする私の質問に答えてみて? どうしてあなたが現実世界だと言う世界の記憶がほとんどないの?」


 ならばと、風花は反論を質問形式にして葉月を攻め立てていく。まず最初の質問は葉月も同じように感じていたそれであった。飛ばされたと思っていた世界こそが現実世界なのにも関わらず、その現実世界の記憶がまるでない。実際に名前を聞いたり、友達に会ったりしても実感がない。自分が本来いるべき世界の記憶がない者なんて、記憶喪失でもしない限りありえないはずなのに。だけれど、結局のところ葉月はそれに対する答えは見つけられず、今に至っていた。


「それはこの世界に現実逃避したいほど、嫌なことがあって忘れようとしたからなんじゃ――」


 だから葉月は自分の中で考えた確証のない理由を述べていく。


「それは葉月の推測でしょ? 実際に『嫌なことがあった』って事実を見つけられたの?」


 だが、そんなところも風花に見抜かれてしまい、さらに痛いところをつかれてしまう。


「……ううん」


 その風花の質問に、バツが悪そうに首を横に振る葉月。実のところ、あちらの世界では自分がトラウマになるような何かを受けた事実を確証づけるような証拠はなかったのだ。しかも口には言わないが、葉月は自分の周りの人たちの反応からみてもその線は薄いと感じていた。もちろん、それは気を遣ってその話題を出さないのかもしれないが、それでも親や先生は何か言ってくることはあるはず。だけれど、それすらもなかった。だからこそ、この葉月が考え出したその結論は、とても根拠の弱いものになっていたのだ。


「それに、もしここが夢の世界だと仮定したなら、あまりにも葉月に感覚がありすぎてない?」


 風花は自分が正しいんだと、まるで葉月に分からせるかのように次々と葉月の説の弱い部分をつついていく。そう言って葉月の頬を親指と人差し指で軽くつまみ、


「イテ、イテテテッ!」


 そこから一気に、尋常じんじょうじゃないくらいの強さで頬を引っ張った。それにブサイクな顔になりながらも、必死で止めてもらおうと葉月は風花の体を叩いていた。それはやはりこの世界で『痛み』を感じている何よりの証拠であった。


「ほら、こんなに頬を引っ張ったって全く目覚めない。それに夢って普通は目覚めと共に忘れるものでしょ? なのに葉月はしっかりと記憶が残っている」


 よく現実世界でまるで夢の出来事のような事が起きた時に頬をつねって『夢じゃない』とやることがある。その逆で葉月が夢の世界と称するこの世界で頬をつねっても、葉月は目覚めることがなかった。もちろんそれが『夢の世界での出来事』と処理されれば、現実世界には影響しないのかもしれない。だけれどこれが夢なのであれば、さっきとは逆にこの世界のことをあまりにも覚えすぎている。それは明らかにおかしい事実であった。


「そ、それは……」


 その風花のイジワルな質問に、全くもって言い返す言葉がなかった。それはやはりその原因を自ら説明することができないからである。まるで鏡のように風花も葉月と同じことを考え、そしてそれを葉月の説をくつがえす反論として持ってきた。最終的にその問題を無視してあの結論を出した葉月には、どうしてもそういったボロが出てしまうのだ。


「この世界が夢の世界なら、もし葉月がこの世界を創造したなら、現実世界にいない私は何なの? 他の人たちは現実世界に元ネタがあるけれど、私にはそれはない。ただの自分が思う理想の女の子?」


「うっ……」


 反論しようにもするだけの材料がもうなく、言葉がつっかえてしまう。


「ね、葉月の理論が怪しくなってきたでしょ? 私はね、こう考えてる。葉月が階段から滑り落ちたり、上から植木鉢が落ちてきたりして気絶に近い状態になった。それで夢の世界へと飛ばされて、そしてその世界で『眠る』ことによってこの世界で『目覚める』というが妥当だと思うんだけど」


 数々の質問で葉月の説が力を持たなくなったところに、風花が今度はそれとは全く逆の説を提唱する。


「じゃあ、あの本は何なの?」


 散々攻められた仕返しと言わんばかりに、今度は葉月が質問する側となって風花の説の疑問点をついていく。もしその説が正しいなら、あの本の存在は何なのか。何のために存在するのか。それを葉月は風花にたずねる。


「それこそ、この世界を忘れないようにするために葉月が無意識で書いていたものでしょ。現実世界へ戻る手立てを失ってしまわないように」


 だけれどそう簡単に風花にダメージを与えることはできないようで、うまい言葉と解釈を使ってその問題の理由付けをしていく。どうやら先程の風花のように、葉月には風花を攻めていくことは難しいようだ。風花は葉月のように説に穴がない。疑問点をうまい具合にかわしていく。結局、葉月は自分の説に信憑性が揺らいでしまい、振り出しに戻される結果となってしまった。


「――ねえ、葉月。なんか私はね、出てきた証拠を自分の都合のいいように解釈して結論を下しているようにしか思えないの。ちょっと結論を急ぎすぎてない?」


「うん。ホントはもっとちゃんと調べて確実性を確かなものにしたほうがいいのかもしれない。そのふーかが言ってた謎もちゃんと明らかにしてから結論を下したほうがいいのかもしれない。でもね。このままじゃ私……何か大きな『闇』に飲み込まれて自我を失いそうで怖い……」


 無意識のうちに机に向かって本を書いていたり、自身の記憶のない世界に飛ばされてそこに記憶のない自分がいたり、そんな経験をしていくうちに葉月の心には恐怖心が芽生えていた。どっちが現実なのか、そんなわからない2つの世界を行き来して自信がなくなっている。


「……じゃあ、1つだけ聞かせて? 葉月は私のいない世界を選ぶの?」


 道に迷い、行き先を見失っている葉月をまるで導くかのように風花は単刀直入にそう質問した。その表情はまるで聖母のように優しく、温かいものであった。


「私だって、本当は選びたくないよ? でも……それが現実――」


「じゃあ、夢でもいいじゃない。永遠に幸せな夢を見続けましょうよ。私はね、やっぱり葉月がいないとダメなの。今回のことでそれを思い知らされた。もし目を覚まして現実にまた戻ったとしたなら、私待ってるから」


 現実を必死に受け入れようとしていた葉月にとって、まるで悪魔のように甘い言葉を投げかけてくる風花。


「ふーか……」


 そんな好きな人にこれだけ想われる言葉を受けて、葉月は自身の心が揺らぎ始めていた。このまま悪魔のささやきを受け入れていいのかもしれない。そんなふうに思い始める葉月であった。やっぱり、好きな人と離れ離れになるのは葉月にとって死よりも辛いことだった。むしろ彼女がいない世界で生きていくことに、はたして何の意味があるのだろうと思えるほどだった。徐々に徐々に、風花の考えに同調しようとしている葉月の姿がそこにはあった。


「葉月は私と一緒いるの、イヤ?」


 そんな葉月に追い打ちをかけるように、風花は甘えた声で葉月にそんなことを訊いていく。


「ううん、一緒にいたい……」


 そしてついに隠していた本当の言葉を口にしてしまう。やっぱり風花のいない世界はありない。存在してはならない。そんなふうにどんどんと自分の考えが揺らいでいく葉月だった。


「だったらもう悲しい結末を考えるのはやめよう? もしかしたら会える時間は減っちゃうかもしれないけれど、それでも一緒にいられるんだから、」


 風花はそう言いながら葉月の頬に触れ、次第に顔を近づけて、


「――このままでいましょうよ」


 最終的には風花は耳元でそんな甘い魅惑の言葉を囁いていく。

 

「…………うん。そう、だね」


 その言葉に惑わされ、自分の考えを押し殺し、屈してしまう葉月。こうして葉月は風花の甘い言葉に誘われて、夢の世界へと堕ちていってしまったのであった。ただ葉月はそんなことはつゆも知らず、風花と共に幸せな日々を送り、また新しい楽しい思い出や嬉しい思い出をいっぱい作っていった。ただしその一方で現実世界で眠っている葉月は、どれだけ叩こうとも揺さぶろうとも全くもって起きることはなかった。もはやもはや死んだも同然な仮死状態ような葉月に、周りの人たちはとても心配していた。だけれどその心配を尻目に、終いにはふと気づいたときにはいつの間にか体ごとそっくりそのまま消えていたという。そう、それはまるで神隠しにでもあったかのように――

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ヒムカザキハ 瑠璃ヶ崎由芽 @Glruri0905

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