第26話 『まだお仕事されてるのですか。』

 〇高原夏希


『まだお仕事されてるのですか。』


 その電話は…俺がまだ事務所にいる時にかかって来た。

 貴司からだった。


「ああ…もうすぐ帰る。なんだ?こんな時間に。」


『産まれました。』


「…え?」


『さくらが、無事男の子を出産しました。』


「……」


 貴司の言葉に、俺は…すぐには答えられなかった。


 さくらが…男の子を産んだ…

 男の子…


「そ…そうか…」


『母子共に元気です。』


「…良かった…」


『…おめでとうございます。』


「何を言ってる。それは…こっちのセリフだ。おめでとう。」


 そう言いながらも…俺は喜びを隠せなかった。


 男の子…

 さくらが、男の子を産んだ…


「…髪の毛は…」


 ふと、我に戻って問いかけると。


『黒髪ですよ。さくらにそっくりです。』


 貴司は、少し笑いながら答えた。


「そうか…良かった…」


『それで…名前を付けて欲しいのですが。』


「は?」


『名前です。あなたの…息子ですからね。』


「……何を言ってる。前にも言ったが、貴司、おまえの子供だ。」


 少し語気を強めて言うと、電話の向こうで貴司は小さく笑って。


『表向きはそうですが…私は、あなたの息子だとも思っています。そう思いたいのです。』


 嘘とは思えない口調で、そう言った。


『あなたが名付けたとは言いません。どうか…名前を。』


「……」


 俺は…今までもそうだったが。

 貴司の願い事は、結局聞き入れる事になっている。

 断れない事もないとは思うが…

 もし断って、あの事を世に出されるのは…困る。


 俺が傷付くだけならいいが…誰にも傷付いて欲しくない。



 窓の外には、明るい月。

 目下に広がる、ツリーの電飾。

 …そうか。

 もう今日はクリスマスイヴ…知花の誕生日。


「知花は…まだ退院できそうにないのか?」


 窓の外を眺めながら問いかけると。


『…知花も今、分娩室です。』


「えっ?」


『千里君と誓がついています。』


 こんな時…本当に、男は何も出来ないもんだ…と思った。

 瞳が映を出産した時も…

 俺と圭司は何も出来ず、ただひたすら待って…産まれた時には泣いて喜んだ。

 …男に出来るのは、待つ事と喜ぶ事だけか…。



「…聖。」


 小さくつぶやく。


『…聖、ですか。』


「…頭の中に、聖この夜が浮かんだ。」


『クリスマスイヴですからね。ありがとうございます。聖…いい名前です。』


「…本当に、それでいいのか?」


『はい。どうしても…あなたに名付けて欲しかったので。』


 貴司の言葉に、礼を言うのもおかしいし…俺が黙ったままでいると。


『安心して下さい。私の息子として…ちゃんと育て上げます。』


 貴司は、穏やかな口調でそう言った。


「…ああ。」


『知花と子供が退院したら、是非…聖の顔も見に来てやって下さい。』


「…分かった。」


 貴司との電話は、それで終わった。



 聖…

 俺の血を分けた息子…



 クリスマスイヴに産まれた、神の子だと思った。

 俺の子供だと知られてはならない。

 幸い、さくらにそっくりに…

 赤毛には産まれなかった。


 身体中に疼きを覚えながら、俺は…決して口外できるはずのない喜びを、一人…噛みしめていた。




 〇桐生院さくら


「きーちゃん、いいこ。」


 ノン君とサクちゃんは、ベビーベッドで眠る聖に釘付け。

 本当…聖って、すごくいい子!!

 て言うか、あまり泣かないし、寝てばっかりだし、返って心配だよー!!



「ねえ、大丈夫なのかな。聖…全然起きないけど。」


 あたしが眉間にしわを寄せてお義母さんに問いかけると。


「知花もそんな感じでしたよ。手のかからない、いい子。」


 お義母さんは、さらっとそう言った。


「そっか…でも、何て言うか…赤ちゃんて、もっと泣いたり愚図ったり…ってイメージが…」


 あたしがそう言うと。


「ノン君とサクちゃんもそうだし、血筋じゃないのかい?」


 お義母さんは、珍しくケラケラと笑って言った。


「血筋…」


 ノン君とサクちゃんは…知花の血が濃かったって事かな。

 知花は…?

 あたし?

 うーん…あたしって、赤ちゃんの時…どうだったのかな。

 何となくだけど、暴れん坊なイメージ…って、自分で思っちゃう。


 …なっちゃんは…

 聞いた事ないけど…

 おとなしいイメージは…あるけど…


 知花は、髪の毛や目の色の事もあるからなのかな…

 どことなく、やっぱり…なっちゃんに似てる。

 声だって、歌う時の『ファ』が似てるし…

 普段ふわっとしてる所は、誰に似たのかな?って思うけど…

 歌い始めると…ほんと…なっちゃんの娘だな…って。



「貴司さんも手のかからない子だったのかなあ…」


 あたしが聖を見ながらつぶやくと。


「…どうだったかしらね。」


 お義母さんは、聖の頬に軽く触れた。


「何?昔過ぎて忘れちゃったの?」


 あたしがクスクス笑うと、お義母さんは少し不思議そうな顔をした。


「何?」


「…いいえ。ふふ…何でもないですよ。」


 何だろ。

 …ま、いっか。



「ねえ、あたし…知花のお見舞い行っていいかなあ?」


 知花は…大晦日に一度退院したんだけど…

 年が明けて、また入院した。

 うちに帰ってる間も、ほとんど部屋で横になってたし…

 相当辛い出産だったみたいだし…身体が心配…


 実は、まだ華月ちゃんにも会えてない。

 会いたいなあ…知花の赤ちゃん。

 ぜっっっっったい、可愛いよ…



「行きたいのはみんなもですよ。千里さんも言ってたでしょう?今は、気を使わずにゆっくりさせたいからって。」


「ぶー…」


 分かるけど…分かるんだけど…

 …気を使わずにって言うのが…ちょっと引っかかる。

 知花、そんなにみんなに気を使ってたの?



「あっ。」


 あたし…突然、大事な事を思い出した。


「何ですか。」


「…ううん…何でもない。」


 知花、もしかして…

 もしかして。

 あの手紙の事で…ずっと思い悩んでる…?



 手紙の事を思い出したあたしは、中の間の人体図鑑をこっそりと開いた。


 …あるある。

 そして、もう一度…じっくりとそれを読んだ。

 …チョウさんと、中岡さんが…容子さんを殺した。

 そして、首謀者は…『あなた』よ。

 桐生院の中の、誰か。



 これを読んだ知花は体調を崩した。

 …て事は、知花?

 まさかねー…

 だって、容子さんが亡くなった頃って、知花は寮生だったし…まだ子供だよ。

 て事は…

 お義母さんか、貴司さん…


 …そんな事するかな?

 何のために?

 て言うか、チョウさんと中岡さん、いくら首謀者に頼まれたからって、そんな事しないよ。



「…トリカブトを煎じた物をお茶に混ぜ…」


 トリカブトねえ…

 あれって、根っこの部分に毒性が強いから…使うとしたら、根こそぎ手に入れなきゃだし…

 そもそも、容子さんてどれぐらいの期間病気だったんだろ。



「……」


 あたしは手紙をまたそこにおさめて、大部屋に向かった。


 ベビーベッドでは、聖が寝てて。

 ノン君とサクちゃんも…その傍らでお昼寝してた。

 キッチンにお義母さん。

 テーブルに冬休み中の誓。



「…ねえ。」


 とりあえず…切り出してみよう。


「うちに、トリカブトってある?」


 あたしの言葉に、すぐさま振り返ったのは…お義母さんだった。


「…何ですか急に。」


「推理小説で出て来たから、ちょっと興味あって。」


「……」


 お義母さんはタオルを手にしたまま、無言であたしを見てる。

 …どうしたの?

 そんな物、ないって言ってよ。


「昔あったよね。」


 誓がそう言って、お義母さんを振り返った。


「…ほんの少しだけ、ありましたよ。」


「へえ~…毒の花でしょ?庭に植えてたの?」


 あたしが座りながら問いかけると。


「鑑賞用のやつは、毒性が弱いんだって。」


 誓はお義母さんからあたしに視線を移して言った。


「そうなのかい?」


 その誓の言葉に…お義母さん…その反応、怪し過ぎるんだけど…


「え?おばあちゃま、知ってて買ったのかと思ってた。」


「あれは…長井さんが持って来た物ですよ。」


「鑑賞用の花ばかり入れてた、ビニールハウスに置いてたよね。」


「……」


 お義母さんが何も言わなくなった。

 だけど…あたしは…一つ気付いた。


 お義母さん。


 誰かがトリカブトを使ってたって…

 気付いてたんじゃ…?



 * * *


 貴司さんに、今夜は接待で遅くなるって言われて。

 麗と誓は明日から学校だからって早く部屋に戻って。

 ノン君とサクちゃんを寝かし付けた頃に…千里さんが帰って来た。



「あ、お帰りなさい。」


「ただいま帰りました。」


「知花…どう?」


 千里さんに駆け寄って問いかけると。


「ええ…だいぶ落ち着きました。」


「そっか…早く退院できるといいんだけど…」


 あたしが小さく溜息をつきながら言うと。


「……」


 千里さんは…あたしをじっと見て。


「…すいませんが、ばーさんと二人で話したい事があって。」


 そう…言った。


「……」


 何となく…手紙の事?って…思った。

 知花…千里さんには話したのかな。


 気にはなったものの、ここは…お義母さんと千里さんを二人にしてあげよう。


 …と。


 思ったけど。

 気になる!!



 あたし、大部屋からは死角になる廊下の隅で、待機した。

 会話…聞こえるかな…



「…あの。」


「あら、さくらは?お茶を入れたのに。」


「…ちょっと、話しが。」


「私に?」


「はい。」


「…なんでしょう?」


 お義母さんが、お盆をテーブルに置く音。


「…誓達の母親は、本当に病死だったんですか?」


 ち…千里さん!!

 切り出し方がストレート過ぎ!!


「…どういう事かしら。」


 お義母さんの声…いつもより、すごく低くなってる…


「…先月、うちに差出人のない手紙が来ていたのを、読まれましたか?」


 あーーーーー!!

 千里さん!!

 お義母さんは読んでないからーーーー!!


「あれに…庭師とお手伝いが…」


「違います。」


 千里さんが核心に触れようとした所で、お義母さんが遮った。

 …て事は…

 手紙の存在、知ってるんだよね?


「誰も、何もしてません。」


 お義母さんの声は…凛として強かった。

 だけど…震えてる…


「…もちろん、俺も信じてます。だけど、そういう手紙が何度か届いてるんですよね?」


「…知花が読んだんですか…」


「……」


「それで体調を崩して…」


「…疑いたくなくても…疑ってしまったのかもしれません。でも、うちの誰がそんな事が出来るって言う」


「私です。」


 ……え?


 また、千里さんの言葉の途中…

 遮るようにして…

 お義母さん…


「私が、容子さんを殺したんですよ。」


「……」


 千里さんも…

 ついでにあたしも…

 思考回路…


 おかしくなっちゃいそうだった…。

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