第2話 「なんと…」

 〇神 千里


「なんと…」


 目の前で、じーさんが絶句する。

 今日は…じーさんが桐生院家に乗り込んできた。


 と言うのも…


 俺が婿養子に行くと言ったのを冗談だと思っていたじーさんは、俺が本当に婿養子として入籍したのを…


「冗談じゃない。バカもほどほどにしろ!!」


 と、酷く怒った。


 俺と知花は珍しく三連休。

 休み二日目の今日、じーさんちに行こうと連絡をした所で…


「来るな!!私が行く!!貴司君にも帰れと言え!!」


 と、かなり憤慨した様子でやって来た。



 が…



「しゃくね、おしゃかな、しゃわったの。」


 咲華が、じーさんの正面に立って…昨日行った水族館の感想を述べる。


「おお…そうか…お魚に触ったのか。」


 本当は、魚に触ったんじゃなく…魚が泳いでる水槽を触ったんだが。


「しょいでね、しゃく、とーしゃんと、っとね。」


「ああ、ああ…そうかそうか…」


 じーさんは、目尻が下がりっぱなし。


 …咲華。

 ナイスだ。



「…華音は?」


 辺りを見渡して、知花に問いかけると。


「たぶん、母さんと裏庭だと思う。」


 最初は懐かなかったさくらさ…お義母さん…ま、さくらさんでいいか。

 その、さくらさんに…最近華音はベッタリだ。



 さくらさんは…不思議な人だ。

 高原さんと別れてここに来て…

 最初は、ホームシックだ。って泣いてたが…


 とにかく、明るい。

 そして、元気で。

 知花の母親と言うよりは…知花の妹じゃねーのか?って言いたくなるぐらい、行動が…



「セミ捕っちゃった!!」


「しぇみー!!」


 さくらさんと華音が、大きな声で戻って来た。

 そんな二人を見たじーさんは…


「…千里に聞いてますよ。知花さんの、お母様ですね。」


 最初は驚いていたようだが…姿勢を正して、さくらさんに言った。


「あっ…お客様がいらしてたなんて…」


「うちのじーさん。」


「えっ…千里さんのおじい様?」


 さくらさんは慌てて正座して。


「初めまして。桐生院さくらです。宜しくお願い致します。」


 じーさんに、頭を下げた。

 その隣で、華音も…


「きうーいん、かろんでしゅ!!よろいくおねらいいたしゅゆ!!」


「ぷっ。ノン君、全然違うし。」


「母さん。」


「あ…えっと…」


 知花に制されたさくらさんは。


「…貴司さんに連絡は?」


 目を細めながら、小声で知花に問いかけた。


「何とかして帰るとは言ってたけど…」


「…帰らなくてもいいんじゃねーか?」


 俺達三人は、華音も加わった熱弁に、デレデレになっているじーさんを振り返る。


「…でも、おじい様…すごく怒ってらっしゃったから…」


「あいつらの前で怒るわけにはいかないだろうから、華音と咲華をここから出すなよ。」


 コソコソとそんな作戦会議をしながら、じーさんのゴキゲンを眺める。



「とーしゃんの、じーじ、こえできゆ?」


 廊下に走った華音を見ると。

 華音は、床に手を付けて…不格好に、足を上げて回り始めた。

 …側転のつもりか?


 不格好なんだが…必死さが伝わって、俺と知花は親ばか丸出しで。


「上手い上手い。」


 拍手をした。

 咲華が大喜びで拍手をする姿が、これまた可愛くて…

 何だよ…ちくしょー…

 俺と知花の子…可愛いじゃねーかよ!!って、マジ叫びたくなってしまった。



「おお…上手にできておる。」


 華音の一人回転ショーが続いて。

 じーさんがメロメロになりながら拍手をすると。


「とーしゃんのじーじ、できゆ?」


 華音が、繰り返した。


「華音、無理言うな。」


 すると華音は。


「とーしゃん、できゆー?」


「……」


「できゆ?」


 首を傾げて…可愛いポーズで言われた俺は…


「…よし…」


 腕まくりをしたが。


「千里、やめて。明後日から撮影や収録が目白押しなんでしょ?」


 知花に止められた。


 う…

 そ…そうなんだが…

 我が子にはカッコいい所を見せたい!!

 側転なんて、何年もした事はないが…

 できないはずはない!!



「世界に出るのに、怪我なんてしたらシャレにならないわよ?」


「……」


 それもそうだ。

 側転よりも、もっとカッコいい所を見せるためには…今は我慢だ。


 廊下では、咲華が華音のように不格好な側転をして、華音から大絶賛されている。

 …ほんと、可愛いな…こいつら…


「上手だな~。誰に教えてもらった?ん?」


 じーさんの言葉に、二人は…


「しゃくりゃちゃん!!」


 そう言って…さくらさんを、指差した。


「え。」


「…母さん、側転できるの?」


 指を差されたさくらさんは、少し困ったような顔をして。


「で…きるかな~?って思ってやったら、できちゃったのよ…」


 叱らないで~みたいな顔をして言った。


「しゃくりゃちゃん、くゆっと、うしよもまわゆの!!」


「……」


「おしゃかな(恐らく逆立ち)して、あゆくの!!」


「……」


「しゅごいの!!」


 あちゃ~…って小声と共に、さくらさんは忍び足で玄関に向かった。


「母さん、どこ行くの?」


「貴司さん、帰って来たから。」


 俺と知花は顔を見合わせて…


「…昔体操選手だったとか?」


 さくらさんは…謎の多い人で…


「聞いた事ないけど…この前、木に登ってておばあちゃまに叱られてた…」


「……」


 野生児か?


「もう…父さんが帰って来たって逃げるなんて。」


 知花が首をすくめた。

 が…


「遅くなりました。このたびは、こちらから伺わなくてはならないのに…大変失礼を…」


 さくらさんが、親父さんと部屋に入って来て。


「…父さんが帰ったって、どうして分かったの?」


 俺に並んださくらさんに、知花が問いかけると。


「え?門を開ける音がしたじゃない。」


「……」


 俺と知花は、無言で顔を見合わせた。

 門からここまで、200m以上あるんだけどな。

 それが聞こえたとなると…

 動物並みだ。



「いや、もう…千里がこんな由緒正しいお宅でやっていけるかと心配で…」


 怒り心頭で乗り込んで来たじーさんは、膝に双子を乗せて満足そうに笑った。


「…あいつらに感謝だな…」


 知花に言うと。


「…水族館より先に、おじいさまに会いに行かなきゃいけなかったよね…」


 知花は反省の顔。


「仕方ねーじゃん…超特別なペンギンショーが昨日までだったんだから。」


「…でも二人とも寝ちゃってた…」


「……」


 俺と知花は、廊下に並んで座って。


「挨拶が遅れてすみませんでした。」


 同時に頭を下げた。


「…知花さん。」


「…はい…」


「…可愛い曾孫を…ありがとう。」


「……」


 知花が、ゆっくり顔を上げる。


「たまには、うちにも遊びに来て下さい。」


「…は…はいっ…ありがとうございま」


 ごんっ。


「あたっ…」


 知花が、勢いよく床に頭をぶつけて。


「かーしゃん!!」


「かーしゃん!!」


 子供達が、知花に駆け寄る。


「いちゃい?しゃく、よちよちしゆよ?」


 咲華に額を撫でられる知花を、じーさんは優しい目で見てくれてる。


「…じーさん。」


「なんだ。」


「…長生きしてくれよ。」


「…ふっ。おまえに言われんでも、そうするつもりだ。」



 結局、その後宴会が行われて。

 じーさんは篠田をタクシー代わりに呼んで。


「おまえもご馳走になれ。」


 子供達を両手に自慢そうに言うじーさんを見た、篠田は…


「坊ちゃま、わたくし、もう…もう…‼︎」


 帰り間際まで…涙を止められなかった。



 〇桐生院貴司


「さくら。」


 私は…意を決して、さくらと話し合う事にした。



 知花が千里君と復縁して…

 さらには、千里君が桐生院家に婿入りまでしてくれた。

 跡取りは誓だとしても、それはとても嬉しい事だった。


 娘の幸せを、間近で見れるのは…この上ない贅沢だ。



「子供の事なんだが…」


 しばらく、この話は避けていたが…

 華音と咲華を愛しそうに抱きしめるさくらを見ていると…

 可哀想だが、諦めてもらうしかない。

 そう思えて、ちゃんと話す事にした。



「…なあに?」


 さくらは私の前に正座して、あどけない顔をした。


「…病院に行って来た」


「…病院?」


「私は…本当にセックスができなくてね。」


「……」


「だから…申し訳ないが、さくらとも…ダメなんだ。」


 さくらは…無表情で私を見ていた。

 驚きも、悲しみもせず。


「精神科に行ってみた。」


 これは…本当だ。

 精神科に行って、自分の心の内…全てを話してみた。

 色々話している内に、気付いた事がいくつかあった。

 そして、それに酷く納得した。


 私は…マザコンだ。

 血の繋がりのない母を、心の底から愛している。

 突然やって来た私を、大事に育ててくれた。

 そして…昔からずっと、今も…味方で居てくれる。



 男女の愛とは違うが…

 私の、母への愛は…何よりも深い。

 そして、その愛深さゆえに…自分の存在を呪っている。

 父が愛人と寝て出来た自分を…呪っている。



 大事な人は傷付けたくない。

 そう思えば思うほど…

 私は、性の対象がその人物からかけ離れてしまう。

 第三者との行為が父と同じであるはずなのに…



「…人工授精は…ダメなの?」


 さくらは、諦めなかった。


「それは…」


 高原さんにも断られた今、それは…


「あたし…お義母さんが元気な内に…一緒に子育てしたいって思って…」


 さくらから、意外な言葉が出て来て。

 私は…無言になる。


「そりゃあ…ノン君もサクちゃんもいて…もしかしたら、知花がまだ何人か産むかもしれないから、お義母さん…こりごりって思うかもしれないけど…」


「……」


「あたし…お義母さんの事、本当の母親だって思ってて…」


「さくら…」


「知花を育てられなかったあてつけとかじゃないのよ?」


「…ああ…」


「ただ…ノン君とサクちゃんをあやしてるお義母さんを見たら…幸せそうで…嬉しくなっちゃって…」


「……」


「一緒に、育てたいなあって…」


「さくら…」


 感激して…泣きそうになった。

 だが、こんな時でも…私はさくらを抱きしめられない。

 ゆっくりとさくらに手を伸ばして…頭を撫でた。


「…本当に…すまない…」


「…ダメなの…?」


「…病院に…相談に行ってみるよ…」


「貴司さん…」


 さくらは少し笑顔になったが、それをすぐに引っ込めて。


「でも…ストレスになるようだったら…諦めるから…」


 真顔で言った。


「…分かったよ。ありがとう。」



 さくらの期待に応えたい。

 だが…私には精子がない。


 …もう、私に頼れるのは…高原さんしかいない。



 こうなったら…脅迫だと言われても仕方ない…

 あの事実を…



 突き付けるまでだ…。



 〇高原夏希


「何なのよ!!あたしが何をしたって言うのよ!!」


 今日も…周子は暴れた。

 カウンセラーと会うまでは落ち着いていたが…

 世間話をしていただけのはずが、カウンセラーの『今日は何をして過ごされてましたか?』の一言で…キレた。


 最近は…何がキッカケでそうなるのかも分からない。



「夏希、あの子はどこ?」


「…周子、誰の事を言ってるんだ。」


「あの小娘よ!!」


「小娘なんていない。俺はずっとおまえのそばにいるじゃないか。」


「…嘘よ…」


 叫んだと思えば…泣き崩れる…

 俺は周子の肩を抱き寄せて。


「…天気もいいし、少し散歩でもしながら話そう。」


 そう言いながら目配せすると、カウンセラーは小さく頷いた。



 周子を車椅子に乗せて、ゆっくりと庭を散歩する。

 俺達の少し後には、カウンセラー。

 もう…幾度となく繰り返す日常となった。



「あら…いやだわ…あたし、指輪を失くしてしまったみたい…」


 周子が自分の指を見て、悲しそうな顔を俺に見せた。


「違うよ。ここに俺が持ってる。」


 俺は、ネックレスに通した周子の指輪を胸元から出して見せた。


「どうして夏希が…?」


「ははっ。忘れたのか?金属アレルギーで、湿疹が出て大変だったじゃないか。」


「…そうだったかしら…」


 周子に金属アレルギーはない。

 だが…ヒステリーを起こして指輪を飲み込んでしまおうとした事があって…

 オシャレを楽しめた時期もあったが…今の周子は、アクセサリーの一つも持つことを許されない。



「大丈夫。調子がよくなった時には、これはちゃんと周子の薬指に返すよ。」


「…待ち遠しいわ…」


 そう言って、周子が俺の薬指を触る。

 そこには…周子の物と同じ指輪。


 生まれて初めて…指輪をつけた。

 結婚なんて、夢にも見なかった俺が…さくらとのそれを叶えたくて…破れて…

 …諦めや義務だとしても、これで良かったんだ。

 そう言い聞かせるように…指輪をつけた。



「…周子。」


 俺は、周子の前に回り込んで…目を見る。


「いつも、何か不安なんだろうな。それは俺のせいだって分かる。でも俺は、今…周子の夫だ。」


「…夏希…」


「頼むから…他の誰かの事を気に掛けるんじゃなくて…周子自身の事と、俺の事、そして…瞳の事を考えててくれないか?」


 周子の手を握って、そう言うと。


「…愛してる?」


 周子は…最近にない、穏やかな目と声で言った。


「ああ…愛してるよ。」


 愛してる…



 周子に罪悪感がないわけじゃない。

 だが…この頃の俺を奮い立たせていたのは…

 消える事なくくすぶり続けていた、さくらへの気持ちだった。


 誰かのものになっても…



 愛してる…




 さくら。


 おまえだけを…

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