第3話 雨の日の卒業式

 よかった。本当に。


「まだ水道通っていてラッキーだな」

「ほんと今のうちに忍び込んでラッキーね」


 水道を止めて、手をハンカチで拭きながら先を進む。

 君島が入ったときもそうであったが、教室の鍵はしまっていないようだ。管理がしっかりしていないとうのか、ここはやっぱり小さな私たちを閉じ込めるだけの入れ物だと認識してしまう。


「真田は今は大学生か」

「うん」

「やっぱり国立大とか有名大とかかだろうな。俺そこまで頭よくないから、もう働いている」


 袖をまくると、昔は私と変わらないぐらいの細腕でなく、ゴツゴツと樹木のような筋肉質の腕が現れた。そしてそれを見せびらかすように、アピールする。


 変わらないな君島は。

 でも私は知っている。


 君島の家は大学に行けるほどのお金がないことを。四年も学生をしていられる時間もないことを。

 だからあの言葉が私を弾丸に変えた。

 二階の奥の角を曲がると、一本道の廊下が文字通り暗黒の空間になっていた。教室と教室に挟まれ外の窓が一枚もなく、昔から昼でも薄暗い廊下だった。


「相変わらずだなここの廊下」

「うん。暗いね」


 目の前の暗黒空間を前に手を握り締めると、中で震えだした。あの中に入ると二度と出てこられないような不安が襲ってくる。

 君島が携帯を取り出すと暗黒の廊下に一筋の光が貫いた。


「携帯持ってきてないのか?」

「うん」

「俺が前行くから」


 君島が私の手を引っ張り、道を切り開く。今の状況なら優等生は君島かもしれない。


「あれ、本当にあるのかよ」

「うん。卒業式の時に隠していたのがこの先にだから」

「でもあれを隠してから五年も経っているんだぞ。もう残っていないかも」


 君島の疑念に私は絶対にあるとは口にしなかった。でもあると信じたかった。学校最後の日に優等生という従順な人形でいた私が、弾丸になった証の薬莢を。

 体育館への扉。ドアノブに触れると冷たく押しつぶされる威圧感が伝わってくる。どうか、あれが残っていますように……

 重たい扉を開けた。


 重たい扉を開けた。

 入る前に外の雨音を抜き分けて聞こえていた泣きくすぶる声に今入っていいのかと戸惑いながらも、私は保健室に入った。

 冷たく凍えるようだった教室や廊下と違い保健室は家似いるとき同じぐらいの温かさに保たれている。いつもはベッドが一つや二つ、カーテンが閉められているかけが人がソファーに座っているのだけど、今日はベッド一つを除いて誰もいない。


「誰だ……?」


 カーテンが開かれると、青い顔をした君島が保健室のベッドに包まりながら出てきた。


「真田だよ」


 私だと告げると普段の調子のいい感じが影をひそめバツが悪そうに沈黙する。


「みっともないよな。せっかくの卒業式の土壇場で腹痛で保健室行きだなんて」


 君島がしているのをみかねて、隣のベッドにもぐりこんだ。


「でも、卒業式は高校と大学がまだあるでしょ」

「ドライだな真田、中学の卒業式は一生に一度の今日だけ、みんなと会えるのも今日が最後だから最後の思い出を分かち合いたい。それに俺は高校までしか卒業式が体験できない。俺んち大学に行かせるほどの金も時間もないから。もしかすると卒業したらすぐに働くかもしんない」


 今度は私が黙った。私にとってここは大人になるまでの通過点でしか考えてなかった。高校も大学も当然のように通うのだと思っていた。でも君島は違う、あと一回も卒業式を体験できるか怪しい立場にいる。彼とってはそれが当然だ。だから今でしかできないことを、子供という弾丸をめいいっぱい放つ。優等生は恵まれている。

 突然ドアが開く音がすると、担任の先生が入ってきた。


「真田、君島返事できるか」


 私は「はい」と返事するが君島のベッドからは無言が返ってきた。先生は目線を私から君島の方に外の冷気より冷ややかな視線を向けると一つため息をついた。


「卒業証書は卒業式終わったあとで渡しておくから。仮病でないなら職員室に来い」


 最後に君島に向けた言葉のように言い残すと先生は保健室から出ていった。


「あはは……俺仮病だと疑われいるみたいだな。誰が好きで卒業式に仮病なんか使うっての」


 布団を被った君島が力なく答える。でもその声は今にも泣きそうなものだった。

 奥でズキンと痛みが走った。私の体が変形するような痛みが襲ってきた。

 嫌な痛みじゃない、何もしない方がずっと痛い。私は君島に声をかけた。

「ねえ君島。お願いがあるんだ」


 私は約束した。


 私は約束した。

 あの卒業式の日に交わしたことを。

 薄っすらとほこりの絨毯が積もっている体育館を縦断し、壇上の前へと歩いていく。壇上の前の手動で開く鍵を開けると、卒業式などに使うパイプ椅子が入れられた台車が顔を出した。

 君島と一緒に重たい台車を抜きだすと、君島の携帯を借りて引き抜いた後の空洞に足を入れる。

 卒業式の前に手伝った時に他の生徒からある話を耳にしたことがある。この中に物を隠しておけば誰も気づかれないからタイムカプセルみたいに保管できるのではと。

 卒業式に本当に仮病を使ったのは私の方なのに、先生は疑いもせず病気だと信じた。初めて私はずるい欠席をした。


 あの日私は弾丸となった。君島と最後に一緒に居たいために卒業式を休んだ。


 すぅっとほこり混じりの空気を吸い込みながら廊下よりも深い闇の中を探す。そしてそれはあった。黒い色が見つからないようカモフラージュされて二本仲良く転がっていた。それを取って出ていく。


「よく残っていたな卒業証書」


 卒業式が終わった後、私は職員室で君島の卒業証書を受け取ると壇上の奥に隠した。優等生の私が来ても先生たちは何も疑いもせず通してくれた。まさか卒業証書を隠すために体育館に堂々と忍び込むだなんて、従順な人形が反逆するだなんて夢にも思わなかっただろう。

 ほこりだらけの卒業証書が入った筒を払いながら君島に手渡す。


「それで、やることって終わり?」


 こくりと縦に首を動かした。

 すると君島はぷっと笑うと私の頭を払った。頭からほこりがはらりと落ちた。


「夜中に忍び込んで頭にほこり被せてまで卒業証書を取りに来ただけとか笑えるだろ」


 そう、優等生の私ができることはせいぜいここまで。人形だったものから即席でつくった貧相な弾丸でこのミニチュアは壊せない。

 でも。


「でもこんなこと一生に一度しか体験できないでしょ」

「違いない。もうちょっと遊んでいようぜ。給食室に忍び込んだりさ」

「食べ物回収しているかもよ」

「なら音楽室。夜にピアノ弾いて、音楽室のゆうれいとか噂流してさ。机を動かして床にゴロンと寝転がるのもいいな。手洗い場でプールとかも」


 君島が変わらないいたずら気な表情を嬉々として、いけない遊びがポコポコ口からあふれ出てくる。

 でもこれを待っていた。こういういけない遊びを私は待っていた。

 優等生には優等生でしかできないことを。いたずらっ子にはいたずらっ子にしかできないことを。


 今晩だけ、この大きなミニチュアセットで遊ぶんだ。

 私たちの遊びに口出しする人は出てこない。人形たちを動かしていた人たちが捨てたものをおもちゃのチャチャチャのように人形だけの遊び場だ。

 ほら君島、もっと何かしよう。何かで遊ぼう。あなたならきっと遊び弾丸が出るでしょ。


 学生ででできなかったことをしよう。

 今だけは学校が愛おしい。

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人形だったものたちの遊び場 チクチクネズミ @tikutikumouse

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