序章 世界を
世界
水無月留美が部屋の扉を開けて数ヶ月がたとうとしている。
変化は緩やかだが確実に起こっていた。
自分はほんのちょっとの勇気で、足を前に出しただけだった。
変わったのは自分だけじゃない。変わってくれたのはいま、友だち呼べるみんなだった。
今では無事に通学を再開して、友だちもできた。
今更と心変わりができない生徒もいた。イジメこそなくなったが、決して自分と関わらないように、わざと避ける生徒もまだいる。
それでも構わなかった。
学校生活に楽しさを感じることができたのだから。
そしてもう一つ。
「じゃあね相良さん!」
「まった明日ねー!」
屈託のない笑顔を送ってくれる一番の親友である相良理恵子に手を振って、不安とは違う道を進み出す。
住宅街を抜けて駅構内を通り抜けてさらに進む。それはいつもとは違う帰り道。駅まではたくさんいた同じ制服の少年少女の姿は今はない。人や車の通りは激しいが、それもだんだん少なくなっていく。けれども不安ではない。
やがて進行方向の先に大きな建物が見えてきた。大きな敷地に大きな建物。
一旦は少なくなった車の行き交いが増える。建物のある敷地に入る車に出て行く車。車の種類もそれまでとは違う。そこは病院。
最初は、まだ悪夢を見ているのかと思った夢がある。
誰かの悲鳴。助手席側が潰された車。情報はそれだけの、夢。
しかしそれがきっかけで思い出したこともあった。何年か前に市内で悲惨な事故があって、被害者の少年は意識が戻らないまま病院で眠っていると。
その病院に留美はやってきた。
やってきたのはいいのだが。
「どんな御用でしょうか?」
受付のお姉さんを前に留美は固まっていた。
新聞で調べられた限りではここの病院にいるはず。しかしそれからどこかに移った可能性もある。
そもそももう。
嫌な考えを捨てるように頭を振る。
「あ、あの」
手をギュっと握って勇気を振り絞る。
「こ……ここに入院している人の御見舞いに来たんですが」
「水無月さん……でしたよね」
清潔に保たれた病棟の廊下を留美と大人の女性が並んで歩く。
「良かったわ。最近……あの子も一人ぼっちだったから」
「はぁ……」
面会謝絶というわけではなかったが、受付の女性にどういった関係なのかを聞かれて、答えに詰まっていた留美に声をかけてくれたのがこの女性。
「でもあの子も隅に置けないわね。メール友達にこんな可愛い子がいたなんて」
うふふと笑みを浮かべる女性の横で顔を赤くする。
「か、可愛いなんてそんな……」
「あの子も喜ぶんじゃないかしら」
「でも……来るのが遅れたから……」
一歩2歩と進んで、並んで歩いていたはずの女性が隣からいなくなったことに気づいて足を止める。振り返ると立ち止まっている女性。
首を振って
「ううん。そんなことはないですよ」
優しい笑顔を浮かべて
「来てくれたってだけで、それだけであの子も喜ぶから」
母親の笑顔を浮かべて。
胸の鼓動が抑えきれない。
一緒にここまで来てくれた女性は、ナースに呼ばれて行ってしまった。
ここまではついてきてくれたのだから間違いはないはずなのに、それなのに病室のネームプレートに書かれている名前を何度も確認して、ノックする。
返事はない。当たり前だった。
ドアを横にスライドさせて部屋の中に入る。
部屋は小さいながらも個室で、ベッドが1つだけ置かれていた。
そこに
「初めまして、ですね。玲さん」
ベッドの上に秋山玲が静かに眠っていた。
腕や頭部にいくつも管が付けられていて、心電図は強くもなく弱くもない波がずっと映しだされている。
「そうやって……ずっと夢を見ていたんですね。
私だけじゃない。いろんな人の夢を……ずっと」
呼吸は正常。肌の血色は悪かったが、いつ目を開けてもおかしくないとそう思えてしまう。
ベッドのそばまで移動して、イスに腰掛けてそっと、彼の頬に触れる。温かい。それが彼が眠っている証。夢を見ている証。
「ありがとうございました。私こうして……始めることができましたよ」
声が震える。我慢をしようと思っていたのに。
「頑張って……私は……私のエンドロールを止めることができましたよ」
どうしても我慢ができなかった。
玲が眠っているベッドのシーツを強くつかむ。
「玲さんのエンドロールはいつ、止まってくれるんですか?」
止めることのできない涙が頬を伝って、シーツへと落ちていく。
声は揺れて嗚咽が漏れる。
「私に」
イスから立ち上がって膝を折り、顔を近づけて――
「おはようって言わせてください」
唇をそっと離した。
「いつまで、眠っているんですか……」
誰かへの挨拶の言葉が、少女へと届けられた。
これが私のエンドロール 桐生細目 @hosome07
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