5章 2

 無事に購入できたパンを校舎中庭のベンチで食す留美は、同じベンチに座っている玲の事を気にしながら、彼から話しかけてくる話にうなづいていた。


 具体的にどんな会話をしていたかは覚えていなかった。食事の時間なのに緊張が先走ってしまい、時折パンが喉を通らずに紙パックの野菜ジュースで無理やり押し込む始末。そして恥ずかしいところを見せてしまった思い出、顔は終始赤く染まっていた。

 少しだけ、楽しかった。


 そんな思いも午後の授業が始まると吹き飛んでしまう。頭部や体に投げつけられる丸めた紙は、それ自体は大して痛いものではなく気にしないでいられた。そのまま教師も見て見ぬふりをしてくれればよかったのに、実際に見て見ぬふりをしたのはそれを誰がしたかのところだけだった。

 言われもない罪を言い渡されて、仕方なく机の周りに散らばっている紙を拾い集めていた。

 昨日までは。


「あー、すみません先生。それやったのボクなんですよ」

 教室内がざわつく。

「なに? 秋山、お前の仕業なのか?」

「えぇ、どうも黒板の文字の書き写しがうまくいかなかったので破いて捨てていたんですよ。まさか水無月さんのところまで飛んでいたとは……ごめんなさい水無月さん」

 椅子から立ち上がって彼女に頭を下げる。

「……ちゃんと片づけをしておくようにな」

 教師はただ淡々と玲へと命令を下す。


  一方の、実際に紙を投げつけた人物たちは。

 今朝の出来事は何かの間違いだと思っていた。昼休みの時はまだ見逃すことができた。しかし仏の顔も三度まで。少年の背中には突き刺さるような視線がいくつも飛ばされているが、当の本人は涼しい顔。素早い動作で留美の机の周りに散らばっている紙くずを拾い上げて、自分の席へと帰っていく。机の周りが綺麗になってしかし、留美の心はもやもやがかかったまま。自分へと飛ばされていた視線が彼の元へと飛ばされているのが理解できた。


 授業中に先生に指名されて立ち上がって、答えがあっていてもいなくてもくすくす聞こえる笑い声がなくなっても、視線の端で玲の机へと紙くずが飛ばされているのを見てしまっては嬉しくも思えない。

 放課後になって玲を教室の外へと呼び出して

「私に関わってもろくなことがないとわかったでしょう。

 お願いですからもう関わらないでください」

 頭を下げてそう伝える。

 玲になにか言わせる前に背中を向けて急ぎ足で教室へと戻って、帰りの支度を仕上げて早歩きで帰路へとつく。校舎を出て校門をくぐって、振り返って誰も追いかけてきていないことに安堵の溜息。


 すこし歩く速度を抑えて他の生徒の帰宅の波に混じって、家を目指した。

 これでいいんです。私一人が空気になれば、それでいいんです。


「おっはよう、水無月さん」

 教室へとたどり着いた私を待っていたのは秋山さんからの挨拶だった。

 踏み出した足が動きを止めて、彼に挨拶をするわけでもなくすぐに自分の席へと向かう。どうして関わるの? その気持は口には出さない。無視をすればいい。無視をすれば関わらなければそのうちに彼も無視をしてくれるはず。私に関わってもなんの特もない。それどころか不利益ばかりがまとわりつく。

 私はもう、諦めているから。


「今日も一緒にご飯食べませんか?」

 そう誘われないために早め早めの行動を心がけているのに、なぜか彼はそれよりも一歩早く私の進路上に現れる。もしかしたら片づけなどを後回しにして来ているのかもしれないけど、それが正解なのかどうかには興味はない。


 ひたすら無視をして廊下を進む。すぐ後ろに足音が聞こえるけど気にしない。

 いつものように人で溢れかえっている購買コーナー前で足を止めて、入りやすそうな場所を見つけていざ突入。私みたいな小柄な女子ではなかなか前に進めず、欲しいパンがあっても辿り着くころにはめぼしいものは無くなって

「これ、好きなんだよね?」

 私の目の前にクリームパンが差し出された。

「買っておいたよ」

 そう言って笑顔を見せてくる秋山くんに、私は顔を背けてみたけれども……。

 クリームパンの魅力にはかなわなかった。


 そんな我儘が許されるはずがないことを彼女は知っている。

 こうして玲と一緒にいて話していればいるほどに、それまで自分へと向けられていたイジメの矛先が玲へも向けられる。

 自分の負担は少なくなるだろうが、彼女はそれを良しとは思わない。


 放課後になっていつもは急いで帰りの支度をする彼女が、今日はゆっくりとしていた。いろいろあって彼女は机の中になにも残さないようにしていつも帰宅している。忘れ物はないかと念入りに調べて、ないことを確認するとイスから立ち上がって教室後方から出て行く。すると早速そこには玲の姿があった。

 ため息を吐いて避けて通ろうとすると彼も移動して再び進路上へ。

 振り返って、反対側の階段から降りることもできたが、どうせ無駄だろうと

「私、一人で帰りたいのですが」

 正面から話しかける。

「アナタがどんな思いで私につきまとっているかはわかりませんが、私は一人でいたいのです」

 もう我慢の限界だった。

「いい加減気づいてくれませんか。私はアナタに迷惑をしているんです」

 思いの丈をぶちまける。

「私にどんな見返りを求めているのかは知りませんが、関わってもなんの得もないことにそろそろ気づいてくれませんか?

 それともなんですか?

 この一連の行動はなにかの罰ゲームで私がなにを言おうともつきまとうつもりなのですか?」

 ぶちまけるのに場所なんて関係ない。いや、人の目があるのならそれはそれでいい。聞いてくれる人が多い方がいい。


「アナタのエゴで私に近付かないでください。私と、アナタは、なんの関わりもないクラスメイトという共通点しかない間柄なんですから」


 言い放つ。それでよかったのだ。これで玲も留美へ嫌がらせをしている一人でしかない。そう認識させることが重要。言い放って彼女は視線を下にむけて玲を避けて廊下を進みだす。後を追いかけてくる様子がないのでそのまま、学校を後にした。

 これで、いいんだと心に刻みつける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る