3章 11
「学園の外で一緒に買物、ですか?」
食べ始めて少しした頃から学食内に人以外にも人が増えてきた。騒がしくなってきてことりと談笑しながら食べていた留美は、離れた席の玲と理恵子の会話が聴きにくくなったことに、しかし自分には関係のないことだとあえて気にしないようにしていた。そんな中で聞こえてきた玲の言葉に、口にしていたうどん定食のうどんを啜る手が止まる。
「えぇ、明日はどうでしょう? 一緒に見ていただきたい衣装があるんですよ」
「ボクが見ても、ボク自身服は疎いのでなにも言えないですけど、それでもいいんですか?」
「それでもいいのですよ。一緒に見ていただけるだけで、いいのですよ」
「ど、どうしましょ……あっ、なら留美さんたちも一緒ってのはどうです? あの二人ならボクよりも詳しいでしょうし……あれ? どうしました理恵子さん?
なにかボクおかしな事言いましたか?」
「いえ、なんでもありませんわ。
そうですね。玲さんがそう仰られるのであれば、あの二人にご動向願ってもよろしいですかね」
ここで目尻に涙をためながらキッと、離れた席の留美とことりに睨むように視線を送るのだが、二人共耳を傾けていたが視線は目の前の食事に向けられていて気がつかなかった。
「ってことみたいですけど、留美お姉さまはどうします?
ことりは折角のお誘いですし、行こうと思いますけど」
日替わり定食Cを順調に減らしながら訊ねると、彼女は一度だけ玲の方へと振り向いて、すぐに目の前のうどんを見下ろしてこう答えた。
「私は……」
学園の敷地内で寮と学校の往復を主としていた玲にとって、学園の敷地の外に出るのは初めてのこと。かと言ってあまり騒ぎすぎてもおかしなことなので、胸の鼓動を抑えつつ正面玄関口から外へとまずは徒歩で出る。
「せっかくですから、街までは徒歩で行きませんか?」
理恵子の提案にことりも頷いて
「そうですねー。そう遠くないですし、みんなで一緒に歩くのも楽しそうですね」
「そうだね」
遠くないと言われても街までの距離も街自体も知らない玲だったが、無難に同意をしておく。
「では参りましょう」
敷地を出ると学園の敷地の塀と並行するように道路が敷かれていた。歩道も完備されていて車も2台すれ違いがゆったり出来る広さの道路だ。と言ってもこの道路は学園を利用する人しか使わないので、今は一台も走っていない。
学校の敷地を囲む塀のさらに向こうにはどんな光景が広がっているのだろうと、多少期待しつつ目のあたりにしたのは壁だった。塀から歩道、道路を挟んで歩道があってその向こうは壁。背の高い壁に左右を囲まれながら3人は歩き続ける。
歩道をそのまま進むと巨大な鉄骨が見えてきた。見上げても全貌が見渡せないほどに巨大な鉄骨だ。
「どうされましたか? 上へ参りましょう」
見上げていた玲へ、先に鉄骨に付属している階段を上がり始めた理恵子が声をかける。その階段もまた幾段も幾段もある、どこまで続いているのか考えるだけで気が滅入りそうな階段だった。
上がり切るころには玲の息が切れていたが、一緒に上がったはずの理恵子とことりが疲れた顔一つとしてしていないので、わざとらしく咳をしながら急いで息を整える。
それから
「うわぁ」
不意に感嘆の声を漏らした。
鉄骨の頂上からはこれまた巨大な線路が伸びていた。線路とそれを支える支柱が、霧で見えない地表へと伸びていく。
振り返って学園を見下ろすと、こちらも感嘆の声が漏れた。
浮島のように学園が根を這っている大地は霧の中で浮いていた。
大地の見当たらない世界、それがこの世界だった。
見回してみると同じような作りの大地があちこちに点在していた。それらをつないでいるのはいま玲たちが足場にしている巨大な線路。ただどの線路もレールの上を走る電車の姿はない。先ほどの理恵子のセリフからだと徒歩以外の交通手段もあるようだったが、各大地を繋いでいるのは、改めて見回してみても線路しか無かった。
「留美さんの夢にしてはおとなしい世界だとは思っていましたけど、そんなことはない。
ある意味他と変わらない世界のようで……」
「留美お姉さまがどうかされましたか?」
中途半端につぶやきを聞かれてことりが顔を近づけてくる。
「い、いいや、なんでもないよ」
慌ててそう答えると
「そうですか? でも残念ですよね。留美お姉さまも一緒に来ればよかったのに」
線路の上を歩き出す人数は3人。理恵子を先頭にことりと玲が足を進めだす。
ここには、留美の姿はなかった。
一人部屋の中で、ベッドの上で、留美は膝を抱えて座り込んでいた。
カーテンを閉めきって電気も付けず、薄暗い部屋の中で彼女は後悔をしていた。誘われたのに一緒に街まで買物に行かなかったことをか。
違った。それもあったがそれだけではない。
羨ましかった。
感情のままに玲に接する、理恵子とことりが。なら自分もそうすればいいんじゃないか?
心の中で自分が自分へと話しかけてくる。もっと心をオープンにして、欲望のままに玲に接すれば、なにか変わるかもしれない。
そのために自分は会う機会を減らさないために休日を潰してきたじゃないか。いろんな場所で近づこうと努力してきたじゃないか。
「でも!」
なにも変わらないかもしれない。いやもっと悪くなる可能性だって含まれている。だから、と、抱えていた膝を強く抱きしめる。今のままだったらそんな心配は無い。
恐れることはない。進まなければなにも変わらない。
今のままで、いい。
「本当にそう思っているのかな?」
急に声をかけられて彼女は目を見開いた。
同時に室内が明るくなってまた目を閉じる。誰が声をかけてきたのかはすぐにわかった。
「……どうして? みんなで一緒に街へ行ったんじゃなかったんですか?」
「やっぱりね」
答えが聞けなくても声で誰かは完全にわかっている。
「ずっとここにいたんだ」
「……え?」
ようやく目が慣れてきて薄めを開くと、思ったとおり部屋の中に玲の姿。浮かべている表情は、少々呆れた色。
「もう夜だよ。街へ行って買い物をして帰ってきて、電気がついていない上にロックもされていなかったから勝手に入ったけど、不用心じゃないかな?」
「大丈夫、です」
なにが大丈夫なのかわからなかったが
「でも留美さんは大丈夫じゃないみたいだね」
電気が付けられて室内が明るくなったからだろう。彼女の沈んだ表情までが明るみになってしまった。
「留美さんも一緒に行けばよかったのに」
「それは……できない」
「なんで?」
「……」
「怖いから?」
少しだけ彼女の方が震える。
「前に進むことを恐れちゃいけないよ。自分の気持を抑え続けるのも良くないよ。怖いのなら言ってくれればいい。ボクが背中を押してあげるよ」
「無理」
「無理なんかじゃない。やろうと思えば誰だってできるよ」
「違う」
「違わないよ。誰だって前に進むことはできる」
「なにもわかっていないんですよ」
背中をゾクリをさせる。明確に脳裏に言葉が浮かんでくる。
早すぎた、なにもかもが早すぎた。でも、後悔するには遅すぎた。
部屋の四方の壁に亀裂が走る。
「玲さん、アナタは……」
壁が壊れ世界が壊れていく。日中に登った鉄骨が何日もお世話になった校舎が壊れていく。足元も崩れて平衡感覚のおかげでなんとか立ち続ける。
やがて視界が眩しく光り始めて
「アナタはなにもわかっていないんです」
光はやがて収縮を始めて、視界も戻ってくる。そこは
「ここは……」
見慣れた場所だった。
それは玲にとっても留美にとっても。見慣れた校舎見慣れた教室。
ただし、いるのは彼と彼女だけ。
この学校の制服を身にまとって、彼女は黒板の前で涙を溜めながらこう告げた。
「頑張って、勇気を振り絞ってそれで……なにが変わるっていうんですか?」
授業開始のベルが鳴った。
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