第十七話 一筋の涙

 ベラトリックスが叫び声とともに飛びヒザ蹴りを放ってきた。


「はあっ!」

 だが、私の放ったハイキックが彼女の側頭部に直撃し、宙を舞った。

「ぐあっ!」

 ベラトリックスは地面に落下し、大の字に倒れた。


「ぐうっ……」

 だが、上半身を起こして立ち上がろうとしている。こいつ、不死身なのか……

 私が構えをとったその時、

「かはっ……」

 ベラトリックスが再び倒れた。そして、その顔から戦意が喪失していた。


「ふうっ……」

 私は大きく息をついた。

「へへへ……強えーなお前」

 ベラトリックスは目を閉じて笑っていた。

「あたしの負けだ借宿。もう立てねーから好きにしろ」

「これ以上何もする気ないです。私も立ってんのがやっとですから」

「ちっ、余計な情けかけやがって……」


 ようやく戦いが終わった。かなり苦戦したが、これで泉を解放してもらえる。

 そう考えていると、

「ベラトリックスさん!」

「しっかりして下さい!」

 スケバン達が倒れているベラトリックスに駆け寄ってきた。


「すまねーなお前ら、負けちまったよ。もうこれからあたしのことさん付けで呼ばなくていいし、敬語使う必要もねーぞ」

 ベラトリックスがそう言うと、一人のスケバンがベラトリックスに肩を貸して立ち上がらせた。

「何言ってんすか、例え負けてもウチらのボスはベラトリックスさんしかいねーっすよ!」

 そう言ってベラトリックスの制服に付いた砂を払った。まわりのスケバン達も大きく頷きながら、

「そうっす!」

「これからもついていきます!」

 と口々に叫びながらベラトリックスを囲んだ。

「お前ら……」

 彼女の頬を一筋の涙が伝った。



「お疲れ紅葉」

 ベラトリックス達を遠目から眺めていると、箕輪がハンカチを差し出してきた。

「いいよ、汚れちまうから」

「いいから」

 そう言いながら箕輪が私の血を拭いてくれた。


「ありがとう。あ、そういえば泉は?」

「そこで寝てるよ」

 箕輪が笑いながら指差した方を見ると、泉がいびきをかいて寝ていた。相変わらず派手なヒョウ柄パンツをはいている。

「何で寝てんだっぺ」

 私があきれながら箕輪に尋ねると、

「紅葉がヒザ蹴りくらって倒れたのがショックだったのか、気絶しちったみたい。んでそのまま寝ちまったんだっぺ」

 箕輪が笑いをこらえながら言った。

 この馬鹿女め、人が死ぬ気で戦ってたのに呑気に寝てんじゃねーよ! 

 と、言いたいとこだが、寝顔が可愛いので許すことにした。



「ほら泉、起きて。もう終わったから教室に戻るよ!」

「ぐがー」

 箕輪が泉を起こそうと体を揺さぶっていると、

「迷惑掛けたな借宿」

 ベラトリックスが私の方へと歩み寄り、謝罪の言葉をかけてきた。

 改めて見ると本当に可愛い顔をしている。このキュートな女性が鬼のようなヒザ蹴りを放ってくるとは誰も想像出来ないだろう。


「いえ、こちらこそ。うちの舎弟が手を出したのが発端なので……悪気が無いとは言え、本当に申し訳ありませんでした」

 私も深々と頭を下げた。元はと言えば泉がベラトリックスの配下にビンタを食らわしたのが原因でここまでの大事になってしまったのだ。


「まあこれでスッキリしたぜ。お前が本物だってのも分かったしな」

「そんなことないです。それに昨日も言いましたけど私は喧嘩が好きじゃないし、今回も泉を助ける為にタイマンしただけです」

「仲間の為にか……熱いなお前」

 ベラトリックスが腕組みをしながら頷いた。

 やはり彼女はリゲルとは違い筋が通った人間のようだ。仲間達から慕われているのも分かる気がする。


「だがな借宿……」

 と、急に彼女は表情を強張らせた。


「お前が考えてるほどホコミナは甘くねーぞ」

「どういう意味ですか?」

「リゲルがやられ、あたしも負けた。となれば必ずあいつが動き出してくる」

「ベテルギウス……」

 隣にいた箕輪がつぶやいた。

「そうだ、オリオン三巨星最大の巨人ベテルギウスだ。あいつの馬鹿力はマジでやべーぞ」

 獣巨人ベテルギウス……以前泉から聞いた話は化物じみたものばかりだった。

 リゲルとベラトリックスが倒された今、私を狙ってくるのは間違いない。


「さすがのお前も奴らと戦うには仲間が少なすぎる。だからあたしらの軍団と連合を組んでベテルギウスに対抗すんだよ。お前の仲間を守る為にもそうする必要がある」

「私の仲間を守る為……」

 私は箕輪と泉のほうを振り返った。箕輪が不安そうな顔でこちらを見ている。

 確かにベラトリックスと連合を組めば箕輪や泉を守ってもらえる。


 だが……彼女と連合を組むということは、完全にテッペン争いへの参戦を意味している。ということは、死の女神ガイアとも拳を交える可能性がある……


「……少し考えさせて下さい」

「そうか……まあお前の意思次第だからな、強制はしない。ただ、ゆっくり考えてる時間はねーぞ」

「分かってます」

「んじゃ、あたしは行くわ。明日の朝、答えを聞かせてもらうぜ」

 そう言うとベラトリックスは私に背を向けた。

 と思ったらまた私の方を振り返り、

「そういや名前言ってなかったな。あたしの名前は青山 子生あおやま こなじっつーんだわ。よろしく」

 と手を上げると仲間達を引き連れ、去って行った。


 私はその姿をずっと見つめていた。


「紅葉……」

 気付くと箕輪が私の手を握っていた。私の気持ちを察したのか、複雑な表情をしている。


「どあっ!」

 その時、泉が飛び起きた。

「あ、あれ? 紅葉さん、ベラトリックスは?」

 泉があたりをきょろきょろ見まわしながら尋ねてきた。

「このバカ!」

 箕輪がそう言いながら泉を抱きしめた。

「ほああっ、箕輪さん!? なんでっかあああ!!?」

 泉は混乱していた。


 箕輪と泉……どうしたら彼女達を守り切れるのだろうか。


**


 教室に戻るとクラスのヤンキー達が駆け寄って来た。


「おい借宿! すげーなお前!」

「ベラトリックスをタイマンでやったんだべ!? ハンパねーなおめー!」

「ベテルギウスとはいつやんだ? 待ちきれねーよ!」

 と矢継ぎ早にまくしたてた。


「……」

 だが私は何も答えられず黙っていた。


「うっさいんじゃお前ら! 紅葉さんは疲れてはるんやから話しかけんな!」

 と、泉がヤンキー達を怒鳴りつけた。

「何だとこの! おめーには聞いてねーんだよボケが!」

「ああ!? やんのかコラァ!」

 泉とヤンキー達ががるるると声を上げた。


「こらこらそこ! 何やってんの!」

 その時、サキ先生が教室に入って来た。いつの間にか始業時間になっていたようだ。

「すっ、すいませんサキ先生!」

 ヤンキー達が引き下がった。

「ったくボケ共が」

 泉が吐き捨てるように言った。彼女も少なからず私の心境を察してくれてるんだろうか。



 授業が始まってからもいまいち身が入らなった。


 入学してから今日までの出来事がぐるぐると頭の中をまわり、上手く整理する事が出来ない。あまりにも色々な出来事が短期間で起こりすぎたからだ。


 こんな時、彼なら何て言ってくれるのだろうか。


 私は前の席に座る荒地の背中を見つめていた。

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