第42話 対面-4

「俺はこれまでずっと静馬を恨んで生きてきた。そして、朝日奈家に近づくきっかけをずっと待った。すると、朝比奈不動産が蓼科でリゾート開発をするって言うじゃないか。俺は飛び上がって喜んだね。まず第一段階として朝比奈不動産へ入り込むことを考えた。最初はアルバイトから始めてそれから現地社員になった。そして東京本社へ異動になるのを虎視眈々と待った。自分で志願して異動すると静馬に怪しまれる可能性があるから上司が推薦するかたちになるよう細心の注意を払った。異動が正式に決まり東京本社へ行くと、静馬とお前がいた。お前は名を雅美といった。そうか雅美と名付けられたのか。感慨深かった。静馬がさらっていったとき、お前にはまだ名前がついていなかった。何故かお前は都会しらずの俺に、右も左もわからぬこの俺に、最初に声をかけてくれた。用事がなくても電話をよこし食事に誘って色んな話を聞かせてくれた。初台御殿のこと、お前にとっては祖父だが、俺にとっては父の重蔵のこと、兄弟がいなくて寂しいとも言っていた。おいしいオムレツの店があると言って連れて行ってもくれた。皮肉なことに計画が第二段階に入ったときだ。とにかくお前は明るくて世話好きで面倒を見てくれた。お前には母ちゃんの血が半分流れているからな。母ちゃんはいつも明るくて、誰とでもよく話したよ。特にあのスーパー柿枝のおばちゃんとは長話をよくしていた。俺は決まってあそこの駐車場で石けりをして、話が終わるのを待った。父ちゃんが来る前の日は、父ちゃんが好きな筑前煮を作りこんでた。そんなときの母ちゃんはとても綺麗だった。輝いてた。俺が大人になって思い返してみると、それは母親が一人の女性に切り替わる瞬間だったんだと思う。母ちゃんは、いつも夜、添い寝して俺が寝付くまで子守唄を唄ってくれた。俺は安心して眠ることができた。朝は朝で割烹着を着た母ちゃんが欠かさず味噌汁を作ってくれた。俺は母ちゃんの味噌汁が一番好きだった。学校から帰ると思いっきり母ちゃんに甘えた。母ちゃんは全身で受け止めてくれた。母ちゃんはこの上もなく明るい人だった。この上もなくお喋り好きの人だった。この上もなく優しい人だった。そんな母ちゃんをあいつ!」

 また彼が興奮し始めました。

 それを自分でも気付いたのか、フーッと深呼吸して、

「手紙だったな。そもそもは」

 しばらく何も話さずにじっと彼、耕太の話を聞いていた私は、

「じゃあ、あの手紙は、あなたが・・・」

「いや。あれは本田徳子だ。俺は会社の周りをうろついていたあいつに声をかけられたんだ。婆さん、感慨深い顔をしてしばらく俺の顔を見ていたよ。そしてこう言ったんだ、『ああ。餓鬼だ。餓鬼が』ってな。婆さんは俺が幼い頃の顔を知ってた。そして首筋のこの黒子を見て確証したと言った。あいつに呼び出されて俺は婆さんから色んな話を聞かされた。昔母ちゃんと料亭で一緒だったこと。逗子へ引っ越すのをきっかけに文通するようになったこと。その手紙で知った、重蔵、俺の父ちゃんと母ちゃんのこと。俺のこと。不倫とはいえ母ちゃんは幸せだと言っていたそうだ。そしてお前を身籠ったこと。それで、静馬の奴をずっと強請っていやあがったんだ。何故そこまで知っていたと思う?あの婆あ、母ちゃんと文通してたんだ、手紙がごっそり出て来たよ。そう、母ちゃんは朝比奈家親子二代にわたって肉体関係だったわけだし、三代目が自分の息子だもんな。十分強請りのネタになるわな。でも俺が登場して事態が変わった。俺が朝比奈家に接触しだし、それもお前と懇意にしているのを知って、手紙で静馬に注意喚起したんだ、気を付けろってなあ」

 私は、彼に手紙を見せた日、彼がそんなことを頭の中で考えていたとは思いも寄りませんでした。

「信じていたのに」

 とだけ言うのが精一杯でした。

「お前が手紙を見せてくれた時、手紙の文面から、どう見ても『餓鬼』がこの俺を指していることは容易に窺い知れた。そこで俺は考えた。これは、静馬を誘き出す絶好のチャンスだと。第二段階だと。ずっと待ってたぜ、この時を。ノコノコ来たぜ、あいつ。妙に得心した様子を見せて、あの時のように俺を見下し蔑む視線をまた投げて来た。俺は初台御殿で起きた母ちゃんの死について聞き出すことをすっかり聞き出して始末した。それからお前と待ち合わせたカフェへ行った。そしてお前と一緒にまたここに来たってわけさ。でも、驚いたね」

 耕太さんは、そうまくし立て、息をついてあとを続けました。

「俺が殺ったときから、明らかに静馬の状態が変わってるじゃないか。足が竪穴住居の外側に見えてて、仰向けになってた。それに

顔が潰れてたし、指は焦げて真っ黒だっただろ? もう、たまげたぜ。その上、お前は警察の聴取された時、手紙を持って来てないと言う。だから、しばらくお前を疑ったよ。もしかしたらお前は自分の出生を知っていて父親をってな」

 私は反論しました。

「私はそんなことしません。手紙の件は、それは、ウチのスキャンダルにつながると咄嗟に判断したから」

 耕太さんは、こう返しました。

「まあ確かに父親をあんな風にできるものなのか半信半疑だったよ。でも、それも謎は解決した。またしてもあの婆さんだった。婆さん、静馬を尾行してあそこに来てたんだって。で、俺が静馬を殺るところを一部始終見ていやがった。婆さん、考えたんだと。死体が静馬なら強請りの相手がいなくなる。マスコミがこの事件を取り上げること必至だろうから、寄って集って朝比奈家を取材するようになって、強請りの価値がなくなるのは時間の問題。でも、死体が静馬と特定されるまで時間を稼げたら、その間、強請りの秘密は秘密であり続け、ターゲットを俺に切り替えられると。そこで、あの婆さん、奴の顔に火を付けて炙り石で殴って滅茶苦茶にし、指紋で身元が割れないように手も足も炙りやがった。おっかねえなあ、ここでよ、一人でよ、やってのけたんだとよ。婆さん、奴を仰向けにして頭を炙り、手を炙り、足を引っ張りあげて靴は脱がして靴下ごと炙ったんだ。これであの死体はとりあえず静馬でなくなった。でも、浅はかなんだよなあ。考えることが。俺は婆さんに呼び出されて手紙を見せられたあと、強請られるフリして、気分転換したいと言って外へ連れ出した。目黒川の暗がりに来てクッと首を一捻りさ。婆さん、あっけなく殺られたよ。当然さ、俺や母ちゃんのことをネタにさんざん儲けて、今度は俺とお前までも強請ろうとしたんだから」

 私は、ただ黙って聞いていました。それでも、

「手紙に書かれていた『二十六年間、あなたを守護してきた』というのは、本田徳子が父を強請っていたという意味だったんですね。餓鬼とはあなたのことで、『餓鬼が目の前にやって来た』とはあなたが復讐しに来たという意味だったんですね。父が残した『落とし前をつける』というのは・・・」

「あの婆さんはなかなか狡い人だったが、この俺を勘違いしていた。俺が復讐心の塊なのは認めるよ。その意味では餓鬼かもしれないが、でも、俺が餓鬼なんかじゃない、静馬が餓鬼なんだ。何度も言うが、あいつは母ちゃんを犯したんだ。しかもだ、子どもが生まれると、かっ拐って自分の家の跡取りとして育ててだ、母ちゃんをゴキブリを始末するように扱ってだ、この俺の存在を全く無視したんだ!」

 また耕太さんが興奮し始めました。それに自分でも気づいたのか、ふーと深呼吸して、

「俺は餓鬼を退治しただけだ。あいつの言う『落とし前』について言えば、静馬はまた金で話をつけるつもりだったんじゃないか。ここで俺に会った時、過去の過ちを素直に謝っていれば、今頃はもしかしたら命だけは繋がっていたかもしれねえ。でもな、そんな素振りは全く見せなかったよ。あの時と同じ眼だった」

「一緒に逗子へ行ったらあなたの正体がわかってしまうと思わなかったのですか」

「うん、危険性はゼロではないな。でもな、もう三十年近い昔のことだから、今の俺があの時の子どもだと気づく奴はいないわな。柿枝、あのスーパーのおばさんな、気づいてなかったろ? それにな、第三段階として、俺はお前に自分の手で俺の存在を調べてほしかったんだ」

「私がある場所へ一人で行くと言い出したとき、驚いたり焦ったりしなかったんですか」

「たぶん、あの時、寺岡支店長が叔父の名刺を見つけて住所を連絡して来たんだろうと思った。今度は俺は蓼科へ行けない。叔父と会ってしまったら、計画は丸潰れだ。それに、あの婆さんがうるさくてな。俺だけ東京に戻って婆さんを始末した。きっとお前は俺を突き止めると信じていた。人間、人にやれと言われてしまうとやらないが、ヒントを与えて、少しだけ反対し、きっかけを作ってやると、その反対の方へ行きたがるもんなのさ。特にお前のような好奇心旺盛の奴はな」

「私が蓼科へ行って、どういうことになるか、想定の範囲内だったんですね」

「ああ、母ちゃんと俺の関係を結びつけてほしかった。そしてあわよくば、種違いとはいえ俺とお前が兄弟だと突き止めてほしかった」

 確かに、率直な表現をすれば、私は父静馬が紀子さんを強姦して生まれた子であるわけで、耕太とは異父兄弟です。

 そのような私の出生を兄がどうして言えたでしょう。

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